2012年12月16日日曜日
「言語ゲーム シェークスピアとプリンツェン Shakespeare und die Prinzen 」
十代の時に、ライブラリィの書架にあるシェークスピア全集を手にしたことのある人は、おそらく少ないでしょう。なぜって、ティーンエイジャーはどちらかというと『嵐が丘』や『ライ麦畑でつかまえて』なんかを読みたい年頃ですから。出版されてだいぶ時がたちましたが、あのグリーンの全37冊の翻訳者は小田島雄志です。以前よくマスコミに登場するのを見た限りでは、ただの芝居好きのおっさん、よくて文学的ボヘミアンですが、ひとたび原作を手にするや、その読みは冴えに冴え何の変哲もない活字から「あんたは魔術師か?」と問いたくなるようなエリザベス朝演劇の世界を現出してくれるのです。(この先生、予習してない学生をちょっと叱ったら「英語ができないのはそんなにいけないことですか」と言い返され、絶句したというエピソードがあったっけ。(英語ができないのがいけないのではなく、学問に対する謙虚さのない人が大学へ行っていることがミステイクなのです。)シェークスピアは古典語及び他の外国語を含む驚異的なボキャブラリーを自在に操り、地口ともじりでしゃれのめし、幾万の人の心を持つ男。あののっぺりしたポートレートからは想像もつきません。
次にプリンツェンですが、こちらは旧東ドイツ出身の男ばかり5人のバンドで、王冠をかぶったかえるをシンボルにしています。今どきのアーティストですから、放送禁止ぎりぎりのロックも作るし、思わずほろりとさせられる美しいラブソングもうまい。しかし同時に、二等市民として扱われるコンプレックスや等身大の若者のぼやきをシニカルに歌っています。かと思うとファンキーな民族音楽調あり、かなりパラノイアックな現代人を描いた歌あり、さらに、ライプチヒのバッハがカントルを務めた音楽学校を出たというだけあって(ドレスデンの音楽学校出身の人もいます)、ラテン語でグレゴリウス聖歌風の中世音楽までものしてしまうすごさ。彼らのいかついフェイスに似合わず、まさに天上の歌声です。シンプルな単語を使いながら、言葉遊びが随所に埋め込まれていて、ただ者じゃないねとうならされます。英語で歌わないので、彼らがメジャーになることはないでしょうが。
さて、「一文に少なくとも一つのカタカナ語(固有名詞を除く)を入れる」というルールで書いてみましたが、ここまで「ずいぶん横文字の好きな人だな」と読んでしまった方、シェークスピアとプリンツェンの言語ゲームにぜひ□□□してください。(□にはどんなワードがはいるでしょう?)