10月初旬、「フォルクスワーゲンがドイツ国内の工場閉鎖を検討」というニュースが世界に衝撃を与えました。言うまでもなく自動車産業はドイツの基幹産業であり、これは国全体を揺るがす大問題です。日本で言うなら「トヨタ、国内工場閉鎖」に匹敵する出来事で、社会に及ぼす影響の度合いがわかろうというものです。ドイツの自動車メーカーとしては比較的北部のヴォルフスブルクに本社があり、私になじみ深いフランクフルトを拠点に考えた時には、ドイツ南部にある他の有名な自動車メーカーより親しみを感じているので、このニュースが現実化するとしたら本当に悲しいことです。工場閉鎖は、一言で言うなら「コスト削減のための対策」であり、ドイツ車がここまで追い込まれた直接の原因は、ここ2年ほどの中国メーカーによる極端な低価格攻勢にあると言ってよいでしょう。ただ、そこに至るまでの経過は一言で言えるものではありません。
私は事の詳細を知りませんが、EV車をめぐる動向については一定の関心を持って眺めてきて、日本はこれまでかなり不当な扱いを受けてきたという印象を持っています。例えば、トヨタについて述べるなら、これまで積極的にEV車を量産しようと試みた様子が見えず、国外向けの車としては専らハイブリッド車(ガソリンで動くエンジンと電気で動くモーターを備えた車)の製造および輸出に特化してきました。その分野に強みを持っているからです。ハイブリッド車は欧州でもよく売れましたが、この車を欧州市場から締め出そうとしてEVへのシフトを推し進めたのがドイツだったと言って過たないでしょう。Co2の排ガス規制における偽装をきっかけに、欧州ではディーゼル車から一挙にEV車へと振り子が触れました。温室効果ガスの排出規制は2017年の京都会議以降、待ったなしの案件としてかなり厳しい心的圧迫を伴って浸透していき、私は非常によく覚えているのですが、ちょうど2年前の10月27日に欧州連合と欧州議会が「欧州内では2035年に、ガソリン車などの内燃機関で動く新車販売を禁止することで合意した」という報道がありました。よく覚えているのはかなりのショックを受けたからで、「本気かな」と疑心暗鬼にもなりました。ここには、脱炭素という大義名分を掲げて、長年技術的に優勢だった日本のハイブリッド車を欧州市場から駆逐する意図があったでしょう。日本の自動車産業の行く末を案じた人も多かったはずです。ところが、もちろんドイツ車も或る程度健闘したものの、欧州のEV市場で大きなシェアを獲得したのは、まずアメリカのTeslaであり、またここ数年で急速に広まった中国のBYDでした。この猛攻にドイツ車は非常に苦戦し、この土俵で戦う限りさらなるコスト削減を目指さねばならず、その結果が今回の工場閉鎖の方針につながったと言えます。
現在、欧州市場では需要に対してEVの供給過多の状態が続いていると言います。理由は様々考えられますが、根本的な課題は電気の供給に関するものと言ってよいでしょう。電気自動車が環境に良いのはその通りですが、どのようにしてその電力を得るかが問題なのです。電力の供給方法やコストに関しては、各国がそれぞれ異なった状況にあり、それゆえ異なった課題を抱えています。自然エネルギーへの転換がどれくらい進んでいるか、原子力発電を採用するかどうか、化石燃料としては何を用いるか等々により、電力の生産能力は千差万別です。各国の国土の地勢や資源の特徴、歴史的経緯などを無視して、或る時点から一斉に「車の動力に電気以外は許さない」というのはそもそも無理があったのではないでしょうか。北欧の某国が水力発電で電気需要の90%以上を賄えるからと言って、これを国のサイズも国土の状況もまったく違う国に一律に当てはめるのは現実的ではありません。温暖化対策は言うまでもなく大事です。ただ、「待ったなし」と言われても、人々には日々の生活があり、それを急に変えることはできません。それは「角を矯めて牛を殺す」ことになります。影響を被る人にとっては、生活破壊を伴う電力至上主義は横暴以外の何物でもないのです。自然エネルギーは今のところやはり供給の不安定さを免れませんし、なおかつ脱原発、ウクライナ戦争以後のロシア産天然ガスの供給ストップとなれば、電気代は高騰します。「EV問題」とは詰まるところ「エネルギー問題」なのです。
EVとは即ち電気自動車であり、乱暴に言えば電化製品です。電化製品というものは、少なくとも内燃機関車よりは性能を高めるためのマイナー・チェンジが容易です。世界中のEVメーカーがしのぎを削って開発、改良に邁進しているのですから、あっという間に性能は向上するでしょう。ということは、新車があっという間に低性能の中古車になるということです。高級イタリア車を短期間で乗り換えて、いつも最新の車に乗っている人もいますが、そんなことができるのは下取りに出しても高く売れるからです。EVではそんな乗り方はできなくなるのではないでしょうか。そういえば、イタリアのメーカーはどの程度EVを販売しているか、顕著な成果をあまり聞いたことがありません。
