2024年12月31日火曜日

「2024年の終わりに」

  歳をとるに従い、一年が短く感じるようになるものだが、今年はなぜか「長かったな」という思いがある。もし「めまぐるしい」という一語の漢字があれば、間違いなく私の「今年の漢字」になったであろう。前半は新しい病院に慣れるのに精一杯で、そのうち長い夏が来て何もできなくなり、ようやく少しは外出できる季節になったかと思えば、すぐ水難・デジ難(デジタル関連の災難)に会い、家で電話を待つ生活がやっとつい先日終わった。

 その間、社会は大災害、大事件続きで、防災、防犯の意識を否応なく高めねばならなかった。面倒で手を付けていなかったメールアドレス変更も行い、必要なところへは概ねお知らせした。う古い方のアドレスにあるメールは取り敢えず全部アーカイブに移動し、受信トレイをまっさらにしたので、さっと見て知らせ忘れたメールだけすくい、あとはまとめて削除するだけでよくなった。ただ通販関係・宅配関係は元のアドレスを使う。この辺りから新しいアドレスが漏れるのを防ぐためである。商業的に接触するということは何が起こるか分からないという覚悟を要し、接触する組織が大きくなればなるほど個人情報は漏れやすくなる。

 まっとうな人間の常識を食い物にし、騙そうとする犯罪が増えている。このようなことを企図する輩を許してはならない。したがって、たまに「+」で始まる国際電話が来るようになったスマホも、登録者と公衆電話以外からの着信をブロックする設定にした。救急の用事で知らない人から連絡がある可能性は否定できないが、安全のために背に腹は代えられない。どうしても連絡したい場合は、登録者のスマホから電話していただくしかない。また、病院などで自宅の電話番号以外に携帯番号を求められた時は、「そちらの電話番号を教えてください。登録番号以外はブロックする設定になっているので」と伝えなくてはいけない。

 今年社会に与えた衝撃で最大のものは、社会におけるプレディター(predator捕食者)の激増であろう。「まっとうに稼ぐ」ことが時間や労力に比して「あまりにもコスパが悪い」と感じる者たちが、「労働」によってではなく「他者から奪い取る」という犯罪の手法によって生きる道を選択しているのである。だから以前のような甘っちょろい手段は取らず、コスパ、タイパのアップグレードがなされた。即ち、従来の、家人が在宅していない時に盗みをする窃盗ではなく、わざわざ家人の在宅時に直接暗証番号を聞き出すために強盗に入るという戦慄の手法に変わっていった。恐怖というほかない。

 犯罪ビジネス(闇バイトという名は軽すぎる)に加担している者たちはもちろん捕食者なのだが、彼ら自身もっと大きな闇の世界の者たちに捕食されるカモである。仰天すべきは彼らの判断力のなさで、「ちょっとしたバイト」が「強盗殺人」まで一挙に突き進んでしまう行為を見れば、何かが致命的に欠けていると言わざるを得ないだろう。個人情報を握られてしまうと、あとは自分をかばう自己保存以上に優先するものは何もないと思い込むようである。自分に傷がつくことは、他人を傷つけても(あるいは殺しても)絶対に避けなければならないことなのだろう。無論、犯罪ビジネスについて初等・中東教育で教える必要はあろうが、こうなると、我が身可愛さでここまで「無思慮」な者には、もはやそういう仕方で解決できるとは到底思えない。

 その一方で、世の中には善きことのために献身的に働いている人がたくさんいることを教えられた一年でもあった。日々大変な仕事を黙々とこなしている多くの人々、被災者のために、迫害されているもののために、お腹を空かせた子供のために、貧困にあえいでいる人々のために、虐げられて苦難の中にある人のために、自分の利益や見返りを求めず働いている人は本当に多い。帰省先でいつもお会いする身近な人が、実は障害者福祉のNPOを運営していたり、あるいは被団協の支部で事務を担っている方がいたり(この方は、被団協のノーベル平和賞受賞はまさに青天の霹靂とおっしゃっていた)、また、帰省先の教会では毎月一度「子供食堂」の運営所として集会室を開放している。私は帰省の度にわずかながら寄付させていただいているが、これほどはっきりとした形でお金が役立つ使い方をされる姿を見ることはない。働き人には本当に頭が下がる。心から感謝である。

 この世は悪しきものとの絶えざる戦いと言える。善きことのために汗を流す働き人の存在を知らされ、希望を失わすにやっていく力を日々与えられることに感謝する。


神よ、あなたは私たちを試み/火で銀を練るように私たちを練った。

あなたは私たちを網に追い込み/腰に重荷を付け

人が私たちの頭の上を乗り越えることを/お許しになった。/私たちは火の中、水の中を通ったが/あなたは私たちを広々とした地に導き出された。

   (詩編66編10~12節)

・・・・・・

神を畏れる人はすべてここに来て、聞け。/神が私に成し遂げてくださったことを語ろう。

私の口は神に呼びかけ/舌をもって崇めます。

私が心に悪事を見ているなら/わが主はお聞きにならないでしょう。

しかし、まことに神は聞き入れ/私の祈る声に心を向けてくださいました。

神をたたえよ。/神は私の祈りを退けず/慈しみを拒まれませんでした。

   (詩編66編16~20節)

 まことにその通り、アーメンというほかない。