2025年5月21日水曜日

「青葉の頃」

  日が長くなって何とはなしに嬉しい季節である。庭には新緑が爆発し、ヤマボウシが窓辺でさわさわと木陰を作っている。ラジオによると仙台、東京の日の出は4時半前後、「マイあさ」が始まる頃にはもう明るくなっている。障子を開けるとまぶしいほどの光…。「りくがいたらいくらでも散歩してあげるのに」と思う。私がいない時には、りくは父の起床に合わせて6時過ぎ頃起きるのに、私が帰省している時は、いつも明るくなるとすぐやって来た。「姉ちゃん起きて!」と、手っこでふとんを掻くので、「おはよう」を言うと、りくはもうスタンバイ。うれしくてたまらない様子で、「早く、散歩」と急かしてきたっけ。こんないい季節、りくがいないのは本当に寂しい。

 日が出てじりじりと暑くなる前に草むしりをする。いっぺんにやるのは無理なので、まず道路に面したところの庭木、玄関前の雑草から始め、毎日少しずつ、ゴミ出しに行く小道、台所のある側面周辺の草をむしり、前庭の大きくなり過ぎたつつじを刈り込み、隣家との境、裏庭と片づけていく。蚊がいるといけないので、帽子の上に頭からすっぽりメッシュの上っ張りを被り、足は長靴履きの完全防備。むせかえるような草の匂いは悪くない。田舎でしか味わえない空気を土の匂いとともに胸いっぱい吸い込む。毎日1時間ほど仕事して、少しずつきれいになっていく敷地を見ると、やはり気持ちが良い。お腹が空いた頃、朝食となる。

 日曜は安息日、教会へ行く。5月18日はたまたま創立記念礼拝だった。福島教会は1886年5月23日に創立された。毎年その日に近い日曜を創立記念礼拝日として守る。ことしは創立後139年目に当たる。こんなに長い間、、この小さな群れをお守りくださったことを神様に感謝する。牧師がかわり、信徒がかわり、会堂がかわっても、変わらずに神の言葉は語られてきた。今もそれを求めて人々がここに集って来る。これほど過剰な言葉が横溢している世の中でも、教会でしか聴くことのできない言葉がある。

 この日の説教題は「あなたの重荷を主にゆだねよ」であり、これは詩編55編23節の前半部分の引用である。ちなみに23節全体は聖書協会共同訳では次のようになる。

「あなたの重荷を主に委ねよ。/この方はあなたを支え/正しき人を揺るがせることはとこしえにない。」

 ここで重荷と言うと、何か思い煩いを伴う負荷のように感じるが、元来の意味は、カルヴァンによると、「くじ」、「賜物」といった趣きの言葉らしい。「くじ」や「ギフト」というのなら、人間の手の届かない事柄であるから神に任せるほかなかろう。なおかつ、今多くの人が押しつぶされそうなほど感じている思い煩いを神様に放り投げて、全て委ねることができたらどれほど樂であろうか。「一日の苦労は一日にて足れり(マタイ6章34節)」の御言葉通り、私たちの一日の苦労は神様がよくご存じで必ず嘉してくださる。神ご自身が私たちの苦労を知り、それを良しとしてくださるのである。次の日にはまた別の苦労があるが、決して変わることのない神の御言葉に聴き従いつつ、安心して140年目に向かっての歩みを始めるのである。


2025年5月15日木曜日

「工事の進展」

  先日は突然の「審判」というカフカ的不条理に見舞われた私であるが、工事の方は幸いなことに無事進んでいる。工事初日には玄関部分の天井板が剥がされ、屋根裏のスチールの骨組みや水道管や電気線等が見えた。以前東日本大震災で取り壊しとなった福島教会を再建する時、かなり建ち上ってきた礼拝堂の内部見学会に参加した時のことを思い出した。あの時は全て木造で木の香りが満ちていた。工事担当の方の案内でヘルメットを被っての見学だったが、上に向かって徐々にすぼんでいく大きな四角推の屋根を造るのに、何十という足場を組むのが大変だったというお話を聞いた記憶がある。

 私の自宅の解体工事では、屋根裏が水滴と水蒸気で満ちていた結果として、かび臭さと水による建材へのダメージが半端ないことを改めて目視できた。鉄骨が錆びておらず無事だったのが幸いだった。この日は玄関ホールのみならず、洗面所の壁紙も全部剝いてカビをこそげ落として終了となった。

 工事2日目からは造り付け家具の大規模な解体があった。玄関左手の下駄箱や物入れ、特にカビに侵された右手の物入れ、トイレ向かいの大きな物入れと、全ての収納庫の解体が始まり、家の様相が様変わりした。壁の石膏ボード等も必要に応じて解体され、ちょっと見には爆撃で破壊された戦闘地域の家屋のようである。壁にはボードを載せる高さの基準となる部分が各所に点在しているが、これは板を載せてから隙間に小さな穴をあけて断熱材を注入するとのことだった。こういうことも初めて知った。

 「大工さん、大変だったろうな」と今さら思うのは、住人が居住したままのリフォーム作業なので、一挙に解体という訳にはいかず、少しずつ解体したところへ適宜断熱材を貼っていく等の段取りが必要だったことであろう。これまで断熱材のなかった屋根裏部分にも相当厚い断熱材が張られるのを見て、本当に安心した。これだけ張れば真冬でも結露はほぼ生じまい。それにしても、天井に一分の隙もなく断熱材を貼るプロの手並みがすごい。簡単そうに見えるが、素人には絶対できない美しさである。上水管更新工事で水が使えなくなる前日まで、必要な水回りの箇所を残していただいたので、支障なく生活できて感謝であった。ほぼ室内だけの作業とはいえ、資材の運び込みには天候も作業の重要な要素で、また一戸建てなら資材の搬入はスペースさえあれば容易であるが、集合住宅の場合はオートロック解除、エレベーターでの上階までの運び上げ等、なにかと煩雑な手間が多いことであろう。

 このように工事が順調に進んでいくのは、もちろん全てを差配する人がいるからである。皆とこまめに連絡を取り合って指揮しているのは、そもそもの初めから施工を担当してくれている営業の方である。この方がいなければ何一つ始まってもいなかった。工事は最初にいただいた工程表に則って行われるが、時々刻々変化する様々な状況に応じて、臨機応変に手直ししながら進めることが必須である。据え置き家具の細部の確認があり、玄関ホール等の電灯の色味の確認があり、洗面所とトイレの床材の確認があり・・・と、サクサクと進んでいく。他にいくつもの案件を抱え、突発的事案にも対処し、それぞれの工程を同時並行で進めているのだから、この人の頭の中はどうなっているのだろうと思う。時間的制約の中で、必要な打ち合わせをしながら、それぞれの工事に関わる生身の人間の動きを全て勘案してスケジュールを日々組んでいくのは、列車のダイヤを組むくらい大変なのではないだろうか。大工さんにしてもこの方にしても、一つのお仕事に長年取り組んで来られた方は、到底他の人には到達しえない地平にあるようである。

 さて、給水・給湯管の交換で水道が使えない間は、さすがに田舎に退避せざるを得ない。水が使えないと、途端に人間の生活はまさにお手上げである。加えて浴室、洗面所、トイレの更新があるため、今回はいつになくロング・グッドバイである。帰省して「ああ、やはり」と思ったのは雑草の生い茂った庭である。明日から雑草との闘いが始まる。いつもあと少しのところで取り切れずに終わるが、今回は夏の繁茂期に向けて取り残しのないようにしたい。また、初夏を迎えるこの季節、とれたての野菜や果物を買いに農協の直売所に行くのが楽しみである。


2025年5月10日土曜日

「異議あり」

 保険調査の方との対面の後、保険についてつらつらと考えていた。考えてみれば、今まで入院時に生命保険の請求をしたことがあるが、建物に関する火災保険の請求は初めてである。手順に則って事実をありのままに報告し、復旧に必要な費用を請求する・・・あとはレッセ・フェール、為すに任せるほかはないと思っていた。

 ところが。どうも保険請求というものは、保険会社と被保険者の金額を巡る攻防を前提に成り立っているものらしいのである。保険屋は少しでも支払いを減額する材料をいつも探しているらしい。こういった世事に疎い私であるが、先日の保険鑑定人・調査員による聴き取りを受けて、嫌でも状況が分かってきた。もともと管理人さんから報告のあったマナー違反(無許可の写真撮影)については一言保険会社に言わねばなるまいと思ってはいたが、よくよく考えるとそんなのんきな事態ではなかった。聴き取りに同席してくれたリフォーム会社の担当者によると、今までの経験からしても「あの面談は異常、抗議すべき」という話だった。身分証の提示要求、重要な役割を果たした除湿器の現認、第三者による写真の日付の確認要求・・・どれをとっても、そして何度考えても、行き着く結論は「私は保険金詐欺の企図者と思われている」である。愕然とした。ショックであり、情けなかった。あろうことかニュースや推理小説でしか知らない保険金詐欺を行う輩と思われたのである。

 気持ちはず~んと沈み、丸一日そのことを考えていた。元来気が弱く、こういったことについて物言いをつけるのは私の最も苦手とするところである。しかし、事は私の人格に関わる。テレフォビア(電話恐怖症)の私は、意を決して震える手で受話器を持ち、保険会社に電話した。努めて抑制した口調でお話しする。私はクレーマーを忌み嫌っているのだが、正当な抗議はしておかなければならない。無事話し終え、担当の方は「不愉快な思いをされたのなら申し訳ありません。確認します」とのことだった。確かに、保険会社から保険調査員が派遣されたのには訳がある。事故と被害の間に時間があるからだが、それは建物の構造上そうなったのである。保険というものは思いがけない被害にあった人を助けるためにあるはずではないのか。もしその人の置かれた窮状を我が事として想像してみることができないのであれば、保険の社会的意義は著しく損なわれる。私のケースは保険会社の存在意義が問われる事例になるであろう。


わたしは二つのことをあなたに求めます、/わたしの死なないうちに、これをかなえてください。

うそ、偽りをわたしから遠ざけ、/貧しくもなく、また富みもせず、/ただなくてならぬ食物でわたしを養ってください。

飽き足りて、あなたを知らないといい、/「主とはだれか」と言うことのないため、/また貧しくて盗みをし、/わたしの神の名を汚すことのないためです。

(箴言30章7~9節 口語訳)


