2012年12月17日月曜日

「母の背中」


 私の母は太平洋戦争末期に福島の女子師範学校に通っていました。しかし戦況が厳しくなるにつれ、空襲警報によりしばしば授業は中断され、また学徒動員で前橋飛行場に戦闘機の部品作り(ほぼ全てがお釈迦だったという)の手伝いに行かされるなどしていたため、全く勉強ができなかったとよくこぼしていました。この勉強への渇望こそがその後の母を駆り立てていたのです。

 終戦の翌年、母は初めて小学校の教壇に立ちました。1928年1月の生まれですから、18歳と3ヶ月ということになります。今考えると恐ろしい若さですが、どんなに若くとも教師は教師です。この時代、18歳の教師であっても何の問題もなかったろうと思います。立場が人をあらしめるのです。

 結局母は十年ほどで教職を辞し育児に専念することになるのですが、私の目から見ても母は本当に教え方が上手でした。全身から学ぶことの楽しさがわきあがってくるような人でしたから、面白くないわけがありません。

 一方で、母が書生机に向かって読書や書き物をしている時には、子供心にも声もかけられないような気迫がその背中に漂っていました。勉強するということの中にはよほどすごいものがあるに違いないと想像してみるより他なかったのです。でも、そこは子供のこと、一人で遊ぶのに飽きると、私は背中でぐいぐい母の背中を押し、勉強の邪魔をしていました。
「なあに?」
「なんでもない。」

またしばらくすると、同じことを繰り返し、
「なあに?」
「なんでもない。」
「・・・あら、もうこんな時間。夕飯の支度しないとね。」

 子供は父の背中を見て育つという言葉がありますが、私にとって忘れられないのは母の背中です。