異国に行くと、現象的にはささいな違いなのですが、実は大きな相違点を持つ文化的背景に気づくことがあります。初来日してすぐに、ファースト・フード店での店員の働き方がドイツと日本では違うということをヘルベルトが指摘しました。店員が個々の客にレジで対応するところは同じですが、一方で商品のやりとりを協力しながら行っており、また手の空いた人が足りなくなりそうな商品の補充をしたりしているというのです。世界に名だたるファースト・フード店で、従業員のほとんどがアルバイトということを考えると、これほどマニュアル化された企業もないだろうと思うのですが、それでもドイツと日本では働き方が違うのです。
また、スーパーの従業員の働き方の違いはさらに大きく、日本では客の列が長くなり出すとレジが二人態勢となり、商品を扱う人と金銭を扱う人に分かれてできるだけ速く客をさばこうとするという指摘がありました。同じ事がドイツでは本当にないのかと尋ねたところ、「ヨーロッパでは労働は苦役であり、また店員同士反目し合っているのでそんなことが起きようはずがない。」と大笑いされ、かの国ではレジ待ちが長蛇の列になっても平気で、むしろ店員は露骨に不快な顔をするのでお互い不愉快さが増すばかりだとのことでした。
協力し合ってなるべく早く顧客のニーズを満たそうとすることは、我々にとっては当たり前のことですが、実はこのような仕事のしかたができるのは昔からのこの国の労働観に深く根ざしているのだと思います。 私はうろ覚えの記憶をたどりながら、幕末から明治にかけて来日した欧米人が書き残している話をヘルベルトにしました。(以下、記憶の中で脚色があるかもしれません。)
「召使いに今晩の献立を命じて買い物に行かせたところ、別の材料を買ってきて『これが市場にでていた中で、今日一番のお買い得品であったので本日はこれで夕食を作ります。』というようなことを言う。始めは『主人の言うとおりにしないとはけしからん』と怒るのですが、何度かそのようなことが重なるうち、彼のしていることは全く正しいと思うようになります。彼に任せておけば間違いないし、こちらも楽であるとわかってきます。すなわち、その欧米人は『この国では、下層民までが主人にとって一番良いことは何かということを頭をしぼって考え、自分の責任の範囲内でそれを成し遂げようとする。しかもどうやらそれを楽しんでやっているようである。』という自分の知らなかった新しい労働観に初めて出会うのです。」
店員が当たり前のように協力し合えるのはその延長上に起こることです。日本の労働意識とその達成度はいまでも世界最高レベルですが、この日本でもグローバリゼーションの進行にともなって従来の働き方が押しつぶされようとしています。しかし、もし日本に生き残る可能性があるとしたら、この労働観に踏みとどまる以外に道はないのではないかと私は思います。