 私の願いも本当はただそれだけなのである。


2025年5月8日木曜日

「保険鑑定人、保険調査員」

  先日保険会社から電話があり、「1月以降の居室の被害が11月の水漏れ事故からのものとは、提出書類上からは判断できないので、現場調査をしたい」とのことだった。「5月の連休明けからもうリフォーム工事に入るのですが・・・」と告げると、相手は驚いて「調査員をすぐ手配できるかどうかやってみます」とのことで、結局工事初日にやって来ることになった。もちろん工事前の状態を調査するのが目的であるから、職人さんには申し訳ないが、午後からの作業を1時間余り待ってもらわねばならなかった。

 保険鑑定人と保険調査員の違いがよく分からなかったが、どうも前者は主に建物被害の鑑定、後者は保険申請者自身の調査という役割分担のようだった。まずはお二人と面談。これにはリフォーム工事施工担当者も同席していただいて、4人での顔合わせとなった。1時間程度で聴き取りをするには何か質問項目やレジュメのようなものが必要なはずだが、そういったものを出す気配がないので、私の方から自分が作っておいた、水漏れ事故後の半年間の経過を時系列にしたメモをお渡しした。それから、まず鑑定人が一つ一つの事項を辿る形で質問し、こちらはそれに答えていくというふうに進んでいった。専門的な問いには建物の構造をよく知る施工担当者が答えてくれた。問題の焦点である給湯管からの水が天井裏に水滴となって降り注いだメカニズムについては、特に鮮やかに解説してくださった。到底私一人では対処できない場面であり、本当にありがたかった。

 「なんか変だな」と思ったのは、屋根裏の水を家庭用除湿器で23ℓ輩出した話をした時であった。鑑定人が「その除湿器ありますか」と言う。私はすぐ持ってきて「2008年製、なんとナショナルの製品ですが、一週間連続で故障もせず頑張ってくれました。昔の日本の家電のすごさを改めて知りました」とお話しした。顔には出さないが、無論心はムッとしていた。鑑定人は、このような話さえ作り話の可能性があると考えているのである。私は少なくとも平然としていたつもりだが、隣の施工担当者は「最近の鑑定は裁判みたいだな」と、聞こえよがしにつぶやいていた。そして、続く質疑応答に業を煮やして、「実際に現場をご覧になった方がいいですよ」と、鑑定人を水回りの被害現場へと連れ出してくれた。浴室、洗面所、トイレ、玄関ホールと巡って、あれこれと説明している声が聞こえた。

 さて、私の方は調査員の聴き取りに応じることになったが、有り体に言ってあれは「事情聴取」もしくは「取り調べ」に近かったと思う。申請をした本人が住所に書いた自宅にいるのに、身分証明書の提示から始まったのである。そして仕事の有無、入居年数、これまでのリフォームの有無も訊かれた。私の場合給湯器交換のみだが、これはどういう質問なのだろう。メンテナンスをきちんとしてるかという趣旨なのか、それとも保険金を利用したリフォームマニアかどうかを知るためなのか謎である。それから先ほど話した内容の再確認と追加説明を求められた。これなどは「供述」内容の不審点の洗い出しなのだろうと思う。このように微に入り細を穿った聴き取り調査であった。

 あとは私のカメラとスマホの証拠写真(事故後の被害状況を収めた写真)を日付と共に何枚もご自分のスマホで撮っておられた。除湿器の写真さえ撮っていたのにはあきれを通り越して笑いが込み上げてきた。さらに仰天したのは、私が撮った証拠写真を「誰かに送っていないか」と尋ねられたことである。なぜそんなことを訊くかと言えば、もし私が誰かにその写真を送っていたら、その相手(第三者)に日付を確認できるからであろう。つまり本人が撮った写真はいくらでも日付を偽装工作できるとお考えなのである。自宅の被害写真を誰かに送る人などいるのだろうか。見ただけで憂鬱になる写真である。私など自宅被害のことは数か月友人にも話せなかったくらいだ。後で分かったことだが、調査員は管理人さん(第三者)からも写真を手に入れようとしていたことが判明した。第三者からの証拠によって当該者の証言の証拠固めをしなければならないことになっているに違いない。仕事とはいえ、ここまで疑われるとはさすがに腹に据えかねる。

 お二人がお帰りになってから、管理人さんからインターフォンで連絡があり、「保険屋の二人が、許可なく建物の写真を撮りまくっていた。エレベーター内の掲示物や掲示板の掲示物まで撮っていた。『どなたですか。いったい何ですか』と言ってやめてもらった。『保険屋です』と言っていたが、不動産屋かと思った」とひどくお怒りであった。もっともなことである。ちゃんとした会社の社員がこんなに態度が悪くてよいのだろうか。このことを施工担当者に伝えると、先ほど現場で話した鑑定人について、「あの人、何にも分かってなかった。『勉強になりました』と言って帰っていった」とのことだった。今回の体験から思うのはただ一つ、「二度とこんな不愉快な思いはしたくない」ということである。そのためにリフォームをするのである。これから長丁場になるが、今回の対応のような腹立たしさを経験した後では何ほどのことでもない。施工会社の方や職人さんは皆気持ちの良い方ばかりである。きっと言い訳の利かない実物と日々向かい合っているからだろう。


2025年5月1日木曜日

「まもなく工事開始」

  リフォーム準備の日々はまさに光陰矢の如し。決めることが多いのである。先日は請負会社の方とショールーム巡りをした。浴室関係はTOTO、洗面所関係はクリナップを訪れた。何しろリフォームなるものについてド素人の私のこと、ショールームでは浦島太郎状態。この数十年での設備の機能性の進化に、驚きと感嘆の連続であった。竜宮城ならぬショールームにいるうちにすっかり楽しくなってきたが、「いやいや分相応に!」と浮き立つ気持ちをセーブする。専門家の説明を聞きながら、自宅のサイズや自分の好みに合わせてカスタマイズしていく。あくまで「自宅がショールームのようである必要はない」と、自らを戒めつつ決めていくが、この楽しさは抑えがたい。

 話を聴いているうち、私のプランに一つだけまだ心配な点があることに気づく。それはトイレである。トイレは壊れていないので更新するつもりはなかったが、既に二十数年の年代品である。タンクが大きすぎるので、「もう少し節水仕様のものがいいな」と以前から気になってはいたが、盲点だったのは便器が置いてある床の強度である。長年のうちには床と便器の継ぎ目が破損して、重大事故になったケースが過去にあったという、恐ろしい話を聞いた。体重の重い男性の自宅での事例らしいが、この場合は下水事故なので、被害を与えた相手との揉めようは水道管破損の比ではないという。それはそうだろう。あらゆる水回りの事故の可能性を回避したい私は、トイレの更新も即決断。こういう時は迷ってはいけない。もう一度TOTOのショールームに連れて行ってもらい、必要十分の仕様を選んできた。リフォーム会社の方も「TOTOとクリナップを回って、またTOTOに戻るというのは初めてのケースです」と言っていたが、嫌な顔一つせずにつれて行ってくれた。一日がかりの製品選びだった。

 その後は何日かあけつつ、数日に分けて洗面所とトイレの床の選定、ドアの選定、壁紙の選定があった。壁紙の方はあまりに多種多様で、決めるのに半年かかった人もいると言う。担当の方は「10往復くらい見て選んでください」と、昔の電話帳2冊分くらいの厚さのカタログを置いて行かれた。それから毎日カタログをめくって決めようとするのだが、日によって付箋を付ける箇所が違う。素敵なデザインがいろいろとあるが、「機能性を重視して決定する」と心に決め、絞り込んでいく。機能性というのは、「抗カビ」「抗菌」「撥水」「表面強化」「消臭」「通気性」「ストレッチ」「吸放湿」「汚れ防止フィルム」「ウレタンコート」など様々あり、壁紙の進化も著しいようである。とにかく迷う。適材適所で用いればリフォームもし甲斐があるというものである。しばらくは壁紙のことが頭を去りそうにない。このように多忙ではあるが、楽しい忙しさである。一か月少し前には五里霧中の暗闇にいたことを思えばすべてが夢のように思える。


2025年4月24日木曜日

「2025年のイースター」

  このところ春は教会総会に合わせて帰省していたが、今年はカレンダーの関係でイースターに帰省することになった。その日、4月20日は光の春を迎えて、穏やかで良い気候に恵まれた日だった。兄に送ってもらい、早めに教会へ。静かな会堂でイースターの幸いをかみしめながら礼拝が始まるのを待つ。その日の聖書の箇所は「ヨハネによる福音書20章19~23節」で、説教題は『あなたがたに平和があるように』であった。ヨハネによる福音書20章はマグダラのマリアが早朝お墓で復活の主に出会う場面(1~18節)から始まる、私の特愛の箇所である。以前「信じる者とされるまで」に書いたが、ここまでヨハネ福音書をずっと読んで登場人物の足取りを追ってきた者にとって、人が神を信じるとはどういうことかが、一瞬の出来事としてこれほど見事に示される場面はないと思う。「私は主を見ました」と、復活のキリスト・イエスについて最初に告白したのはこの女性であった。

 説教の箇所はそのあとの、主イエスが弟子たちのところに現れた場面である。(ヨハネによる福音書20章19~23節)

その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちは、ユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸にはみな鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。そう言って、手と脇腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父が私をお遣わしになったように、私もあなたがたを遣わす。」そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。誰の罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。誰の罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」

 イエスが十字架刑で処刑された後、恐くてひとところに閉じこもっていた弟子たちに主イエスは現れる。そして真ん中に立って、「あなたがたに平和があるように」と言われるのである。これは全くの、天から降ってきたような恵みである。主イエスの言葉は、「あなたがたに平和がある」とも解される言い方であり、「もう既にあなたがたには平安がある」と仰っていると言ってもよい。主の復活は全くの与えられた慈しみなのである。ここには喜びしかない。弟子たちは全ての罪赦されて、どれほど平安を感じたことだろう。

 さて、礼拝の後は、今回は祝会といった改まったものではなく、ミニバザー食事会。婦人会のお働きにより準備されたお食事をいただいてテーブルごとに懇談し、普段は話す機会がない方々といろいろなお話をした。とても貴重な楽しい時間となった。ミニバザーによる収益は会計の大事な一部となる。一昨年教会会計が大幅な赤字になったことから、この2年間皆で献金と倹約に励んできた。昨年は赤字幅が収縮した者のまだ赤字だった。「今年はどうかな」と思っていたら、その後牧師先生と言葉を交わした時、「次週の教会総会資料を見てください。わずかですが黒字に転じました」とおっしゃったので、思わず心の中で拍手。これも本当にうれしいことで、喜びが増したイースターであった。

