2024年5月25日土曜日

「街の修理屋さん」

  いつも履いている靴のかかとがかなりすり減ってきたので、一昨日の外出は別な靴ででかけたのですが、途中で歩きにくさが募って予定を果たせずに帰宅しました。「やはりあの靴を修理に出さなければ」と堅く決心し、リペア店を探しました。以前利用していた修理屋のおじいさんのお店がいつのまにか消えていたためそのままになっていたのですが、そういう訳にもいかなくなりました。“mottainai”は日本の暮らしに染みついた麗しい心性なのに、もう修理などという時代遅れのサービスをしてくれる所はないのかとネットで調べたところ、近くのモールに入っていることが分かり、開店と同時にさっそく入店、修理屋さんに向かいました。

 一番乗りで用件を述べると、「お急ぎですね」とその場ですぐ見てくれましたが、「結構値が張る」との診断。しかし、新しい靴を一足買えるほど高くはなく、またこれほど自分の足に合った靴には今後出会えそうにないので、即座に修理をお願いしました。この修理屋さんはとても若そうなのですが、途中別の依頼をしてくるお客をさばきながら、手慣れた仕草でサクサクと修理を進めていきます。

 その間お店を見回してふと、「さすがに傘は扱ってないですよね」と聞いてみると、「やってますが、修理できるものとできないものがあります」との返事。「これなんですが・・・」と、愛用の傘を見てもらいました。強風で傘骨が曲がってしまったものの、折れてはいないので捨てられずに使い続けていたものでした。リペアラー(リペアマンの「政治的に正しい」呼び名)は一目見て料金を述べたので、これも即決で直してもらうことにしました。鉄の骨なら直せるそうで、「あ~あ、こんなことならもっと早く来ればよかったなあ」とつくづく思いました。

 今回の修理品はどちらも私にとっては非常な優れもので、言ってみれば「余品をもって代えがたい」愛用品です。まだ寿命を迎えておらず、ほんの少し修理の手を加えれば今まで通り使えるものです。捨てずに済んでよかった、また必ずお世話になるだろうなと思いつつ、本当に気分よくお店を後にしました。願うことはただ一つ、こういうリペアのできる店は何としても生き残ってほしい、経済合理性はないかもしれないけれど、資源合理性はきっとあるはずです。