2013年3月30日土曜日
「運の悪い日」
月に一度渋谷へケーキ作りに行っています。といっても電動攪拌機はあるし、フルーツケーキ(パウンドケーキ)ですから失敗する心配もないゆるい「お仕事会」です。それで少しでもお役にたてるのならと思いお手伝いしています。
ところがその日はケーキ作りはお休みで、手芸をやるとのこと。テーブルが2つに分かれていて、「どうぞお座りください。」と言われたテーブルには刺繍の用意がされていました。むむっ、嫌な予感・・・。一口に刺繍といってもリボン刺繍とか様々な種類があるようです。私以外の方々は、ここ何年かなさっているようで、先生が机に並べた布と糸の見本セットについて、私にはまったくわからない専門用語が飛び交っていました。
先生に刺繍の心得があるかどうか聞かれましたが、
「何十年か前に小学校の家庭科でやって以来です。」
と答えるしかありませんでした。先生は皆さんの希望を聞きながら、布と糸を割り当てていきます。私は希望を言えるほどの知識がないので、
「レベル1からお願いします。」
と言いました。
「川辺野さんはこれかしらねえ。」
どういう基準で選ばれたのか、先生がくださったのは、「モザイク風のテーブルセンター」になるはずの目の粗い大きな麻布(ずだ袋のような一見美しくない布)と5本どりで用いるという非常に細い5色の糸でした。
すぐに皆さんそれぞれの課題に取り組み始め、私も始めましたが、開始してすぐ、
「げっ、こんな細かい織布に刺すのか・・・こりゃあ、無理だわ・・・。」
と大苦戦しました。お隣の方が、
「まあ、川辺野さん、いきなりこんな大作を・・・。今年のバザーに間に合わなくてもいいんですよ。私も最初は2年がかりで仕上げました。」
と笑っていらっしゃいましたが、笑いごとではありません。自分でこの課題を選んだわけではないのです。やはり、これは大きな作品だったのか・・・。
色違いの大きな同じ模様が3×5で15個並んでいるので、まず基本図案のパターンを頭に入れようとしました。左右対称かと思っていたら微妙に違っていたり、端からの目数も内側か外側かで一目違っていたりすることに愕然としました。これは一筋縄ではいかない・・・。結局その日は4時間ほどでほんの数十目しか刺せませんでした。
終わる時、ふともう一つのテーブルの方を見ると、そちらは編み物のグループでした。ああ~、何十年もやってないけれど、編み物の方がまだしもよかった、やれば思い出すかもしれないし・・・と心の中で叫んでしまいました。しかし、やったことのないことに出会うというのも何かの縁であろう、何ゆえに先生がこんな大作を私に与えたのかわからぬが、何か深い意味があるのであろうと思い、課題となった作品を家に持ち帰ったのでした。
2013年3月29日金曜日
「超自然的な力を感じる時」
日々の生活の中で何か問題が起こると、人はそれに対処しようとします。その対処により状況が変化するといつしかまた問題を感じ、次の行動を起こします。そうしてある程度の時間を経たのちにふと振り返ってみると、最初の時の視点からでは「あり得ないこと」が起きたと認めざるを得ないことがあります。1つ1つの行動は因果関係の連鎖で貫かれそれなりに理にかなった選択の結果なのに、今いる場所は最初の時点では夢想だにしなかった地点で、その2つの点の間に一本の紛う方なき道が見える時、人は人知を超えた超自然的な力の存在を感じます。
こういうことはめったに起こるものではないものの、誰でも何度か体験したことがあるでしょう。昨年私の身にも起こりました。今現在、東京と福島の間を行き来することが不可欠の生活となっていますが、百に一つ、千に一つといった可能性を何度か重ねた末に落ち着いたところであることを考えると、それこそ駱駝が針の穴を通るような出来事だったと慄然としたのでした。不思議なのは、それを実現するために必要な能力というのは、そのとき降って湧いたように宿りその時が過ぎると消えてしまうことです。必要な力はマナのようにその時々に与えられればそれでいいのです。こういうことを信仰的には、端的に「神の臨在」を感じると言うのでしょう。
2013年3月28日木曜日
「タニタ食堂 vs. 学生食堂」
最近の学生食堂を利用してみて、自分の学生時代とは隔世の感があるとつくづく思います。お腹が空いていても食欲がわかなかった献立は影をひそめ、選択肢が飛躍的に増えてそれなりに栄養バランスのあるメニューも多く見られます。同じ大学でも学食ごとに特色があり、違いを楽しむこともできます。最近は教職員や学生だけでなく、大学見学に来た親子連れやオープンキャンパス参加の高校生の集団、果ては出入りの業者やどうみても近所のおじさん、おばさんという方まで非常に多くの人で、平日のみならず土日もにぎわっているので驚かされます。
タニタ食堂は土日祝日は休業ですが、大学食堂はお昼の時間帯だけとはいえ、土日祝日も営業しています。研究者が食事の心配などしなくて済むよう24時間学食がオープンしているというハーバード大学にはかないませんが(そもそも夜食は体に良くないし、それほどのマッド・サイエンティストなら空腹も感じないのではとも思います。)、それでも平日ならば入試日以外朝8時から夜9時までどこかしらの学食で食事がとれるようになっているのです。