 説教の中で牧師先生は23節の言葉が曲解されて用いられた不幸な歴史にも触れた後、その言葉が真に意味するところについて、「私たちがキリスト・イエスの十字架の死と復活を宣べ伝えずして、いったい誰が伝えるのですか」と言われた。その通りだと思う。


2025年4月18日金曜日

「リフォーム準備」

  ハードな日々が続いている。水濡れ事故の原状回復と今後の水漏れ事故予防を企図した全給水・給湯管工事のためである。先日は工事の契約書を交わした。このような大きめの契約は二十数年ぶり。どのような分野でもそうだと思うが、現代社会で一番難しいのは信頼できる人、信頼できる会社を見つけることだろう。ネットがこれだけ普及しても、これは年々一層難しくなっていると感じる。それさえ見つかれば後の苦労は報われる。今回、住宅関係の心配事を今後も相談できる相手が見つかったので、被った災い以上の収穫があった。神様のご加護としか言いようがない。

 いよいよ工期が決まり、ほぼ一か月にわたる大工事になることが分かった。始まるまでにそれほどの猶予はないこと、当初考えていた以上に大きな空間を空けねばならないことが判明し、結構焦っている。「要る」「要らない」を分ける時間がないものは、取り敢えず箱や透明な袋に入れて場所を移し、棚や引き出しを空にしていく。空いたスチール棚などは工事の及ばない場所に移動する。りくの手も借りたい状況である。実際にりくがいたら「遊べ、遊べ」と言って邪魔しに来るので、今以上に作業は遅れるのは目に見えているが・・・。それくらい時々気晴らししながらやらないともたない感じではある。

 何しろ水回りの工事なので、キッチンにある文明の利器は当面使えない。しかし、電子レンジと炊飯器、フライパンとやかん、あとは少しの食器類と水切り場さえあれば何とかなる。そう言えば、社会人になって初めて住んだ住宅の台所は狭くて、今のキッチンの三分の一もなかったなと思い出した。これでも避難生活をしている方々から見れば十分恵まれている。片づけをしていると、本当に必要な物はそんなに多くないと毎日気づく。これも神様の御恵みと思う。


2025年4月10日木曜日

「パソコン利用の矛盾」

  パソコンを巡る悩みはたくさんあるが、最近一番感じるのは「パソコン操作が不得手な人を置き去りにしようとしている」ということではないだろうか。試しに『日経パソコン』を読んでみたが、私などにはちんぷんかんぷん、関心のある人には生成AIの詳細は役立つ情報であり、まもなくサポートされなくなるウィンドウズ10から11への乗り換え情報も必要であるから、こういう雑誌は役立つであろう。しかし、マイクロソフトに言いたいのは、商品開発の方向性が恐らくはビジネスパーソン向けに限られていて、そもそも「パソコンは今のままでよい」という、デジタルに疎い多くの顧客のニーズを無視しているとしか思えないということである。

 もう一つは永遠の課題かもしれないが、個人情報に関するパソコンの使いやすさとセキュリティの問題である。個人情報を盗み取る詐欺的犯罪が増大するにつれて、セキュリティ設定も詳細で複雑になっている。パソコンは出荷時には危険と言っていいほど、個人情報が垂れ流しになる設定であるから、各人が設定を変えることになるが、この設定に関する説明が専門用語でなされているため意味が理解できない。本を読んだり、自分なりに調べたりしながら設定するが、それがうまくいくとは限らない。

 今までできていた音声図書館からのダウンロードができなくなり、私はここ何か月も頭を悩ませてきた。また、或るページを開こうとして「このページは表示できません」と表示されることもあった。どちらも解決法を捜してあれこれ調べ、「アカウントを変更したせいだろうか」「管理者の設定が間違っているのだろうか」と試してみた。が、余計状態が悪化して元に戻すことはあっても改善することはなく、全てが水泡に帰した。

 私が日ごろ使っている検索エンジンにはマイクロソフトエッジとグーグルがある。解決のカギは上記の事象が起きているのはエッジだけであり、有難いことにグーグルでは必要な用を足せていた。となると、両者の設定の違いが原因として考えられる。私としてはパソコン上に個人情報が残ることを極力避けたいので、検索エンジンの終了時には毎回履歴の削除を行っていたが、プライバシーとセキュリティの設定を見返してみたところ、思い当たることがあった。

 以前利用者のWebサイト閲覧履歴や設定情報などを保存するために使用されるCookieが問題になった時、私の頭には「Cookieは危険なもの」という刷り込みがなされた。利便性より安全性というわけである。しかし、或るページを開くには、現在アクセスしているWebサイトと同じドメインから送信されるファーストパーティCookieが必要な場合がある。危険なのは現在アクセスしているWebサイト以外のドメインから送信されるサードパーティCookieなのである。改めてエッジの設定を調べてみると、ブラウザの「追跡防止機能」を厳しく制限していたことが分かった。これを解除したところ、問題はあっけなく解決した。グーグルはこのあたりがまだ緩かったせいで、エッジが使えなかった間、助かっていたわけである。

 分かっている人には何でもないことなのだが、このことで私は何か月も悩んだ。この問題をウェブ上で解決しようといろいろな質問をしてみたが、AIによる回答も的外れで何度途方に暮れたことだろう。たぶん「いまさら聞けない」レベルの質問だったに違いない。もはやパソコン弱者にとっては、新たに便利な機能のあるパソコンの追求より、こういった当然分かっているはずの問題を簡単に解決してくれる機能が必要なのである。一般人は「安全で簡単」な機能を求めている。庶民をパソコンから遠ざけないためにもそちらの方面への尽力を是非お願いしたい。


2025年4月3日木曜日

「片づけに追われる日々」

  夜明けとともに起き、暗くなるまで作業する日が続いている。この歳になって時間に追われる生活になるとは思っていなかった。家のリフォームが必要になったのである。工程の詳細はまだ未定だが、今のうちから片づけ始めないと間に合わないことだけは私にも分かる。家の中の或る一定の空間を工事のために空けるのは大変なことだ。狭い家ならなおさらである。「引っ越しは最高の断捨離」と聞いたことがあるが、我が家はもう二十年以上何ら変わりなく、生活の歴史がそのまま溜まっている。小さなデッドスペースを見つけては全て保管場所として利用してきたので、その量は目に見える量の倍になる。

 毎日毎日片づけである。家具の移動には布や段ボールを底面にかませて引くしかない。そのためには、私の細腕で引けるほどには重量を減らさねばならない。大きな戸棚も動かすとなると、中身を全部出して捨てるものと取っておくものに分け、必要な物は工事が及ばない場所に移動する。整理してあるものを戸棚から出すと、信じられないくらい場所を取る。箱に収納しては別室に移していくと、どんどん部屋が狭くなり、エントロピー増大の法則に則りますます乱雑になっていく。もはや寝る場所を確保できるか・・・という悲惨な状態である。捨てるものも個人情報が絡んでいる場合はそれなりの処置をしなければならず、いくらシュレッダーにかけても終わらない。

「時間が夢のように過ぎていく」と言えば聞こえはいいが、生産的な作業ではないので気分は下向き。この合間に通院や年度初めの様々な申請準備、そしてもちろん体調を崩さぬよう食事にも気を配らねばならない。ラジオで桜の話題はずいぶん聞くが、とても花見どころではない。先日、日曜に教会へのバスの中から、初めて満開の桜を見て驚いた。礼拝は束の間の安息、力を得て、また怒涛の作業を続ける日々が続く。

2025年3月27日木曜日

「3月末、レントの時」

  鬱々と過ごしている。受難節だからこれはふさわしいこと。世の邪悪さに打ちひしがれても、本人にとっての大きな問題を抱えていても、主の御受難を思えば何ほどのものでもない。そして受難は必ず復活の喜びに変わると分かっているのだから、なおさらである。

 或るきっかけで、このところ主イエスご自身の洗礼について考えている。4つの福音書には、イエス様がバプテスマのヨハネから洗礼を受けたことが書かれている。それぞれ詳細の濃淡はあるが、4つの福音書全部に書かれているから、歴史的な事実と考えてよいだろう。ヨハネ自身は、自分が後から来て洗礼を授ける方の先駆けであり、その方に比べたらいかに価値なき者であるかとの自覚がある。なぜ罪なき神の御子が人間の一人にすぎないヨハネから洗礼を受けたのかについて、これまで私はあまり考えたことがなかった。

  一番あっさり書かれているマルコによる福音書では、「ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた(1章5節)」こと及び「そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた(1章9節)」ことが簡潔に書かれている。

 マタイによる福音書では、ヨハネのもとに続々と集まって来る群れの中に、「ファリサイ派やサドカイ派の人々が大勢、洗礼を受けに来たのを見て(3章7節)」、「差し迫った神の怒りを免れると思うな」との激しい言葉を投げつけていることと、自分のような者から洗礼を受けようとするイエスを、ヨハネが思いとどまらせようとした記述が特徴的である。

 そのとき、イエスが、ガリラヤからヨルダン川のヨハネのところへ来られた。彼から洗礼を受けるためである。 ところが、ヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った。「わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたが、わたしのところへ来られたのですか。」 しかし、イエスはお答えになった。「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。」そこで、ヨハネはイエスの言われるとおりにした。(3章13~15節)

 ルカによる福音書では、人々一般に対して、厳しい言葉で「差し迫った神の怒り」と「悔い改め」の仕方についてこまごまと述べているのが特徴的である。イエスご自身に関する記述は、「民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると(3章21節)」と、簡潔である。

 ヨハネによる福音書は、例によって趣がかなり異なるが、イエスが洗礼を受けた直後に何らかの「霊」が降って来ることは他の3つの福音書と同じである。しかし、誰がそれを見たかについては書き方が異なる、特にヨハネによる福音書では、ヨハネがそれを見たことによって「この方がしかるべき方だ」と確信したという書き方になっている。つまり洗礼者ヨハネもそれまでは「イエスが神から遣わされた御子である」という確信が持てなかったのである。4つの福音書のその部分の記述は以下のとおりである。

マタイ3章16  イエスは洗礼を受けると、すぐ水の中から上がられた。そのとき、天がイエスに向かって開いた。イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのを御覧になった。

マルコ1章10~11節  水の中から上がるとすぐ、天が裂けて“霊”が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。

