最近日本を騒然とさせたニュースは、何と言っても大リーガー大谷翔平の専属通訳による違法賭博問題でしょう。小さな島国の国民にとって、世間様(諸外国)に対するこのような国民的不名誉を感じる不祥事はスタップ細胞事件以来のスキャンダルでした。ああ、あれから十年、面目ない気持ちでやりきれません。大谷選手の会見をそのまま事実とするならば、「何てことしてくれたんだ!」と言うほかなく、怒りと失望が日本を席巻したと言っても過言ではありません。この問題は、言語も法体系も社会通念及び諸慣習も全く違った国で生活することの危うさや困難も示してくれています。アメリカにおける疑念は「それほど巨額な送金を本人の同意なしに、または本人に知られずにできるはずがない」と言うところに根差しているようですが、これは多くの日本人にとっては「そういうこともあり得るだろうな」と理解できてしまう事柄なのです。打ち込む仕事があり多忙すぎる、お金に執着がない場合など、金銭に無頓着な人は頻繁に銀行口座をチェックしたりはしないからです。また、仕事の一環として相応のお金の出し入れは依頼していたはずですし、信頼している人に金銭処理を任せることは日本ではままあることです。アメリカ人には考えられないことでしょうが、それこそひと昔前の日本で家計を握るのは、その家が商家でもなければ、高度成長期に家事能力を極限まで発達させた一家の主婦というのが当たり前で、大黒柱たる世帯主はそのような瑣末なことから解放されていました。お金に関わることは何となく下に見られていたのです。私も若い頃は銀行口座をチェックする習慣も時間もなく、「月に一度通帳をきれいにする」と言った友人の言葉が意味不明で、それが通帳記入を行い印字するという意味だと分かっても、「へえ~」と思うだけで全く必要性が分かりませんでした。
大谷選手の場合、その通訳の方は通常の通訳業務以外にその十倍もの様々な雑務をこなしていたということですし、すっかり信頼して仕事を一元的に任せ、普通の通訳に支払う額の十倍もの給料を支払っていたようです。多額の報酬は十分その働きに報いたいと思ってのことでしょう。ところがあろうことか、この人はギャンブル依存症で、にっちもさっちもいかなくなって大谷選手の口座から違法賭博の借金を送金してしまったのです。(まだ捜査中のことなので断言してはいけませんが。)スポーツ賭博についての取材依頼があることを大谷選手に黙っていたのはなぜか、「『二度としない』ことを条件に、大谷選手が一度だけ借金を支払ってくれた」という最初の説明を翌日には翻したのはなぜか、また、経緯の説明が大谷選手本人に対する説明に先んじてチームに対してなされたのはなぜか、仕事に支障があるわけでもないのに学歴詐称をしたのはなぜか、というようなことを考えると、あまりの人格的弱さにがっくりするしかありません。厳しいようですが、大谷選手も人を見る目が無かったのです。外国で生活するのに最も強力で不可欠の武器はやはり言語能力でしょう。間違った人物にこれを任せてしまうと、相手は自分に対し強い権力を振るうことができ、都合の良い専横を許してしまいます。あらゆる権力は腐敗するからです。
誰かに対して全面的に力を及ぼすことができるという優越感はあまりに強烈なので、一度その力を得たら絶対に失いたくないと思うのは当然です。(その支配力が国民全体に及ぶ場合は独裁になります。)そうなると、どんな手段を用いても人は悪事の発覚を阻止し、自分の身を危うくするものは全て抹殺しようとします。これは権力を掌握した人誰にでも起こることです。世界中どこを見渡してもそうでない事例を見つけることができません。
通訳の方はもともとギャンブル依存症という病気だったとのことですが、きっと当初は大谷選手というとんでもないジャックポット(大当たり)を引いて、人生最大のギャンブルに勝った心地だったことでしょう。我が身も浮遊したような心持ちになり、誘惑を斥けられずに借金がどんどん巨額になって歯止めがきかなくなっていったのでしょう。雇われた相手がこれほどの富裕者でなければ、全米規模どころか国際的金融犯罪容疑で捜査されることもなかったかもしれません。その意味で彼は、実は最悪のくじをひいてしまったと言えるでしょう。「お金は人を狂わす」ということ、どんなに信頼している人でも、いや信頼している人を守るためにこそ、「一人に任せずダブルチェックする」ことを、大谷選手は高い授業料を払って学んだことでしょう。全幅の信頼をおいていた人に裏切られた思いは今後じわじわと身にこたえてくることでしょうが、大谷選手は真っ直ぐな人だと思いますので、んなことで躓いてほしくない、何とかこれを乗り越えて自分の力を存分に発揮してほしいと、国民は皆願っています。