最近は心配になるほど安価な外食チェーン店ができていますが、使われている食材や添加物は大丈夫なのでしょうか。そこへいくと大学食堂は作っているところがある程度見えますし、そう手の込んだ変な食材は使用していないと思えます。タニタ食堂では一食500キロカロリー前後で作られており、栄養バランスや使われている食材も申し分ないでしょうが、値段は学食の2.5倍程度かかるでしょう。先日昼食に食べた食事のレシートによれば、「雑穀米、味噌汁、サバの塩焼き、冬のバランス惣菜」で330円、443キロカロリーとあり、他に塩分や緑黄色野菜のグラム数まで書いてあります。総合的に見れば、大学食堂はタニタ食堂に勝るとも劣らない食事を提供していると言えるのではないでしょうか。
2013年3月27日水曜日
「ロボット文明」
子供の頃読んだSFで、未来ではロボットが社会の中心となっており、人間に対して「私が主人だ。」と宣言する話があり、強く印象に残っていますが、それに近いことが現実になりつつあると感じています。或る北欧の国では(デンマークだったかしら)、アザラシ型のロボットが認知症患者のペットとしてかわいがられ、明らかに患者のクオリティ・オブ・ライフの向上に役立っていると聞きますし、原発事故によって拍車のかかった各国のロボット開発では、ほぼ人間と同じことができるヒューマノイドが急速に進化しつつあるようです。
工場に投入され人の動きに合わせながら作業するロボットに、「同僚」の労働者が「なにか人間にしかできないことを身に着けないと・・・」と言っていましたが、あまり成功の見込みはない気がします。このままロボットの進化が続くと、人間の仕事はほぼ全てロボットに取って代わられ、人間はいらなくなるでしょう。現在人件費の低い国に作られている工場でも、人件費がロボットの費用の損益分岐点を超えた時点で雇用は失われるでしょう。となると人は生きていく術がありません。まさにロボットが主人になるのです。
「人間にしかできないこと」って何かあるかしらと考えてみましたが、これがないのです。今あっても、それができるロボットは必ず開発されるでしょう。その頃には一見したところ人と見分けがつかないヒューマノイドに囲まれた生活になり、違和感なく共存できる社会になっているかもしれません。地球が人間に必要な食料等を供給できている間はいいのですが、なにか環境の劇的変化によって、急速に人間が衰退する可能性は十分あります。ひょっとしたら、絶滅危惧種としてホモサピエンスの種の保存のみが、人間にしかできないことになるかもしれません。
2013年3月26日火曜日
「病院のカフェ」
もう10年近く前のことになりますが、父が病を得て入院し毎週末見舞ったことがあります。金曜の夕方新幹線で帰省し、土日に病院へ見舞いに行くという生活が半年続きました。当初はいつ終わるともしれなかったのですが、だからこそ毎週続けられたのだと思います。初秋から早春までの時期は年末年始を除けば長いこと帰省する機会はありませんでしたから、病院まで川沿いのサイクリングロードを行くとき、一週ごとに黄金色に染まっていくえも言われぬ風景を存分に味わい楽しみました。「私の故郷はこんなにも美しかったのだ。」とあらためて思いました。
病院は周囲に桃畑が広がり吾妻山の雄姿を望む絶好の場所にありましたが、なにしろ遠い。冬は寒さの中、1時間に1、2本しかない電車を待って、最寄駅からさらに1キロほど歩かねばなりませんでした。駅前の大きな庭のお宅にセントバーナードがいて、毎週通ううちすぐこちらを見つけて跳んでくるようになり、電車を待つ間の楽しみとなりました。
冬休み中は、雪道をヘルベルトとともに毎日見舞いに行きました。実は病院の1階の売店では珈琲とケーキを出しており、ガラス張りの広々としたロビーでお茶することができました。珈琲にうるさいヘルベルトがお代わりするくらいおいしい炭焼き珈琲を、大きなカップでいただけるので、とても豊かな気持ちになれ、これも楽しみの一つでした。
大晦日に父が言いました。
「明日は元旦礼拝だから、来なくていいぞ。」
食事でもしてゆっくりしようかと考えて、帰りの電車でヘルベルトに父の言葉を伝えました。
「明日、礼拝の後、どこか行きたいとこある?」
「そりゃあ、パパのところだな。」
「明日も行く?」
「もちろん。」
私はうれしくなりました。次の日病院へ行くと父は殊のほか喜び、3人で1階のロビーに行き、たっぷりおいしい珈琲をいただいたのでした。
2013年3月25日月曜日
「紅春 19」
りくは誰かと遊ぶのが大好きなのですが、遊んでもらえないときは一人でおもちゃで遊びます。おとなしくしているなと思うと、たいていぬいぐるみの綿出しに熱中しています。
たまにふざけて、
「これ貸して。」
というと、りくはぬいぐるみを噛みしめたまま、
「貸せません。」
と言います。
「なんで貸せないの?」
と聞くと、さらにぐっと噛みしめて、
「自分のだから貸せません。」
とのこと。それから私はりくの動きを観察し、隙を見て、
「そんなこと言わないで貸してよ。」
と、おもちゃの取り合いをして、ひとしきりりくと楽しく遊びます。
2013年3月23日土曜日
「流行の顔?」
目が悪いせいなのでしょうが、ここ2年ほど最も勢いのある俳優Hと最近よくメディアに出る新進気鋭の社会学者F及びクイズ番組で見かけるシェフKの顔が、私には一卵性双生児のようにそっくりに見えます。この三人は、いま流行の顔なのでしょうか、区別がつかないのは私一人なのでしょうか。
