もう二十年近く前のことですが、母と私とヘルベルトの三人で、ドイツ旅行をしたことがありました。まだ、ドイツ統一など思いもよらない時分で、また二週間余りという限られた時間でしたから、フランクフルトから南下して、南ドイツへできるだけドイツらしい街を巡る計画を練りました。
ハイデルベルクHeidelbergと近郊のネッカー渓谷Neckartal, 中世の街並みを残すディンケルスビュールDinkelsbühlや帝国自由都市であったネルトリンゲンNördllingen を経て、日曜には少年合唱団Domspatzen で有名なドナウのほとりのレーゲンスブルク Regensburg にてSt. Petersdomの礼拝に出席し、 さらに南下しアルペン街道への拠点ミュンヘン München からルートヴィヒ2世の夢の跡、ヘレンキームゼーHerrenchiemsee, リンダ―ホフ Linderhof, ノイシュヴァンシュタイン Neuschwanstein の三城およびエタール EttalとヴィースWies という絢爛豪華な教会という典型的な観光コースを巡り、 キリスト生誕劇で名高いオーバーアマガウ Oberammagauまで。
その後、今度はバイエルンから北上しシュヴァルツヴァルト(黒い森)Schwarzwald 地方の大学都市 Tübingenとそこからほど近いドイツで最も美しい城と言われるホーエンツォレルン城 Schloss Hohenzollern, 落ち着いたバロック都市 カールスルーエ Karlsruheを経て、 グーテンベルク博物館のあるマインツ Mainz, ライン河畔の小さな街々を巡り、リューデスハイム Rüdesheim へ・・・。
車でどこへでもアクセスでき、荷物の運搬もすべてヘルベルトがやってくれましたので、母は「こんなラクで楽しい旅行はない。」と喜んでいました。母は上野の国立西洋美術館に海外から名画が来ると必ず上京するほど絵画好きでしたので、殊にミュンヘンではピナコテーク Pinacothek を堪能しました。1日かけて(本当は1日でも足らないのですが)アルテとノイエを巡り、よほどうれしかったのか「今日は何万円分も絵を見た。」と、普段はしないおかしな表現をしていました。シャガールのステンドグラスで有名なシュテファン教会 St. Stephen’s Kircheや、初めての活版印刷による聖書のあるグーテンベルク博物館の印象をかみしめるように、夕暮れのマイン川の風に吹かれる母の姿は一枚の絵のように美しく見えました。
帰国後は、口を開けば「ドイツでは・・・」を連発し父を閉口させたようでしたが、この旅行はいつまでも楽しかった記憶として残ったようです。母には何もしてあげられないうちに逝かれてしまいましたが、この旅行だけは行っておいてよかったと今しみじみ思います。
2013年4月30日火曜日
2013年4月29日月曜日
「紅春 24」
また、私がいない時に、朝方吠えた時もあったそうで、父が見に行くと猫が5匹もそろって家の前でミーティングしていたとのこと。父曰く、
「あれじゃ、りくが怒るのも無理はない。」
そんなわけで、寝不足のりくは昼間ぐったりしています。両手で鼻を抱え込むようにして寝るのは、柴犬の特徴でしょうか。春はりくにとって心休まる時がない季節でもあります。
2013年4月27日土曜日
「不安の消失」
人間の情動は大きく6つ(恐怖、驚き、怒り、嫌悪、喜び、悲しみ)に分類されるそうです。学説は他にも様々あるでしょうが、こうしてみるとほとんどが好ましくない否定的な感情なのだなとあらためて思います。ただ、現代人はそれ以外の感情の比重がとても高いのではないでしょうか。不安や倦怠や虚しさといった感情です。
日本人は不安遺伝子を持つ人が多く、不安を感じやすい傾向があると言われますが、現状や将来についての意識調査などでは必ず高い値となるようです。健康上の不安、経済的な不安、対人関係の不安・・・と数え上げればきりがありません。そのどれもが、解決の方向に向けて動くとなおさら不安が強まることも多いのです。
経済的な不安を例にとってみると、将来に備えてリスクヘッジをどうしたらいいのかと頭を悩ませ、「インフレの時代になるかもしれない、これからは実物経済、金(きん)だ」とまず考えます。(冒険物語には必ず宝箱の中に金塊や金の延べ棒が出てきたので、私はよくそれを想像しうっとりしているかわいげのない子供でした。) しかし、実際それが手に入ったとしたら保管に困り、そのために貸金庫を借りなければなお不安になるでしょう。貸金庫の賃料もおそらくばかにならない額で、金の値段だって乱高下するでしょうから一喜一憂し・・・と、不安が増大していくのです。
この方向ではどうにもならないのです。私も無性に不安だった時期がありましたが、はっと目が覚めたというか、あるとき不安が雲散霧消していることに気づきました。自分の来し方を振り返り、ここ最近自分の身に起きた不思議な出来事を考えると、「これから何が起こるにしても何の心配もない」と感じたのです。
「恐れるな、私はあなたをあがなう。あなたは私のもの。」(イザヤ書43:1)
2013年4月26日金曜日
「今ふたたびのジパング」
ジパングという呼び名は日本人の虚栄心をくすぐる言葉のようで、最近よく聞きます。なにしろ黄金の国として過去の希望に輝いていた時代を彷彿とさせるからでしょう。イスラム圏では日本についてのテレビ番組が放送されたことをきっかけに、日本ブームだと聞きます。日本は「イスラムの教えがこの世で最も実現されている社会」と評した人もいるほどで、その精神性に注目が集まっているようです。
エルトゥールル号事件以来、トルコはずっと親日的な国ですが、珠算教室がトルコに進出し習っている子供がいるとのこと。初めてこの話を聞いたとき、「このご時世にそろばんとは・・・」と笑ったのですが、よく聞いてみると、数ある塾の中でそろばん塾に子供を通わせている親は、計算術だけでなく日本の文化や精神に触れてほしいという願いを持っているのです。いわく、「『日本』というのはブランドなのです。」と。
また、ベトナムで豚の飼料の販売を新たに始めた企業が、圧倒的に欧米資本の牙城で企業努力をしながら売り込みをかけ契約を取っていくとき、農家が言った言葉はこうです。
