2014年12月24日水曜日

「新会堂竣工」   Our Chapel Has jJust Been Completed.

 福島教会の新会堂の工事は、予定通り12月20日に完了し、検査確認を経てヴォーリズ建築事務所および施工業者安藤組と施主福島教会が一堂に会し、22日に引き渡されました。新会堂は、慣れ親しんだ旧会堂の面影を残しながら、ヴォーリズ建築事務所が近年新たに手掛けたデザインという新しさも併せ持つ大変美しいフォルムです。安藤組は福島市から優良建設会社として表彰された会社にふさわしく、現場監督を中心に朝早くから職人さんが渾身の仕事をされ、設計図を形にしてくれました。何度か試みましたが、私のカメラでは礼拝堂の全体像を写真に収めることはできなかったのが残念です。

 初めて礼拝堂に入った時にはあまりの美しさに言葉も出ず、ただただ畏れと感謝に包まれました。これまでの道のりを思うと、自分たちの力では到底なしえなかった神の大いなる御業に打たれたのです。高い天窓からは明るい光が射し込み、なんとなくヨーロッパの教会のドームを思い起こさせますが、木造の温かさがあり芳しい木の香りが漂っています。それから、施設の仕様や使い方の説明を受けながら皆で部屋を回りました。細部に様々な工夫があり、職人さんの丁寧な仕事ぶりを知ることができました。使い方はだんだん慣れていくしかありません。

 22~23日は備品の搬入や伝道館からの引っ越し作業を行いました。21日のクリスマス礼拝が伝道館での最後の礼拝になり、新会堂での礼拝は24日のイヴ礼拝からです。この3年10か月礼拝ばかりでなく、祈祷会も教会学校も婦人会も教師会も地区書集会もすべてこの伝道館でおこってきました。これほど御用のために十分用いられた空間もないでしょう。震災後も伝道館が残されていたことに深く感謝致します。この数日、毎日教会へ行っていますが、なんだかまだ現実感に欠けておりふわふわした感じです。本当に夢のようです。









2014年12月19日金曜日

「紅春 56」


 最近りくの話題が多かったのですが、手術から2週間ほどたったので抜糸に行ってきました。天気の悪化が見込まれた日だったせいか、前にいたのは一匹のみ、すぐに「りくちゃん、お入りください。」のアナウンス。担当医は女医さんで、りくの鼻の上からショボショボ飛び出している黒い糸をどんどん取っていきます。診察台の上で時々困った顔をして動こうとするりくを、なんとか宥めたり褒めたりしながら数分で終わりました。

 その後、良性という病理の結果を医師からも説明されました。出来物ができやすい体質というのもあるそうで、良性であってもまたできる可能性はあるとのこと。

 抜糸終了後、立ち会っていた看護師さんから
「りくちゃん、おりこうさんでしたね。」
と言われました。犬によっては暴れて危ないので抜糸の時にも麻酔をする子がいるとのことでした。
「家の中で飼っているのですか。」
とも聞かれましたが、その通りです。外で生きられるような子じゃありません。

2014年12月16日火曜日

「心の清い人」


 「真面目に生きているのになぜこんな目に会わなければならないんだ。」
ドラマの中で主人公が呟いていた言葉は、おそらく人間を苦しめる問いの最古のものの一つでしょう。自分の苦しみが無意味であること、もしくは自分が他者と比べて著しく不当に苦しめられていることに人間は耐えられないのです。

 義人を襲う艱難の問題を正面から扱っているものというと、まず頭に浮かぶのはヨブ記です。この世的に恵まれた人生を歩んでいた義人ヨブが、悪魔と神がやり取りする中で、財産、家族、健康のすべてを奪われるという試練に合い、信仰を試されるという話です。その時、ヨブの3人の友人がヨブを慰めようとやってきて、その苦しみの大きいのを見て七日七晩黙してともに地に座すのですが、やがてヨブを問い詰めます。その時の論理は「因果応報」です。

 人が因果応報の観念から逃れるのはとても難しいように思います。また、もう一つ人間にとって難しいと思うのは、自分に対して罪を犯した人を赦すということでしょう。ルターは、「人を赦すのは悪魔に付け込まれないためだ。」と言ったと伝えられていますが、なるほどなと思います。この二つは対処の仕方を誤ると人の心を食い荒らす問題の双璧と言えるのではないでしょうか。なぜなら前者においては、因果応報と言われても身に覚えがない場合、日本的にいうと神も仏もないということになりますが、これは突き詰めるとヨブの妻の言葉、「「神を呪って、死ぬ方がましでしょう。」ということに行きつくからです。