そんな疑問を持ったまま、なんとなく誰にも聞けずにしばらく過ごしていましたが、聞かなくてよかったかなと思うようになりました。人間は人の顔の認識に関してものすごく敏感であると言われます。これは新生児からの特技と言ってもよく、赤ちゃんが最も嫌うのは無表情な顔だと聞いたことがあります。自分を守ってくれる人の表情を読み取ることが赤ちゃんにとって死活的に重要なことなのですから、そのために発達させてきた能力なのでしょう。
それで思い出したのですが、今から十年ほど前に生徒が或る俳優のことを「かっこいい」と学級日誌に書いていたのを読んで、驚いたことがありました。驚いた理由は、その俳優が私には「かわいい」と言うしか形容の言葉が見つからない若造だったためです。友人にその話をし、「20代の男は全て『かわいい』っていう範疇だよね。」と言ったところ、彼女は「私なんか30代もそうよ。」と答えたので、それはそれでまたびっくりし、同時に含み笑いを禁じ得なかったのでした。
そのあたりから推論するに、件の三人の顔の区別がつかないということは、その個体にとって区別する必要のない範疇に彼らがいることに他なりません。年をとったということが生物学的にも立証された事象なのでした。
2013年3月22日金曜日
「未来について」
私の関心事はおおかた過去に向いているのですが、未来に関してはただ一つ、「未来は明るい」と決めています。日本全国を暗い未来予想図が覆っていますが、私はそう悪いこともあるまいと思うのです。起こりうることのほとんどは、人口の減少及び年齢別人口分布の変化と国際的パワーバランスの変化によってもたらされるものでしょう。様々な不都合な変化が起こっても当たり前、マクロ的に見れば今までができすぎだったのです。ちっぽけな日本が人的資源を最大の武器としてこれまで立派にやってきたのです。人口減少はすぐにはどうしようもないのですから(そもそもそんなに悪いことなのでしょうか?)、考え方を転換する必要はありそうです。
ミクロ的(個人的)なことはもっと単純です。今まであまり世間の動向に左右されずに過ごしてきて、バブル期も氷河期も「そんなのあったっけ」という変化に乏しい生活でしたから、私個人の生活は今後もあまり変わらないでしょう。私が国に望むことは、国民健康保険の堅持と治安の維持と通貨の安定くらいでしょうか(多すぎ?)。
ある程度予測がつくものに対する備えは必要ですが、予測がつかないことが起こるのが未来です。「未来は明るい」と思っていた方が、そうでない場合より悪いことが起こる確率を下げられそうな気がします。日本人の悲観論は遺伝子レベルという説もありますが、であればなおさら楽観的に考えるべきでしょう。日本よりどうみても大変そうな国でも人々は明るく生きているのですから。そういえば、きゃりーぱみゅぱみゅも「マイナスなことは一切考えない」と言っていたっけ。鹿児島弁で「てげてげ」、沖縄弁で「なんくるないさ~」、福島弁なら「さすけね~」と、ゆったり構えていきたいものだと思うのです。
2013年3月21日木曜日
「使命感を持つ人」
「東日本大震災関係の映像やテレビ番組は全部録画してあるけれども、つらくて見られない。」と友人が言っていたのは、震災1年後のことでした。よくわかります。「忘れない」と誓うのは、人間はつらい記憶を忘れたいからなのです。
先日意を決して、君塚良一監督の映画「遺体」を見に行きました。ご遺体を収容する仕事にあたられた人々にとってまさに地獄の10日間であり、どんなにお辛かっただろうと胸が痛くなりました。それは、葬儀社務めの経験を持つ元民生委員の方が遺体安置所のカオス的状況に接し、亡くなった方を人間として葬り、ご家族の悲しみにぎりぎりまで寄り添おうとした記録でした。これをしない限り、人間の魂は決して癒されることがないのです。
こういう局面では人が一人でできることは多くなく、様々な分野の人々がつながらないと何も進みません。しかし、それは最初の絶望的な状況の中で、「自分一人でもやる」という使命感にかられた人が現れて初めてできることなのです。極限状態の中でそのような人が現れた共同体には、或る意味、救いがあることを知らされた映画でした。
主演の西田敏行という人は、おそらく震災以来ほとんど休みのない状態で働いていることと見受けられますが、この人もまた、使命感に突き動かされているに違いありません。
「慰めよ、わたしの民を慰めよとあなたたちの神は言われる。」(イザヤ書40章1節)
2013年3月20日水曜日
「ドイツの税関」
Erikaから誕生日に送ったカードとコーヒー・お菓子の小包が届いたとの手紙が来ました。91歳にして趣味のダンスを楽しんでいるというお元気さに一安心しました。
ただびっくりしたのは配達が3週間ほど遅れたということで、「あらら・・・」という感じでした。これまでの経験で郵便はクリスマスシーズンでなければ一週間で余裕で着くと思っており、ちょうど誕生日に着くくらいに発送したのです。ドイツでは誕生日前にお祝いを言うことが忌むべきこと(誕生日を無事に迎えられないようで不吉なことらしく、それを初めて知った時は驚きました。世界の慣習は実に様々です。)なので、もっと早く送ればよかったということでもありません。
