2024年6月6日木曜日

「成瀬の未来に幸あれかし」

  友人に2024年の本屋大賞を勧められ、『成瀬は天下を取りに行く』を読んでみたら、あまりに面白く、続編の『成瀬は信じた道を行く』もすぐに読了しました。近頃の小説は私の理解を超えていて読む気がしないため、もう小説に期待しなくなっていたのですが、これは懐かしい感じのする青春小説でした。何よりうれしかったのはこういうまっとうで普通の本が本屋大賞に選ばれたという事実そのもので、私同様、社会や世相にヒントを得て陰鬱で異様なテーマを扱った話に辟易していた人も殊のほか多いのかもしれないと思いました。

 筆者の自己認識や体験を踏まえたと思われる、元気で天真爛漫な女子が関西の地方都市でのびのびと過ごしている姿が本当にまぶしい。自分をはぐくんだ土地への揺るがぬ郷土愛やこの年代特有の一途な行動力は読者全ての心の琴線に触れたに違いなく、それらを最大限に生かすための枠組みは成瀬のアセクシュアル性でしょう。成瀬が話し方からして女言葉でも男言葉でもないことに示されている通り、男女差も人の目も気にしたことがない十代の女子に怖いものはありません。自分が人と違っていることなど歯牙にも掛けない成瀬の姿は多くの女子(もしくは往年の女子)の共感を呼んだのでしょう。女子校に通った者がドはまりするのも当然で、何らの雑念なく我が道を行けたあの頃、「そうだ、そんなことあった。傍から見れば何やってんだか分からない事に血道を上げてたっけ」と、懐かしい思いが湧き上がってくるのを禁じえませんでした。

 この物語の主人公は女子でなければならない。男子は第一義的におじさん社会に最適化することを目指して成長せねばならず、にもかかわらず、それをうまく達成したところでおじさん社会はもう完全に行き詰っている時代です。今自由に動けるのはつまらない社会を見限って、いち早くそんな不毛な地帯を離れた女子と、人生をかけて清水の舞台から飛び降りた一握りの男子だけでしょう。日本中で特に公立の女子高は消滅しつつありますが、或る女子校の先生が「せめて高校までは男性優位社会の枠組みを持ち込ませたくない」と言っていました。迂闊にも最近になるまで知らなかったのですが、家庭内が全くの男女平等であり、学校は大学まで全くの男女平等で過ごし、日本で最も男女平等が徹底した教員という職場に勤めた者に、世間一般の男性優位社会は全く理解の外だったのです。Adoさんの歌に出てくるような、宴会でグラスが空いたら酒を注いだり、皆が食べやすいように串を外したりといったことが女子の当然の役目にされるという事態が、どうやら世間には本当にあるらしく、そりゃ、Adoさんでなくても「は~ぁ?」となるでしょう。「自分のことは自分で」が大前提で、学年会では男性教諭がお茶汲みすることも普通にあった職場環境にいた人間にとって上記のような慣習は「くだらない」の一言に尽きます。でも気づけば、こんな僥倖に与れるのはたぶん日本じゃ百人に一人? 本を勧めてくれた友人が、「あなたは私にとっての成瀬なのよ」と言うので、「えっ、さすがにあそこまで変わり者じゃないと思う」と答えた後、「…でも、自分でも少し成瀬っぽいところあるかなとは思ってた」と答えたら笑っていました。『成瀬は・・・・』これからどんな道を進むのか、さらなる続編を望みます。社会人になっても成瀬にはおじさん社会に埋没せず、このまま突き進んでいってほしい。あ、大津の「西武百貨店を再建したい」って言ってなかったかしら。 もし実現したら、それは日本にこれまでなかったような体質の企業になるのは間違いありません。成瀬の未来は日本の未来、がんばれ成瀬!