2013年3月8日金曜日

「実話の魅力 『謎の十字架』」


 小説も面白いのですが、「作り話ならなんでもありだろう」と、どこか冷めた目で見てしまうことがあります。その点、実話もしくは実話をもとに書かれた話というのは、それだけで興味がわき、場合によってはよくできた小説よりも面白いものです。これまでそう感じた本の筆頭は、『謎の十字架』(トーマス・ホーヴィング著 文藝春秋)です。

 この本は御多分に洩れず絶版になっていますが、メトロポリタン美術館のキュレーターで、後に館長となったホーヴィングが、中世美術の傑作といえる十字架の彫刻を追い求め、手に入れるまでの顛末を描いています。象牙に百体以上の人物と六十ほどのラテン語・ギリシャ語の銘文が刻まれた十字架を、スイス銀行の金庫で見たホーヴィングは、中世随一の名匠の手によるものと確信します。その獲得に意欲を燃やし、厄介な上司の説得や他の美術館との獲得競争という難題に奮闘します。売主はかなり怪しげな美術収集家であり、クリーブランド美術館・大英博物館など他の美術館をも手玉に取ってかけひきしているのです。まさに現代版『マルタの鷹』であり、息もつかせぬスリルとサスペンスでなまじ推理小説よりよほどわくわくします。その興奮を支える主柱は、何と言ってもこれが実話であるということです。主筋とは別に、美術館職員のおしごとなるものの中身や、真作・贋作についてのホーヴィングの持論が展開されていて興味が尽きません。