2013年2月22日金曜日

「文学の好み 鷗外と漱石」


 文学という言葉はいつできたのでしょうか。現在のような意味で使うようになったのは、明治以降でしょうか。いずれにしても明治とそれ以前の文学には明確な断絶があるという印象があります。(ブログというのは間違いなく日記文学の系譜ですね。)

 文豪という名に値するのは森鷗外と夏目漱石しかいないと思いますが、それ以降の作家とは存在感が違います。明治以降の文学は、西洋では哲学の範疇に属するものを抱え込まなければならなかったからでしょう、イギリス文学のような楽観的な平常心はあまり見られません。哲学は最終的には「死」や「神」について考えずにはすまないので、自殺したり死ぬことばかり考えている作家も多いし、読む方も覚悟がいります。明るい気持ちで過ごしたいのに、いきなり「死のうと思っていた。」ではつらすぎます。

 そこへいくと、鷗外と漱石はまあ安心して読めます。近代日本の文学を背負う二人は、死ぬことを考える自由などなかったのでしょう。以前は鷗外の方が好きでした。ひとえにかっこいいからです。誰がどこから見ても当代随一の秀才ですし、官職に就きながらあれだけ旺盛な文学活動をするというのは超人的ですから。始終心身を患っていた感のある漱石に比べて、鷗外は自身が医者ですし、これといった挫折もなく、ドイツ女性が追ってくるようなロマンスまであるのですから素敵です。

 でも最近はなんだか漱石の方が落ち着くなあと思うのです。よくよく考えてみれば、『舞姫』の太田豊太郎に見られるようなあまりのご都合主義は、もうこの時代に方向づけられたのかとげんなりします。エリスに対してひどい裏切りをしておきながら、悪いのは周囲の状況で自分の行動はやむを得ないものであったという自己正当化、そして最終的に良友相沢を恨むという責任転嫁に目を向けざるを得ず、「あなたの主体性はいずこに・・・」と問いたくなります。これはまったく現在の日本の政財官民全てに共通する責任の取り方(というか責任回避の態度)に直結しています。

 漱石の「私の個人主義」は前段が無駄に長すぎ、あっけないほど当たり前の結論に行きついて終わっていますが(ああ、文豪の講演をこんなふうに評しちゃった)、「かのように」の理知的だが空疎な主張よりずっといいと思います。小説は、ストーリー性があり格調も高い鷗外に比べたら、「坊ちゃん」にしても「三四郎」にしても、またそれ以降の作品にしても、「なんだかな~」という感じですが、こちらの方がずっと現実に近いのです。『こころ』は決して明るいトーンではないし、「私」が現れなければ「先生」が死ぬこともなかっただろうけれど、「私」によって「先生」にされてしまった人に、あれ以外の最期はあり得ないでしょう。鷗外に見られる「大人の解決法」と考えられていることとは違う次元で、漱石の場合はここしかない大人としての地平に着地するという、ある種の諦観をもって読むことができます。