「契約したのは日本の企業だから。ベトナムでは日本はとても信頼されています。」
こんにち、様々なものが様々な値段で売られています。似たジャンルのものを手に入れようとした時、人はどういう考えでそれを選ぶでしょうか。グローバル社会で一番よく採用される方法は、一円でも安いものを選ぶ方法です。しかし、これは完全に同じ物という場合で、たいていはちょっと違いがあるものなので、誰が作っているのか、どこから買うかということも大事な決定要因になるでしょう。
これは人間同士の場合を考えればはっきりします。誰かと組む時には相手の人柄が何より大事です。今までの体験から、うまく言えないけれど、なんとなくずるい感じがするとか、土壇場でどうでるかわからないとか、相手の人柄に一抹の不安がある場合、技術的には劣るけれども人間的に信頼できる人と組むということはいくらでもあります。相手に対する信頼が根底にないと不安が際限もなく広がっていき、何かあったとき致命傷となります。相手が信用できれば、何かあっても最大限の尽力を当てにでき、たとえ結果がうまくいかなくても納得できるのです。人間の場合と同様に、もしそんな風にして「日本」というブランドが選ばれているとしたらそれこそ名誉なことで、鉱物資源としての金以上に価値のある、黄金の国ジパングと言えるのではないでしょうか。
2013年4月25日木曜日
「ロボットの微笑み」
脳の研究が進むほどはっきりしてきた事実として、脳が人と物を明確に区別していることがあげられます。おもしろいのは、人というのは心を持ち、物はそうではないと脳が区別しているということです。だから、心を持つと脳が認識しているものは、物であっても或る意味「人」です。 その点からすると、私にとってりくはまぎれもない「人」であり、水をやる時毎日「はーい、ごはんですよ。今日もおきれいですね。」と話しかけている鉢植えも、ひょっとすると「人」なのかもしれません。
以前見たものでどうしても忘れられないものの一つに、學天則があります。1928年の京都博覧会に大阪毎日新聞の西村真琴が出品した東洋初のロボットと言われているものです。何ができるわけではありません。ロボットに通常期待されるような人の役に立つ仕事をするのではなく、机に座ってペンとライトをもったままただにっこり笑うだけなのです。學天則の顔が少しずつ様々な人種の特徴を呈しているのは、製作者の西村真琴が工学系の人ではなく生物学者であったせいでしょう。今考えると何という先見性かと思いますが、当時はその価値に気づいた人は多くはなかったのではないでしょうか。ただ微笑むだけのロボットに戸惑いを覚えた人も多かったでしょうし、物笑いに近い扱いだったかもしれません。
流行に疎いため、最終回の視聴率が40%を超えたというドラマ「家政婦のミタ」を、最近、田舎の再放送で見ました。家族がテーマなのでしょうが、「こ、これは・・・」と驚いたのは、人間とロボットについてぼんやり考えていた私の問題意識にまさしく沿ったものだったからです。主人公はあの鋼鉄の鎧を着たような出で立ちからして、明らかにロボットを体現しています。彼女の無機質な話し方、繰り返す決まり文句、自分の意見や感情は表明せず、業務命令は犯罪じみたものでも平気で実行する冷徹さは、ロボットそのものです。視聴者にとって何でも言うことをきいてくれる有能なロボットの存在は実に爽快で、また他人の気持ちを忖度しない無神経さは相手の気持ちを察することが不可欠のこの社会においてとても小気味いいのです。
彼女はロボットとして笑いを禁じられています。その彼女が崩壊寸前の家庭に関わることで、家族が再生してゆき、それによって今度は彼女自身が変えられてゆくという設定です。そして最後の業務命令は微笑むこと、彼女はロボットから人間に戻ってドラマは終わるのです。この作品は、學天則ひいては80年以上前に人間の本質を見抜いていた西村真琴へのオマージュであると私は確信しています。
2013年4月24日水曜日
「合唱県」
トヨタ自動車ReBORNのCMで、東日本大震災の復興を語り合うシリーズがあります。「仙台を日本のボストンに、山形をシリコンバレーに、岩手をデトロイトに。」というもので、最後に「じゃあ、福島は合唱が盛んだから音楽の都ウィーン。」といいます。福島では合唱が盛んということが知られていたとは意外でした。他の3県のことはわかりませんが、福島に関してはその通りです。
高校では私は美術を選択したので音楽との縁が薄かったのですが、2年の時、合唱部が全国大会で優勝したのは覚えています。
中学時代の音楽の授業の多くの時間は合唱の練習にあてられていました。それは他校や他県から見学に来る教員のために、朝礼では半年ごとくらいに違う曲で全校合唱があったからです。「組曲「蔵王」より『早春』」、「歌劇「アイーダ」より『凱旋行進曲』」、「「わが祖国」より『モルダウ』」など、いずれもばりばりの合唱曲で、「流浪の民」を歌った時などは合唱部の方が鈴をころがすような声で独唱していました。
卒業送別音楽会はクラスごとの合唱祭で、特に卒業する三年生は異様な盛り上がりを見せていました。ここでも「混声合唱組曲「筑後川」より『河口』」など代表的な合唱曲が歌われましたが、まだ力のない一年生は「今日の日はさようなら」「どこまでも行こう」といった無難な選曲、「叱られて」などの受け狙いの選曲などで趣向を凝らしていました。(あの頃、私たちは親や先生にいつも叱られていたのです。) 合唱は人数がそろわないとできないものなので、音楽の才のない者にとってもとても楽しかったなあと思い出されます。
2013年4月23日火曜日
「日本とドイツ 法意識」
卑近な例で考えてみたいのですが、日本では歩行者が横断歩道に立った時、車はどの程度止まるでしょうか。「ほぼ止まらない」というのが私の実感ですが、それを裏付けるように、警察調査によるドライバーへのアンケートでも(驚くことに)約9割が「停止しない」と回答しています。言うまでもなく、道路交通法では横断歩道における歩行者優先の規定があり、実際横断歩道を横断中の歩行者を轢いた場合、自動車側の過失が100パーセントという極めて重い責任が課せられます。にもかかわらず、この点では法は守られていないのが現状です。一方ドイツでは、歩行者が横断歩道に立てば文字通り十中八九、車は止まります。それが規則だからです。
