2013年1月7日月曜日
「初笑い」
御茶ノ水の地下鉄へ降りる長いエスカレーターに乗っていたある夏のことです。数段下からこちらをふと見上げた若者が近寄ってきて言いました。
「川辺野先生ですか。」
2年余り前に卒業した担任生徒でした。在学中は向こうから声をかけてくることなど考えられなかったので、2年もたつと大人になるのだなあと思ったことでした。
よく無断早退をして家に電話し、電話に出た母親が平謝りするので、
「お母さんが悪いのではありません。本人の責任です。」
と告げ、翌日、本人を呼んで説教するということを幾度となく繰り返しました。しかし、のれんに腕押しで、女子にまで、
「先生、もうあんな奴ほっとけばいいんだよ。」
と見捨てられる始末。とにかく、顔を見れば説教した記憶しかありません。
成績は悪くなかったのでどこかに受かるだろうと思っていたのですが、やはり日頃の行いがたたったのか、受験した大学すべてに落ち、しかも普段が普段なので相談にも来られない状態でした。
ある日事務室から、調査書の申請に来ていると電話連絡を受け、
「すぐ行きます。そこに留めておいてください。」
と言って階段を駆け下り、怯えた顔の本人を連れて進路室で今後の相談をしました。3月末まで受けられる大学を受験しましたが、受験生が殺到し難度が上がったため、結局浪人となりました。予備校に推薦書を書いて、私は異動のためその後どうなったか知らずにいました。
「今どうしてるの?」
「大学2年生。」
「どこの大学?」
志望大学の一つでしたのでよかったと思いました。そばでなんだか不思議そうに会話を聞いていたのは、大学でできた友人でしょうか。
実は別れて電車に乗った途端、名前を思い出し、名前を呼んであげられなかったことをちょっと後悔し、うちに帰ってはがきを書きました。
「声をかけてくれてありがとう、大学生活を有意義に過ごしてください、留年しないように、お母さんによろしく。」と。
それきりそのことは忘れていましたが、翌年お母さんから年賀状をいただきました。
「大変にお世話になりました。」という言葉とともに次のように書かれていました。
「受験日に先生の写真を持って行ったそうです。気持ちが落ち着くと・・・。」
はがきを手に大爆笑しました。その年の初笑いでした。