2013年1月25日金曜日
「福島教会のこと」
東日本大震災の後、東北新幹線の全線復旧までには一カ月以上かかり、結局私が福島に入れたのは4月末のことでした。ヴォーリズ設計の建堂100年を超す美しい煉瓦の礼拝堂はすでになく、だだっ広い敷地が茫漠と眼前にあるばかりでした。私は声もなく、涙もなく、ただ茫然とその前にたたずんでいました。何の感情も湧いてきませんでした。一言でいうと、あるはずのものがないことを受け入れられず途方に暮れたのです。
震災から半年たった9月、幸い残った伝道館で続けられていた礼拝に私は出席しました。牧師のいない困難な時期でしたが、それでも様々な教会から毎週牧師は派遣され、信徒によって礼拝は守られていました。久しぶりに会う懐かしい顔は、あらためて見ると、みな白髪を頂いていました。その日の説教者はかつて私に洗礼を授けた牧師のご子息でしたが、その方もすでにご高齢で引退されていました。
その時、ふいにわかったのです。もし一週でも礼拝が途切れていれば今日の日はないこと、この時まで牧師および信徒により連綿と信仰が守られてきたこと、もし神が「ここに教会を建てなさい」と言われてできた教会なら、どういう仕方でかはわからないけれども、どうあっても再び礼拝堂は建つだろうということが。
恩寵に満ちた時でした。その頃私は東京で安穏と教会生活を送っており、一年もしないうちに、自分が教会籍を福島に移すことになろうとは思ってもみませんでした。不思議なことです。