鉄道に関しては、日本では切符を買わないと改札を通れないようになっているのに対し、ドイツというかヨーロッパ諸国では日本の改札にあたるものはありません。初めての英国旅行で列車内に持ち込んでいた自転車にそのまままたがってホームから消えた若者を見た時、呆然としたのを覚えています。従って無賃乗車をするチャンスはいくらでもあるのですが、ほぼ全員が切符を買います。それが規則だからです。
もちろん、規則をきちんと守らせるシステムはあらゆる場合に存在し、規則を実効あるものにしています。乗車券に関して言えば、四人組で突然現れる検札官に摘発されれば当然罰金をとられ、ミュンヘンなど地域によっては無賃乗車が何度かあると軽犯罪者のリストに載るのです。
ドイツでは実効性のない法は法ではありません。日本の憲法にあたるドイツの基本法が戦後数十回改訂されてきたのはそのためです。解釈による読み替えなど考えもつかないことであり、現実に合わなくなったら法を変える以外の選択肢はないのです。
先日、一票の格差の問題で「違憲」、「違憲状態」のみならずついに選挙無効の判決がでて、政治家はこれまでのなめきった姿勢を改めなければならずあわてていますが、ドイツでは総選挙があるたびに、1年以内に一票の格差を是正しています。ドイツは大変合理的な思考を好む国ですが、その合理的思考を支えるのは法令の遵守という鉄則です。
日本では、法に依らない仕方で効果を上げることが多く、「行政指導」などはおそらく諸外国にはない概念なのではないでしょうか。また、ドイツで歩道に雪がないのは、自宅前の雪かきを怠って人が転んでけがをした場合、その家の責任が問われるからですが、日本では個人の善意や公共心、商売上の要請等に還元されています。この点では日本の方がむしろ特殊なのかもしれません。どちらがいいというものでもないのかもしれませんが、ドイツでは合理的と見なされるアイディアは即具体化され、いったん法制化されればほぼその通り実行されることが期待できるという事実こそが、かの国の最大の強みではないかと思えるのです。これは特に環境政策において特に顕著です。
2013年4月22日月曜日
「紅春 23」
りくは素直で控えめな性格です。外の人に対してはそのまま外面よくふるまっているのですが、家族にはあまのじゃくな面を見せます。
散歩でいつもの場所のあたりまで行って「さあ、そろそろ帰ろうか。」と言うと、必ず「やだ、もう少し行く。」とがんばります。負けたふりして「じゃあ、あと少しね。」と言ってほんの10mほど歩き、「さあ帰ろう。」と言うと今度は素直についてきます。
帰ってきて家に入ろうとすると、「僕、入らない。」と一度は言います。どんなに寒い日でも毛皮を着ているのでへっちゃらです。
「姉ちゃんは家に入るよ。りくは入らないんだね。じゃあね。」
と庭につないで私は家に入ります。一人で静かに遊んでいたり、通る人や犬に声を掛けたりしているうちはいいのですが、わりとすぐ「家に入りたい。」と言って鳴きます。特に家の中から家人の話し声や笑い声が聞こえてくるともう一人ではいられないようです。やはり群れで暮らす種族なのです。
「だからさっき家に入るよって言ったでしょ。」
もう一度外へ行ってりくを抱き上げ足を洗って家に入れるのは面倒なので、私はいつもりくに文句を言うのですが、りくはどこ吹く風です。父がりくのおへそのあたりをグリグリしながら、「ここが曲がっている子がいますね。」と言うと、りくはお腹を見せてあおむけになり、すっかり甘えています。ため息・・・。
2013年4月20日土曜日
「都内一周都バスの旅」
ワンコインの1日券で楽しめる都内一周都バス観光です。東京の様々な表情を見ることができます。タイムスケジュールは平日の目安です。
8:40 東京駅丸の内南口改札
8:49 東京駅丸の内南口バス乗り場③ 等々力行き乗車
9:10 (日比谷―虎ノ門) 慈恵医大病院降車
愛宕山付近散策、昔NHKのあった場所に建つ放送博物館の前に出る不思議なエレベーターで昇れます。
9:51 愛宕山下乗車
10:01 (東京タワー―赤羽橋) 慶応大学東門降車
徒歩にて田町駅へ
10:22 田町駅東口バス乗り場 品川行き乗車
10:35 品川駅東口降車
休憩
11:13 品川駅高輪口バス乗り場 新宿西口行き乗車
(魚籃坂下―広尾橋―青山一丁目―四谷三丁目) 新宿三丁目降車
12:08 新宿伊勢丹前バス乗り場 池袋駅東口行き乗車
12:30 (東新宿―学習院下) 池袋駅東口降車
昼食
13:57 池袋駅東口バス乗り場 東京ドームシティ行き乗車
14:12 大塚三丁目降車 錦糸町駅前行きに乗り換え
15:04 (茗荷谷―春日―本郷三丁目―御徒町―蔵前)錦糸町駅降車
休憩
16:07 錦糸町駅西口バス乗り場 東京駅行き(東22系)もしくは
16:11 錦糸町駅西口バス乗り場 東京駅行き(東20系)
17:00 (住吉―木場―門前仲町―茅場町―日本橋) 東京駅丸の内北口降車
東京駅解散
時刻表、バス乗り場の位置は都バスのホームページでお確かめください。
2013年4月19日金曜日
「刺繍生活 その後」
私は課題の刺繍用品を前に、家で途方に暮れていました。一つはっきりしているのは、このまま図案を見ながら刺していくのは限界があるということでした。なにしろ15個ある同じパターンの1つ1つが、ざっと見て300目近い刺し目でできているのです。しかも微妙に左右対称でない部分があり、脇にある別の囲み模様からの目数も場所によって違っているので、図案を見ながら一つ一つ刺していったのでは必ずや間違いが起こるでしょう。さらに、基礎を知らないとは恐ろしいことで、図案を正確に読み取ることすら私には難しかったのです。
まず、全貌を頭に入れることがどうしても必要でした。これをしてからでないと取り掛かれません。先日数十目やってみた時、先生が刺された見本には、基本となるラインとか、重要な角の部分とかの位置取りが一目の狂いもなく、かつ必要な分だけ過不足なく示されていたのに驚嘆し、思わず、「ははーっ」と平伏してしまったのでした。先生はすごい!
