2013年1月30日水曜日
「タイムカプセル」
母の死とともに私は自分の晩年を意識するようになりました。そしてそれまで意識的に避けてきたこと、すなわち自分の半生を振り返るということに取り組み始め、封印していた昔の記録を取りだし読むようになりました。
中学卒業の時、私たちはは背表紙が1.5センチにもなる文集を作りましたが、その中で級友がこう述べています。
「(入試の時、)迷って悩んで解答用紙に何やらかきこんだあの時に、今までの三年間が決まったのかと思うと、何かすぐには信じられないような、○○先生をはじめ3年3組のみんなと生活したことは、もっとずいぶん昔から決められていたような、そんな気がしてしまうのです。」
こう書いていたのは、担任と折り合いの悪かった我々のクラスを腐心しながらまとめていた「我等が永遠の委員長」です。クラス最高の頭脳の持ち主で、高潔にして温和な人柄で知られ、先生と生徒の双方から絶大な信頼を得ていた嘘っぽいほどの優等生でした。彼の書いている通り、中学時代に関して、これ以外表現のしようがありません。
私は文集とは別に、サイン帳にクラス全員から卒業の言葉を書いてもらってもいましたが、それを長いこと押し入れに眠らせていたのは、後ろを振り返っていたら前へ進めないからです。不思議なもので、三十年たってもこのノートを平静な気持ちで読み進めることができません。それは、正真正銘のタイムカプセルでした。
委員長のページを読むと、2ページびっしり人間ワープロのような美しい文字が並んでいます。彼らしい。いつも暖かい陽射しの中心にいて、本当に同い年かと思えるほど大人だったから、私はなんとなく気後れして彼と話した記憶がほとんどありません。実際、我々の希望そのもののような人だったのです。だから、文集に「僕自身、自分の将来に絶望したことも何度かありました」という一文を見つけた時は仰天しました。彼ときちんと話さず仕舞だったのは、今思うと本当に残念です。
サイン帳には部活やテレビ番組等のたわいない話題とともにこんな言葉が書かれていました。
「何か底知れぬあなたの力、底のない沼の下から下から常に何かが
グイグイとあがってくるような感じ、だけどその周辺は静かな草原や
森林、そのはずれにある町でカーニバルが開かれてるそんな感じ・・・・・・
あなたを見てるとそんな感じがします。」
子供時代を共有するとはこういうことか。今なら家族か親しい友人しか知らない私のふざけた本性がきれいに見抜かれていました。きっとクラス全員に明々白々のことだったにちがいありません。
サイン帳にある委員長の言葉は、今後の自分の決意と私への激励及び助言で終わっていました。今、私は結果的に自分が彼の助言に従っていたことを知ってうれしく思います。
嘘っぽいと言いましたが彼は本物でした。あの頃、皆そうだったように、彼もブラック・ジャックに憧れていた(と思う)のですが、その後東北大学の医学部に進み、本当に外科医になりました。きっとDr.コトーのような患者を想う医者になっているに違いありません。彼ばかりではありません。文集の中で他の先生が「個性派ぞろい」と評した我がクラスは、後で聞いた担任の言葉では「史上最悪のぼっこれ(壊れた)クラス」でした。実際、途中で異例の担任交代があったことを考えると、この表現はたぶん誇張ではありません。出会いの不思議さを思います。偶然の出会いなどないのです。あの時出会った47人は、同じ空の下、それぞれの場所で懸命に生きていることは疑いありません。そう思うと、私の心は言いしれぬ幸福感に満たされてくるのです。