2013年2月28日木曜日
「レントの季節」
あらゆる祝祭を自家薬籠中のものとしてしまう日本の習俗も、年によって移動するイースターだけはまだ取り込めていないようです。イースターは西方教会では毎年3月22日から4月25日までのどこかにおさまっていますが、年によって1カ月も違ってしまうのでは歳時記に取り込みにくいのでしょう。
クリスマスでさえ、「教会でもクリスマスをやるんですね。」と言われたという笑い話があるくらいですから、イースターはもはや何のお祝いかわかりっこないでしょう。2010年から東京ディズニーランドでも、春季スペシャルイベントとして「ディズニー・イースターワンダーランド」を行っているようですが、昨年は4月3日からなんと6月30日まで開催! こうなると春季でさえありません。笑いとあきれを通り越して、さすがにこれではまずいのではと思えてきます。
ヴェニスやリオデジャネイロのカーニバルは、戒斎の時として質素な生活に入る聖灰水曜日前に祭りが最高潮に達することでよく知られています。イースター前の46日間はレント(四旬節)と呼ばれ、キリストの受難と死に思いを寄せて過ごす期間です。
私は勤めている間、このレントをまともに守れたためしがありませんでした。日本ではこの時期がすっぽり送別会や歓送迎会のシーズンであり、お世話になった方々にお別れしたり、新しくいらした方にご挨拶する会に出席しないわけにはいかなかったからです。そもそも日頃贅沢な食生活をしているわけではないのに、よりによってこの期間に限って飲めや歌えや状態になってしまうことに、なんとも複雑な気分でした。ようやく心置きなく質素に、レントの時を過ごせるようになりほっとしています。
2013年2月27日水曜日
「尊厳の芸術展 The Art of Gaman」
年配の方が公共の場で身勝手な振る舞いをしたり、感情を爆発させたりする場面を見ることほど悲しく見苦しいものはありません。先日バスの中で、携帯電話での通話を注意された70代とおぼしき女性が逆ギレし、運転手に食ってかかる場面に遭遇し情けない気持ちになりました。やはり年長者には年相応の成熟した品位や寛容を示してもらいたいものだと思うのです。
スミソニアン美術館でアメリカの人々を驚嘆させた 日系収容者によるThe Art of Gaman を福島にて鑑賞しました。会場に一歩入るなり作品の圧倒的な存在感が胸に迫りました。生半可な作品ではありません、まさに魂の叫びが物の形をとってそこにあるのでした。家具や調度品、学習用具や日用品など生活に必要なものだけでなく、置物や装飾品、玩具もありました。生きるための雄叫びのような咆哮する木彫りの熊や獅子があるかと思えば、取っ手部分をトランプの四つの絵柄にした四段引出のような遊び心が感じられるものも数多くありました。心を込めた作品などという表現では足りない、もはや執念としか言えないものの結実でした。
第二次世界大戦中に収容された日系人は12万人とのこと、どれほど泣き叫び嘆いたことでしょう。絶望の果てにたどり着いたに違いない境地が、怒りや憎しみではなく透徹した生への讃歌であった証を見て、人間の強さと気高さについて考えさせられました。
スミソニアン美術館でアメリカの人々を驚嘆させた 日系収容者によるThe Art of Gaman を福島にて鑑賞しました。会場に一歩入るなり作品の圧倒的な存在感が胸に迫りました。生半可な作品ではありません、まさに魂の叫びが物の形をとってそこにあるのでした。家具や調度品、学習用具や日用品など生活に必要なものだけでなく、置物や装飾品、玩具もありました。生きるための雄叫びのような咆哮する木彫りの熊や獅子があるかと思えば、取っ手部分をトランプの四つの絵柄にした四段引出のような遊び心が感じられるものも数多くありました。心を込めた作品などという表現では足りない、もはや執念としか言えないものの結実でした。
第二次世界大戦中に収容された日系人は12万人とのこと、どれほど泣き叫び嘆いたことでしょう。絶望の果てにたどり着いたに違いない境地が、怒りや憎しみではなく透徹した生への讃歌であった証を見て、人間の強さと気高さについて考えさせられました。
2013年2月26日火曜日
「人を見る目 ハンガリーにて」
ブダペストで数日アパートを借りて夏の休暇を過ごした時のことです。市街にとまっている車のハンドル部分に、見慣れない装置が付いていることがあり、
「あれは何?」
とヘルベルトに尋ねると、盗難防止だと言います。タイヤを固定して動かないようにするようでした。私たちも車で来ましたので、駐車場をどうするかの問題がありました。
選択肢は2つでした。1つは近くのホテルの地下駐車場。もう1つは空き地の駐車場です。ホテルの方は防犯カメラが付いていますが、車の出し入れは普通の機械式です。料金を支払って駐車カードを入れるとバーが上がって出られる方式のものです。空き地の方は人が2人いるのですが、なんと形容したらいいのでしょう、ずいぶんとみすぼらしい身なりの男性でした。また、こちらはスペースの問題で奥の車を出し入れする時のために、鍵を預けなければなりません。
ヘルベルトによると、彼らはおそらくロマと呼ばれる人々だろうということでした。ジプシーという呼び名は必ずしも蔑称ではなく自称として用いる人もいるようですが、「『流浪の民』って本当にいるんだ・・・」と愕然とした瞬間でした。みすぼらしいというのは婉曲表現で、こういうと語弊があると思うのですが、今の日本ではボロに近い身なりでした。
「どっちがいいかな。」
と聞かれましたが、私は見当もつかず答えられませんでした。ちなみに料金はどちらもかなり高く、アパートの宿泊費に近いくらいでした。
その後、ヘルベルトはもう一度両方の駐車場を見に行き、空き地の方に決めてきました。滞在中、駐車場の管理人の顔ぶれが時々変わっていましたから、何人かでシフトを組んでいたのでしょう。滞在中もブダペストを去る日も、車の管理や受け取りに問題はありませんでした。
ヘルベルトにどうしてこっちの駐車場に決めたのか聞いてみると、
「防犯カメラがあっても盗難する人は止めることができない。空き地の方は24時間人がいるからね、いい料金払っているから、体張って車を守ってくれるだろうと思った。その点、あの人たちは信用できる。」
との答えでした。私に任されてたら逆の判断をして、今頃、車なくなってたかもしれないなあと思ったことでした。
2013年2月25日月曜日
「紅春 15」
「もう、りくには参った。」
私のいない間、ずっと父にまとわりつき、ぐずぐず何事か言っていたとのこと。訴えの中身は、
「姉ちゃんがいなくなったから探して。」
「いなくなったんじゃなくて、買い物に行ったんだよ。」
と言ってもわからず、帰るまでずっと訴えていたので、ほとほと困ったそうです。
