インターネットを当たり前に使える環境で乗り物の予約や物品の注文、様々な情報検索などを経験してしまうと、あまりに便利でそれなしの生活は考えられなくなるのですが、最近、地方では想像以上にインターネットは普及していないこととわかりました。それは高齢者の割合が多いことが一因として考えられます。その世代は仕事もパソコンなしで過ごせた世代であり、目も耳も不自由になってきた今、新しいものを取り入れようとする気力もそう湧きません。高齢者のためにこそ便利なものなので残念ではありますが、これを情報難民などと呼ぶのは御門違いです。手間はかかりますが他の方法はあるのですから、自分のスタイルで暮らせばよいのです。それにかかる手間など、インターネットに関わることで生じる膨大な無駄な時間に比べたら、微々たるものでしょう。
インターネットはいいところだけ利用できればいいのですが、時に情報過多でその大波にさらわれてしまうことがあります。欲得に絡んだ問題は本人の自覚で撃退できますが、そうでない場合もあります。油断して本来他人に見せるべきでない、自分を形成する何億分の一かの部分を見せてしまい破滅するという痛ましい事件が時折起きます。以前クローズアップ現代で、ネット上の「忘れられる権利」という問題を扱っていましたが、忘れてほしいことほど増幅され拡散してしまい取り返しのつかない結果になります。先ほどの高齢者の場合なら、ネット上で誹謗中傷されてもそれは「存在しないこと」ですから問題とはなりません。ネットに接触しない限り心安くいられるでしょう。それしか方法はないと思うのですが、自ら関わってしまった場合は難しいでしょうね。海外では中傷により自殺した女優さんもいたと聞いていますが、人の目にさらされることが職業の一部である場合はなおさらでしょう。
今はなんでもインターネットであからさまに名ってしまう時代です。本人の希望におかまいなく名前さえわかればその人の情報が得られてしまいます。ウィキペディアは何かについてちょっと知るのに便利ですし、かなり信頼できる情報なのでしょうけれども、ごく普通に社会で働いているだけで、本人がいいとも悪いともいっていないのに載ってしまうのです。これは怖いことではないでしょうか。その信憑性を担保するものは何なのかもさることながら、多くの人が協力して書き込んでいくというそのこと自体、みんなで寄ってたかってそんなことしていいのだろうかと恐ろしくなります。
ネットに接触する場合は、そこが「小人閑居にして・・・」の見本市であることを自覚し、毎回「伏魔殿に行く」くらいの気合をもって、現実の世界での行動よりよほど自制的になる必要があるでしょう。実社会では「人の噂も七十五日」で済みますが、インターネット上では永遠に消滅しないからです。