考えた末、まずパソコンで大きく色別に入力したパターンの図案を作りました。それからそれがどのようにつながるのか俯瞰できる様式の全体図を作り、ようやく実際の作業に取り掛かることができたのです。一年どころか二年がかりでという励ましもありましたが、冗談ではありません。私の性格ではそんな長期戦に耐えられるはずがない、短期決戦です。大きく拡大した図案のおかげでなんとか進めることができましたが、しばらくすると何度やってもどうしても一目合わない箇所が見つかり行き詰ってしまいました。「ええい、誤魔化してしまえっ。」という悪魔の声が聞こえましたが、再度目を凝らしてみると、単純な囲み模様の目数が、他は全て3目ずつなのに中央だけなんと4目! これを気づけというのは過酷な要求です。ともかくも、一週間ほど他のことを全て放り出して一心不乱に取り組み、ようやくこうすれば過たずできるだろうという見通しに達したのでした。
それでもちょっと油断するとすぐに段がずれてしまい、端に達した時に「ああ~、一目ズレてる・・・」と茫然とすることが何度あったことか。なぜ、こんな課題に取り組まなくてはならないのかということは一切問わないことにしてやり続けてきた結果、まだまだ終わりそうにないものの、最初ずだ袋のように見えた粗い麻布にもしみじみと愛着が湧き出てくるのでした。そのうち糸がなくなり先生に調達していただく間、「休みを与える」と言い渡され、現在小休止中・・・。というのも、糸など型番と色番がわかればすぐ手に入るものかと思っていたのですが、先生によればこの糸がまだあるかどうかわからないとのこと。聞けばこの課題は先生が刺繍学校に通っていた時の課題であると! いつの時代のものかもさることながら、「そんな貴重なものを・・・。」と仰天してしまったのでした。ともかく、目数との闘い第2ラウンドに備えて休養をとっておかなければ。
2013年4月18日木曜日
「低温スチーム」
シャトル・シェフで野菜を蒸した時の驚きを忘れられません。野菜が甘いのです。思わず、「うーん」とうなってしまいました。低温スチームという料理法があることを知ったのはもっと後なのですが、一度沸騰させた鍋を魔法瓶で保温するシャトル・シェフは、図らずもこの料理法にかなっていたのです。
食品事典によると、例えばさつまいもの甘みは70℃くらいで最もよく引き出されるとあるので、15分ごとに少し過熱して保温するのを3回繰り返したところ焼き芋と同じ黄金色のおいしさになりました。これはでんぷん糖化酵素アミラーゼの働きによる効果です。ちなみに、食品事典には「さつまいもは寒さが苦手なので冷蔵庫での保存は厳禁、新聞紙の包んで室温で保存」と書いてありましたが、私見ではこれは寒い地方の話です。冬でも室温十数℃の東京の場合、私はさつまいもを冷蔵庫で保存していましたが、それはそうすると甘みが増すことを経験的に知っているからです。寒さに抵抗しようとして糖度が増すのです。
バナナの場合は50℃のお湯に10分つけると糖度が増し、日持ちもよくなります。この場合さつまいもとは逆に、熱さに負けまいとして糖度が増すのでしょう。違うかもしれませんが、バナナが育つ地域ではどう考えても、雪が降るような寒さに備えるより、猛暑に備える能力を伸長させた方が生き残りに有利なはずです。
これらの野菜の調理法は大変に面白く教化的です。これら全ての事実が物語る真理は何か。それは、「生き延びるために個体に必要なのは適度なストレスである」ということです。これはおそらく、あらゆる生物に当てはまる法則のはず。難しいのは「適度な」の部分、野菜で言えば、加える熱が高すぎてもダメ、ちょっと低くてもダメ(43℃以下では雑菌が繁殖する)。まさしく人間に置き換えて考えると納得できます。いやあ、農産物から学ぶことは奥が深い。
2013年4月17日水曜日
「文化祭今昔」
文化祭と聞くと誰しもなんとなくわくわくするものですが、今はこういう局所的お祭りが過熱しているように思います。確かに皆で力を合わせて何かに没頭しやり遂げることの中には、それ以外の方法では味わえない達成感がありますが、参加や貢献を促す力が次第に強くなりつつあると感じるのは私だけでしょうか。
懐かしいのは、自然発生的に何かが始まり、目的も不明瞭、手段も行き当たりばったり、効率度外視のゆるい文化祭です。私の高校時代は、やる気のある何人かがやることを決め、ほとんど話し合いもなくその他大勢がついていくという図式で、文化祭はとても静かに準備されていました。できることがあればするけれど、大抵はたらたら見守っているという、とってもぬるい雰囲気でした。
2年生の時、いつのまにか八ミリ映画を撮ることになっていて、夏休みのけだるい午後、たぶん来られなくなった誰かの代役だったのですが、急に呼び出しを受け学校に行きました。すぐに白衣を着せられ、検死官の役として短いセリフを述べ、撮影はあっという間に終了しました。
話は刑事もので、ストッキングメーカーを巡る殺人事件でした。主筋は全く覚えていませんが、笑いを取るカットとして全員で撮ったコマーシャルシーンは鮮明に覚えています。主役が教室に入ると全員机につっぷしており、「みんなどうしたの?」と何度か呼びかけると顔をあげるのですが、頭にストッキングをかぶっており、「キャー」と言って主役が助けを求める先には、くだんのインドかぶれの教師が微笑んでいるという設定でした。今も昔も高校生の破茶滅茶な発想は同じです。あるはずもない次回上映作の思わせぶりな予告編で始まるこの八ミリは、当時映画館で体験する高揚感を見事に伝えていました。
まだビデオのない時代でしたので、音声は別にカセットに録音しました。出演者や音響効果担当者が放課後残って、映像に合わせてマイクを奪い合いながら台詞を読んだり効果音を入れたりしていきます。台本棒読みのひどい大根役者もいて吹き出しそうになるのをこらえるのが大変でした。下校時間も近づいたころ、収録が終わったと思った瞬間、電源が入っておらず採れていないことが判明しました。
「ううっ・・・」
担当者は責任を感じて泣き崩れました。
「泣くことないじゃない。」
「そうだよ。もう一回とれば済むことでしょ。」
採り直しなしの一本勝負でした。気合いが入りよいものが採れました。頼りないその他大勢も、やる時はやるのです。
2013年4月16日火曜日
「ヨーロッパ温泉事情」
