2024年9月13日金曜日

「最近の文学」

  読書が最大の楽しみの自分にとって、目が不自由でも音声で読書ができるのは本当に有り難いことです。近頃、人文・社会科学系の本を好んで読むのは考える手がかりを得られるからで、別な面から言うと文学が分からない」という側面もあります。私見では、経済成長のなかった「失われた30年」が中間層に及ぼした影響は計り知れず、人が自分の周辺の事象のみを深化追及するようになったという印象を抱いています。「貧すれば鈍す」ではなく、逆に「貧すれば敏す」とでも言えるような細やかさですが、人が自分に対して鋭敏になりすぎるのは、私には決して健やかなこととは思えないのです。

 世間でよく読まれている最近の文学書は必ずと言っていいほど経済の停滞を基調に格差や差別の救いがたい広がりを前提に描かれており、特に生育時における毒親の影が伏線になっていない作品は珍しいほどです。これに、ジェンダーやLGBTの問題が複雑に絡んで重要な主筋を形成している作品が多くみられます。自分の知らない現在の社会状況を詳細に知ることができるものの、率直に言ってその実情の描き方にも登場人物の繊細な心情にも、ついていけない感を抱いています。「文学賞の受賞作やわだ井の本を読んでも、なんか面白いと思えないの」と、たまに電話してくる友人が言った時、「私だけじゃなかったんだ」と思いました。

 多くの方が感情移入できているからこそ売れているはずの作品が、私にとっては「こんなちまちましたことで頭が満たされているとしたら、端的に辛すぎる」としか思えません。最近ラジオにもよく登場する、漫画家にして豪快な思想家ヤマザキマリが、正確な言葉でないながら、確か「日本(日本人)はどうしてこんなにちっちゃくなっちゃったんでしょうね」という趣旨の発言をしていました。「そりゃあ、若い時にあなたのような体験をする人がいなくなったからでしょ」というに尽きます。「かわいい子には旅をさせよ」が死語になり、大人は子供が転ばぬよう何歩も先まで気を配るようになって三十年経ちました。実際危険な世の中になってきたのは確かで、子供が減っていく過程で過度に手を掛けるようになったことは、自分もその流れに手を貸してきた者として否定することはできません。「みんなでひきこもりラジオ」や「尾崎世界観のとりあえず明日を生きるラジオ」など、今の日本に不可欠な本当に貴重な取り組みに尽力されている方々の働きを多としますが、それは社会がそこまで行き詰ってしまったということでもあります。とても辛い気持ちです。