2012年12月22日土曜日
「疾風怒濤の日々 Sturm und Drang 」
「けんか口論にまきこまれぬよう用心せねばならぬが、万一まきこまれたら、そのときは目にもの見せてやれ。相手が、こいつは手ごわい、用心せねばならぬと懲りるほどな。」 (『ハムレット』福田恒存訳)
私の中学時代は発表形式の授業が多かったのですが、私は「博士」と呼ばれていた理屈好きの級友によく厄介な質問をされました。適当にやりすごしていましたが、全く目立たず教室の片隅に生息していてそうなる訳がまるで思い当たらず、気のせいかもと呑気に考えていました。私にわかっていなかったことは、彼らは六年間の附属小生活の中でお互いを知悉しており、中学から入ってくる在郷の外部生に好奇の目を向けていたということでした。つまりは、退屈していたのです。スマートで如才ない彼らにとって、がさつでダサい山出しの生徒はさぞや異質な存在だったことでしょう。
ある日、数学の時間に証明を終えた後で、案の定意地悪な質問がきました。軽くかわすとさらに無理難題を突きつけてきました。「けんかを売られている・・・」と確信した途端、私は完全に切れました。羊のごとくおとなしく過ごしていて攻撃されるはずがないと無邪気に思い込んでいたとは、何たるおめでたさ。次の瞬間反撃に転じ、気づいた時には相手を完璧に言い込めていました。先生は呆然、クラスの連中はこの座興に大喜び。
その後もごく小規模かつ単発的に博士との攻防戦がありました。必ず授業中に起きたのですが、それは授業以外の接点がなかったからです。私からしかけたことは一度もありません。そのため、私にとっては常に防戦でしたがいつも私の辛勝でした。ちょっと考えればわかるように、攻撃による勝利より防御による勝利の方がはるかに難しい。あらゆる攻撃の可能性に備えなければならないからです。いつどこからくるかわからない質問に備えて、平素の予習・復習が欠かせませんでした。この時期私の学力が通常ありえないほど伸びたのは、博士のおかげでしょう。博士に感謝せねばなりません。
予期せぬ驚きは卒業間近の頃に来ました。私はクラス全員からサイン帳に卒業の言葉を書いてもらっていたのですが、博士からの言葉の中に「あなたに会えて本当によかった」という言葉があったからです。絶句とはまさにこのことでした。完敗でした。天敵にこんな言葉をかける度量は私にはありません。彼は本物の博士となり、現在某国立大学で教えています。
だから、冒頭のシェークスピアの言葉に出会った時、私は我が意を得たりと思ったものです。以後迷わずそうしています。とても快適です。ついでに、それと対を成す言葉、「つきあいは親しんで狎れず、それが何より。が、こいつはと思った友だちは、鎖で縛りつけても離すな。」も、心に留めています。こういう言葉の前には素直にならないとあとで本当に後悔します。年をとればなおさらです。