ルカ 3章21~22節  民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、 聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。

ヨハネ1章32~34節  そしてヨハネは証しした。「わたしは、“霊”が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た。わたしはこの方を知らなかった。しかし、水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、『“霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である』とわたしに言われた。 わたしはそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである。」

 こうしてみると、主イエスが洗礼者ヨハネからの洗礼を受け入れた理由が分かってくる。水による洗礼はそれほど重要なものであるということなのだ。口で信仰を告白しても、それは洗礼によって示されなければならないということである。主イエスご自身が水による洗礼にこだわったからである。洗礼無しで済ませることをしなかったからである。信仰告白と洗礼はやはり一体のものであるということを、私自身は深く理解できたように思う。


2025年3月20日木曜日

「身近に見る職業倫理」

  昨年末の水難事件が片付きやれやれと思っていたら、これが次の水難を引き起こすきっかけとなっていたことが最近分かった。詳細は省くが、次の困難な事態が起きたのである。前の件が終わった直後だったのでさすがにがっくりきたが、前を向いて解決に向かわねばならない。何しろ今年の目標は「面倒くさがらずにやる」なのだ。頭の中は『365歩のマーチ』、これしかない。そう、こちらから幸せに向かって歩いて行かねば・・・。

 さて、最初に連絡を取ったのは管理会社のAさんである。この方は集合住宅の管理物件を数件抱えて大変忙しい方であるため、ほぼいつも管理人さんを通してやりとりしている。今回の事例は共有部分に端を発しているかもしれないことから、Aさんはすぐ建物・施設調査の手配をしてくれた。その時やってきた営業の方がCさんで、実にテキパキと調査をして帰って行かれた。問題の箇所は専有部分との結果だった。管理会社から私にはその正式な調査報告が届かず、ましてや解決方法を示されることもなかった。Aさんにしてみれば自分の為すべき仕事を果たし、「あとは個人の責任で対応」と思ったのであろう。こちらから聞かなければ結果の詳細を伝えてもらえなかったことを除けば、管理会社の社員としてごく普通の対応であろう。

 というのは、前回の水難事故で関わった共有部分の保険会社の代理店(仮にBさん)の対応はひどいものだったからである。電話の対応からのみの印象だが、語弊を承知で述べるなら、昭和のオヤジの最悪な部分を全面に漂わせ、顧客に対してもパワハラ体質が抜けないのみならず、やる気が全く感じられない人だった。「職業人以前に、社会人としてどうなのか」と思わざるを得なかった。Bさんの態度には私もAさんも閉口し、互いに苦労を共有したものである。結局、契約を果たしてもらったが、次回の共有部保険会社の選択時にはこの不愉快な体験について理事会に一筆上申書をしたためる所存である。

 このように管理会社はそれなりにきちんとした対応はしてくれたのだが、専有部分の問題と分かったとたんに、我関せずという態度で手を引いたことは納得できない。現在の問題個所が専有部分だからといって、それは必ずしも施工時に問題がなかったことを意味しない。なぜなら現在の問題個所は購入者が事前に知りえぬ部分だからである。問題が起きている箇所が法的には個人対応とされる場合でも、施工会社のアカウンタビリティが問われる案件もあるだろう。

 さて、そのようなことを踏まえたうえで、目指すべきは当面の問題解決である。こちらは無理無体なことを要求しているわけではない。問題解決の糸口が見えず途方に暮れていたのである。ここに、管理会社からの頼みで、こういった問題の解消に詳しいCさんが派遣されてきた。CさんはAさんから「電話で解決の方策を説明してやってほしい」と頼まれたのであるが、「これを電話で説明するのはとても無理なので」と言ってわざわざ来てくれたのである。

 Cさんは本当は説明するだけのつもりで来たのだが、あちこち現場を見て私の窮状を察してくれた。そして「早急な対応が必要」と判断したようで、あれこれ解決法を考えてくれたのである。私もいろいろ質問することができ、今後に向けての道筋が見えてきた。さっそく家にある家電を用いてその場でできる当面の対策を取り、近いうちにさらなる手当の手配をしてくれることになった。問題解決が2歩も3歩も進んだ感じである。これはひとえにCさんが、惻隠の情から、自分のしなければならない仕事の範囲を超えて助けてくれたことによる。Cさん自身多くの仕事を抱えた優秀な営業マンであるから、できればこれ以上余計な仕事は増やしたくなかったであろうが、やってくれることになったのである。このような人がいなければ世の中は保たれないことを深く実感している。しばらくは、落ち着いて家を離れられない状況だが、見通しがついたので気持ちは春の日差しのように明るい。

 いま頭に浮かぶ聖句はマタイによる福音書12章20節である。

「公正を勝利に導くまで/彼は傷ついた葦を折ることもなく

くすぶる灯心の火を消すこともない。」

 確かに助けは来た。天地を造られた主のもとから。心から感謝である。


2025年3月13日木曜日

「ハチの日」

   終わらぬ断捨離疲れを感じていた3月8日の朝、無類の犬好きの友人に誘われ私は、十年前にできた東大農学部の「上野先生とハチ公の像」の前にいた。3月8日は忠犬ハチ公の命日である。ラジオの「今日は何の日?」でアナウンスされるほど重要な日なのである。ハチが8日に亡くなったとは記憶しやすく、狙ってもできないことだ。8の付く日だけでもざっと10分の1の確率、8日限定なら30分の1の確率である。すごいぞ、ハチ。

 この日は真冬の寒さ。そのせいか、はたまた午前中だったせいか、あまり人も犬もいなかった。ハチの命日には犬たちも訪れるらしいのだが、私たちの滞在中に出会ったのは一家族、ご夫婦と四頭の秋田犬のみ。犬とお話しさせてもらったり触らせてもらったりして、テンションが上がり、もう可愛くて仕方ない。私が気づいた範囲ではそのうち二頭は身体に障害があったが、それを感じさせない身のこなしだった。とても事情は聞けなかったが、「四頭とも保護犬」とのこと。飼い主さんに頭が下がる。身体障碍を克服する動きができるようになった犬たちを見ていて、おそらく長い年月を要したであろう、飼い主さんとの愛情に満ちた生活を想った。幸せいっぱいでなければ、こんなにも人懐こく応えてくれるわけがない。もう一頭の子はお歳を聞いたら13歳とのこと。大型犬としては長寿に違いなく、なでながら「頑張ってきたね、エライ、エライ」と話しかける。この子たちに会えただけでも来た甲斐があった。それから資料館で、恐らくここでしか手に入らないハチグッズを買う。ボランティアの人かなと思う方々による、手作り感満載のコーナーだった。

 次に向かったのは上野つながりで国立科学博物館である。とにかく寒い日だったので一息つけた。土曜日で子供たちも多く混んでいたが、やはりハチのはく製は見なければなるまい。確か日本館の二階にあった。同じところに、日本の南極観測隊に同行したカラフト犬ジロもいた。タロはおらず、タロがいるべきところにはなぜか甲斐犬がいた。今年3月22日に日本のラジオ放送は開始から100年ということで、ラジオで時折当時の音声が流されるが、タロとジロの時はアナウンサーが「生きていた、生きていた」と叫んでいた。これもまた日本人と犬の親密な歴史を物語る音声記録である。館内の他の展示も回って満足、「ハチの日」を堪能した一日だった。立派な方々、立派な犬たちに会えて、胸が熱くなった。


2025年3月6日木曜日

「紙関係の断捨離」

 羽根布団のリユースをきっかけに、片づけ熱に火が付いた。久しぶりに大掛かりに片づけを行う。夏は暑くてとても無理だし、この作業は気が乗った時にしかできない。もはや無用の「物」の処分ではあっても、過去の記憶と密接に結びついている間はなかなかしづらい。それでも不思議なもので、歳とともに「ああこれ、いらなかったな」というものが明瞭になって来る。それはもはや大きく心を揺さぶるようなものではなくなっているからで、今が処分時なのである。

 今回は、ノートや原稿用紙、テキストや書籍、海外旅行の資料や記録、それに手紙やはがきといった、「紙」関係のモノばかりである。お便り類はともかく、今までも本やノートは部分的にかなり処分してきたが、まだ残っているものは何らかの理由で捨てられなかったものである。が、今となっては「もういらない」とはっきり分かる。書籍類は普通にひもで縛り、ノート類は個人情報部分が分からぬようにして、やはりひもで束ねてゴミ置き場へ持っていく。と書けば一言で終わるが、厚さが4センチほどもある同窓会名簿などは住所氏名が特定できないほどに切り刻んで普通ゴミに混ぜたりもしたし、何しろ大量で大変だった。紙がどれだけ重いか改めて知らされ、スーツケースに入れて何度も家とゴミ捨て場の間を行き来した。

 一方、まだ残しておく書籍もある。これは、「読み物」としてではなく、 「思い出の品」としての分類で、特に十代の頃読んだ本ばかり。これらが不要になるのは何年後であろうか。

 これだけでも二日がかりだったが、続いてお便り類に手を付ける。何しろ気温急降下の寒い日は絶好の断捨離日和。実はお便りの処分は今まで手を付けてこなかった。メールが一般的でなかった時代、通信手段は手紙なり葉書なり全て郵便だった。相手が手ずから書いたものだと思うとどうしても捨てられなかった。それらが大きな段ボールに3箱ある。一箱に三百通は入るから多分千通くらいあるだろう。気が遠くなる。

 ここで家に電動シュレッダーがあったことを思い出し、ガサゴソ引っ張り出してくる。音声読書器にはミステリを数冊入れて準備完了。これで気が滅入らずに作業できるだろう。今まで処分するに忍びなかったものを前に気持ちを切り替える。考えようによってはこれらが残っては困るのだ。まだ気力と体力があるうちに処分しなければと決意を固める。問題はこれらが個人情報の塊だということである。実際は便りの内容にしてもそんな大げさなことは何もないのだが、やはりこのまま捨てることはできない。この時ほど電動シュレッダーを処分しないでおいてよかったと思ったことはない。普段は小さな手動のもので事足りていたから、シュレッダー自体、「もう要らないかな「と思っていたのだ。皮肉な話だが、処分者の私自身はもう中身を容易には読めない。が、やるしかないだろう。

