2012年12月20日木曜日

「転機」

 東日本大震災は大変なカタストロフィでしたが、淡々と日々の暮らしは続いていきました。グローバルスタンダードに照らせば、あってもおかしくない暴動や略奪が起きず、被災地の惨状に比べたら何でもありませんが、それなりの混乱や不便を強いられた都心部でも、互いを思いやる気持ちで過ごしつつ、微力ながら自分にできる可能な限りの支援を被災地に送ろうとする人が大勢いるこの国を、心底愛おしく思いました。少しずつ少しずつ、今日も一歩前へ・・・。復興の地域差が深刻になるのをどうすることもできない一方で、元の暮らしが戻りつつありました。

 ドナルド・キーンが日本に帰化することを決心したという報道の中で、高見順の「敗戦日記」から、東京大空襲後の上野駅で、役人の怒声に従いながらじっと汽車を待つ寄る辺なき人々を見た時にこみ上げてきた言葉を引いていました。「私はこうした人たちとともに生き、ともに死にたい」と。日本人は最も弱いように見えるときこそ最も強いのかもしれません。  

 世界中の国や地域から支援が寄せられました。あろうことか最貧国からさえも。もしかしたら、日本は世界から愛されていたのか・・・。考えてみたこともありませんでした。他国から疎んじられ、軽んじられているのではないかと心のどこかで思っていましたが、おそらくそうではなかったのです。世界中で働いてきた、また働いている日本人の行動や文化を好意的に受け入れてくれた人々もたくさんいたのです。考えてみればイスラムのテロがアメリカ追随の日本で起きていないのは不思議なことです。日本のすぐれた商品や技術だけでなく、アニメや歌やおもてなしの姿勢は、相手の心に響く何かをもたらしてきたのではないでしょうか。

 少し前に、Jポップを歌う外国人ののど自慢を見てあまりのうまさに度肝を抜かれましたが、あのレベルに達するにはよほど日本に入れ込まないと無理でしょうし、それがどうも物好きな一握りの外国人ということでもないようなのです。日本や日本語に出会ったきっかけは様々でしょうが、「とにかく日本が好き」という気持ちにあふれていて新鮮な感銘をうけました。出てくる外国人がそろいもそろって、日本的な感じのする人、控えめだが内に強い意志を秘めているような人だったのが印象的でした。

 近代史において日本が近隣諸国に対しておかした過ちを否定しようというのではありません。一度、してはいけないことをしてしまうと、文字通り「取り返しがつかない」ことを肝に銘じるべきです。しかし、戦後六十数年たった今でも、相手が「日本憎し」の教育を続け、事あるごとにそれを持ち出して国民を操る政治力を見せつけられると ー責めるつもりはありません。そんな権利はないことを知っていますし、逆の立場だったらそうしていたかもしれないのですから ー ひどい徒労感にさいなまれます。「これ以上どう反省すればよいのか」というのがおおかたの市井の人の偽らざる感覚ではありますまいか。こうしたことが度重なると、双方の関係を未来志向的に考えることには希望が持てなくなってしまうのです。解決に近づくわけではないと知りつつ、しばらく距離をとるしか手立てはないような気持ちになります。

 それより、未来志向的に考えるというのなら、日本がなぜアジアで唯一欧米の植民地化を免れたかを考えてみた方がよいように思います。無関係なことのように聞こえるかもしれませんが、これらは一つのことです。その理由は、もちろん、当時の幸運な国際情勢にもあったでしょうが、江戸時代の太平の世に形成された文化の高さを無視するわけにはいかないでしょう。戦後の長き平和の時代に作られた文化も同様です。世界において国の存立の根本を支えるのは軍事力だけではありません。日本が世界から愛される国であるとしたら、それはそれだけでも、ある意味、国の存立に寄与する力になるだろうと思います。