あまり知られていないことですが、ドイツは温泉大国です。温泉は旧西ドイツだけでも250か所とも言われ、その頂点に立つその名もバーデン・バーデン Baden-Badenを筆頭に、ウィースバーデンWiesbaden、フランクフルトからもすぐのバート・ホンブルク Bad Homburg、カール大帝の古い温泉町アーヘン Aachenなどは一例にすぎません。バイエルンのバート・ブリュッケナウ Bad Brückenau、リューネブルガーハイデ地方のゾルタウ Soltau、バルト海に面したシュトラールズント Stralsundから最北部のバード・シュヴァルタウ Bad Schwartau に至るまで、日本では全く知られていない温泉町が各地に点在しています。
ヨーロッパの温泉が日本の温泉と違う点がいくつかありますが、まず一つはヨーロッパの温泉町は、ひなびた湯治場というイメージはみじんもない点です。そこは美しいクアパークをゆったり散歩でき、カジノや劇場を備えたクアハウスを満喫できる、四つ星・五つ星ホテルの立ち並ぶ高級保養地であるということです。夏は野外でオペラやコンサートも行われ、お金持ちが優雅に過ごす場所なのです。
もう一つ違いと言えば、ヨーロッパでは温泉水は飲むものだということです。散歩しながら源泉が飲める吸い口のついた専用の器が売っていますが、日本人の感覚からすると、体にいいと言われても源泉は実際飲めたものではありません。
三つ目の違いは、サウナ以外は水着を着て入るプールのようなものだということです。一言で言うと、男女一緒に入れる温水プールと同じなのです。
四十歳を過ぎるころから、旅の目的はひたすらゆっくり体を休めることにシフトしていったので、ヘルベルトはいつも温泉町を旅程に組み込んでくれました。いえ、組み込んでくれたどころではなく、自分はそれほど温泉が好きだったとは思えないのに、温泉保養地のはしごという私にとっては願ってもない旅程を立てていてくれたのでした。贅沢な施設には関心がなかったので、場所によっては雰囲気が豪華すぎて居心地のよくないところもありましたが、純粋に温泉で入浴すること、クアパークの散歩や緑の中のカフェでのお茶は本当に堪能できました。
チェコのマリエンバートMarienbad(正式名マリアーンスケー・ラーズニェMariánské Láznĕ)やカールスバートKarlsbad(正式名カルロヴィ・ヴァリKarlovy Vary)も大変美しい温泉保養地ですが、私の好きな温泉町をどこか一か所挙げると言うなら、ハンガリーのへーヴィーズ Hévízです。蓮の花が群生しているここの温泉湖で泳ぐのも一興ですが、何より快適なのは豊富に湧き出す温泉湖のお湯を引き込んでいるホテルに滞在し、施設をフル活用することです。部屋で水着に着替えてバスローブを羽織り、そのままエレベーターで温泉のある地下へ降り、いろいろなタイプの温泉に浸かったり、休養ベッドで弛緩しきって横になったりというものです。私はまだ夢の中にいるヘルベルトに「行ってきます」と声を掛け、朝早くからお風呂に通って同類のおばさんたちと顔なじみになりました。
へーヴィーズはとても小さな町で庶民的でしたので肩の力が抜けました。お風呂に飽きたら、ヘルベルトと温泉湖のある市街まで美しい草原を歩いていきます。そして百メートルも歩いたら終わりになる街の通りをひやかしながらぶらぶらし、小腹がすいたらお茶をします。それからまた歩いてホテルに帰り、部屋でごろごろしたりお風呂に入り直したり・・・。これを数日続けると完全に別な人間に生まれ変われますが、社会復帰するには同じくらいの時間を要します。
2013年4月15日月曜日
「紅春 22」
りくのことで家族の一致した意見は、「毎日見ててもかわいいね。」ということです。いつも正面から相手にしなければならないので疲れることもありますが、邪気がないので何もかも許せます。
りくは常に散歩に行くチャンスを狙っていて、父はやることが一段落するか気が乗らないとダメなこと、兄には前足で肩や腕をポンポン叩くと成功すること、私には礼儀正しくお座りしてじっと見つめるのが有効なことを知っており、それぞれうまく使い分けています。
寒い日で散歩に出たくない時は、りくに見つめられても目をそらし、体の向きをかえるのですが、りくはその方向に移動し目を合わそうとします。父が間髪入れず、「りく、粘れよー。」と合いの手をいれます。私は、「りく、お父さんに頼んで。」と言うのですが、りくはその時その時で状況を瞬時に判断し、ターゲットにロックオンします。結局、りくに選ばれた方が散歩に出る羽目になるのです。
2013年4月13日土曜日
「コミュニケーション新世代」
若い人に対する私の印象は極めて良いものです。自分が若かった頃よりずっと明るくコミュニケーションがとれている人が多い気がします。それは時代の雰囲気と要請の結果だろうと思うのですが、昔はシリアスに悩む青年像が規範としてあり、暗く鬱屈した状態でいても咎める人がおらず、むしろ若者のあるべき姿として認められていたからです。それでも仕事をするようになれば、それなりに切り替えて、快活な人付き合いを身に着けていくことができました。
就職した若者の「コミュニケーション能力が足りない」ということが盛んに言われだしたのは、十年くらい前のことだったと思います。ゲームやインターネットの影響などが取りざたされましたが、一番の原因は、自分からコミュニケーションをとろうとしなくても困らない環境でずっと育ってきたことにあると思います。子供がじぶんなりに考えて何か言っても、相手が子供であるという事実それだけで、「生意気言うんじゃない。」で終わりだった時代はいまいずこ、当世においては周囲がなにくれとなく気を回してくれ、話を聞いてくれるのが当たり前の状況になったのです。その後、学校は「面倒見が良いこと」が最大の売りとなり、その流れはむしろ加速しているようです。
一方で、「就職にはコミュニケーション能力が必須」という説が定着し、これも一つの技能として養成されるようになりました。訓練によって身に付く技能は確実にあり、自然なコミュニケーションが反射的にできるようにもなります。
先日、学食で並んで食事を受け取った時、トレイを持ち上げようとした瞬間に後ろの学生が、
「それ、みそ汁も付くんじゃないですか。」
と声をかけてくれ、厨房の人が気づいて渡してくれるということがありました。
また、前に並んでいた学生が、その前の学生の背中をつついて自分の首の後ろを指さし、「襟が折れている」ことを教えてあげているところを見たこともあります。(この二人は見知らぬ者同士のようでした。)