 どう考えても何日もかかりそうである。ざっくり言って、送り主の半分は連れ合いのヘルベルトである。だからこれについては、一番後回し。また数はさほど多くないが、父や母、及び親族が送ってきた便りがある。これは当面取っておく。残りの半分のうちその5分の3は恐らく筆まめな友人からのもので、メールになる前の、15~20年前くらいのものであろうか。あとは本当に多くの様々な方からのもので、いかに自分が多くの方々との関係性の中で生きてきたかを感じずにはおれない。ただただ感謝である。

 大まかな攻勢を把握したところで既に疲れを感じたが、頑張って課題に向かう。作業の要諦は「中を開いてはいけない」ということである。しかし、読むつもりはなくてもあまりに懐かしい名前や生徒からの便りなどは、「もうしばらく取っておく」に分類してもいいかなと、やや日和る。お便りの処分はなかなか辛いが、「残っても困るでしょ」と自分に言い聞かせながら心を鬼にして行っている。「それらはもう全部今の自分の中にあるのだから」、と。


2025年2月27日木曜日

「特大羽根布団のリユース」

  今年の2月は1週間近くの長い寒波が二度来た。それでも東京の昼間の気温は10℃前後あったから、出かけられないほど寒くはなかった。ただ、風が強くて危険と思われる日が何日かあり、そんな時は家仕事日和である。

 手を入れるべき箇所はいろいろあるが、今回目についたのはお客様用の羽根布団である。「これ使ったの、いつだっけ」と思い返して浮かんだのははるか昔のこと、私が引っ越してまもない頃、友人がお子さんを連れて泊まりに来たことがあった。狭くてとても客が泊まれるような間取りではないのに平気だったのは「ああ、若かったんだな」とつくづく思う。宿泊客を迎えることは金輪際ないと断言できる今は、この200cm×160cmという特大サイズの羽毛布団は不要である。空気が入らぬよう折りたたんでビニールの布団袋に押し込んであるためさほど場所は取らないが、さてこれをどうするか。

 こういう時、ばっさり捨てられないのが私の年代の「モッタイナイ」根性だろう。私の寝室は北向きの部屋でそこに寝具は揃っている。エアコンもあってすこぶる快適に眠れる部屋である。しかし、冬になると私は渡り鳥のように南の部屋にやって来て、そこで寝ることにしている。暖かいし、明るくなるのも早いからである。この部屋はそもそも多目的室で寝室ではないが、簡易ベッドを自作(!)し、部屋の真ん中にカーテンレールを通して一応安眠できるようにしている。白いカーテンを閉めるとまるで病棟かと錯覚するような、一人用の狭い空間となり、これはこれで安心できるから不思議で、冬の渡りの宿泊地としては十分である。

 この部屋用の掛け布団を作ろうと決心し、考えた末、特大サイズの羽根布団を120cm×160cmサイズと80cm×160cmサイズに分割することにした。首から下の身の丈を覆う長さは160cmで十分だからである。そしてこの大きい方を冬用にし、小さい方はほとんど掛け布団が不要な夏用にすればよい。布団にはミシン目が入って、いくつもの大きな正方形に分かれているので、これを3:2に分ければよいのであるが、片方はミシン目を生かすとして、もう片方は手縫いで羽根の飛散を防ぐ壁を作らなければならない。これは母が亡くなった時、何日もかけて母の使っていた羽根布団を多数のクッションに作り替えた折に学んだことである。あの時はほとんど羽根に埋もれそうになり、大変悲惨なことになった。

 さて、丸一日かけて2つの羽根布団ができた。2つに分割する前に相当念を入れて飛散防止のブロックを作ったつもりだったが、それでもかなりの羽根が飛び出てきたので引っ張り出して捨てた。特大羽根布団用のカバーも2つに分割し、大きい方はファスナーをそのまま利用し、小さい方はスナップで留めて全ての作業が完結した。現在出来上がった大きい方を掛け布団として用いているが、狭いベッドにぴったりサイズでとてもよい。親鳥の羽根にくるまれているような温かさである。何かが形になるのは本当にうれしい。不用品を生かせたとなればなおさらである。


2025年2月20日木曜日

「野鳥が気になる」

  現在、周辺で、あるいは世間一般の傾向か、「鳥」が静かなブームになっているのではないかと思うのは私だけだろうか。長年犬を飼ってきたせいで、これまで哺乳動物しか念頭になかったが、最近は鳥にも非常に心惹かれる。帰省時、冬場に渡来するオオハクチョウを見に行ったり、鳥類学者川上和人による、小笠原諸島の鳥の生態調査の話をラジオで聴いたり、日本野鳥の会関係者の方からグッズをいただいたりといったことが重なって、なんだかとても気になる存在になってきたのである。ラジオのリスナーからの、「ラジオ体操の時、うちのピーちゃんは指導者の号令に合わせてピーピー鳴いて、体操する励みになっている」といった投稿を聴くにつけ、飼い主との関係は動物も鳥類も変わらないなと思う。

 先日、国立科学博物館の特別展「鳥」を見に行ってきた。見るとは言っても私の視力では難しいと思いカメラを持参した。そのズーム機能を使って覗くと結構見えた。人は多く熱気があり、会場はとても賑やかだった。やはり一定以上の鳥ブームなのは間違いない。一括りに鳥といっても、種類によってその身体特徴や生態がこれほど違うのは、「ああ、なんと不思議なことだろう」と造化の妙に打たれてしまう。「なにゆえここまで…」と呆れるほどド派手な鳥はもちろん、どんな地味な鳥でも何かしらアクセント(切りそろえ忘れた頭髪のように一か所だけ羽毛が飛び出ているとか、体のどこかにごくわずかな赤い毛がある、とかね)を持っており、その多種多様な個性に、結局は神様の御業の素晴らしさに思いが及ぶ。とりわけ親近感を抱いたのは最後の方の展示にあったアホウドリ。「あ、このシルエットは…」と思ったらやはりそうであった。伊豆七島の鳥島で繁殖する特別天然記念物であるが、「コールリッジの『老水夫行(The rime of the Ancient Mariner)』にも出てきたっけなあ」と何だか慕わしい。

 帰り際に、置いてあったパンフレットやフリーのしおり(白黒でシックなシジュウカラ、青い背とオレンジのお腹が鮮やかなカワセミ、愛らしい顔で人気の白い妖精シマエナガの3種類あった)をいただいてきたが、その中に「ポケットサイズの『おさんぽ鳥図鑑』をプレゼント」というハガキもあった。出してみると、A4の四分の一即ちA6サイズの小冊子が送られてきた。これは表紙と背表紙を入れて24ページにわたる冊子で、身近な鳥についての緻密な絵と簡単な解説が書いてある、まさしくお散歩のお共にぴったりの小冊子である。ちなみに、これが送られてきた封筒には統一性のない切手が貼られていたが、同封の書類を読んで、この郵送の切手が寄付によるものだと分かった。こういう手作り感はとても好きである。もちろん私も寄付の切手を送った。送られてきた封筒には日本野鳥の会の活動紹介や探鳥会の案内もあり、体調のことがなければ入会したいくらいである。

 さて『おさんぽ鳥図鑑』によると、鳥を見分けるのに大事なのはまずサイズらしく、初めて知ったのだが、その基準となる鳥を「ものさし鳥」というとのこと。「ものさし鳥」には小さい順から、スズメ、ムクドリ、ハト(キジバト)、カラス(ハシブトガラス)がいて、なるほどなあと思う。スズメサイズを基準にするのはメジロ、ジョウビタキ、シジュウカラ、コゲラ、ツバメ、カワセミ、ハクセキレイ、モズ。ムクドリサイズを基準にするのはツグミ、アカハラ、カイツブリ、ヒヨドリ。ハトサイズを基準とするのはカワラバト、カケス、コガモ、キンクロハジロ。カラスサイズの鳥はハシボソガラス、トビ、カルガモ、アオサギである。これによって私の中ではツグミ、ヒヨドリ、カケス、カルガモのサイズ感は修正された(もう少し小さいと思っていた)。同じ姿形でも大きさが違うと印象が違うのは鳥も動物も同じである。日本で一番大きい鳥はオオハクチョウ、一番小さい鳥はキクイタダキ(体はウグイス色で体重5g、頭のてっぺんが鮮やかな黄色があるのでこの名が付いたか)だと分かった。この図鑑に出てくる細密画は、写真以上に特徴をとらえて描いてあるので、見ていてとても分かりやすく、何より楽しい。知れば知るほど同じ鳥類とは思えぬ姿形・生態であるが、皆それぞれに驚くべき合理性を身体化して、生活し子育てしている。いつも思うことだが、人間以外の生物のすごいところは、常に生きることしか考えていないことだろう。どんな状況でも生きようとする姿にいつも圧倒され、畏敬の念を禁じ得ない。


2025年2月13日木曜日

「共同宣教、共同牧会」

  今月帰省した目的の一つは教会懇談会に参加することだった。その日、礼拝後に教会員の作った美味しい昼食をいただいた後、会は始まった。懇談会の趣旨は、会津地区で既に始まっている実例の報告を聞き、自分たちの教会の在り方に照らして、これからの教会について話し合うことであった。2022年の資料では、日本の約17%の教会(もしくは伝道所)において専従の牧師がいない。これらの教会・伝道所では、比較的近くの教会の牧師が宣教・牧会を代務・兼務している。この割合は約30年前は11%であった。この数字は平均値で会って、予想されることだが、無牧の教会や伝道所の割合は地方の教区や過疎地域で高くなっている。

 報告された会津地区での取り組みは、今まで二人の牧師がそれぞれ自分の教会以外に1つずつ他の教会・伝道所を兼務していたのを、二人で4つの教会・伝道所を共同で担当する方式に変更したということであった。礼拝も二人の牧師がローテイションで4つの教会・伝道所を担当し、それぞれの教会・伝道所の役員会にも二人そろって出席する。そのため通常、礼拝後に行われる役員会は別の日に設定せざるを得ない。また、そこで話し合われた内容は4つの教会・伝道所で共有しているとのことだった。

 こうして書いていると、牧師の負担は相当なものになると思われ、二人の牧師がそれぞれ2つの教会・伝道所を担当していた時より明らかに大変そうな気がする。信徒同士は、最初は心的抵抗があるかもしれないが、お互いの内情がオープンになることで親交が深まるかもしれない。してみると、これを始めた牧師は人口減少の中で教会の今後を見通した時、これがどうしても必要だと感じ、自らの負担を顧みずこの大転換に専心しているのではないかと言う気がする。

