少し前にラジオでリスナーからこんな投稿があった。投稿者は北海道在住の母親。「昨年東京の大学に進学した娘が正月にも帰って来なかった。メールや電話は頻繁にしていて心配はない。しかし…先日した会話。娘:『朝の気温が4℃で寒くて起きられない』 母:『こっちはマイナス15℃だよ。4℃なんて春の気温だべさ』 そうして投稿は「娘よ、北海道を忘れないでほしい」と綴られていた。思わず、「おお、分かる。娘さんの気持ちも母親の気持ちも」と膝を打った。私も今年の1月は帰省していない。12月の帰省時期はクリスマスだったし、1月後半には通院予定があってまとまった期間を取れなかったからである。
冬場の帰省は天候と気温の問題が常につきまとう。2月の帰省は12月からの間隔を考慮するとあまり後ろにずらせず、今季一番の寒波が来るというアナウンスの中、「えい、ままよ」と帰ってきた。自宅を8時過ぎに出るという冬場特有の時程で上野駅に到着。新幹線の時刻には余裕で間に合ったが、早速ホームで遅延のアナウンスを聞く。東京駅の出発が安全点検のため遅れていると言う。初めてのことである。長引かなければいいがと思いつつ待っていると、11分の遅れで到着。自由席も7割程度の混み具合でゆっくり座れてよかった。東京は雲一つない快晴で、これは宇都宮を過ぎても続いたが、白河を過ぎる辺りで外の景色は一変、いきなり真っ白になった。しかし、新幹線はごくわずかだが遅れを回復しつつ福島に着いた。有り難し。ローカル線の駅では兄が迎えに来てくれていた。辺りは雪だが、道路はアスファルトが見えているのでホッとする。これは寒冷地では願ってもない僥倖と言ってよい。
寒さは生物にとってリスクであるが、それは歳と共に強まっていくように思う。母も父もりくも冬に亡くなった。兄が入院したのも冬、バスを待つのが寒かった記憶がある。特に普段暖かいところで生活している身には応え、帰省にはつい二の足を踏んでしまう。だが、冒頭のラジオの話ではないが、一片の真理として、時々現地に足を運ぶのは大事なのである。やはり人と直に会い、土地の環境に身を置くというのは特別なことだ。私の場合、月一の帰省の大きな理由の一つに母教会の訪問がある。普段「会報」などを通して、またお互い祈り合うことを通して親しんでいる教会の方々に会うのは格別で、内側から力づけられるのをしみじみ感じる。「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。(詩編133:1)」の御言葉の通りである。今回も無事帰って来ることができ、神様に心から感謝である。