それからは、必ず買い物に行くことを告げ、勝手口から出るようになりました。玄関から出ると、しばらく旅に出る(=いなくなる)のだなとりくは理解するのです。3時間くらいのお出かけは許容されますが、それ以上長くなると、帰った時、「遅い!」と言って怒ります。ですから、気分を変えさせるためにそのまま散歩に出るのが習いとなりました。
私は夜に外出することはまずないのですが、先日はクリスマスイヴ礼拝のため夕方出かけました。りくは4時ころから台所に行ったまま、勝手口の前でお座りしていたとのこと。
「まだ、当分戻って来ないよ。」
と父に言われてもりくは聞く耳を持たなかったそうです。私が7時過ぎに戻ってドアを開けると、果たしてりくはそこにいました。それからが大変、私は「帰りが遅い!」と叱られ、夜だというのにりくの機嫌をとるため散歩に出る羽目になったのです。
2013年2月23日土曜日
「栄養ドリンク」
私は清涼飲料水というものをほとんど飲まず、普段はコーヒーとせいぜい牛乳を飲む程度です。コーヒーは朝起きて飲みたければ健康、体調の悪い時は飲みたいと思わないというように、健康のバロメーターになっています。
3年ほど前、連れ合いが亡くなった時から、嘔吐の発作が頻繁に起こるようになり、脱水症状で2度入院しほとほと懲りました。2~3週間おきに起こる発作自体は止められないものの、入院しなくてもすむ方法は経験によって体得しました。それは、夜中に突然始まりまるで精密機械のように30分ごとに10回ほど繰り返す発作時に、体から出た分だけカルピスを補給するというものでした。「人の体に近い水」として有名なサプリ系飲料水も試しましたが、全く体に合わず一度でやめました。発作は起こる間隔が少しずつ長くなってやがて怒らなくなるまで1年ほどかかりましたが、この時期は「カルピスが命を救う」といっても言い過ぎではないくらいお世話になりました。
一度発作が起こると何も食べられないので一挙に体力が落ち、回復までにさらに一週間かかるという有様でしたから、仕事にはさまざまな支障をきたしました。困るのは、回復して2~3週間後にまた発作が起こるということがわかっていても、実際いつ来るかはわからないので出張等でその日をはずすということができないことでした。夕飯までは普通に過ごせていても夜中に突然発作が起こり、結局一睡もできずに憔悴しきって朝を迎えるということが繰り返され、どうしても無理な時は出張を代わってもらったこともありました。
ある時、生徒一人を引率することになっていた日にそういう事態になり、長期休暇中であまりに急なため誰かに代わってもらうこともできず、とりあえず行ってみるしかないと早朝座れる時間帯の電車に乗りました。目的地の駅に到着できましたが、何も食べていないどころかエネルギー源は体内からすべて出ていましたので、消耗しきって駅のベンチにストンと座ったまま全く動けませんでした。せっかくここまで来たのに万事休すかと思いましたが、ベンチの隣に自動販売機があり、紙パックのコーヒー牛乳があるのがわかりました。不調の時はコーヒーなどもってのほかなのですが、飲んでみようと思い一口試してみると、「冷たくておいしい」と感じました。少しずつ飲んで様子をみると、驚いたことに全部胃袋におさまったのです。少しすると立ち上がることもでき、無事職務を終えることができました。
或るコーヒー牛乳の原材料名は、乳製品、砂糖、果糖ぶどう糖液糖、コーヒー、デキストリン、香料、乳化剤とあり、要するに砂糖のかたまりです。栄養に関する専門家でなくても体によくないとわかりますが、人の体というのは本人にしかわからないしかたで動いており、この時は確かに栄養剤として働いたのです。
それ以来私は、一般的には体によくないものでも、たまに飲みたい、食べたいと思えばそうすることにしました。食に関してはある程度臨機応変にそして鈍感になるのがいいのかなと思っています。
2013年2月22日金曜日
「文学の好み 鷗外と漱石」
文学という言葉はいつできたのでしょうか。現在のような意味で使うようになったのは、明治以降でしょうか。いずれにしても明治とそれ以前の文学には明確な断絶があるという印象があります。(ブログというのは間違いなく日記文学の系譜ですね。)
文豪という名に値するのは森鷗外と夏目漱石しかいないと思いますが、それ以降の作家とは存在感が違います。明治以降の文学は、西洋では哲学の範疇に属するものを抱え込まなければならなかったからでしょう、イギリス文学のような楽観的な平常心はあまり見られません。哲学は最終的には「死」や「神」について考えずにはすまないので、自殺したり死ぬことばかり考えている作家も多いし、読む方も覚悟がいります。明るい気持ちで過ごしたいのに、いきなり「死のうと思っていた。」ではつらすぎます。
そこへいくと、鷗外と漱石はまあ安心して読めます。近代日本の文学を背負う二人は、死ぬことを考える自由などなかったのでしょう。以前は鷗外の方が好きでした。ひとえにかっこいいからです。誰がどこから見ても当代随一の秀才ですし、官職に就きながらあれだけ旺盛な文学活動をするというのは超人的ですから。始終心身を患っていた感のある漱石に比べて、鷗外は自身が医者ですし、これといった挫折もなく、ドイツ女性が追ってくるようなロマンスまであるのですから素敵です。
でも最近はなんだか漱石の方が落ち着くなあと思うのです。よくよく考えてみれば、『舞姫』の太田豊太郎に見られるようなあまりのご都合主義は、もうこの時代に方向づけられたのかとげんなりします。エリスに対してひどい裏切りをしておきながら、悪いのは周囲の状況で自分の行動はやむを得ないものであったという自己正当化、そして最終的に良友相沢を恨むという責任転嫁に目を向けざるを得ず、「あなたの主体性はいずこに・・・」と問いたくなります。これはまったく現在の日本の政財官民全てに共通する責任の取り方(というか責任回避の態度)に直結しています。
漱石の「私の個人主義」は前段が無駄に長すぎ、あっけないほど当たり前の結論に行きついて終わっていますが(ああ、文豪の講演をこんなふうに評しちゃった)、「かのように」の理知的だが空疎な主張よりずっといいと思います。小説は、ストーリー性があり格調も高い鷗外に比べたら、「坊ちゃん」にしても「三四郎」にしても、またそれ以降の作品にしても、「なんだかな~」という感じですが、こちらの方がずっと現実に近いのです。『こころ』は決して明るいトーンではないし、「私」が現れなければ「先生」が死ぬこともなかっただろうけれど、「私」によって「先生」にされてしまった人に、あれ以外の最期はあり得ないでしょう。鷗外に見られる「大人の解決法」と考えられていることとは違う次元で、漱石の場合はここしかない大人としての地平に着地するという、ある種の諦観をもって読むことができます。
2013年2月21日木曜日
「『追憶』を追憶する」
