2012年12月30日日曜日

「昔の高校」


  その先生の名前は、おそらく今でもクラス全員、フルネームで言えるのではないでしょうか。立派な先生だったからではなく、あまりにも(よく言えば)個性的な先生だったからです。

 高校2年になって初めて習う数学の先生でした。何か伝えたいことがあったのでしょうが、最初の時間はインド旅行の話で始まりました。きっとここから、「零の発見」の話になり数学の授業に入るのだろうというおおかたの予想をあっさり裏切り、その日はインドの話だけで終わりになりました。次の時間はわざわざカセットデッキまで持参し、インドの音楽を聴く時間になりました。3時間目もインドの話で始まった時、クラス全員がはっきりと悟りました。「この先生に数学を習うのは無理である」、と。

 その日、私は街に2軒しかない大きな本屋をのぞいて当たりを付けた後、家に帰って母に言いました。
「数学の参考書を買うのでお金をください。」
「いくら?」
「八百八十円。」
「はい。お釣りは持ってきてね。」

 「うちは貧乏だから」というのが家族の合言葉のような家でしたが、本に関してだけは、書名を申告するだけでほぼ無条件で家計から出費されました。その頃、典型的な地方都市には、予備校や塾などありませんでした。あったのかもしれませんが、いや、やはりなかったろうと思います。誰一人そんな話をしているのを聞いたことがなかったのですから。学校で先生から学べなければ、自分でなんとかするしかなかったのです。

 ちょうど微積分を学ぶ時期でした。「世の中にはなんと頭のいい人がいることか」と思いながら、私は参考書を読みふけりました。そしてわかったことは「勉強は一人でもできる」ということでした。「授業評価」というものがない時代で本当に幸運だったと思います。自分のできなさを教師のせいにできる可能性が少しでもあればそうしてしまったかもしれませんし、生徒の指摘で授業が少し改善されたとしても、自分で学ぶことを知る以上の学びはできなかったでしょう。

 不都合なことや不便なことが人を考えさせ鍛えるということは否定できないと思います。ですから、世の中全体がこれほど便利になってしまうと、人間が弱体化していくのは避けられないのではないでしょうか。まあ、あのような先生だけでも困りますが(母校の名誉のために付け加えると、本当に立派な先生が多かったです)、ああいうのも悪くなかったなあと今思うのです。

 優秀な教師が多い学校はもちろんいい学校ですが、優秀な教師しかいない学校というのは、長い目で見れば、個人にとっても社会にとってもマイナスではありますまいか。卒業後出ていく社会には、それこそいろいろな人がいるわけですから。昔の高校生は、おあつらえ向きの「総合的な学習の時間」を体験していたのかもしれません。