Erikaによると、税関に長く留め置かれたとのこと、私は去年たて続けにガルネリやストラディバリウスの名器が押収された事件を連想し(連想すること自体おかしいですが)、「ドイツ税関どうしちゃったんだろう。」と思ったのです。
そのうち或ることを思い出しました。以前は日本からお菓子など普通に送れたのですが、ある時急に「食品は送れません。」と言われたのです。EU統合の発展と関係があるようなのですが、なんでもないチョコレートも送れないなんて全くわけがわかりません。そう言えば今回、郵便局で中身が何かを尋ねられなかったのでそのまま送りましたが、尋ねられていたら送れなかったに違いありません。
クッキーひとつ送れないなんて馬鹿げたことですから、他の人はどうしているのだろうと思ったら、「聞いたらダメと言われるから、聞かずに没収覚悟で送る」のだそうです。こうなると郵便局ももう黙認の姿勢なのかもと腑に落ちました。フランスは返送が基本のようですが、送り返す方がコストがかかるのは明らかです。おそらくドイツの税関は、どう考えても問題ない小包なら「没収の上」配達するという方針なのではないでしょうか。時間はかかりましたが、とにかくErikaのもとに届いて、”Lecker!”と言ってくれたのでよかった、よかった。
2013年3月19日火曜日
「必需調理器具 No. 1」
私は朝食が終わるとすぐ夕食の準備に取り掛かることがよくあります。へたすると朝7時前から夕食の下ごしらえをしているのです。これは食に執着しているからではなくむしろ逆で、出かけたり他のことをし始めたりすると、どうしたってその方が面白いので、料理をする気がなくなっていくことに気づいたからです。
この時なくてならない調理器具はシャトル・シェフと呼ばれるお鍋の魔法瓶です。以前煮込み料理用に愛用していた電気の圧力鍋が故障し、便利でよかったのになぜか製造中止となっていたため、代わりに購入したものでした。構造は単純な魔法瓶で、沸騰させた後の鍋を入れておくと熱がキープされて保温状態となり、弱火で火にかけているのと変わらない状態になるというものです。温度が下がってきたかなと思ったらもう一度ほんの少しガス台に乗せ、熱くしたものを保温し直せばいいのです。
私にとっては大ヒット商品でした。他のことに熱中しても火事の心配がないし、タイマーをかけておけば忘れることもありません。エネルギーの節約になることも大きなメリットです。煮込み料理はもちろん、野菜の蒸し料理なども時間に注意するだけでうまくできます。今までほとんど調理したことのなかった小豆を煮てあんこを作ったり、プリンや茶碗蒸しを失敗なく簡単に作ることができます。
あまり便利なので、実家用にも一台買って、父が欠かさず食べている青豆でデモンストレーションしてみました。これまでは何時間も水に浸してから長時間煮ていたのが、水に入れて沸騰した豆を鍋ごと保温用魔法瓶の入れるだけで、一時間後にはいい茹で加減に仕上がっている手軽さに、父もその威力を一発で理解しました。以来、この鍋は毎日活躍しています。
「紅春 18」
或る時ふと目が覚めると、風呂場の灯りが廊下に漏れていました。兄がお風呂に入っているのだなと思いつつまた眠りに落ちようとした時、傍らで寝ていたりくがすぅっと出ていくのがわかりました。風呂場の電気が消えたのはその数秒後で、気味が悪いほど絶妙なタイミングでした。兄が言っていた言葉を目の当たりにし、その正確な予測能力に恐れ入りました。常にどんな音でも拾うべく360度小刻みに動く耳と、動物的な勘の賜物でしょう。
2013年3月16日土曜日
「山歩きの教訓」
ひょんなことで出会った刺繍の師匠が青梅にお住まいと聞いて、咲き誇る一山全部の梅林の美しさとともに30年近く前の記憶がよみがえりました。
仕事に就きたての頃、西多摩の果てに赴任した私は休日によく山歩きをしました。数年間で奥多摩と山梨の山をほぼ歩き尽くしましたが、その間二度道に迷ったことがありました。遭難せずに済んだのは、十歳前後の数年間父から山歩きの手ほどきを受けていたためでした。
山で道がわからなくなったら、すべきことは一つしかありません。わかるところまで戻るのです。あとはそれができる体力が残っているかどうかだけです。戻って冷静にあたりを見渡すと見えなかった道が見えてくるのです。なぜ見落としたのかと思うほど明白な道でした。
青梅に住んでいた数年間は、つらいことと楽しいことが100対1くらいの割合で起こった時期でしたが、懐かしい記憶として思い出されるのはうれしいことです。
2013年3月15日金曜日
「養生食」
ずいぶん前のことですが、「2週間ぶりに偶然見つかったワゴンの中の機内食が全く腐っていなかった」という話を聞いてから、機内食を口にすることができなくなってしまいました。よほどすごい保存料が使ってあるに違いないと思うだけで、機内で食事の匂いがすると気持ちが悪くなってしまうほどでした。ことほど左様に、食欲というものは脳の働きの産物です。
