2013年4月6日土曜日
「所有欲」
脳に関する本を読んでいて、はたと膝を打つ記述がありました。「私」という自己認識よりもっと根源にあるのは「私のもの」という所有の意識であり、自己というものが「存在」に先立ってその人に所有され支配される領域として、「空間」という表象の形式を用いてとらえられているということです。確かに、幼い子供の様子からは、「私」という意識が芽生えるずっと前に、「私のもの」という意識が強烈に見てとれます。この点は生物一般がそうなのであって、あそらく所有に先立って存在するのは神だけなのでしょう。例えばりくは動物にしては珍しく食べ物に執着しない犬ですが、おもちゃはなかなか貸してくれません。もっとわかりやすい現象としては縄張り意識があり、りくとしては自ら所有領域を死守して初めて自分の存在が守れるのでしょう。
私がフェルメールの絵画を所有したいと思うのも、自分の存在にとって重要なことだからなのでしょう。フェルメール一般ではなく、特定の6枚の絵画で十分であるということから考えて、この6枚が何らかの理由で、その延長上に自分を存在を確認する何かをもつのだと思います。
昨日まで非常に重要だったものが今日はもう不要なものになるという経験は、誰にでもあることでしょう。私も勤めをやめていろんな物を処分し、もう本質的に必要なものはそんなにないなとさっぱりした気分になりました。ブログを設定する時、なんということもなしに独自ドメインを取得してみようと思ってやってみると、世界中の人が早い者勝ちで競っているわけですから、たいていの名前は既に取得されてしまっていました。やっと vermeerscafe.com に空きを見つけた時はとてもうれしく、誰かに取られないうちにとすぐ申請してしまいました。しばらくして、「まだ、こんな所有欲があったとは・・・」と煩悩を捨てきれていない自分にがっかりしましたが、今思うと、あれは或る意味根源的な欲求だったのです。ドメインとはまさに生息圏、「縄張り」であり、それがなければネット上であれどこであれ生存できないのですから。