あれはなんだったのかと思うことがあります。高校時代、文化祭が2回しかなかったのです。理由は国体が県内で開催されるのでマスゲームの練習に時間を取られるからでした。その代り、なぜか全校生で映画「追憶」を見ることになりました。バーバラ・ストライサンドとロバート・レッドフォードのあの映画です。
学校に帰って、ホームルームの時間に出た感想は、
「レッドフォードの魅力が感じられなかった。」
「女の人は素敵だったけど、男の方はどこがいいのかわからなかった。」
「女のさがを感じました。」
というのが大半でした。担任は大学を出たばかりの女性の英語教師でしたが、ほぼ同意見でした。この映画を見たからというのではありませんが(時代の違う映画で、例えば「プリティ・ウーマン」だったらどうだったでしょう。いや、やはり大ブーイングか、それ以前に選択肢としてあり得ないか。)、さっきの感想を聞く限り、ここは・・・「負け犬」養成所のようではありませんか。
2013年2月20日水曜日
「幸福な生活」
母によれば、私はいつもニコニコご機嫌の赤ちゃんだったそうです。子供の頃、私が母に言われた言葉に、「あなたは他人をうらやましがらないからいいわね。」というのがありました。他人をうらやむということがどういうことなのか私にはピンと来ませんでした。絶対にその人にはなれないのに他人をうらやんで何になりましょう。
他人と比較せずに自分を顧みれば、自分がどんなに幸せかという事実はたくさん見つかるし、たまたま与えられたにすぎない幸運をありがたく思うと同時に、その気持ちを社会に還元する方法を考えることもできます。人生の様々な場面で出会った人の中には、本当に頭の下がる仕方でなすべきことに誠心誠意打ち込んでいる方がたくさんいました。実際そのような多くの人々によって社会は支えられているのです。
逆のやり方として、クレームをつけて社会を変えようとする人もいますが、あまり幸せそうでないのは、クレーマーにとどまる限り不幸であり続けなければならず、それが心を荒廃させていくからではないでしょうか。それよりはるかに現実的で実り多い仕方で生きている人、すなわち人間的に成熟した尊厳をもって奮闘している人に心からの敬意を払いたいと思います。
2013年2月19日火曜日
「日本とドイツ きれい好き」
うろ覚えなのですが、数年前にフランスのホテル業界が世界のホテルに「よい観光客」のアンケートを取った結果、日本人が断トツで1位だったと記憶しています。「マナーが良い」「礼儀正しい」「部屋を汚さない」等が理由として挙げられていましたが、納得できるものばかりです。
「あなた、日本人? うちは民宿やっているんだけど、日本人が一番好き。部屋をきれいに使ってくれるから。」
「は?・・・。」
ドイツの路面電車の中で、全く知らないご婦人から話しかけられたことがあります。宿泊時に特に部屋をきれいに使っているとも言えないなあと、腑に落ちない気持ちでしたが、その意味するところをしばらく後に知ることになりました。
あるホテルで、部屋の鍵をもらって入ったところ、なんといいましょうか、まだ掃除が済んでいない状態で、それも尋常ならざる汚れ方に唖然としました。ティッシュや紙くず、食べ物のゴミがそのへんに落ちており、どうすればこんなに汚せるのか、故意に汚さなければここまでは無理だろうと思えるほどメチャクチャひどかったのです。もちろん、手違いでしたから、部屋は替えてもらいましたが、先のご婦人が言っていたのはこういうことかとやっとわかりました。
ドイツ人のきれい好きは有名ですが、台所など雑然としそうなところが整然としているのがすごいですね。それだけに、Ferienwohnung (休暇中の貸家)で過ごす時は、汚さないよう、自分の家より緊張したものです。こうなるときれいすぎるのも考えものです。
家の中だけではありません。治安がいいことで有名なミュンヘン市では、犬の落し物を片付ける清掃員がいて給料は警察官とほぼ同じということですし、ドレスデン市では犬の落し物のDNA検査による特定を真面目に検討したことがあるとのこと、これこそ国民性でしょう。(この一点にしぼれば街路の清潔さはパリとの差が歴然です。) 日本の場合、犬の落し物の始末は飼い主のマナーにかかっていますが、都市部では結構守られているのではないでしょうか。その理由はご近所の手前、落し物を放置し続ければ犬の散歩自体ができなくなってしまうからでしょう。
冒頭のアンケート結果の理由の中に、「日本人は文句を言わない」というのもあって笑えます。ちなみに、その年の最下位はアンケートを主催したフランス、翌年は中国だったそうです。
「あなた、日本人? うちは民宿やっているんだけど、日本人が一番好き。部屋をきれいに使ってくれるから。」
「は?・・・。」
ドイツの路面電車の中で、全く知らないご婦人から話しかけられたことがあります。宿泊時に特に部屋をきれいに使っているとも言えないなあと、腑に落ちない気持ちでしたが、その意味するところをしばらく後に知ることになりました。
あるホテルで、部屋の鍵をもらって入ったところ、なんといいましょうか、まだ掃除が済んでいない状態で、それも尋常ならざる汚れ方に唖然としました。ティッシュや紙くず、食べ物のゴミがそのへんに落ちており、どうすればこんなに汚せるのか、故意に汚さなければここまでは無理だろうと思えるほどメチャクチャひどかったのです。もちろん、手違いでしたから、部屋は替えてもらいましたが、先のご婦人が言っていたのはこういうことかとやっとわかりました。
ドイツ人のきれい好きは有名ですが、台所など雑然としそうなところが整然としているのがすごいですね。それだけに、Ferienwohnung (休暇中の貸家)で過ごす時は、汚さないよう、自分の家より緊張したものです。こうなるときれいすぎるのも考えものです。
家の中だけではありません。治安がいいことで有名なミュンヘン市では、犬の落し物を片付ける清掃員がいて給料は警察官とほぼ同じということですし、ドレスデン市では犬の落し物のDNA検査による特定を真面目に検討したことがあるとのこと、これこそ国民性でしょう。(この一点にしぼれば街路の清潔さはパリとの差が歴然です。) 日本の場合、犬の落し物の始末は飼い主のマナーにかかっていますが、都市部では結構守られているのではないでしょうか。その理由はご近所の手前、落し物を放置し続ければ犬の散歩自体ができなくなってしまうからでしょう。
冒頭のアンケート結果の理由の中に、「日本人は文句を言わない」というのもあって笑えます。ちなみに、その年の最下位はアンケートを主催したフランス、翌年は中国だったそうです。
2013年2月18日月曜日
「紅春 14」
ある時、父がしみじみ言いました。考えてみれば確かにそうです。私は急にりくが不憫になりました。
