「妹が引っ越すと言うんで、いらないものを段ボールの箱で送ってきて、その中に萩尾望都があってね。」
ある日、隣の席の同僚がそう言いました。萩尾望都・・・ そのまま、素通りすることのできない名前です。(2012年、紫綬褒章受章おめでとうございます。)
しばらく萩尾望都談義に花が咲きましたが、私が
「傑作が多い中でも、彼女の最高傑作は・・・」
と言うと、相手は息をつめて次の言葉を待っていました。
「『トーマの心臓』」
彼女はゆっくり深くうなずきました。
このコミックは中学2年の時、頼んだわけでもないのになぜか友達が貸してくれたのです。読んではいけない本を読んだような気がして、萩尾望都は私の中で封印され、それが解けるのに数年を要しました。
その後、初めてドイツを旅したとき、私は「『トーマの心臓』名所巡り」を敢行しました。ライン Rhein のほとりにある古城やユースホステル、ウィースバーデン Wiesbaden のバス通りのずっと先にある主人公の実家、もう一人の主人公の実家のある大聖堂が見えるケルン Köln市街、話の舞台となる学校近郊のカールスルーエ Karlsruhe市街、そしてボン Bonn の神学校・・・
もちろん架空の場所なのですが、勝手に「ここに違いない」と決めつけ、物語にどっぷり浸って楽しんだのでした。(レーゲンスブルク Regensburg では、これに『オルフェイスの窓』が加わります。特にヴァルハラ神殿 Walhalla ははずせません。)
その話を同僚にすると、そんな愉しみ方があったのかと悔しがっていました。
その後、何度目かのドイツで、ヘルベルトと暮れていくマールブルク市街 Marburg を長いこと歩いた時、彼が言いました。
「このまま歩くとギーセン Gießenだよ。」
ギーセンには行きませんでした、無論。