今年の11月3日は日曜でした。毎年11月の第一日曜は逝去者記念礼拝と決まっており、いつもそれに合わせて帰省しています。今年は少し前に教会員で親しくしている方にメールで連絡を取ると、前々日の金曜に教会墓地のお掃除があることが分かりました。「私も参ります」と返信して、当日は兄に信夫山の教会墓地まで送ってもらいました。所定の時間より前に到着したのですが、皆さん(私のほかに3名)すでに掃除に取り掛かっていました。敷地は少し前までにシルバー人材センターの方にお願いして草むしりが済んでおり、あとは飛び出た枝葉を落とし、枯葉を熊手や箒でかき集めて捨てることと、墓石を一つ一つ洗って雑巾をかけ、お花の水を用意する仕事が残っているだけでした。いつもは前日にお掃除をするそうですが、今回は週日雨の予報だったので急遽金曜になったそうです。
そうこうするうち、たまたま信徒の姉妹の方がお花を供えに見えたのでしばし懇談し、その方がスマホに入れてきた伴奏に合わせて、「いつくしみ深き」の讃美歌を皆で歌うことができたのは、思いがけない僥倖でした。お掃除が終わると、今回のリーダー役の方がその場でコーヒーとお菓子を振舞ってくださったのにはびっくりでした。教会墓地の敷地は学校の教室よりは少し広いくらいの面積で、お掃除はやはりそれなりに時間がかかります。今年初めてお手伝いしながら、「毎年こんなに大変なことをしてくださっていたのか」と改めて申し訳なく、また感謝しました。来年以降も少し早めに帰省してお掃除に参加することをお約束してきました。
さて3日当日、前日の大雨に関わらず快晴でしたので、「11月3日は『晴れの特異日』というのは本当だな」と感心しつつ、教会に向かいました。「ヘブライ人への手紙」11章13節~16節より「旅人であり寄留者」という題で説教をお聴きし、地上の生が短くなり天の国が身近な歳になった今は、「本当にその通りだ」という感慨を抱いています。礼拝後、有志の方々で信夫山に行き、墓前礼拝を献げました。聖書は「コリントの信徒への手紙一」15章42節~44節、
死人の復活も、また同様である。朽ちるものでまかれ、朽ちないものによみがえり、卑しいものでまかれ、栄光あるものによみがえり、弱いものでまかれ、強いものによみがえり、肉のからだでまかれ、霊のからだによみがえるのである。(口語訳)
この箇所も、教会が天に送った歴代の召天者を頭に浮かべる時、「本当にそうだなあ」と心底思います。11月の福島とは思えない絶好の日和で、心から感謝の時でした。