 懇談会という性質上結論めいたまとめはなかったが、いろいろな意見が出てざっくばらんに話せたのはとても良かったと思う。私の感触では、①1教会に1人の牧師という恵まれた状況はもう望めないこと、②近隣の教会・伝道所と交流を深め、理解し合うことがこれまであまりに少なかったこと、③今ある教会・伝道所を拠点として、これを減らさずに宣教・牧会をしていく視点で考えることが急務であること等は、全体として確認されたように思う。

 私自身は時おり近隣の教会に出席することはやぶさかではない。避けてほしいのは、日曜の朝に教会に行ったら閉まっていて「本日は〇〇教会にて礼拝を行っています」というような事態である。牧師がそこにいなくても、何人かの信徒と共に集い、オンラインで4つの教会を結んで牧師の説教を聴き、讃美歌を歌い。聖餐式がもてたら、それ以上のことはない。いまいる母教会においても、次に牧師が来るかどうかは誰にも分からない。今が共同宣教・共同牧会の最後のチャンスかも知れないのである。人口ピラミッドから言って、2人の牧師が4つの教会を牧会するという在り方は、おそらく瞬く間に牧師一人で4つの教会を担当しなければならない事態へと変容するだろう。その時、前段階を踏んでいなければ、急に共同礼拝と言っても無理だと予測されるからである。

 こういった現象はキリスト教界に限らない。住職の稲井「無住寺院」や神職の稲井「兼務神社」の問題は日本中で顕在化している。これらは全て人口ピラミッドから説明できる減少である。とりわけ登録信徒の多かった宗教は影響も大きいだろう。変な話だが、日本のキリスト教徒はこれまで一度たりとも人口の1%を超えたことのない信徒数しかいなかったため、影響が顕著になるのはまさにこれからだろう。30年前に既にヨーロッパでは信徒のいない教会をたくさん見た。信徒数の減少で立派な教会堂を維持できず、公共の施設や芸術作品の展示等の目的で使われていた。ヨーロッパの教会の信徒減少は人口減少と言うより社会の「世俗化」によるものだったと思う。

 またまた変な話だが、日本では現世利益を求めて教会に来る人はいない。むしろ今の時代、生きる心の糧を求めて教会に来る人が多いように感じる。そしてまた、日本のプロテスタント教会にも様々な教派はあるが、何しろ八十年前の戦時下に無理やりひとまとめにされてしまっていたから、現在日本基督教団という一応の代表的組織があり、様々ありながらも話し合いが持てている。「もはや教派にこだわっている場合ではない」という、欧米では決してあり得ない共同宣教もでき得る足がかりとなるのではないだろうか。「宣べ伝えられているのがキリストであるならば、共同しよう」と決意できるアドバンテージが日本にはあると、私は希望を持っている。


2025年2月7日金曜日

「冬場の帰省」

  少し前にラジオでリスナーからこんな投稿があった。投稿者は北海道在住の母親。「昨年東京の大学に進学した娘が正月にも帰って来なかった。メールや電話は頻繁にしていて心配はない。しかし…先日した会話。娘:『朝の気温が4℃で寒くて起きられない』 母:『こっちはマイナス15℃だよ。4℃なんて春の気温だべさ』 そうして投稿は「娘よ、北海道を忘れないでほしい」と綴られていた。思わず、「おお、分かる。娘さんの気持ちも母親の気持ちも」と膝を打った。私も今年の1月は帰省していない。12月の帰省時期はクリスマスだったし、1月後半には通院予定があってまとまった期間を取れなかったからである。

  冬場の帰省は天候と気温の問題が常につきまとう。2月の帰省は12月からの間隔を考慮するとあまり後ろにずらせず、今季一番の寒波が来るというアナウンスの中、「えい、ままよ」と帰ってきた。自宅を8時過ぎに出るという冬場特有の時程で上野駅に到着。新幹線の時刻には余裕で間に合ったが、早速ホームで遅延のアナウンスを聞く。東京駅の出発が安全点検のため遅れていると言う。初めてのことである。長引かなければいいがと思いつつ待っていると、11分の遅れで到着。自由席も7割程度の混み具合でゆっくり座れてよかった。東京は雲一つない快晴で、これは宇都宮を過ぎても続いたが、白河を過ぎる辺りで外の景色は一変、いきなり真っ白になった。しかし、新幹線はごくわずかだが遅れを回復しつつ福島に着いた。有り難し。ローカル線の駅では兄が迎えに来てくれていた。辺りは雪だが、道路はアスファルトが見えているのでホッとする。これは寒冷地では願ってもない僥倖と言ってよい。

 寒さは生物にとってリスクであるが、それは歳と共に強まっていくように思う。母も父もりくも冬に亡くなった。兄が入院したのも冬、バスを待つのが寒かった記憶がある。特に普段暖かいところで生活している身には応え、帰省にはつい二の足を踏んでしまう。だが、冒頭のラジオの話ではないが、一片の真理として、時々現地に足を運ぶのは大事なのである。やはり人と直に会い、土地の環境に身を置くというのは特別なことだ。私の場合、月一の帰省の大きな理由の一つに母教会の訪問がある。普段「会報」などを通して、またお互い祈り合うことを通して親しんでいる教会の方々に会うのは格別で、内側から力づけられるのをしみじみ感じる。「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。(詩編133:1)」の御言葉の通りである。今回も無事帰って来ることができ、神様に心から感謝である。


2025年1月31日金曜日

「宅電とスマホ」

  私は電話が嫌いである。ほとんど「フォビア(恐怖症)の領域」と言ってもいいほどである。これは子供のころからのことでどうしようもない。したがって私の宅電(自宅の電話という意味。他にこの語を使っている人がいるのかどうか知らないが、「いえ電」を「家電」と書くと「家庭用電化製品」と誤解されるので、仮にこう書いておく)は35年前の骨董品と言える代物で、ナンバーディスプレィとか留守電機能とか、もちろんFax等は一切ない。家にいれば恐る恐る出て、「もしもし」くらいは言うことがあっても絶対に名乗らない。相手は変だと思うようだが自衛手段である。営業の電話はとんと無くなったが、あれば反感を買わぬよう丁寧な言葉で応答し、問答無用で切る。世論調査なども失礼してすぐ切る。安心して出られるのはかかってくることが分かっている電話だけである。この宅電のいいところは、外出中はどんな電話があっても知らずにいられることである。電話に何の痕跡も残らないので、あってもなかったのと同じなのだ。

 20年位前からは「携帯電話を持たねばならない」という社会的要請が次第に強くなり、仕事上では欠くべからざるものとなった。家の中に嫌いなものがもう一つ増えたのである。そして、全く迷惑な話であるが、近年は3Gから4Gへの移行としてスマホが必須になってきた。私はスマホを持ち歩くことはほぼない。その意味で私のスマホは携帯電話ではなく固定電話である。持って歩くのは人との待ち合わせと帰省の時だけである。つまり自分が困った時、自ら通話するための非常用である。私にとっては持ち歩く便利さより、紛失した時の恐怖の方がはるかに勝っている。自分がそういうことをしがちな人間であるという自覚があるからだ。

 スマホは自宅に固定してあるとはいえ、宅電と違い、不在の間の着信履歴が全て分かるので、帰宅後に一仕事となることがある。私がスマホを持ち歩かないことを知っている友人には、不義理しないように「今帰宅しました。あとはずっと家にいます」とメールしておく。電話が来ることもあれば、「明日電話していい?」という展開になることもある。不在中に届くメールの中には、応答を要する割と大事なものも結構あるので、それには丁寧に変身する。

 スマホが必須になってきたと感じるのは、2段階認証を求めてくる場合の電話番号として、宅電の番号を受け付けないということがある。これには本当に参ってしまう。もう一つは、私は基本的に電話番号欄は宅電の番号を書くことにしているが、病院などで念のため携帯番号を求められたり、工事関係の業者さん等に「できれば携帯番号を」と言われる時がある。確かに帰省時などの急ぎの連絡手段としては必要だろうし、不在時でも相手はメッセージを残せるから時間が無駄にならない。これもやむを得ないであろう。

 そしてスマホが必須となってきた事例のもう一つは、スマホにしかないアプリで何かをしなければならない時である。何といってもスマホはパソコンの進化系である。電話としての機能はその働きのごく一部にすぎない。つい最近、集合住宅の管理組合でweb会議やらweb議事録やらへの移行を考えているらしく、管理組合名で或るアプリをインストールしてほしい旨の文書が出た。私はアプリのインストールをほとんどしたことがなく、そのアプリを入れるのに必須の、その前段階のアプリさえ入れていなかった。何か大きな間違いを試送だったので、これは友人にお願いしてやってもらった。結果、アプリはダウンロードして使えるようになったが、使用者が使い方を知らないので宝の持ち腐れとなっている。そのアプリを使うと、定期総会の議決権行使書の記入をwebでできるのだが、なんと私はメールボックスに紙で届いた用紙に書いて提出した。後で自分の投票結果をwebで確かめられはしたが、「間違いなく入力してある」と思っただけである。会議や総会にスマホで参加したい人には便利だろうが、どうということはない。ただ、友人に丸投げしたとはいえ、管理組合からの要請に応えて、私のスマホにアプリは入ったのだから「義理は果たした」という思いである。

 最近近くのスーパーが別のスーパーに変わり、今まで使えていたスイカが使えなくなってしまった。思うに厳しさの増す経営戦略の中で、それぞれの企業で自社の電子マネーを用いるようになったためだろう。これ以上カードを増やしたくないし、スマホを使った何とかペイなるバーコード決済など、私には到底できようもない。かといって少額の支払いにクレジットでもあるまい。とすれば残るは現金決済! 何たることかここでも時代に逆行する私。その店でしか買えないものもあるので買い物には行くが、純粋に「自分が使用する決済方法がない」という理由で別の店に行く頻度は確実に増えた。

 私はまだやっとスマホを連絡方法として使用することに少し慣れただけである。アプリを使っての様々な作業にはとても付いて行けそうにない。一方、詐欺関係の悪事の件数は宅電の比ではないだろう。通信料が無料に近いのだから、世界中の悪者がやりたい放題である。スマホを握ったときは世界中の悪者との戦いの最前線にいる覚悟でいなければならないと思う。或る人にとって絶大な利便性を発揮するスマホは、使い方を知らない慣れない者にとっては危険物となる。かつてうちにも時々あった宅電のワン切りは今ではなくなり、宅電の危険性は急速に減少した。時代遅れのものにもいいところはある。