小さなことですが、自分の利益になることでもないのに、今の学生はこんなに自然に人と接することができるのだなあと感心しました。逆に言うと、もうこのレベルのコミュニケーション能力がないとやっていけない社会になったのかもしれないと思いました。これに関しては、特に中学・高校時代から携帯電話を持ち始めた世代において顕著である気がします。アドレス帳に、数十ではなく数百の単位で知り合いがいる付き合いというのは私には想像がつきませんが、当然コミュニケーションの質も変化せざるを得ないのでしょう。若い人にとってこの流れに乗らないという選択肢はまずないでしょうから、片時も周囲へ気配りを怠ることができない生活というのは疲れるだろうなあと同情してしまうのです。
2013年4月12日金曜日
「ラジオ体操」
社会人になった時、体育の授業が公式になくなることにちょっと不安を感じたのを覚えています。スポーツをする人には何を言っているのかという感じでしょうが、その習慣がない人には結構切実な問題でした。しかし、実際仕事をするようになると、なまじ体育の授業などよりハードな毎日でしたから、この心配は杞憂に終わりました。そしてこのたび勤めをやめて、この問題が再び前景化したのです。
家事といってもそれほど大変なことはありませんし、大気汚染や紫外線を考慮するとウォーキングも長くはできません。部屋をジムに見立てて、ストレッチや反復横跳び、踏み台昇降等のデイリー・ダズンをするしかないのですが(種目が古すぎますね。ジムというところはCMでしか見たことがないのですが違うということだけはわかります。)、この中に組み込んでいるのがラジオ体操です。
子供の頃、夏休みに一定期間呼び集められて、眠い目をこすってラジオ体操に出かけた記憶は誰にでもあるでしょう。あの頃は、なぜこんな体操があるのか意味不明で、あれのどこが運動になるのかまったくわかりませんでしたが、今はその独創性をはっきり認めることができます。ちゃんとやるとこれは結構大変な運動です。家にいる時ふとした拍子に、「あ、3時だ、ラジオ体操の時間だ。」と思うことがあります。ラジオ体操は一人静かにやってもつまらないもので、あの音楽と指導員の掛け声は必須です。(実際に聞かないまでも、少なくとも頭の中では鳴り響いています。)中東の油田や東南アジアに進出した企業が、現地の従業員と共にラジオ体操をしているという話を聞いたことがあります。アラブの人も東南アジアの人もあの音楽に合わせて体を動かしているのです。
ラジオ体操の偉大さをかみしめていたら、カゴメ野菜生活のCMが流れてきました。これはまさしく「ラジオ体操の歌」・・・! 皆が同じ歌を口ずさめた1970年代はすでに遠く、日本の歌は個人個人の好み次第で細分化され、もはや国民全員が歌える流行歌は存在しない時代です。小学生からお年寄りに至るまで体が自然と覚えているラジオ体操は、こうしてみると異色の存在です。だからアシモが二足歩行、ランニングの次にトライしたのがラジオ体操であったのは、メイド・イン・ジャパンのロボットとして当然の帰結なのです。国民文化の統合的象徴として今のところ、ラジオ体操ほどふさわしいものはないのではないでしょうか。
2013年4月11日木曜日
「うまい話」
世界中で「UMAMI」が爆発的な人気となっています。現在、世界の食文化を席巻している「うま味」の成分は、日本ではグルタミン酸やイノシン酸等として百年も前から知られた存在ですから、「何で今頃・・・」と思うのですが、2002年に舌にUMAMIを感知する受容体が発見されたことによるようです。これは何を意味するのでしょう。それまでもあったものを人体が感知できることが科学的に証明されたことで、世界の人に認知されたのでしょうか。ストレスという言葉を知るまで(この言葉が人口に膾炙するようになったのは、おぼろげな記憶では1,970年代前半ではなかったかと思います。)、私がストレスを感じたことがなかったのと同じ理路でしょうか。プロのシェフでもその程度の味覚だったのでしょうか。
それにしても、大昔からその存在を認め、抽出し、料理に最大限に利用してきた日本人の舌はすごいものです。話題の塩麹も江戸時代に作られたもの、古いものとして顧みられなくなったものが静かに眠っている時代というのは、知恵の宝庫かもしれません。今では料理本の調味料「塩」の部分の多くを、私は「塩麹」と読み換えて調理しています。実際うまいですね、これが。
2013年4月10日水曜日
「通販生活の功罪」
私はアメリカに本社のある某大手通信販売会社を通してよく買い物をします。驚くべきは非常に多くの商品が通常配送料無料であることです。特に重い物やかさばる物(米やドッグフード)、専門店に行かないとなかなか手に入らない物(世界の食材)、量販店で買うよりかなり安い物(電化製品以外の器具やPC周辺用品)などです。お店に行ってもないかもしれない物もレヴューを読みながら吟味でき、家に配達してくれて、速くて安いとなれば、実際にお店に行って購入した場合の手間暇との差が大きすぎてやめられないのです。
でもたぶんこのままではいけないのだろうなと、心のどこかで思っています。先日、今まで店頭で購入したことのない銘柄のオリーブ油を見つけ注文したところ、値段がほぼ半額の398円で賞味期限も1年以上ある商品が、翌々日には配達されました。他に注文したいものがあれば一緒に頼んだのですが、なかったのでこれだけが大きな箱に梱包され配送料無料で配達されたのです。思わず、「う~ん。」とうなってしまいました。これではどんなお店もかなわない。消費者としては何の不満もないけれど、労働というものをどう考えているのか・・・と、やるせない気持ちになりました。物を作るにはそれ相応の工程があり、流通させるコストも当然かかるのですから、それを手に入れるには適切な代価を払わなければならないはずです。配送料はその通販会社から支払われているのでしょうが、どれほど安価に設定されていることか。もしくは、商品を出荷している方が負担しているのかも知れません。どう考えても持続可能な方法とは思えません。いつか何らかの形でしっぺ返しがくるでしょう。
2013年4月9日火曜日
「日本とドイツ 親の権限」
「あれはなんて言っているの?」
或る時ヘルベルトが尋ねました。夕方、毎日聞こえてくる有線放送のことです。
「『6時になったので、子供はおうちに帰りましょう』って言ってるんだよ。」
彼が驚いたのは言うまでもありません。ドイツでは門限を決めるのは親の権限であり、何時に決めようと他人にとやかく言われることはないからです。逆に「8時まで帰って来るな。」というようなルールでもよいはずです(無論、そんなことを決める家庭はないでしょうが)。家庭のルールが虐待的なものであれば、通報されるだろうと思いますが、そうでなければ家庭の裁量であり、子供の門限を市内の全家庭に呼びかけるという発想はドイツにはありません。