また、東日本大震災の時のこと、兄は入院中の父をたまたま見舞っていて地震に遭いましたが、その時りくは一人で留守番中でした。老朽化した病院の天井や壁がパラパラと剥がれ落ちる中、「ここでお父さんと一緒に死ぬのか」と思うくらいの揺れだったそうで、結局父は入院を打ち切って、兄と一緒に自宅に戻ってきました。二人ともりくのことが心配でドアを開けると、りくは無事でした。それどころか、「危ないから、こっちこっち。」というしぐさを見せたとのこと、どこまでけなげな犬なのか。
今では、ちょっとでも揺れるとすぐ父のもとに跳んできます。父は、
「一人で震災を耐え、怖かったんだろう。」
と言います。またまた、不憫になってしまいます。
この二つのことが心にひっかかって、ついついりくには甘くなってしまうのです。
2013年2月15日金曜日
「カフェでの会話」
ヨーロッパのカトリック教会にはなんだかよくわからない装飾品や聖遺物などがたくさんあります。日本ではほとんどお目にかかることがないので、私はそれら怪しげなものを興味津々で見物します。ヘルベルトが詳しく説明してくれるのでなおさら興味がわきます。
どこの教会だったか、小声で話していた時、おばあさんから注意を受けたことがありました。「教会はお祈りする場所だから」と。
会堂内でも小声での会話はこれまでどこでもありましたが、なるほどと納得して話すのをやめました。それからまた教会の小部屋を見ていくと、満願の御礼というのでしょうか、病気や怪我の回復を祈願して回復した人々が寄贈した快気祝いのプレートを飾った部屋がありました。手とか足とか治った患部をかたどった金属を埋め込んだプレートです。この部屋で小声で話しているときに、またしても先ほどのおばあさんに会い注意を受けてしまいました。ここは礼拝堂ではないのでよいと思ったのか、ヘルベルトは全く動じずに、「あ、こっちにも部屋がある。」と言って進んでいき、見学を続けました。
その日の夕方、私たちはカフェにいました。午後のまだ夕食までは間がある時間に、コーヒーを飲みながらくつろぐ時ほどゆったりできることはありません。互いの顔を見ながら、何も話さなくても、一日の残像に思いめぐらす時です。コーヒーを飲みながら、彼がポツリと言いました。
「あの人も一緒にコーヒーを飲む人がいたらいいのにね。」
どこの教会だったか、小声で話していた時、おばあさんから注意を受けたことがありました。「教会はお祈りする場所だから」と。
会堂内でも小声での会話はこれまでどこでもありましたが、なるほどと納得して話すのをやめました。それからまた教会の小部屋を見ていくと、満願の御礼というのでしょうか、病気や怪我の回復を祈願して回復した人々が寄贈した快気祝いのプレートを飾った部屋がありました。手とか足とか治った患部をかたどった金属を埋め込んだプレートです。この部屋で小声で話しているときに、またしても先ほどのおばあさんに会い注意を受けてしまいました。ここは礼拝堂ではないのでよいと思ったのか、ヘルベルトは全く動じずに、「あ、こっちにも部屋がある。」と言って進んでいき、見学を続けました。
その日の夕方、私たちはカフェにいました。午後のまだ夕食までは間がある時間に、コーヒーを飲みながらくつろぐ時ほどゆったりできることはありません。互いの顔を見ながら、何も話さなくても、一日の残像に思いめぐらす時です。コーヒーを飲みながら、彼がポツリと言いました。
「あの人も一緒にコーヒーを飲む人がいたらいいのにね。」
「図書館批評家」
誰でもお気に入りの図書館をもっているものでしょうが、理想はちょっと歩いて行ける距離にあることでしょう。残念ながら私の家の近くにはそういう図書館がないので、この際いろいろな図書館を見学してみることにしました。「今日は図書館に行く」と思うとそれだけでもう幸せな気分になります。
港区の図書館はほぼ全部見学し大変気に入りました。9時からやっていますし、閲覧席も充実していて気持ちよく過ごせます。
三田図書館は田町に近いので利便性にすぐれ、勤め人もちょっと立ち寄ってよく利用する活気のある図書館です。
赤坂図書館は青山一丁目近くの新しいビルの中にあり、明るく広い館内に個別の電気スタンドを備えた机があり、近くの有閑族が朝からやって来ます。
高輪図書館は白金高輪という場所がらかゆったりした雰囲気を醸し出しており、同じコミュニティセンタービルを利用する子育て中の母親をよく見かけます。一度電子メモ帳にキーボード入力をしていて注意を受けたことがありますが、これはそれ専用の場所があることを知らずにいた私のミスで、最近は特にパソコン使用に関するルールを確実に把握しておく必要があります。
みなと図書館は緑に囲まれた御成門にあり、芝公園も近いので読書に飽きたら森林浴ができるという恵まれた環境です。電車でのアクセスとしては都営三田線のみのせいか、利用者は近くの人が多いようです。
港区の図書館として唯一バスを使わないとアクセスが難しいのは港南図書館です。それだけに静かで閲覧席もゆったりと使えほっとします。入口手前の中庭には、日差しや雨を避けられる大きなひさしのある空間があり、そのベンチに座って気晴らしもできます。これが中庭を取り囲む回廊のようになっていたら修道院のようで最高なのですが。
文京区の図書館もほぼ訪れましたが、ここでは図書館ごとに収集に力を入れている分担分野を決めているようです。その分他の図書館からの本の取り寄せを迅速に行ってくれます。文京区の図書館は、どの図書館も都バスの停留所から徒歩ですぐというアクセスの良さがありますが、閲覧席は少なめで、比較的広いスペースをとっているところでもおおむね大きなテーブルにみんなで座る形態となっています。
図書館にはそれぞれ個性があり、そこが図書館であるというだけで十分なのですが、贅沢を言えば、図書館の快適さの基準はなんといっても静けさにあります。したがって運営側の意図に反することなのでしょうが、閑静であること、すなわち人があまりいないことは図書館の重要な属性の一つだと思っています。或る国立図書館の関西館はどうあっても車でしかアクセスできない位置にありいつも空いていると友人に聞きましたが、それでいいのです。こういうものはやはり必要で、費用対効果で考えてはならず、いわゆる事業仕訳の対象にしてはならないものだと思います。
その点で言うと、断然理想的な図書館は大学の図書館です。8時半から開いているという図書館は他に知りませんし、静かなことこの上なく、パソコンを使えるスペースも十分あり、また学部の書庫というべき図書館では、もはや薄暗い修道院の図書館かと錯覚するほどで時を忘れます。お昼は学食に食べに行き、適当に散策してまた図書館に戻る、これ以上何を望みましょうか。本を貸し出してもらえないのは残念ですが、学生や研究者の邪魔になってはいけませんから当然でしょう。手ぶらで行ける私設図書館と思えばいいのです。