寒気がして「これは風邪だな」という時は、スーパーで買いだめをして帰ります。誰でも自分の養生食をもっているものですが、私の場合はヨーグルト、バナナ、卵雑炊、冬ならみかん、夏ならいちご、スイカなどです。現在では日常の食品ですが以前はそうではありませんでした。私が子供の時分はヨーグルトを食べる習慣はなく、いつも風邪をひいて「何食べたい?」と聞かれると、小さいガラス瓶(寸詰まりの牛乳瓶のような形で、今は見ないですね。)に入ったヨーグルトを買ってもらっていました。ヨーグルトはうちでは明らかに病人食でした。バナナは今なら高級メロン的な扱いで、祖父が遊びに来る時、きれいに包装された大きな一房をお土産に持ってきたほどです。
意識していたわけではありませんが、そうしてみると、他のものも子供の頃の幸福な記憶と結びついているのがわかります。養生食とは、実際の栄養補給以上に、「これを食べたらきっとよくなる」と脳が欲する原初的風景の中の食べ物に違いありません。だからこそ、布団の中で熱に浮かされていても、なんとなくちょっと幸福な気分でいられるのです。
2013年3月14日木曜日
「PM2.5」
連日のようにPM2.5の脅威が伝えられています。中国でインタヴューに答えていた人が「空気が苦い」と述べていたのが衝撃的でした。映像で見る限り、もはや空気清浄器でなんとかなるレベルではないでしょう。
PM2.5というのは特定の粒子状物質名ではなく、単に微粒子を大きさで分類した呼び名です。ですから、中国から飛来する石炭の燃焼により排出された硫黄だけでなく、ディーゼル車から排出されたと思われるすすやたばこの煙に含まれる物質も皆PM2.5なのです。
私は十数年前に西多摩から都心に移ってきた時に、しばらくして皮膚病に悩まされました。原因は特定できませんでしたが、通院による対症療法では治療に限界がありました。素人考えで大気汚染に違いないと思い、マイナスイオンも出る最新の空気清浄器を購入しましたが改善は見られませんでした・。また、飲料水が多摩川水系から利根川水系の水に変わったことも関係があるかもしれないと思い、浄水器をつけたりミネラルウォーターに換えたりしましたがはかばかしい成果はありませんでした。アレルギー検査をしたところハウスダストと卵に反応し、好きだった卵料理も医者から止められるという悲しいおまけがつきました。(今は食べても問題ないようです。)
東京都がディーゼル車の乗り入れを規制したのはちょうどその頃だったかと思います。これは東京都の政策に賛成できたほとんど唯一のことでした。それが功を奏したのか、あるいはただ体が環境の変化に慣れただけかもしれませんが、いつの間にか皮膚の状態は改善し気にならなくなりました。PM2.5の問題は今さら大騒ぎする新たな事態ではなく、これまでも身の回りに存在し今後も注意すべき身近な問題です。
ただ、中国のあの霞がかかったような大気汚染はただ事ではありません。幼い子供たちへの影響が特に心配です。自然によくなることは望めないのですから、政治にかかわる大人が環境破壊を止める具体的な決定をし行動するしかないでしょう。唯一の救いは水や空気は皆に平等に与えられているものなので、責任ある立場にいる大人も直接被害を被るため長くは放置できないだろうということです。とはいえ、こういう時に真っ先にしわ寄せを受けるのは弱者ですから、経済一辺倒の国策からの転換と一刻も早い対策の実施を期待しています。
2013年3月13日水曜日
「趣味」
自己紹介などでいつも困るのは「趣味」に関する項目です。すぐ答えられる人はいいなあと思います。以前、趣味を聞かれたタレントさんが「えっ、趣味?考えたこともなかったな。」と答え、「趣味って考えるもんじゃないよ。」と笑われていましたが、彼女の答えに親近感がわきました。
好きなことはあります。旅、絵画鑑賞、ガーデニング、読書、手紙書き・・・でも、どれもそれほど力を入れてやっているわけではないので趣味とはいえないでしょう。 Pastimeではあってもhobby とは別物という意味です。念のため、ジーニアス英和辞典(電子辞書2001-2010)にあたってみたところ、「切手収集・スポーツ・読書・音楽鑑賞など職業以外の積極的・創造的な活動はhobby、魚釣り・散歩など単なる気晴らしとしての行動はpastime」とあります。用例に、Fishing is one of his hobbies. とあるのは明らかな矛盾と思われますが。
確固たる趣味がある人というのは切り替えが上手い、よい意味で器用な人で、かつ才能やエネルギーのある人なのだと思います。基本的に何かを並行してやっていくことがうまくできない人は、「職業以外の」の部分で、はずれてしまいますし、「積極的・創造的活動」というのはそれなりの資質が必要だからです。趣味を聞かれて居心地の悪い思いをしてきたのはきっとそのせいだなと思いました。
2013年3月12日火曜日
「憧れの修道院」
ヨーロッパにはまだ修道院が数多く残っていますが、観光客に公開され見学できるところがかなりあります。私は修道院と聞くとゾクゾクするくらい好きなのですが、ヘルベルトは自身が以前1週間くらい休暇をとって、修道院にこもったことがあるとのことで、旅行中近くに修道院があるとわかると、よく見学に連れて行ってくれました。
コブレンツKoblebzに近いマリア・ラーハKloster Maria Laachはロマネスク様式の美しい建築と園芸で知られ観光客でにぎわっていますし、シュトゥットガルトStuttgartに近いマウルブロン Kloster Maulbronnは中世の修道院の姿を完璧な形で残しているといわれる世界遺産です。アーチ形の影を落とす回廊はえも言われぬ静謐に満ち、朝な夕なにここを歩きながら考えを巡らせば、私でも思索が深まりそうな気がします。