それで思い出したのですが、ドイツでワールドカップがあった年だったか、何かの催しでサッカーボールより一回り小さいゴム製のボールをもらったことがありました。持って歩くのも邪魔だし第一使わないので、ヘルベルトがレストランで隣の席にいた少年にあげようとしたのですが、少年は困った顔をして首を振りました。
「なんだ、いらないのか・・・」と思いましたが、ヘルベルトが思いついて母親に話しかけ、ボールをあげる許可をもらって渡したところ、ボールを手にした子供は大喜びでお礼を言いました。日本だったら「お母さん、ボールもらってもいい?」と聞きそうですが、この出来事は、ドイツでは「知らない人から物をもらってはいけない」という家庭内ルールがあった場合、交渉の余地がないと子供が思うほど親の権限が強いということではないでしょうか。
日本でもそれぞれの家庭にルールがあるでしょうが、守らせるのが大変なこともあり、共同体的ルールに変換してしまおうとする力が働くようです。有線放送の件は、音に対する根本的な考え方の違いもあって、ドイツではあり得ないと思われますが、それはまた別の話です。
有線放送が子供に帰宅を促すものであると知って、ヘルベルトは驚いてこう尋ねました。
「それで子供は家に帰るのか?」
私は答えました。
「うん、いい子は帰る。」
2013年4月8日月曜日
「紅春 21」
以前、りくを連れて遠出した時に、自宅で黒柴を飼っているという若い姉妹が「犬触ってもいいですか。」とやってきたのですが、りくを見て、「体細い、脚長い、歯白い」と言ってほめてくれました。飼い主はほとんど何もしていないのに、りくは本当に手のかからない犬です。
りくは兄と朝食を食べるのが日課になっていますが、もらったパンのかけらに耳がついていると、「ん?ちょっと硬いな。」という顔をします。一度出して噛みなおしているのを見ると、思わず「あなたの牙は何のためにあるの?」と言ってしまいます。「りくはちっちゃい弱っちい狼だな。」と兄はあきれています。
2013年4月6日土曜日
「所有欲」
脳に関する本を読んでいて、はたと膝を打つ記述がありました。「私」という自己認識よりもっと根源にあるのは「私のもの」という所有の意識であり、自己というものが「存在」に先立ってその人に所有され支配される領域として、「空間」という表象の形式を用いてとらえられているということです。確かに、幼い子供の様子からは、「私」という意識が芽生えるずっと前に、「私のもの」という意識が強烈に見てとれます。この点は生物一般がそうなのであって、あそらく所有に先立って存在するのは神だけなのでしょう。例えばりくは動物にしては珍しく食べ物に執着しない犬ですが、おもちゃはなかなか貸してくれません。もっとわかりやすい現象としては縄張り意識があり、りくとしては自ら所有領域を死守して初めて自分の存在が守れるのでしょう。
私がフェルメールの絵画を所有したいと思うのも、自分の存在にとって重要なことだからなのでしょう。フェルメール一般ではなく、特定の6枚の絵画で十分であるということから考えて、この6枚が何らかの理由で、その延長上に自分を存在を確認する何かをもつのだと思います。
昨日まで非常に重要だったものが今日はもう不要なものになるという経験は、誰にでもあることでしょう。私も勤めをやめていろんな物を処分し、もう本質的に必要なものはそんなにないなとさっぱりした気分になりました。ブログを設定する時、なんということもなしに独自ドメインを取得してみようと思ってやってみると、世界中の人が早い者勝ちで競っているわけですから、たいていの名前は既に取得されてしまっていました。やっと vermeerscafe.com に空きを見つけた時はとてもうれしく、誰かに取られないうちにとすぐ申請してしまいました。しばらくして、「まだ、こんな所有欲があったとは・・・」と煩悩を捨てきれていない自分にがっかりしましたが、今思うと、あれは或る意味根源的な欲求だったのです。ドメインとはまさに生息圏、「縄張り」であり、それがなければネット上であれどこであれ生存できないのですから。
2013年4月5日金曜日
「哄笑」
理屈抜きでこんなに笑ったのはいつ以来でしょう。その瞬間は突然訪れました。「ふなっしー」というゆるキャラが登場した時、また新たな着ぐるみかくらいの覚めた目で見ていたのですが、それが動き出すやいなや爆発的なおかしさをこらえきれずゲラゲラ腹がよじれるほど笑いました。なんだが雑な作りの外観と今までに見たことのない激しすぎる体の動きの落差が、どうにも止められない馬鹿笑いを生み出すのです。
ゆるキャラの枠を突き破っているもう一つの点はよくしゃべることです。激しい動きで息を切らしながらしゃべっているのがあまりにもおかしい。言葉の端々からわかったのは、なぜか船橋市に公認してもらえないこと、メディアには露出しているものの、非公認キャラのためか無理な要求をされあやうく事故になりかけたこともあるらしいこと。この無秩序さはなんなんだ。船橋市が公認せず、市民祭りにも出させてもらえない理由がなんとなくわかる気がするのですが、勝手にゆるキャラサミットなどに自費で参加しているとのこと。このアナーキーさと反骨精神がふなっしーのあのよくわからない言動の源なのか・・・。それにしても、これほど無意味な笑いを誘発するのは、身体の動きのおかしさに反射的に身体が反応してしまうからに他なりません。
2013年4月4日木曜日
「なぜ書くのか」
先日、どなたからか「毎日楽しみにしてみています。」というコメントを頂きました。大変うれしく、お忙しい毎日であろうに本当にもったいないお言葉です。ブログを書こうと思った時、その理由を自分でもうまく説明できませんでした。なにかどうしても言いたいことがあるからでもないのに(そんなものが私にあるわけがありません。)、どうしてブログを書こうとしているのか、自分でもわからないまま書き始めたのです。今回のコメントがきっかけで、「もし誰も見なくてもブログを書いているかどうか」自問してみて、「ああ、そうだったのか」とようやく書く理由がわかったような気がしました。
一つは、「書いてみなければ自分にもわからないことがある」ということです。これは、頭の中の思考は文字にして初めて自分にも理解できるということですから、自分以外に読む人がいなくても書いているはずです。
もう一つは、「書けるうちに書き留めておかなくては」という焦りです。少し前まで、もういない連れ合いのことを心に思い浮かべるだけで体が痛み、たちまち体調に変調を来す有様だったので、もし今書けるとしたらそれは掛け値なしに僥倖というほかはなく、無駄にしてはならないと思ったのです。死者を追悼するという最も人間的な行為がやっとできるようになったのです。
