2013年1月13日日曜日
「初めての日本」
もう20年近く前のことですから、ひょっとしたら今では事情が違っているかもしれません。その頃ドイツで近所の方やヘルベルトの知り合いと話していて、私が日本から来たとわかると、きまって次のようなことが起きました。
「私、上海に行ったことがあります。」
「私は北京に。」
「ニイハオ。」
「いえ、それは中国で・・・」
これが度重なると訂正する気力も萎えてしまい、「ああ、ドイツと日本の関係は、完全に日本の片思いなのだなあ。」と実感したものでした。
普通のドイツ人は、いきなり「日本に行ってみよう」と思うことはまずなく、ヘルベルトも当初、「あなたがいなければ行くはずがない。 Why Japan? 」と言っていました。
実際に来てみると、ドイツ人の感覚からすると驚くことがたくさんあったようです。開店直後のデパートでは、店員が勢ぞろいでお辞儀をしながら客を迎えることに、「王様みたいだ」と仰天していました。私も、開店直後にデパートへ行ったことなどありませんでしたから、「毎日こんなことが行われているのか」と少なからず驚きましたが、確かにドイツのサービス業のレベルとは雲泥の差があります。
新幹線では、車内販売の売り子さんが、車室に入る時と出る時に、お辞儀をすることに対して、「エレガントだ」という印象を強く持ったようです。
また、些細なことですが、「日本では、ヨーグルトのふたの銀紙をはがした時、中身が飛び散ることは決してない」と感心していました。この手のことは枚挙にいとまがありません。
細部まで行き届いた日本の住みやすさは、来日すればすぐにわかってもらえるようでした。東京は、たぶん大きすぎて(フランクフルト Frankfurt がドイツ有数の都市といっても市としての人口は70万に満たない、広域の都市的地域でみても230万程度です。)、彼の性に合わなかったようですが、「福島ならいつでも住みたい。」と言っていました。福島のその後を見ずに済んだのは、ある意味、幸せだったかもしれません。