しかしなんといっても有名なのは、ミュンヘンからウィーンに列車で入る途中で目に飛び込んでくる、まさしく絵のように壮麗なメルクStift Melkの修道院でしょう。木立に映えるマリアテレジア・イエローのこのバロック建築は、思わず息を呑むほどの美しさです。一度行ってみたかったのですが、ある時、車で旅行中にメルク近くで夕方になったので宿泊することになり、希望がかないました。この辺りはサイクリングで旅する家族や集団向けに、それ用の宿がたくさんあるようです。
さっそく修道院見学をしました。疑いもなく歴史的価値のあるすばらしい建造物、また聖遺物や美術品の展示がありましたが、私のイメージとはかなり違っていました。なんというか、金ぴかで全体的に明るすぎたのです。見事な天井画で有名な万巻の書物をおさめた図書館は、他の部屋と比べれば薄暗かったのですが、それでも私には明るく華やかすぎると感じたほどです。「薔薇の名前」の若い修道士がメルク出身ではなかったかと思いますが、あの無彩色の世界の印象が強すぎたのでしょう。
ハンガリーでは、やはり世界遺産のパンノンハルマPannonhalmaを訪れました。こちらも壮麗なることこの上なく、30万冊所蔵の図書館のすごかったこと。ガイドツアーの話し手はとても若い神学生で、私たちがエステルゴムから来たと言うと、エステルゴム大聖堂の塔とここの塔が似ているのは設計者が同じだからと教えてくれました。ただ、夏とはいえTシャツに短パンという服装はどうなのか。今どき、映画の中のショーン・コネリーとクリスチャン・スレーターのような修道士姿を期待する方が間違いなのでしょうか。
2013年3月11日月曜日
「紅春17」
「午後中、お休みになってました。夕方、やっと元気になったよ。」
父の言葉に私はため息をつきます。私が帰省していると、りくはいつもする昼寝をしなかったり、普段は8時前に眠るのに私にお相伴して寝るのが遅くなってしまうのです。それだけでなく、うれしくて気が張っているようで、要するに調子が狂ってしまうのです。いつも私が帰った後ぐったりするとのこと、本当に困ってしまいます。
「りくのベルト、切れちゃったよ。」
と電話があったこともありました。りくに似合うだろうと思って買った皮のハーネスでしたが、不良品だったのかなと納品書を手に帰省したところ、ハーネスには明らかにりくの歯形が・・・。
そのようなことが二度あり、どうやら私がいなくなるとりくは寂しくて革ひもを噛んでしまうのだとわかりました。可哀そうですが、どうしようもありません。革ひもはあきらめました。
2013年3月9日土曜日
「若い人の幸福感」
或る番組で、最近の若い人は7割が「今幸福だと感じている」という話を聞いて、「へえっ」と意外な気がしました。若者がどんな時に幸福と感じているかを知ると、さらに驚きが増しました。いわく、「家でまったりしている時」「好きな人と一緒に家事をしている時」「特別なものではないがおいしい物を食べた時」「好きなことをしている時」「朝起きて『さあ一日が始まるぞ』と思う時」などで、私自身の感覚に非常に近いものだったからです。その親の年代が「ブランド品を手に入れる」「外車を買う」「高級レストランで食事する」「大きな家を建てる」「世界一周のクルージングに出る」などを幸せと考えていることに比べたらずっとまっとうな幸福感です。
評論家が「このような若者が増えては日本は滅ぶ」というようなことを言っていましたが、とんでもないことです。自分の生活水準が下がるのでそれでは困るという人はいるでしょうが、将来を悲観してうつ病になったり、自殺したりする若者が増えるよりずっといい傾向です。
ただ、幸福感が希望や欲望の達成に依拠しているとするなら、これから人生が始まるような若い人とおおかた人生が終わった年配の人の幸福感がほぼ同じというのは、確かに少し憂慮すべきことかもしれません。若い人に宿る爆発的なエネルギーはどこかに行き場を求めているに違いなく、それ自体がなくなってきているとは思えません。
何かに憧れたり好奇心を持ったりするというのは、未知のことを知りたいという動機が大きいはずですが、未知のことに挑む気持ちが削がれるのは、インターネットで得た情報からすでにそれを体験した気になって、先が見えてしまうことにも一因があるように思います。しかし、他人の体験を知ることと自分で体験することは全くの別物ですから、不安はあるでしょうが体当たりで経験を積み手ごたえを掴んでほしいものです。
お金が唯一の価値基準となって長い時が過ぎ、ようやくそうではないと考えるようになった若い人々に希望を寄せつつ、若者らしい挑戦に期待したいと思います。
2013年3月8日金曜日
「実話の魅力 『謎の十字架』」
小説も面白いのですが、「作り話ならなんでもありだろう」と、どこか冷めた目で見てしまうことがあります。その点、実話もしくは実話をもとに書かれた話というのは、それだけで興味がわき、場合によってはよくできた小説よりも面白いものです。これまでそう感じた本の筆頭は、『謎の十字架』(トーマス・ホーヴィング著 文藝春秋)です。