港区の図書館はほぼ全部見学し大変気に入りました。9時からやっていますし、閲覧席も充実していて気持ちよく過ごせます。
三田図書館は田町に近いので利便性にすぐれ、勤め人もちょっと立ち寄ってよく利用する活気のある図書館です。
赤坂図書館は青山一丁目近くの新しいビルの中にあり、明るく広い館内に個別の電気スタンドを備えた机があり、近くの有閑族が朝からやって来ます。
高輪図書館は白金高輪という場所がらかゆったりした雰囲気を醸し出しており、同じコミュニティセンタービルを利用する子育て中の母親をよく見かけます。一度電子メモ帳にキーボード入力をしていて注意を受けたことがありますが、これはそれ専用の場所があることを知らずにいた私のミスで、最近は特にパソコン使用に関するルールを確実に把握しておく必要があります。
みなと図書館は緑に囲まれた御成門にあり、芝公園も近いので読書に飽きたら森林浴ができるという恵まれた環境です。電車でのアクセスとしては都営三田線のみのせいか、利用者は近くの人が多いようです。
港区の図書館として唯一バスを使わないとアクセスが難しいのは港南図書館です。それだけに静かで閲覧席もゆったりと使えほっとします。入口手前の中庭には、日差しや雨を避けられる大きなひさしのある空間があり、そのベンチに座って気晴らしもできます。これが中庭を取り囲む回廊のようになっていたら修道院のようで最高なのですが。
文京区の図書館もほぼ訪れましたが、ここでは図書館ごとに収集に力を入れている分担分野を決めているようです。その分他の図書館からの本の取り寄せを迅速に行ってくれます。文京区の図書館は、どの図書館も都バスの停留所から徒歩ですぐというアクセスの良さがありますが、閲覧席は少なめで、比較的広いスペースをとっているところでもおおむね大きなテーブルにみんなで座る形態となっています。
図書館にはそれぞれ個性があり、そこが図書館であるというだけで十分なのですが、贅沢を言えば、図書館の快適さの基準はなんといっても静けさにあります。したがって運営側の意図に反することなのでしょうが、閑静であること、すなわち人があまりいないことは図書館の重要な属性の一つだと思っています。或る国立図書館の関西館はどうあっても車でしかアクセスできない位置にありいつも空いていると友人に聞きましたが、それでいいのです。こういうものはやはり必要で、費用対効果で考えてはならず、いわゆる事業仕訳の対象にしてはならないものだと思います。
その点で言うと、断然理想的な図書館は大学の図書館です。8時半から開いているという図書館は他に知りませんし、静かなことこの上なく、パソコンを使えるスペースも十分あり、また学部の書庫というべき図書館では、もはや薄暗い修道院の図書館かと錯覚するほどで時を忘れます。お昼は学食に食べに行き、適当に散策してまた図書館に戻る、これ以上何を望みましょうか。本を貸し出してもらえないのは残念ですが、学生や研究者の邪魔になってはいけませんから当然でしょう。手ぶらで行ける私設図書館と思えばいいのです。
「被災地ドライバーの民度」
イギリスの道路交通ルールでなるほどと思ったことの中に、ラウンド・アバウトがあります。もう20年以上も前のことですが、日本と同じ右ハンドルの国だからとレンタカーを借りて運転した時のことです。交差点にあたる部分が丸い花壇をあしらった空間になっており、「えっ、これは何?」と思う間もなくその円環に入り、前の車にならい、目的方向に向かう円環の切れ目で左折していました。円の周りを回らせることが自動的に交通整理となり、どの方向からでも入れ、どの方向へも車の流れを止めることなく走らせることのできる効率的な方法です。守るべきは、「右から来る車が優先でそれが途切れた時に注意して入ること、中で止まらないこと(流れに乗ること)」くらいでしょうか。
しかし、この道路交通システムが機能するには、このルールを全員が守れることが絶対条件です。それは社会の成員の質にかかっています。それからもう1つ、見落としがちですが、車が多すぎないことも必須条件で、これは社会的環境の質にかかわります。
東日本大震災が起きた時、福島市の道路交通は非常にスムーズでした。停電で信号が消えていたにもかかわらず、夕刻の時間帯でも普段より少し時間がかかった程度で家にたどりつけたと兄は言っていました。ドライバーたちは交差点の道路の状態を一瞬で判断し、突っ切れる時は突っ切り、譲るところは譲って、事故もなく、あうんの呼吸で動いていたと言います。それぞれが帰宅を急ぐ理由は痛いほどわかっており、焦る気持ちの中でも頭は冷静だったのです。ここには、皆が交通ルールを守る以上の民度が必要で、図らずもそれが発揮された事例となりました。翌日大渋滞が起きたのは、「警察が交通整理を始めたから」というのは、必要なこととはいえ、なんとも皮肉な話です。
2013年2月11日月曜日
「インターネットとの付き合い方」
インターネットを当たり前に使える環境で乗り物の予約や物品の注文、様々な情報検索などを経験してしまうと、あまりに便利でそれなしの生活は考えられなくなるのですが、最近、地方では想像以上にインターネットは普及していないこととわかりました。それは高齢者の割合が多いことが一因として考えられます。その世代は仕事もパソコンなしで過ごせた世代であり、目も耳も不自由になってきた今、新しいものを取り入れようとする気力もそう湧きません。高齢者のためにこそ便利なものなので残念ではありますが、これを情報難民などと呼ぶのは御門違いです。手間はかかりますが他の方法はあるのですから、自分のスタイルで暮らせばよいのです。それにかかる手間など、インターネットに関わることで生じる膨大な無駄な時間に比べたら、微々たるものでしょう。
インターネットはいいところだけ利用できればいいのですが、時に情報過多でその大波にさらわれてしまうことがあります。欲得に絡んだ問題は本人の自覚で撃退できますが、そうでない場合もあります。油断して本来他人に見せるべきでない、自分を形成する何億分の一かの部分を見せてしまい破滅するという痛ましい事件が時折起きます。以前クローズアップ現代で、ネット上の「忘れられる権利」という問題を扱っていましたが、忘れてほしいことほど増幅され拡散してしまい取り返しのつかない結果になります。先ほどの高齢者の場合なら、ネット上で誹謗中傷されてもそれは「存在しないこと」ですから問題とはなりません。ネットに接触しない限り心安くいられるでしょう。それしか方法はないと思うのですが、自ら関わってしまった場合は難しいでしょうね。海外では中傷により自殺した女優さんもいたと聞いていますが、人の目にさらされることが職業の一部である場合はなおさらでしょう。