書いてネットに載せておけばそこに存在するので忘れても安心、ということは逆に言うと、「忘れるために」書くのだということです。書くことで事実を事実としてあらしめる、これは中島敦の短編『文字禍』に表されているように、文字の精が宿ればその事柄は不滅の生命を得るということです。ただこの話の中で、文字の精に書かされるという害毒を疑った主人公が、その復讐を受け命を失うという結末は示唆的です。気をつけなくては、くわばら、くわばら。また余談ですが、これと対をなすと思われる『狐憑』は、物語れなくなった主人公が人々から受ける仕打ちにより、物語るとはどういうことかを描いている興味深い話です。どちらも青空文庫で読みました。
三つ目は、「ひょっとしたら広い世界には、私の考えたことや感じたことを正確に理解してくれる人がいるかもしれない」ということにわずかな希望を抱いていたのだということです。(もちろん同意ではなくて理解でよいのです。共感であれば望外の喜びです。) 子供の頃からなんとなく、自分の考えはかなり他の人と違うなと思ってきたのですが、いつのまにか「基本的に自分の考えを理解してくれる人はいない」ということを前提にしていたのだと気づきました。普段はあまり意識していませんでしたが、それが私に内面化されたメンタリティだったのです。それはこれまで私がメイン・ストリームに属したことがないことと関係があるでしょう。自分の考えが十分理解されていると感じているなら、わざわざ言語化する必要はないのです。ですから、今回コメントをいただいてとてもうれしく思ったのでした。
2013年4月3日水曜日
「桃源郷」
「福島に桃源郷あり」と言ったのは、写真家の秋山庄太郎です。彼がこう呼んだ福島市の花見山は、昭和の初期に或る農家が自分の楽しみとして、少しずつ花を植林して雑木林を花の山に変えたものです。「山を見せてほしい」という人の声に始めは困惑しつつも、こんな美しい山を自分たちだけで楽しむのはもったいないと、1959年に花見山公園として一般に開放されました。
2月の梅、3月のロウバイ(蝋梅)、サンシュユ(山茱萸)、そして4月はソメイヨシノ、八重桜、レンギョウ、ボケ、モクレン、ハナモモ等が咲き誇り本当に見事です。すごいのは全く個人の私有地であるにも関わらず、無料で公開され、入園時刻や閉園時刻等もないことで、こんな現代の花咲じいさんが実際にいたとは・・・という感じです。つくづく、「ああ、私がしたかったのはこういうことだった」と思ったことでした。
21世紀に入り入園者が20万人を越えるようになると、さすがに「花見山環境整備事業」が動き出し、「NPO花見山を守る会」やボランティアの活動も活発に行われているようです。震災前年は32万人の人出があったとのことでしたが、昨年は養生という理由で公開されず残念でした。今年は1年ぶりに一般公開されるため、市民の喜びはひとしおです。花見山だけでなく、この周辺地域が京都の大原を彷彿とさせるような里山の風景なのも気持ちを和ませてくれます。ただ、それだけに道に迷いやすいので注意が必要かもしれません。いや、シーズン中は迷いようがないくらいの人出でしょうね。
2013年4月2日火曜日
「Home 心の拠り所」
メッセ Messeからほど近い閑静な住宅街に、時々ヘルベルトといっしょに行く機会がありました。用事を頼まれていたからですが、御夫君を亡くしてから故郷のスイスに移られた奥様のために、郵便物を転送するためでした。
驚くのはその期間で、十年以上は続いたと思います。奥様もご高齢でその当時七十代半ばだったでしょうか。普通に考えれば、もうお一人でフランクフルトに戻られることはないだろうと思われましたし、「維持費用だって相当かかるのになぜ自宅を処分しないのか」と、一度ヘルベルトに尋ねたことがあります。彼女自身もうまく説明できないとのことでしたが、出てきた言葉は ”das Nest” (巣)ということでした。
若い人には、あるいは若い時には決してわからないことが一つあります。それは、年をとるとはどういうことかということです。今なら完璧に、痛いほど彼女の気持ちがわかります。かつて連れ合いと過ごした場所、喜怒哀楽のすべてをともにした場所をそのままにしておきたいのです。それがそこに間違いなくあるということ、行く気になればいつでも行けるのだということがこの上なく大事なのです。
「おお、必要を言うな!いかに卑しい乞食でも、その取るに足らぬ持ち物の中に、何か余計なものを持っている。」 (「リア王」 福田恒存訳)
余分なものとは、どうしても必要なものなのです。
2013年4月1日月曜日
「紅春 20」
夏か冬かと言われれば、りくは断然冬が好きです。柴犬の毛はダブルコートで皮膚が見えぬほどびっしり生えていますから、夏は大変です。一度もう日が傾いたから大丈夫かと散歩に連れて行ったら、熱中症の症状を引き起こし、あわてて帰ってエアコンの風に当てて事なきを得た経験があり、あの時はどうなることかと思いました。
冬は雪の中でも大喜びで跳ね回っているのに、家の中に入ると途端にいつも一番暖かいところに陣取るのです。一つ心配になるのはストーブの目の前にいることです。赤ちゃんの時はファンヒーターを使っており、熱風がものすごい勢いで出てくる真ん前に顔を向けているので、いつもすぐお尻を向け直していたのですが、気がつくとまた熱風を顔に浴びているのでした。
今は昔ながらの火の見える石油ストーブを使っていますが、同じく真ん前に陣取っているので、頭を触ってみると熱くなっています。人間が同じ位置に顔を置いてみるととても長くはいられません。
犬が好きでやっている以上、心配はないのかもしれませんが、鼻がカパカパに乾いていてもいいのでしょうか。これだけはどうしてもわかりません。
冬は雪の中でも大喜びで跳ね回っているのに、家の中に入ると途端にいつも一番暖かいところに陣取るのです。一つ心配になるのはストーブの目の前にいることです。赤ちゃんの時はファンヒーターを使っており、熱風がものすごい勢いで出てくる真ん前に顔を向けているので、いつもすぐお尻を向け直していたのですが、気がつくとまた熱風を顔に浴びているのでした。
犬が好きでやっている以上、心配はないのかもしれませんが、鼻がカパカパに乾いていてもいいのでしょうか。これだけはどうしてもわかりません。
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