トヨタ車はEV開発にあまり力を入れてこなかったように見えると前に述べましたが、本気でやるつもりなら、まずバッテリーをチャージする充電ステーションを国中に作ったことでしょう。政府も全力でそれを後押ししたはずです。日本における充電ステーションは3万か所程度と言われていますが、私が車の運転をしないせいか、近隣で充電ステーションを見たのは一か所だけです。東京でこうなのですから地方はなおさらでしょう。今は自動車業界も政府もその気がなかったと考えるほかありません。いや考えるまでもなく、現在でさえ夏場は電力不足がたびたび懸念される状況なのです。エネルギー資源に恵まれない、国土が狭く地震の多い国にとって、エネルギーの調達は全く容易ではありません。このうえ、車までEVになって電気を必要とするなら、電気の供給が到底足りないことは政府や自動車業界ならずとも一般庶民が一番肌で分かっています。特に昨今の電気代の高止まりは生活に大きな影響を与えており、この状況でEVの購入を選択肢に入れる人は多くないに違いありません。そういう現状であればこそ、トヨタは国内で売れにくいEV車製造には本腰を入れず、政府も「COP28で『化石賞』を受賞(2023年10月3日)」という不名誉にも甘んじてこれまでやってきたのです。国民経済を守るためなら背に腹は代えられません。世界から白眼視されても、「工場閉鎖で多くの従業員が路頭に迷うよりはまし」という判断をしたのなら、国民として誰がそれを責められるでしょうか。
欧州自動車工業会によれば、2024年1月から7月までのEU域内の新車の販売数は653万台、そのうちEV車は81万台余りで、前年同時期に比べ全体では3.9%増えたものの、EVの販売台数は0.4%減とのことです。特にドイツでは昨年12月にEVを購入する際の補助金が打ち切られたこともあってか、およそ20%減少とのこと。EUは中国国内で過剰に生産された低価格のEV車が流入することを警戒して、7月からは中国産EVに対し暫定的な追加関税を発動しています。EU域内でEVの販売は減ったのに、自動車全体では3.9%増というのは何かと言えば、これはハイブリッド車の売れ行きが絶好調だったことによります。この部分は日本車の面目躍如たるところです。
もう一つ根本的な問題があるのは、ドイツの経済全体を考えた時、ドイツだけでなく欧州各国に当てはまることとして、日本にはない厳しい条件が思い浮かびます。国債1400兆円超えの日本人からすると、ドイツでは国の収支が合っていてマイナスになっていない(借金がない)と聞けば、「スゴイな」の一言ですが、借金をゼロにしなければならないのは通貨がユーロだからです。日本が国債1400兆円でも平気で暮らせるのは、日本には通貨発行権があり、通貨発酵益を享受できるからですが、ドイツ連邦銀行やドイツ政府はEUの通貨ユーロを発行することはできません。通貨発行権のある国が国民のための支出を国債発行で賄ってもそれは借金ではありませんが、EU加盟国がユーロの発行元の欧州中央銀行からユーロを調達すれば、それは返済必須の借金です。日本が欧州連合の中にいたら、とっくに破綻していたことでしょう。これまでドイツは欧州域内のビジネスにおいて一人勝ちに近い成果をあげ、経済的に潤っていたため、この件が前景化しなかったのだと思いますが、今後を考えるとこれは不安材料です。この件を突き詰めるとEUの解消に行き着いてしまうので、ここに手をつけるとしたら大騒動に発展するのは間違いなく、軽々には口にできない案件です。
もしも、トヨタが7、8年ほど前のEV隆盛の兆しの中で、「EV至上主義は早晩行き詰る。この方向に行ったら果てしない低価格競争に巻き込まれ、いいことは何もない。EV市場に参入するにしてもそれは今ではなく、勝機が見えた時だ」との深謀遠慮の末に、経営上の厳しい時期を「何を言われようとじっと我慢でやり過ごし、雌伏して(つまり開発・研究に専心して)時機を待つ」、という腹の括り方をしていたのだとしたら、それはすごいことだと思います。買い被りすぎでしょうか。しかし、これほど長く自動車業界のトップにい続けられること自体信じがたいことですから、やはり何かあると思わねばならないでしょう。
ここで思い出すのは・・・そう、「忠臣蔵」の世界です。大石内蔵助(大石良雄)が日本人に人気なのは、討ち入りを成功させ主君の仇を討ったためではありません。彼の人物像において絶対欠かせない側面は、「昼行燈」と呼ばれた「うつけ者」を演じられる度量です。別に人を欺くためではなく、そうして時間をつぶしながら、じっと好機を待つという在り方です。その時が到来したら、やる時はきっちり目的を達成する・・・こういうマインドが日本人は大好きで、私にはそのような振る舞いができる人物をひとつの理想像と考えているように思えるほどです。
EVの生産に消極的と思われていたトヨタは、コロナ禍真っ只中の2021年12月に行われたEV戦略会見で、「2030年のEV販売台数の目標を350万台とする」という発表をしています。現状を考えると大言壮語に聞こえますが、トヨタが何の勝算もなくこのような発言をするはずはなく、深い戦略がきっとあるのでしょう。日本国内でのEV車の普及には、まず何といっても全固体電池といった国産の高性能バッテリーや充電ステーションの設置が必要でしょう。比較的安価で使い勝手の良い軽自動車または超小型車なら、サブカーとしてほぼ近隣だけの用途で使う人は多そうな気がします。国外に目を向ければ、インド政府が本格的にEV車の普及に舵を切ったようですから、今後巨大市場として熾烈なシェア争いが繰り広げられるのは必至でしょう。日本産のEV車はどのように展開していくのか注視したいと思います。いずれにしてもエネルギー調達の方法は未来においても一つではあり得ないことを考えれば、少なくともトヨタは今後EVの製造を重視しつつも、やはり全方位戦略を維持するのではないかという気がします。