今はなんでもインターネットであからさまに名ってしまう時代です。本人の希望におかまいなく名前さえわかればその人の情報が得られてしまいます。ウィキペディアは何かについてちょっと知るのに便利ですし、かなり信頼できる情報なのでしょうけれども、ごく普通に社会で働いているだけで、本人がいいとも悪いともいっていないのに載ってしまうのです。これは怖いことではないでしょうか。その信憑性を担保するものは何なのかもさることながら、多くの人が協力して書き込んでいくというそのこと自体、みんなで寄ってたかってそんなことしていいのだろうかと恐ろしくなります。
ネットに接触する場合は、そこが「小人閑居にして・・・」の見本市であることを自覚し、毎回「伏魔殿に行く」くらいの気合をもって、現実の世界での行動よりよほど自制的になる必要があるでしょう。実社会では「人の噂も七十五日」で済みますが、インターネット上では永遠に消滅しないからです。
インターネットはいいところだけ利用できればいいのですが、時に情報過多でその大波にさらわれてしまうことがあります。欲得に絡んだ問題は本人の自覚で撃退できますが、そうでない場合もあります。油断して本来他人に見せるべきでない、自分を形成する何億分の一かの部分を見せてしまい破滅するという痛ましい事件が時折起きます。以前クローズアップ現代で、ネット上の「忘れられる権利」という問題を扱っていましたが、忘れてほしいことほど増幅され拡散してしまい取り返しのつかない結果になります。先ほどの高齢者の場合なら、ネット上で誹謗中傷されてもそれは「存在しないこと」ですから問題とはなりません。ネットに接触しない限り心安くいられるでしょう。それしか方法はないと思うのですが、自ら関わってしまった場合は難しいでしょうね。海外では中傷により自殺した女優さんもいたと聞いていますが、人の目にさらされることが職業の一部である場合はなおさらでしょう。
今はなんでもインターネットであからさまに名ってしまう時代です。本人の希望におかまいなく名前さえわかればその人の情報が得られてしまいます。ウィキペディアは何かについてちょっと知るのに便利ですし、かなり信頼できる情報なのでしょうけれども、ごく普通に社会で働いているだけで、本人がいいとも悪いともいっていないのに載ってしまうのです。これは怖いことではないでしょうか。その信憑性を担保するものは何なのかもさることながら、多くの人が協力して書き込んでいくというそのこと自体、みんなで寄ってたかってそんなことしていいのだろうかと恐ろしくなります。
ネットに接触する場合は、そこが「小人閑居にして・・・」の見本市であることを自覚し、毎回「伏魔殿に行く」くらいの気合をもって、現実の世界での行動よりよほど自制的になる必要があるでしょう。実社会では「人の噂も七十五日」で済みますが、インターネット上では永遠に消滅しないからです。
2013年2月9日土曜日
「紅春13」
まだ片耳の折れていた子犬の時分からりくはヘルベルトを知っています。1年後に会った時、りくは彼のことを覚えていて歓待していました。しかし、年に一度お正月を過ごしに来る彼をりくは違う群れ Rudel の人とみなしていたようです。
「ほらね。」
客間にいた時、私は気づかなかったのですが、ヘルベルトがりくの繰り返す動作を指摘しました。
私を見る・・・、ドアを見る・・・
私を見る(「いっしょに」)・・・、ドアを見る(「茶の間に行こう」)・・・
茶の間はりくが一番落ち着ける場所です。りくにとって私は母親としての側面があるのだろうというのがヘルベルトの分析でした。この動作を延々繰り返されると、さすがに気が滅入ってきて、「ちょっと茶の間に行って来るね。」という」ことになります。
散歩にもよく3人で出かけました。言われなければ気づかないほどの変化なのですが、私とヘルベルトがずっとおしゃべりしていると、りくが微妙に間に入ってこようとするのです。りくを蚊帳の外においていたつもりはないのですが、2人で話に熱中しているのがりくにはつまらなかったのかもしれません。りく、あれは・・・やきもちですか?
2013年2月8日金曜日
「前向きに後退」
何年か前、年末にたまった仕事を片づけていて発作を起こし、丸3日間寝込んだことがありました。時々りくが心配そうに様子を見にやってきましたが、うんうん言いながら横になっていたので、「あっち行ってて。」と言うしかありませんでした。4日目にもう大丈夫かと起き出して続きを始めていたら、「何やってるんだ。まだよくなってないじゃないか。」と父にどやしつけられ断念せざるを得ませんでした。
1歩進んで3歩後退を繰り返すことが増えふと気づいたのは、「私は後退戦を戦ったことがない」ということでした。それまで元気だけがとりえで病気一つしたことがなく、体力、気力とも充実していてそれが当たり前だと思っていました。前進と敗走の経験はありましたが、これから必要なのは後退戦なのだと、その時はっきり自覚しました。
年をとるとはこういうことなのだ・・・。これからの数年間は後退しながら適切に闘う仕方を学ぶことに費やされるのでしょう。とはいえ、人間には相当の適応力があるものらしく、朝起きた時、特別なことが起きようはずもないのに、「今日はどんな日になるかな。」となんとなく楽しみなのはよい予兆です。事実、やっと芽が出始めたと思っていたヒヤシンスの球根の間から、紫色の花がこぼれているのを発見しただけで、朝からこれほどうれしいものかと思います。
2013年2月7日木曜日
「祈りの場」
ヨーロッパを旅していて気づくのは、どんな騒々しい繁華街でも、ほぼ無音といってもいいような空間が存在することです。
フランクフルト Frankfurt で言えば、最も観光客の多い市庁舎のある丘 Römerberg のすぐそばに、聖母教会 Liebfrauen があります。ヘルベルトの母教会でしたから渡独するたびに何度も訪れましたが、一歩入ると市街の雑踏がうそのように静かな場所でした。(今、念のため、愛用していた「地球の歩き方」を見たところ、市街地図に載っておらず、何かの間違いではないかと思ったのですが、「そっとしておいてほしい」という市民の気持ちの表れなのかもしれません。)
また、フランクフルト国際空港には、祈りの部屋 Prayer Room があり、どんな宗教のどんな人にでも開放されています。私がそこを訪れたのは数えるほどしかありませんし、そこに先客がいたのはさらに少ないのですが、あのような場所は必要なときには絶対に必要な場所なのです。
日本では宗教的な施設は難しいでしょうけれども、街中にちょっと腰を下ろしてほっとできる無音の空間があれば、ほんのひとときでもどれほど心が休まることでしょう。上野は東北人にとってある種の聖地であり、美術館のまちでもありますから、小さなものでよいので商業的なものでない、絵画のある小さな無音の空間を駅の構内に作れないものかと思い、震災後、駅に手紙を書きましたがまだ返事はありません。
2013年2月6日水曜日
「何かになるということ」
