2013年2月6日水曜日

「何かになるということ」


 小学校5年くらいだったと思うのですが、日曜大工の手伝いをしていて、父に
「お前は何になるのだ?」
と尋ねられたことがありました。思いつかなかったので、
「一生、本読んで暮らしたい。」
と言うと、父は
「そうもいくまい。」
と答え、それきりその話は終わりになりました。懐かしい父とのカテキズムです。

 その後も、何になるかなどほとんど考えもせずに、大学も悩むことなく、
「文学部にいく。文学、好きだし・・・」
という感じでした。今の若者からしたら、あり得ないほどの能天気さでしょう。

 今の若い人に関して、「気の毒だなあ」と思うことがあるとしたら、「何かになることを急かされる」時代だということです。
 「適性はあるか」「それで食っていけるか」「将来性はあるのか」なんて、誰にわかるというのでしょう。よほど向いていないことをはずせば何かしらになると思うのですが、「甘い!」のでしょうか。社会の多方面で活躍する先輩の話を聞くことは、視野が広がり目を見開かれることも多いのですが、その方向に傾斜しすぎではないでしょうか。キャリア教育って本当に必要なんでしょうか。