この本は御多分に洩れず絶版になっていますが、メトロポリタン美術館のキュレーターで、後に館長となったホーヴィングが、中世美術の傑作といえる十字架の彫刻を追い求め、手に入れるまでの顛末を描いています。象牙に百体以上の人物と六十ほどのラテン語・ギリシャ語の銘文が刻まれた十字架を、スイス銀行の金庫で見たホーヴィングは、中世随一の名匠の手によるものと確信します。その獲得に意欲を燃やし、厄介な上司の説得や他の美術館との獲得競争という難題に奮闘します。売主はかなり怪しげな美術収集家であり、クリーブランド美術館・大英博物館など他の美術館をも手玉に取ってかけひきしているのです。まさに現代版『マルタの鷹』であり、息もつかせぬスリルとサスペンスでなまじ推理小説よりよほどわくわくします。その興奮を支える主柱は、何と言ってもこれが実話であるということです。主筋とは別に、美術館職員のおしごとなるものの中身や、真作・贋作についてのホーヴィングの持論が展開されていて興味が尽きません。
2013年3月7日木曜日
「日本とドイツ 発想の違い」
ティッシュペーパーの箱が薄くなったのは、十年前くらいでしょうか。輸送コストが格段に安くなったと聞いてなるほどと思いましたが、最近はこれに限らず紙やビニール製品の薄型化が進み、何事もちゃちになったようで、ちょっと行き過ぎかなと感じています。
ドイツで感じるのはゆるぎない頑丈さです。ドアや家具から日用品に至るまでがっしりしています。電気コードをつなぐコンセントなど人のこぶしほどの大きさがあり、「ここまで頑丈にする必要があるのだろうか」と思うほどですが、なんとなく安心するのです。
ドイツにあって日本にない日用品に、Tempoという名のポケットティッシュがあります。ティッシュという表現は不正確で、4層構造の厚手のhandkerchief(鼻紙)です。最初どう使うのかわからなかったので聞いてみましたが、「ハンカチーフだよ」と言うばかりで、いまいち要領を得ませんでした。日本語のハンカチーフは布製のものしか指しませんが、これはまさに紙でできたハンカチなのです。人が使うのを観察していると、手を拭いたり、汗を拭いたりしても厚手なので一度で丸めて捨てるようなことはありません。折りたたんでポケットにしまうのです。鼻をかむ場合でもきちんと折りたたんで2、3度は使うようです。ハンカチですから。
使い捨てのハンカチとしての便利さがわかると、Tempoは必需品になりました。日本ではなかなか手に入らないものなので、「お土産は何がいい?」と聞かれると、「Tempo」と答えていました。とヘルベルトは不満そうでしたが、いつも頼んで持ってきてもらっていました。
逆に私がドイツへのお土産としていたのは、いわゆるフィルター付きコーヒーです。熱湯さえあれば卓上でお手軽にドリップコーヒーが味わえるというこの製品は、いかにも日本らしい発想の商品で、今はどうかわかりませんが、その頃は普通のドイツのスーパーにはありませんでした。フリーズド・ドライのインスタントコーヒーを飲んでいたエリカに、とても喜ばれたのでした。
2013年3月6日水曜日
「象の墓参り」
最近知った動物に関する話で一番驚いたのは、アフリカ象がお葬式と墓参りをするということです。知能が高いとされる大型霊長類の中でも人間しか行わない行為と思っていたので、ほとんどショックと言ってもいい衝撃でした。
その話によると、アフリカ象は仲間が死ぬと、お葬式のように死体の周りに集まって移動せず3日ほど過します。大食漢の象のえさがなくなり、いよいよ空腹のため移動をせざる得なくなると、死体に土をかけ、木の枝を折って掛けてやり、しっかりと死体を隠してから出発するというのです。
さらに驚嘆するのは、その場所を覚えていて1年後くらいに同じ場所に立ち寄り、骨になってしまった仲間の匂いをみんなでかいだり、骨を鼻で持ち上げたりして、懐かしむような行動をするということです。
動物にこれほど長期間の過去の記憶があろうとは。また、生活を共にした仲間をこれほど永く愛おしむことができるとは。知能とはちがうレベルの恐るべき能力としか言いようがない気がします。象の群れにこのような行動をとる習性があるのなら、昨今の人間よりはるかに高等な生き物だと言わざるを得ないでしょう。
私の関心のかなりの部分がいまや過去に向いており、時折、福島市街を見下ろす丘の中腹に眠る母とヘルベルトを訪れます。「千の風になって」ではありませんが、遺骨や遺灰はあってもそこに彼らがいないことはわかっています。でも今、彼らがどこにいるのか私は知っているので心安らかです。私もいつか時が来たらきっとそこへ行くつもりです。
2013年3月5日火曜日
「プラス・マイナス5℃」
ニュースで報じられたことですが、「今年の1月の気温は南極の方が仙台より暖かかった」ということです。(南極は例年より1℃以上高い0.8℃だったのに対して、仙台は0.7℃です。ちなみに福島はもっと寒くて0.6℃でした。) もちろん南極は夏、仙台は冬ですから、そういうこともあるとは思いますが、とにかく今年は寒く、雪も多い冬でした。
東京の1月の平均気温は6.1℃(最高気温9.9℃、最低気温2.5℃)で、マンション暮らしをしていると、室温は常に最低でも12℃はあります。体感的には福島とはざっと10℃違う感じです。気温がこれだけ違うということは生活の何もかもが違うということです。東京でもはちみつが凍る(白濁する)ことはありますが、オリーブ油が凍ったことはありません。オリーブ油は10℃くらいで凍るようで、福島ではだいたい凍っています。