2025年1月24日金曜日

「若者が巣立つ社会」

  先日美容院に行くと、時々あることであるが、高校生かと思うほど非常に若い、恐らくインターンと思われる方がいた。まだ雑用や簡単な作業しか許されていないようであったが、私は染髪のためにお世話になった。ここから一人前の美容師になるまでには長い道のりがあるであろう。染髪時間をおく間に彼女が淹れてくれたコーヒーを飲みながら、何故か何とも言えない切なさで胸が詰まり、その行く末の幸を祈らずにはいられなかった。

 『先生、どうか皆の前でほめないで下さい: いい子症候群の若者たち』(金間大介、2022/3/18 東洋経済新報社)を読んだ。現在の大学生の実態を知ることができ、途中でやめられないくらい面白かったが、舟津昌平の『Z世代化する社会』同様、衝撃的すぎてしばし口がきけなかった。だがしばらくたってよく考えてみれば、「出る杭として打たれぬよう悪目立ちしない」、「進学・就職においてはひたすら安全志向」、「挑戦や自発性の発揮よりとにかく指示待ち」等々は、少なくとも三十年昔からあり、それが高度に強化されただけと言う気もする。この三十年は日本がじわじわとしかし確実に縮んでいった時と重なる。

 その間に中流層の没落により社会に下降不安が蔓延し、一段と貧困化が進んだアンダークラスの過酷な現実があからさまになったのは誰も否定できないと思う。楽観的な国民性の国ならば別だが、日本人のメンタリティとして、若者が上記のようになるのも無理はない気がする。本の内容で私が一番驚いたのは、記されていた正確な言葉ではないが、「日本の若者は社会的富の分配において、必要に応じてでも、努力に応じてでも、もちろん能力や貢献に応じてでもなく、平等に配分されることを望んでいる割合が最も高い」ということだった。長年の平等主義教育の成果がここに極まっている。このような回答をする若者は現在世界ではまれであろう。その人たちから見ればまったく笑うべき考えであろうと思う。ただ、私はここを読んで、聖書の「ぶどう園の労働者」のたとえ(マタイ福音書20章1~16)を思い出した。西洋ではなく日本の若者が最も天国に近い考え方をしているとは意外である。

 成長無きこの三十年の間に、貧困にあえぐ若者によって多くの本が書かれてきた。「もはや戦後ではない」と言われた1956年よりだいぶ後に生まれた私の子供時代も、そうは言いながら、社会全体が相当貧乏だったことを覚えている。その私の記憶をもってしても、今のアンダークラスの生活の悲惨さは読んでいて胸が苦しくなるほどである。それには共同体が壊れ、社会のセーフティネットが公的なものだけになり、或る種の情報を得て何とかそこまで辿り着いた人だけが救われるようなシステムだからである。

 取り敢えず、若者の貧困をこれ以上拡大しないために即できることは、大学までの全ての教育費を無償化すること、既に発生している奨学金の返済負担は国が引き継ぐことであろうと思う。一部の自治体でその中での居住や就職を条件として奨学金の肩代わりを行っているところ、またその予定を立てているところはあるが、財政状態の全く違う自治体にそれを任せるのではなく国として行うべきものだろう。可処分所得がほとんどないのでは、若者は自分の未来を描けるはずがない。大学進学率が半分を超えている社会なのだから、せめて十年早くそういう措置を取っていたなら今ほど酷い状態にはならなかったと強く思う。社会に出る時点で既に多額の借金を背負っているような事がないようにするのは、最低限社会の責任だと思う。社会に対して若者が敬意を持ち、縮こまらず恐れ過ぎず前向きに巣立っていける社会であってほしいと切に願う。


2025年1月17日金曜日

「信じる者とされるまで」

 最近知人の話を聴いたり書いたものを読んだりして、信仰には「信じたいのに信じられない」という葛藤が伴うことを改めて知った。「信じたい」から「信じる」という確信に至るまでの心の飛躍はどのようなメカニズムで起こるのか、ヒントになるかもしれない場面を「ヨハネによる福音書」の中に見つけた。

 それは、十字架の死を遂げたイエスが墓穴に葬られて、それですべてがお終いと誰もが思っていた後の次第を描いている20章以下の部分である。ヨハネによる福音書20章1~18節に書いてあることを私なりに箇条書きにすると以下のようになる。

1. 週の初めの早朝、お墓に行ったマグダラのマリアは墓穴の石が取りのけられているのを見て、ペトロともう一人(イエスが愛しておられた弟子)のところに知らせに行く。

2. ペトロともう一人が墓に走って行き、もう一人の方が先に着いたが、追いついて到着したペトロがまず墓穴に入り、体を包んでいた亜麻布と頭の覆いを発見した。「それから先に墓に着いていたもう一人の弟子も中に入って来て、見て、信じた。(ヨハネ20:8)」

3. 彼らは「イエスが復活される」という聖書の言葉をまだ理解しておらず、家に帰っていった。

4. 墓の外でマリアが泣きながら中をのぞくと、遺体の置いてあった場所の頭のところと足のところに、それぞれ一人ずつ天使が座っているのが見えた。

5. 「女よ、なぜ泣いているのか」と問われたマリアが「誰かが私の主を取り去り、どこに置いたのか分かりません」と言って、後ろを振り向くと、

6. イエスがおられるのが見えたが、それがイエスだとは分からなかった。

7. 園の番人だと思ったマリアは、「なぜ泣いているのか。誰を捜しているのか」と問われ、自分がご遺体を引き取るので、「どこに置いたのか、どうぞおっしゃってください」と言った。

8. イエスが「マリア」と言うと、彼女は振り向いて「ラボに(先生)」と言った。

9. イエスは、まだ父のもとに上っていないから自分に触れぬよう、また、「私の父でありあなた方の父である方、私の神でありあなた方の神である方のもとに私は上る」ことを兄弟たちに伝えるよう、マリアに言う。

10. マリアは弟子たちのところへ行って、「私は主を見ました」と告げ、また、主から言われたことを伝えた。


 初めにお断りすると、先に到着していながらペトロが先に墓穴に入るまで待っていたもう一人の弟子、しかも「イエスが愛しておられた」という枕詞の付く、名前が明示されない弟子とは誰かについては、「ヨハネによる福音書」21章20~24節の記述から、古代においてはこの福音書を書いたとされていたヨハネということになる。これについては今立ち入らない。ただ、十字架上でイエスが息を引き取る前の場面から、ペテロとこの弟子の関係は創成期のキリスト教とユダヤ教の関係を暗示する存在ではないかと解する読み方があることを述べておく。

「イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、『女よ、見なさい。あなたの子です』と言われた。それから弟子に言われた。『見なさい。あなたの母です。』 その時から、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。」(ヨハネによる福音書19:26~27)

 さて、マグダラのマリアとは十字架上のイエスの臨終を看取った三人のマリアのうちの一人である。「イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。(ヨハネ19:25)」 つまり、この時ほかの弟子たちはどこかへ逃げ去って散り散りになっている。そして、週の初めの朝、葬られたイエスの墓を見に行ったマグダラのマリアに最初に復活の主イエスは現れたのである。

 この時のマリアの動作を不思議だと思うのはわたしだけだろうか。墓穴に入り天使を見た時、体は墓の奥を向いていたはずで、なぜ泣いているのか」という天使の問いに答えて後ろをり向いた時、体は墓の入口の方を向いたはずである。墓の入口に見えた人を園の番人だと思ったマリアはご遺体の在り処を問う。そして「マリア」と言う声を聞いて、彼女は再び振り向いて「ラボに(先生)」と口にするのだが、こうなると体は墓の奥、すなわちイエスの体が置かれていた方を向いていたことになる。園の番人だと思っていた相手が誰だかわかって、目の前にいる相手に「ラボに(先生)」と呼びかけたわけではないのである。

 私はこれが記憶というものの本質ではないかと思う。マリアは主イエスのお体があった場所を見、今はそこに無いものを見て、共に歩んできた主イエスのお姿をありありと思い浮かべたに違いない。そしてそのご生涯の意味を少しずつ悟ったに違いないと思う。目の前にいても誰だかわからなかった人を、「振り向く(思い出す」)ことでその正体が分かったということだろうと思う。そしてこれは、地上の生を主イエスと共に過ごしていてもそれが誰なのか分からなかった弟子たちに子の後共通して起きた現象である。のみならず、この現象はこれまで生きた、あるいは今生きている、そしてこれから生きる全ての信仰者に起きる「信じる」という過程であると思う。歴史上知らない人物に人は出会うことができる。人は聖書に示されたイエスの生涯や御言葉を説く説教によって、主イエスに出会い信仰者となる。

 マグダラのマリアが弟子たちに「私は主を見ました」と告げた後、同じこと(即ち、主エスが生きていると信じること)が弟子たちにも起こる。ちなみに上記「2」において、「それから先に墓に着いていたもう一人の弟子も中に入って来て、見て、信じた(ヨハネ20:8)」という言葉において、この時点で「信じた」の意味するところは単に「イエスのご遺体がなくなっている」ことを認めたということであろう。

 マリアの告白の後、主イエスは三度にわたって弟子たちに現れる。①ユダヤ人を恐れて鍵をかけて家に閉じこもっていた週の初めの夕方、②それから八日後、「私たちは主を見た」という他の弟子の言葉を信じなかったトマスの在宅時に、③その後、ペテロをはじめ7人の弟子たちがティベリアス湖で一晩中漁をして何も捕れなかった明け方に、の3回である。詳述しないが、最初の2回の弟子たちの様子は、まるでイエスを見捨てて逃げ去ったり、イエスの存在を疑ったことがないかのような喜びに満ちている。ここには裏切った相手に出くわした恐れや不信感を持った気まずさなどがまるで無い。相手が主イエスであると分かった瞬間にそんなものは吹き飛んだとしか思えぬ姿である。弟子たちはただかつて共に歩んだ主イエスに会えてうれしいのである。「我が主」が今確かにここにいる、という喜び以外の感情が彼らには無い。これが信仰の本質であろうと思う。イエスの十字架の死と復活を経て、もう彼らは主イエスが全ての罪を赦す権能をお持ちであると知っているからである。

 イエスを我が主として信じたいと思っているほどの人は信じたい理由があるはずで、それは自分の人生の節目節目を振り返ることで感知できるのではないかと思う。「そういえばあの時、何故だか…だった(でなかった)」とか「もしあの時…だったら(でなかったら)」と、何か引っ掛かって来る記憶があればそれをヒントにゆっくり思い出してみてはどうだろう。「信じたい」と思うのはもう信じていることになるのではないかとも思う。自分の人生に何が起きたか、ごくありふれたものに思えた過去が一挙につながって来るということがあるかもしれない。結局記憶こそが未来を創るのである。


