2012年12月19日水曜日
「紅春 5」
りくは昼間は父と二人で過ごします。ですから、りくの教育係は父なのですが、りくはしつけや教育というものを超越していたように思います。できることは教えなくてもできるし、「できないこと」というのは端的に「やらないこと」なのです。
例えば、「お座り」というのは礼儀作法ですから、人に頼みごとをするとき(「散歩につれていってください」「おなかが空きました。ごはんをください。」などの時)、全く教えなくてもりくは居住まいを正します。それに対して、「お手」というのは芸であり、ある意味、人に媚びる動作です。りくはいくら教えても「お手」をしませんでした。困ったような悲しげな顔をするのです。「お手」をする意味がわからなかったのだと思います。
私は子供の頃、自転車で犬を散歩させている人を見て一度やってみたいものだと思ったのですが、その頃飼っていた犬は、普通の散歩でもものすごい勢いでぐいぐい引っ張るので、自転車で散歩など夢想だにできませんでした。
私はまだ子犬のりくと一度自転車での散歩を試してみることにしました。驚きです。りくは最初の1回目から、こちらのペースに合わせて走れるのです。声をかけてやると、時々ちらちらこちらの動きを見ながら、集中してピタッとついてきます。「りくは天才!」と思いました。
りくは子供の頃、毎晩寝る前に父とその日の反省をしていました。父とりくは向かい合い、ひざと前足をつきあわせての真剣な反省会でした。話すのは父です。
「今日もたくさん遊びました。でも遊んだおもちゃを片しませんでしたね。おもちゃはおもちゃ箱に片してください。」
りくは姿勢を正し、神妙な顔で父の話を聞いていますが、片しはしません。