10℃とは言わないまでも、もし東京の気温が5℃低いとしたら、生活は一変するでしょう。先日ちょっと雪が降っただけでもあれだけ交通機関が混乱したことひとつとってみても、また始終雪かきをしなければならないことを想定しただけでも、おそらく首都機能を果たせないのではないでしょうか。また、夏の気温があと5℃上がったら、東京に住むのは生物として無理な気がします。そう考えると、この都市文明がかなり心もとない気象条件のもとで成り立っていることがわかります。
福島の実家では、都市文明にあらがうかのように相当旧式なものが生き残っています。ファンヒーターではなく石油ストーブ(震災時には電気がなくてもOKですし、上でお湯を沸かしたり煮炊きもできます。)を父は愛用し、そのわきにはなんとマッチがありました。
「こんな『マッチ売りの少女』に出てくるようなマッチがまだこの世にあったとは・・・」
と、私はあきれてチャッカマンを使用していましたが、気温が低すぎるとチャッカマンではうまく着火しないことが判明し、何十年かぶりでマッチを擦る羽目になりました。
めったにないのですが、粉雪が窓に張り付くような冷え込みの朝は、あやうく水道も凍りかけました。そんなわけで、おそらく凍死するからでしょう、福島ではホームレスを見たことがありません。
2013年3月4日月曜日
「紅春 16」
「そろそろお父さんに電話しなくちゃ。」
一週間ほど間があくと、私は父に電話します。いつも決まって夜7時頃です。父は電話に出るとすぐに、
「あー、待って、来た来た。」
と言ってりくに代わります。その時間の電話は私からとわかるようで、りくは別の場所にいてもやってくるとのこと。父が受話器をりくの耳につけているので、私が一方的にしゃべります。
「はい、受話器なめてます。」(もしくは、「はい、電話線なめてます。」)
と、父の実況中継が入ったあと父と話します。いつも用事は特にないので雑談です。話が終わると父は、
「もう一回ね。」
と言って、再びりくに代わります。りくとしゃべっている方が長いくらいです。
毎回繰り返される出来事なので、今ではこう言うようになりました。
「あー、そろそろ、りくに電話しなくちゃ。」
2013年3月2日土曜日
「確定申告」
食品に関するごまかしは、どんなブランドも木っ端微塵に打ち砕くことが、不二家と雪印の事件で分かったはずだと思っていたのに、またしても大阪の老舗酒造で同様のことが起きました。発覚したのは国税庁の酒類鑑定の成分分析によるものというのが意外な感じでした。
これまで縁のなかった確定申告に行くことになり、実用本で自分なりに調べてみると、税務署は税金の徴収に全力を挙げており、納める側に有利なことはあえて言わないというようなことがまず書いてあります。「苛政は虎よりも猛なり」の言葉が頭をかすめる一方、「元公務員、税の申告漏れで摘発」なんてことになっても困るしと思いながら、分類や計算式はよくわからないので、とりあえず必要と思われる証明書類をかき集め、収入の部と支出の部に分けて税務署に出かけました。
夕方で込み合っていましたが、職員の指示に従ってパソコン入力となり、というよりほとんど付きっきりで面倒を見てくれ、私は言われた通り数字や文字を入力しただけでした。税金はさらに徴収されるのか、それとも還付となるのか、皆目わからないまま進みました。 要らないだろうが念のためと思って持ってきた書類も、
「あ、これも入れときましょう。」
となり、
「うん、やっぱり増えた。」
と職員が独り言。私は心の中で
「えっ、何が増えたの?」
とだんだん不安になってきました。
「提出は原本です。」
と言われましたが、必要ないと思っていたので自分用のコピーがありません。
「ちょっとコピーとってきます。」
と言うと、すでに終業時間を過ぎていたためか、上司の指示でコピーを渡してくれました。手のかかる納税者です。全部入力した後プリントアウトしてやっと終了、控えをもらって帰ってきました。税金は還付の決定でした。
結論、国税庁は庶民の味方です。
2013年3月1日金曜日
「卒業の朝」
高校の卒業式は3月1日でした。3月3日から国立大学の二次試験が始まるので、卒業式から帰ると旅支度をし、翌日受験に旅立つのです。ですから、卒業式は「もう帰るところはない」という悲壮感が漂う一方で、「受験がんばれ」という壮行会的な様相を呈したものになりました。
私が高校時代、唯一学級日誌を取りに行く以外の目的で職員室に入ったのは、卒業式の朝でした。誰が言うともなく職員室に行こうということになり、大きな丸ストーブを囲んで先生と他愛もない話をしたことを覚えています。
他のクラスからもぞくぞくと生徒が集まってきて、その中の友人の一人が私にこう言いました。
「卒業の一言読んだよ。私も全く同感。」
生徒会誌に一人20字で書くことになっていた言葉のことです。提出が三ヶ月以上も前のことだったので、私は自分で何を書いたか忘れていました。後で読んでみると、
「良き師良き友と学べたことは生涯の喜びです。」
と書いてありました。本当に幸せな高校生活でした。
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