2013年4月23日火曜日
「日本とドイツ 法意識」
卑近な例で考えてみたいのですが、日本では歩行者が横断歩道に立った時、車はどの程度止まるでしょうか。「ほぼ止まらない」というのが私の実感ですが、それを裏付けるように、警察調査によるドライバーへのアンケートでも(驚くことに)約9割が「停止しない」と回答しています。言うまでもなく、道路交通法では横断歩道における歩行者優先の規定があり、実際横断歩道を横断中の歩行者を轢いた場合、自動車側の過失が100パーセントという極めて重い責任が課せられます。にもかかわらず、この点では法は守られていないのが現状です。一方ドイツでは、歩行者が横断歩道に立てば文字通り十中八九、車は止まります。それが規則だからです。
鉄道に関しては、日本では切符を買わないと改札を通れないようになっているのに対し、ドイツというかヨーロッパ諸国では日本の改札にあたるものはありません。初めての英国旅行で列車内に持ち込んでいた自転車にそのまままたがってホームから消えた若者を見た時、呆然としたのを覚えています。従って無賃乗車をするチャンスはいくらでもあるのですが、ほぼ全員が切符を買います。それが規則だからです。
もちろん、規則をきちんと守らせるシステムはあらゆる場合に存在し、規則を実効あるものにしています。乗車券に関して言えば、四人組で突然現れる検札官に摘発されれば当然罰金をとられ、ミュンヘンなど地域によっては無賃乗車が何度かあると軽犯罪者のリストに載るのです。
ドイツでは実効性のない法は法ではありません。日本の憲法にあたるドイツの基本法が戦後数十回改訂されてきたのはそのためです。解釈による読み替えなど考えもつかないことであり、現実に合わなくなったら法を変える以外の選択肢はないのです。
先日、一票の格差の問題で「違憲」、「違憲状態」のみならずついに選挙無効の判決がでて、政治家はこれまでのなめきった姿勢を改めなければならずあわてていますが、ドイツでは総選挙があるたびに、1年以内に一票の格差を是正しています。ドイツは大変合理的な思考を好む国ですが、その合理的思考を支えるのは法令の遵守という鉄則です。
日本では、法に依らない仕方で効果を上げることが多く、「行政指導」などはおそらく諸外国にはない概念なのではないでしょうか。また、ドイツで歩道に雪がないのは、自宅前の雪かきを怠って人が転んでけがをした場合、その家の責任が問われるからですが、日本では個人の善意や公共心、商売上の要請等に還元されています。この点では日本の方がむしろ特殊なのかもしれません。どちらがいいというものでもないのかもしれませんが、ドイツでは合理的と見なされるアイディアは即具体化され、いったん法制化されればほぼその通り実行されることが期待できるという事実こそが、かの国の最大の強みではないかと思えるのです。これは特に環境政策において特に顕著です。