小学校5年くらいだったと思うのですが、日曜大工の手伝いをしていて、父に
「お前は何になるのだ?」
と尋ねられたことがありました。思いつかなかったので、
「一生、本読んで暮らしたい。」
と言うと、父は
「そうもいくまい。」
と答え、それきりその話は終わりになりました。懐かしい父とのカテキズムです。
その後も、何になるかなどほとんど考えもせずに、大学も悩むことなく、
「文学部にいく。文学、好きだし・・・」
という感じでした。今の若者からしたら、あり得ないほどの能天気さでしょう。
今の若い人に関して、「気の毒だなあ」と思うことがあるとしたら、「何かになることを急かされる」時代だということです。
「適性はあるか」「それで食っていけるか」「将来性はあるのか」なんて、誰にわかるというのでしょう。よほど向いていないことをはずせば何かしらになると思うのですが、「甘い!」のでしょうか。社会の多方面で活躍する先輩の話を聞くことは、視野が広がり目を見開かれることも多いのですが、その方向に傾斜しすぎではないでしょうか。キャリア教育って本当に必要なんでしょうか。
「少年少女推理小説」
先日、ネット上で子供の頃に読んだ推理小説を尋ね求めている人を見つけ、「ああ、ここにも迷える小羊が・・・」と思いましたが、回答者の答えはずばり「少年少女世界推理文学全集」(あかね書房)です。あの推理文学全集のうち一冊はほとんどの子供が手にしたことがあるのではないでしょうか。
何しろ幅が広い。推理小説の大家クリスティやクイーン、ヴァン・ダインはもちろん、一応ホームズ、ルパンもあったし、ポオの怪奇小説、ハメットやチャンドラーのハードボイルド系、文学者というべきチェスタトンやモーム、スティーブンソン、さらにロシアのアシモフやベリアーエフ等のSF系までカバーしていました。この全集により、推理小説の好みが決定づけられた子供も多かったことでしょう。
好みが一番別れたのはチェスタトンでしたね。私が先に読んで「おもしろかった」と友達に言ったら、あとで「どこがおもしろいのかわからなかった」と言われて軽いショックをうけたことを思い出します。
どうしても忘れられない(話の中身は全部忘れましたが、なんかもの悲しい話だったということだけ忘れられなかった)のは、プーさんシリーズを書いたをミルンの「赤い家の秘密」でした。最近Gutenbergで読んで(聴いて)みましたが、最後の手紙での告白の中で、復讐のために殺した相手のことを、「マークがいなくて今夜はさびしいです。おかしいでしょう。」と締めくくる部分で記憶が鮮明に蘇りました。やはり悲しい話でした。その後10年ほどで同出版社から出た「推理・探偵傑作シリーズ」にはこの本は見当たらないようです。なんと幸運な時期に子供時代を送ったことでしょう。
何しろ幅が広い。推理小説の大家クリスティやクイーン、ヴァン・ダインはもちろん、一応ホームズ、ルパンもあったし、ポオの怪奇小説、ハメットやチャンドラーのハードボイルド系、文学者というべきチェスタトンやモーム、スティーブンソン、さらにロシアのアシモフやベリアーエフ等のSF系までカバーしていました。この全集により、推理小説の好みが決定づけられた子供も多かったことでしょう。
好みが一番別れたのはチェスタトンでしたね。私が先に読んで「おもしろかった」と友達に言ったら、あとで「どこがおもしろいのかわからなかった」と言われて軽いショックをうけたことを思い出します。
どうしても忘れられない(話の中身は全部忘れましたが、なんかもの悲しい話だったということだけ忘れられなかった)のは、プーさんシリーズを書いたをミルンの「赤い家の秘密」でした。最近Gutenbergで読んで(聴いて)みましたが、最後の手紙での告白の中で、復讐のために殺した相手のことを、「マークがいなくて今夜はさびしいです。おかしいでしょう。」と締めくくる部分で記憶が鮮明に蘇りました。やはり悲しい話でした。その後10年ほどで同出版社から出た「推理・探偵傑作シリーズ」にはこの本は見当たらないようです。なんと幸運な時期に子供時代を送ったことでしょう。
2013年2月4日月曜日
「同窓会」
「よかったら電話ください。」
年賀状だけのやりとりになっていた大学時代の友人の書面を見て、電話してみました。彼女とは1年のクラスから一緒で、同じ学部・学科に進んだのですが、声を聞くのはほぼ30年ぶりくらいでした。そのうち、
「今年は会おうね。2月か3月くらいかな。」
と話が進み、お互い連絡のつくもう一人に電話して集まろうかという話になりました。女子会で4人くらいと思っていたら、さらに連絡のつく人へと広がって2名の男子(もう男性というべきですね。)を含む8人の会になり、あれよあれよと言う間に、電話から一週間もない1月上旬に日取りが決まっていました。このへんのノリはまるで学生時代のようです。
集まったのは第二外国語で分けられた1・2年次のクラスメートです。みんなで神宮に野球の応援に行ったりしていたので、入学時にオリエンテーションをしてくれた1学年上の先輩からは「仲の良いクラスでいいね。」とうらやましがられていました。
この日一番よく聞かれた言葉は
「変わらないね。」
「ほんと、全然変わらないね。」
という言葉でした。30年たつのだから誰だかわからない人もいるのではないかと思っていたのですが、あの頃のままでした。ただ違いがあるとすれば、皆、「あの頃こんなによくしゃべったっけ。」と思うほど快活にコミュニケーションできるようになっているところで、それはよい意味で世間に揉まれ社会化した結果でしょう。十代後半から二十代前半というのは、おそらく人生で一番暗くふさぎがちで、人付き合いも下手な時期でしょうから。
会も終わり近くになって一人が言いました。
「今年中にできるだけみんなに声かけて、一度集まりたいね。そろそろ会っておかないと・・・」
その先の飲み込まれた言葉に、その日初めてみな年をとったのだということに思い至ったのでした。
2013年2月2日土曜日
「紅春 12」
犬にもいろいろな性格の犬がいるように、猫にもいろいろいます。
りくには敵対心というものがないので、知らない相手に考えもなしに近寄って行きます。猫の後を追っていき、土手の階段の上で待ち構えた猫から猫パンチを食らっても、何が起きたのかわからず目をぱちくりさせたりします。
夜、家の庭で猫が鳴いている時は怒って吠えますが、猫がきらいなのではなく、縄張りを荒らされるのが嫌なのです。りくはりくで家を守っているのですから。いつまでも止まないと兄が、
「りく、悪い猫を退治しに行こうねー。」
と言って、りくと一緒に出かけていきます。何をするわけではありません。一回りパトロールすると、りくは安心するのです。
良好な関係の猫もいます。散歩中、通りがかりの人が、白と薄茶まだらの小柄な猫がりくと一緒にいるのを見て驚いていました。
「猫、逃げないんですね。」
