2025年1月31日金曜日

「宅電とスマホ」

  私は電話が嫌いである。ほとんど「フォビア(恐怖症)の領域」と言ってもいいほどである。これは子供のころからのことでどうしようもない。したがって私の宅電(自宅の電話という意味。他にこの語を使っている人がいるのかどうか知らないが、「いえ電」を「家電」と書くと「家庭用電化製品」と誤解されるので、仮にこう書いておく)は35年前の骨董品と言える代物で、ナンバーディスプレィとか留守電機能とか、もちろんFax等は一切ない。家にいれば恐る恐る出て、「もしもし」くらいは言うことがあっても絶対に名乗らない。相手は変だと思うようだが自衛手段である。営業の電話はとんと無くなったが、あれば反感を買わぬよう丁寧な言葉で応答し、問答無用で切る。世論調査なども失礼してすぐ切る。安心して出られるのはかかってくることが分かっている電話だけである。この宅電のいいところは、外出中はどんな電話があっても知らずにいられることである。電話に何の痕跡も残らないので、あってもなかったのと同じなのだ。

 20年位前からは「携帯電話を持たねばならない」という社会的要請が次第に強くなり、仕事上では欠くべからざるものとなった。家の中に嫌いなものがもう一つ増えたのである。そして、全く迷惑な話であるが、近年は3Gから4Gへの移行としてスマホが必須になってきた。私はスマホを持ち歩くことはほぼない。その意味で私のスマホは携帯電話ではなく固定電話である。持って歩くのは人との待ち合わせと帰省の時だけである。つまり自分が困った時、自ら通話するための非常用である。私にとっては持ち歩く便利さより、紛失した時の恐怖の方がはるかに勝っている。自分がそういうことをしがちな人間であるという自覚があるからだ。

 スマホは自宅に固定してあるとはいえ、宅電と違い、不在の間の着信履歴が全て分かるので、帰宅後に一仕事となることがある。私がスマホを持ち歩かないことを知っている友人には、不義理しないように「今帰宅しました。あとはずっと家にいます」とメールしておく。電話が来ることもあれば、「明日電話していい?」という展開になることもある。不在中に届くメールの中には、応答を要する割と大事なものも結構あるので、それには丁寧に変身する。

 スマホが必須になってきたと感じるのは、2段階認証を求めてくる場合の電話番号として、宅電の番号を受け付けないということがある。これには本当に参ってしまう。もう一つは、私は基本的に電話番号欄は宅電の番号を書くことにしているが、病院などで念のため携帯番号を求められたり、工事関係の業者さん等に「できれば携帯番号を」と言われる時がある。確かに帰省時などの急ぎの連絡手段としては必要だろうし、不在時でも相手はメッセージを残せるから時間が無駄にならない。これもやむを得ないであろう。

 そしてスマホが必須となってきた事例のもう一つは、スマホにしかないアプリで何かをしなければならない時である。何といってもスマホはパソコンの進化系である。電話としての機能はその働きのごく一部にすぎない。つい最近、集合住宅の管理組合でweb会議やらweb議事録やらへの移行を考えているらしく、管理組合名で或るアプリをインストールしてほしい旨の文書が出た。私はアプリのインストールをほとんどしたことがなく、そのアプリを入れるのに必須の、その前段階のアプリさえ入れていなかった。何か大きな間違いを試送だったので、これは友人にお願いしてやってもらった。結果、アプリはダウンロードして使えるようになったが、使用者が使い方を知らないので宝の持ち腐れとなっている。そのアプリを使うと、定期総会の議決権行使書の記入をwebでできるのだが、なんと私はメールボックスに紙で届いた用紙に書いて提出した。後で自分の投票結果をwebで確かめられはしたが、「間違いなく入力してある」と思っただけである。会議や総会にスマホで参加したい人には便利だろうが、どうということはない。ただ、友人に丸投げしたとはいえ、管理組合からの要請に応えて、私のスマホにアプリは入ったのだから「義理は果たした」という思いである。

 最近近くのスーパーが別のスーパーに変わり、今まで使えていたスイカが使えなくなってしまった。思うに厳しさの増す経営戦略の中で、それぞれの企業で自社の電子マネーを用いるようになったためだろう。これ以上カードを増やしたくないし、スマホを使った何とかペイなるバーコード決済など、私には到底できようもない。かといって少額の支払いにクレジットでもあるまい。とすれば残るは現金決済! 何たることかここでも時代に逆行する私。その店でしか買えないものもあるので買い物には行くが、純粋に「自分が使用する決済方法がない」という理由で別の店に行く頻度は確実に増えた。

 私はまだやっとスマホを連絡方法として使用することに少し慣れただけである。アプリを使っての様々な作業にはとても付いて行けそうにない。一方、詐欺関係の悪事の件数は宅電の比ではないだろう。通信料が無料に近いのだから、世界中の悪者がやりたい放題である。スマホを握ったときは世界中の悪者との戦いの最前線にいる覚悟でいなければならないと思う。或る人にとって絶大な利便性を発揮するスマホは、使い方を知らない慣れない者にとっては危険物となる。かつてうちにも時々あった宅電のワン切りは今ではなくなり、宅電の危険性は急速に減少した。時代遅れのものにもいいところはある。