2025年1月10日金曜日

「一年の計は元旦にあり?」

  一年が始まってもう十日である。ラジオも通常の番組に戻り、ハレの日の特別なプログラムよりいつもの番組(マイあさ)を心待ちにしていたリスナーは多かったようだ。ラジオ第一で朝5時頃やってたLittle Voicesも私にはなかなか面白かったけど。ラジオではいろいろな人が今年の目標を述べていたが、なんと「今年は丁寧に生活したい」という人が出演者、アナウンサー、リスナーと、三人もいた。これはきっと近頃のあまりにも高速な生活様式に付いて行けていない感があるのだろうと思う。私自身とてもトロいのでここ何年もそんな心持ちで生活している。しかし、今年は「面倒くさがらずにやる」という目標を加えたいと思う。

 私はこれまで細かいこと、とりあえず支障のないこと、面倒なことを先送りしてきたし、それでいいと思っていた。例えばずっと前に購入した卓上ガスコンロ。恐らく十年以上ぶりに取り出してみると点火する時のつまみが回らなくなっていた。何度も試したが駄目。この始末が面倒なので放っておいた。例えば天井の電灯。リビングの天井に3つあるうちの1つがもう4、5年前から点灯しなくなっていた。読書は音声だし、朝、明るくなったら起きて、夜、暗くなったら眠るという原始的な生活の身では支障がないので放っておいた。例えばずっと前に来ていた管理組合運営のオンライン化に伴うアカウント登録。管理会社の都合で企画されたに違いなく、高齢者も多いこの集合住宅で到底機能するとは思えず、放っておいた……。

 気持ちの上で転機となったのは、自分でも意外に感じたことだったが、昨年後半怒涛のように連続して起きた災難であった。あれは本当に大変だったので、活が入ったというか覚醒したというか、今は「あれに比べたらたいしたことない」と思えてしまうのである。目の前の問題の解決法は明確なのだから。

 使えなくなったガスコンロは、どのごみに分類されるか調べてごみ回収に出したうえで新しいのを購入すればいい。正月の買い物は時間がかかるかなと思っていたが、なんと通販では翌日に新品が到着。

 天井の電灯を交換するには家にある60cmの踏み台では無理で、まず高さが十分の脚立を準備し(これも通販で3日で届いた)、落ちないように気を付けて蛍光灯を点検すればいい。やってみた結果、接触が悪かっただけで蛍光灯の交換は必要なかった。

 管理組合(というより恐らくは管理会社)から要請のあったアカウント登録は、IT音痴の自分ではできるはずがないと的確に判断し、こういうことが魔法のようにできてしまう友達にやってもらった。持つべきものは友である。

 そんなわけで、今のところ、何事もサクサクと進んでいる。やろうと思えばなんてことないんだなあとちょっと拍子抜け。昨日は確定申告のことで一つ分からないことがあり、まず税務署で質問。すると関係部署に問い合わせて確認した方がよい事項が分かり、即電話。事態が呑み込めて、あとはパソコンで問題なく入力し、送信できた。寄付のところは昨年の保存データを呼び出せなかったので少し時間がかかったが、1時間半で全て完了。私にしては上出来である。今年は「面倒くさいと思わずに」気になったことを貯め込まず、速やかに処理できたらいいなと思う。このところ朝は、届いた卓上コンロでお湯を沸かしながら、リビングでゆっくりお茶やコーヒーを淹れるのが楽しみになっている。小さな問題を処理したことに付随するおまけの楽しみである。


2025年1月4日土曜日

「2025年の年頭に」

 穏やかな年明けを願いながら、新年を迎えた。といっても、別段何をするわけでもない一日である。強いて言えば、大晦日は横になっても眠気が来なかったので、本当に何十年ぶりかで紅白歌合戦を聞いたのが普段と違うくらいで、元日は慣例踏襲。ピクニック気分でコーヒーとお菓子持参でのどかな区民の憩いの公園に行き、あとは好きなだけ読書していた。それだけでも、年頭から或る種の感慨(大方は諦念に近い気持ち)に襲われ、昨年のような大震災の悲惨な元日でなかったことだけで良しとする気になった。

 テレビ音声も入るラジオで聞いた紅白歌合戦は、普段から音楽の視聴に執着がないせいで、ほとんどの歌を知らなかったが、気づいたことは、どうも現在は複数人でダンスしながら歌うというスタイルが定着しており、出演者は皆さんグローバルに活躍されているとても才能のある若者なのであろうということ、あたかも年齢制限があるかのように年配の歌い手さんがほぼいないということだった。ただ、「日本語バージョン」として披露されていた歌でもまるで早口言葉のようで、ほぼすべての歌詞を聞き取れなかったのがショック…。老化現象かと真剣に案じる羽目になった。他には、「そういえばラジオで流れたことがある歌が何曲かあるな」と思ったが、それらはやはり話題の歌だったのだと分かった。あっちのけんとさんとか、クリーピーナッツとか、藤井風とか…。びっくりしたのは往年の大ロックスターが軒並み出演していたこと。B'zは単なる登場にとどまらず、さながらコンサートの様相で3曲熱唱。これには度肝を抜かれたが、「あれ、こういう人たちはテレビに出ないんじゃなかったの?」の思いはあった。日本はここまで弱ったのか。ああ、もう日本にはとんがった人、ツッパる人がいなくなった。「ああ、挙国一致で国を盛り立てていかなければならないほど、日本は弱くなったのだ」と私ははっきり悟った。寂しいことではあるが、受け入れねばなるまい。

 正月に読んで面白かったのは、『Z世代化する社会:お客様になっていく若者たち』(舟津昌平、2024/4/17東洋経済新報社)である。この本は今どきの若者論にとどまらず、若者に顕著に現れたように見える実態分析から、社会全体の変化を理論化し、説明している。自分が学生だった40年前には既に大学のレジャーランド化は言われていたが、今は「テーマパーク化」と評されている。その違いはと言えば、テーマパークはお金をかけて造り込んだ夢の世界、ただ楽しい場所ではなく、何しろ学生は大学のお客様なのだから、「不快なこと」を一切排した場所でなければならないらしい。

 初等教育、中等教育で「よい子」とされているのは、まず何よりも「静かに座っていられる」生徒だという指摘はかなり衝撃的である。そのため大学においても、最も不評な授業は学生を当てる(指名する)授業だと言う。これではお話にならないではないか。ちょっと私語を注意するといった、教師の側からはまっとうな要請でも、生徒にとって不快なことと受け止められると駄目らしいのである。ご本人の体験かどうか記憶が定かでないが、「PTAに言いつけますがいいですか」と言う学生に、「大学にPTAはありません」と答えたエピソードに唖然。これはすごすぎるなあ。自分に対して発せられるアドバイスやコメントを全て「説教」としか受け止められず、何か批判されたかのように感じるとしたら、教師は透明人間になるしかない。あるいは「聞く耳のある者は聞くがよい」と聖書的に呼びかけるか。いや、これも「聞く気がないなら聞かなくていい」と曲解され、見捨てられたと言ってメンタル・ケア案件になってしまうのだろう。処置なしで或る。

 同様の趣旨で、企業での話として、もう一「切若い社員を叱れなくなった」という話もあった。正確でないかもしれないが掻い摘んで言うと、「感情を爆発させて怒る」というのは以前から一般に受け入れられないものだったが、アンガー・マネジメントの思想が普及した現在では、「怒る」ということ自体、精神に問題のある症状ととらえられるらしい。そこまではまだいいとして、昔言われた「感情に任せて怒るのではなく、落ち着いて論理的に叱るのがよい」といったことも、現在は通用しない。或る大企業の管理職の言葉が引用してあったが、それによると「いやもうね、怒ると叱るは違うとか、もはやそういう問題じゃないんだよね。会社の研修でも『もう絶対怒らないでください。叱ると諭すとか関係なく、それに類すると思われるようなことは一切やめてください』って言われるよ」・・・・ということになっているようで、「諭す」も駄目となるともう一切何も言えない、相手と関わらないしかなくなるではないか。会社で社員教育ができないということはあり得ないと思うが、事実そうなっているのだとしたら、こういう会社は早晩つぶれるしかないだろう。心底日本の危機を感じる。

 さらに高校生の野球の指導に当たっているイチローの言葉も引いていたので引用させていただく。「指導者がね、監督・コーチどこ行ってもそうなんだけど、『厳しくできない』って。厳しくできないんですよ。時代がそうなっちゃってるから。導いてくれる人がいないと、楽な方に行くでしょ。自分に甘えが出て、結局苦労するのは自分。厳しくできる人間と自分に甘い人間、どんどん差が出てくるよ」……大人が子供に何も言えなくなった先にはどんな社会が現出するのだろう。いや、もうその時は来ているのだ。

 もう一つ読んだ本で気になったのは、『「おりる」思想 無駄にしんどい世の中だから』(飯田朔、2024/1/17集英社新書)である。これはほとんど映画および文芸評論であり、成長が止まった世界での生き方について考えた書のようである。ゼロサム的な世界で有限のパイを奪い合って生き延びるのではない生き方の模索と言ってよく、筆者自身、就活する気になれずに今に至っている。この書の過半が朝井リョウの本の分析に当てられているが、筆者は『何者』を読んで、「そもそも就活ができない自分のような人間はこの書に出てこない」と感じたと書いていた。朝井リョウは本当に卓抜した才能とセンスを持つすごい作家だと思うが、この人の本を一冊読んだあとは、「もう当分しばらくは(読まなくて)いいな」と、何とも言えぬ疲労を感じていた私は、その理由が分かった気がした。描かれているのは社会そのものなのだが、そこは自分以外のもので横溢している。学生時代、私は教員採用試験を受けただけで就活というものをしたことがなく、どうやってするのかも全く関心がなかった。もし生まれる時代がずれていて、何らかの理由で就活をしなければならない状態になったとしても、私には到底できないだろうと思う。自分もその地平にいるのでこんなことを言える立場ではないが、こういう人が相当数存在する日本はこれからどうなるのだろうと考えざるを得ない。年頭からめでたい話題ではないが、置かれている時代状況がそうなのだから止むを得まい。今年もまた一段と社会の狂騒化が加速しそうな予感がして、端的に恐い。