「あの子たち、知り合いなんですよ。」
「知り合い・・・」
「ええ、お互い知り合いなんです。」
他に言いようがなく、同じ言葉を繰り返しました。別に仲がいいわけではないのですが、猫も気がいい子なので、りくに対して「なによっ。」という仕草で身を引くものの、くんくんにおいをかがれている間、じっとしています。動物にも知り合い程度の付き合いというものがあるのです。
りくには敵対心というものがないので、知らない相手に考えもなしに近寄って行きます。猫の後を追っていき、土手の階段の上で待ち構えた猫から猫パンチを食らっても、何が起きたのかわからず目をぱちくりさせたりします。
夜、家の庭で猫が鳴いている時は怒って吠えますが、猫がきらいなのではなく、縄張りを荒らされるのが嫌なのです。りくはりくで家を守っているのですから。いつまでも止まないと兄が、
「りく、悪い猫を退治しに行こうねー。」
と言って、りくと一緒に出かけていきます。何をするわけではありません。一回りパトロールすると、りくは安心するのです。
良好な関係の猫もいます。散歩中、通りがかりの人が、白と薄茶まだらの小柄な猫がりくと一緒にいるのを見て驚いていました。
「猫、逃げないんですね。」
「あの子たち、知り合いなんですよ。」
「知り合い・・・」
「ええ、お互い知り合いなんです。」
他に言いようがなく、同じ言葉を繰り返しました。別に仲がいいわけではないのですが、猫も気がいい子なので、りくに対して「なによっ。」という仕草で身を引くものの、くんくんにおいをかがれている間、じっとしています。動物にも知り合い程度の付き合いというものがあるのです。
2013年2月1日金曜日
「日本とドイツ 日本人の働き方」
異国に行くと、現象的にはささいな違いなのですが、実は大きな相違点を持つ文化的背景に気づくことがあります。初来日してすぐに、ファースト・フード店での店員の働き方がドイツと日本では違うということをヘルベルトが指摘しました。店員が個々の客にレジで対応するところは同じですが、一方で商品のやりとりを協力しながら行っており、また手の空いた人が足りなくなりそうな商品の補充をしたりしているというのです。世界に名だたるファースト・フード店で、従業員のほとんどがアルバイトということを考えると、これほどマニュアル化された企業もないだろうと思うのですが、それでもドイツと日本では働き方が違うのです。
また、スーパーの従業員の働き方の違いはさらに大きく、日本では客の列が長くなり出すとレジが二人態勢となり、商品を扱う人と金銭を扱う人に分かれてできるだけ速く客をさばこうとするという指摘がありました。同じ事がドイツでは本当にないのかと尋ねたところ、「ヨーロッパでは労働は苦役であり、また店員同士反目し合っているのでそんなことが起きようはずがない。」と大笑いされ、かの国ではレジ待ちが長蛇の列になっても平気で、むしろ店員は露骨に不快な顔をするのでお互い不愉快さが増すばかりだとのことでした。
協力し合ってなるべく早く顧客のニーズを満たそうとすることは、我々にとっては当たり前のことですが、実はこのような仕事のしかたができるのは昔からのこの国の労働観に深く根ざしているのだと思います。 私はうろ覚えの記憶をたどりながら、幕末から明治にかけて来日した欧米人が書き残している話をヘルベルトにしました。(以下、記憶の中で脚色があるかもしれません。)
「召使いに今晩の献立を命じて買い物に行かせたところ、別の材料を買ってきて『これが市場にでていた中で、今日一番のお買い得品であったので本日はこれで夕食を作ります。』というようなことを言う。始めは『主人の言うとおりにしないとはけしからん』と怒るのですが、何度かそのようなことが重なるうち、彼のしていることは全く正しいと思うようになります。彼に任せておけば間違いないし、こちらも楽であるとわかってきます。すなわち、その欧米人は『この国では、下層民までが主人にとって一番良いことは何かということを頭をしぼって考え、自分の責任の範囲内でそれを成し遂げようとする。しかもどうやらそれを楽しんでやっているようである。』という自分の知らなかった新しい労働観に初めて出会うのです。」
店員が当たり前のように協力し合えるのはその延長上に起こることです。日本の労働意識とその達成度はいまでも世界最高レベルですが、この日本でもグローバリゼーションの進行にともなって従来の働き方が押しつぶされようとしています。しかし、もし日本に生き残る可能性があるとしたら、この労働観に踏みとどまる以外に道はないのではないかと私は思います。
また、スーパーの従業員の働き方の違いはさらに大きく、日本では客の列が長くなり出すとレジが二人態勢となり、商品を扱う人と金銭を扱う人に分かれてできるだけ速く客をさばこうとするという指摘がありました。同じ事がドイツでは本当にないのかと尋ねたところ、「ヨーロッパでは労働は苦役であり、また店員同士反目し合っているのでそんなことが起きようはずがない。」と大笑いされ、かの国ではレジ待ちが長蛇の列になっても平気で、むしろ店員は露骨に不快な顔をするのでお互い不愉快さが増すばかりだとのことでした。
協力し合ってなるべく早く顧客のニーズを満たそうとすることは、我々にとっては当たり前のことですが、実はこのような仕事のしかたができるのは昔からのこの国の労働観に深く根ざしているのだと思います。 私はうろ覚えの記憶をたどりながら、幕末から明治にかけて来日した欧米人が書き残している話をヘルベルトにしました。(以下、記憶の中で脚色があるかもしれません。)
「召使いに今晩の献立を命じて買い物に行かせたところ、別の材料を買ってきて『これが市場にでていた中で、今日一番のお買い得品であったので本日はこれで夕食を作ります。』というようなことを言う。始めは『主人の言うとおりにしないとはけしからん』と怒るのですが、何度かそのようなことが重なるうち、彼のしていることは全く正しいと思うようになります。彼に任せておけば間違いないし、こちらも楽であるとわかってきます。すなわち、その欧米人は『この国では、下層民までが主人にとって一番良いことは何かということを頭をしぼって考え、自分の責任の範囲内でそれを成し遂げようとする。しかもどうやらそれを楽しんでやっているようである。』という自分の知らなかった新しい労働観に初めて出会うのです。」
店員が当たり前のように協力し合えるのはその延長上に起こることです。日本の労働意識とその達成度はいまでも世界最高レベルですが、この日本でもグローバリゼーションの進行にともなって従来の働き方が押しつぶされようとしています。しかし、もし日本に生き残る可能性があるとしたら、この労働観に踏みとどまる以外に道はないのではないかと私は思います。
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