2013年4月12日金曜日

「ラジオ体操」


 社会人になった時、体育の授業が公式になくなることにちょっと不安を感じたのを覚えています。スポーツをする人には何を言っているのかという感じでしょうが、その習慣がない人には結構切実な問題でした。しかし、実際仕事をするようになると、なまじ体育の授業などよりハードな毎日でしたから、この心配は杞憂に終わりました。そしてこのたび勤めをやめて、この問題が再び前景化したのです。

 家事といってもそれほど大変なことはありませんし、大気汚染や紫外線を考慮するとウォーキングも長くはできません。部屋をジムに見立てて、ストレッチや反復横跳び、踏み台昇降等のデイリー・ダズンをするしかないのですが(種目が古すぎますね。ジムというところはCMでしか見たことがないのですが違うということだけはわかります。)、この中に組み込んでいるのがラジオ体操です。

 子供の頃、夏休みに一定期間呼び集められて、眠い目をこすってラジオ体操に出かけた記憶は誰にでもあるでしょう。あの頃は、なぜこんな体操があるのか意味不明で、あれのどこが運動になるのかまったくわかりませんでしたが、今はその独創性をはっきり認めることができます。ちゃんとやるとこれは結構大変な運動です。家にいる時ふとした拍子に、「あ、3時だ、ラジオ体操の時間だ。」と思うことがあります。ラジオ体操は一人静かにやってもつまらないもので、あの音楽と指導員の掛け声は必須です。(実際に聞かないまでも、少なくとも頭の中では鳴り響いています。)中東の油田や東南アジアに進出した企業が、現地の従業員と共にラジオ体操をしているという話を聞いたことがあります。アラブの人も東南アジアの人もあの音楽に合わせて体を動かしているのです。

 ラジオ体操の偉大さをかみしめていたら、カゴメ野菜生活のCMが流れてきました。これはまさしく「ラジオ体操の歌」・・・! 皆が同じ歌を口ずさめた1970年代はすでに遠く、日本の歌は個人個人の好み次第で細分化され、もはや国民全員が歌える流行歌は存在しない時代です。小学生からお年寄りに至るまで体が自然と覚えているラジオ体操は、こうしてみると異色の存在です。だからアシモが二足歩行、ランニングの次にトライしたのがラジオ体操であったのは、メイド・イン・ジャパンのロボットとして当然の帰結なのです。国民文化の統合的象徴として今のところ、ラジオ体操ほどふさわしいものはないのではないでしょうか。