 東日本大震災時に石巻で津波を体験された信徒のお話を思い出すのですが、聞いた時には度肝を抜かれ唖然とするほかありませんでした。その方は津波で何もかも無くなった時に、まず頭に浮かんだのはヨブ記の、「主は与え、主は奪う」だったと言います。もちろんこの前後の言葉は、
「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」(ヨブ記1章21節)
なのです。命だけは助かり、両隣の家と励ましあいながら助けを待ち、ヘリコプターで両隣の方が救出され次は自分の番かと待っていましたが、ヘリコプターが戻ってくることはなかったと。この絶望的な状況の中でその方が思ったことは、「私の時ではなかったし、神様の時でもなかった。」というのです。その後、助けられて避難所に行きましたがいろいろな方がおられて、「狼は小羊と共に宿り、豹は子山羊と共に伏す」(イザヤ書11章6節)を思い出し、飴玉とクラッカー数枚だけの食事でも、4日も食べていなかった自分にはこのくらいがちょうどよいのだと思ったと。ヨブの妻のように、「どこまでも無垢でいるのですか。」と言いたい気持ちはありますが、それ以上にあまりの美しさに圧倒され、本当にこのような信仰者がいたのだと心が清くされる思いです。

 年をとってよかったことは、以前は嘘っぽいと思っていたことや実感としてわからなかったことがなんとなくわかる気がすることです。詩編には、「お前の神はどこにいる。」と絶え間なく人にあざけられる詩人の嘆きや悲しみが詠われますが、それにもかかわらずどんな現実もたやすく超えて神に寄り頼む詩人のことが今ではほんの少し分かる気がしますし、この言葉がこれまで何千年もの間、無数の人によって読み継がれてきた事実の重さを感じることができます。

2014年12月12日金曜日

「異常なし」


 りくの病理の結果が来ました。組織診断は大変詳しい所見がいろいろ書いてありますが、「・・・一見したところ、扁平上皮癌(悪性)のような様相を呈しておりますが、細胞異型、浸潤性ともにまったく認められません。病巣は繊維性結合組織によって完全に被包されており周囲組織との境界は比較的明瞭です。以上の組織所見から、峡部角質化棘細胞腫(良性)と診断いたしました。」
へなへなと力が抜けました。ただの出来物だったのです。

 今日りくはいつものように欣喜雀躍して私を迎えました。鼻は手術したところが黒くなっていて痛々しいですが、これはりくの下毛が黒いせいで、だんだんその上に白い毛が生え始めています。血液検査の詳細も見ましたが、何一つ引っかかっていないのは初めてではないでしょうか。つまり全くの健康体なのです。麻酔が覚めるまで動物病院に留め置かれケージに入れられるとき少し鳴いたそうですが、確かにケージに入れたことは一度もないので怖かったのかも。
「りく、あんまりびっくりさせないでね。みんな心配したんだよ。」
と言いながら、今日は午後だけで3回散歩しました。

2014年12月9日火曜日

「りくの手術」


 「りくの診察券どこだっけ。」
兄から電話が来たのは2週間くらい前のことです。
「どうしたの。」
と聞くと、鼻の頭のできものが大きくなっているから医者に連れて行くとのこと。6月に定期検診に行ったときに気づいていればその時尋ねたのですが、夏ごろから何か出来ているなと気づき様子を見ていたのです。兄の話だと1~2ミリだったのが今は4ミリくらいになっているとのことで、私が帰省するまで待てないから獣医さんに連れて行くというのです。

 最初の日は血液検査だけで、悪性かどうかわからないが5日後に切除することになりました。ひょっとしたらマダニかもしれないと思ったのですがそうではないとのことで、マダニの方がまだよかったと思いました。例の柴犬のブログで、仲の良かった友達犬が悪性腫瘍になり安楽死させられた記事を読んだばかりだったので、気持ちがずーんと沈みました。

 血液検査は異状なく、兄の感触では獣医さんはただの出来物くらいの感じだったというのですが、切除したものの病理検査の結果が来なければまだわかりません。この日はりくは全身麻酔をされ、切除したものは直径6ミリくらいのもので、また麻酔をかけた時でもないとできないから、ついでに歯垢も取ってもらったとのことでした。手術は朝9時半ごろからでしたが、全身麻酔なのでりくは5時まで病院におり、兄はいったん帰宅してから夕方引き取りに行きました。

 帰ってからりくは、ふらふらしながら家の中を落ち着きなく歩き回っていたそうで、兄が私を探しているようだというので可哀そうで泣きました。夜は兄が一緒に寝ようとしたようですがりくが眠らないので、いつもと同じにしたとのことでした。りくの一大事に一緒にいてあげられなかったのは痛恨の極みです。りくに申し訳ないことをしたと思います。翌日にはほぼもとに戻ったと言っていましたが、会って確かめるまでは安心できません。2週間後の抜糸の時にはずっとついていて手厚く看病してあげなければと思っています。

2014年12月6日土曜日

「飼う者のない羊」


 最近気がかりが2つありますが、どちらも自分以外の他者の体調に関することです。どうすることができるわけでもないので、祈りつつ神が御心をなされるのを待ちたいと思います。神様は私たちに必要なことは何もかもご存じだからです。夜中に目覚めて遠くで救急車のサイレンなど聞くと、「こんな時間に働いている人もいるのだ。」とご苦労が察せられます。雨露をしのぐ場所があり、贅沢ではないが不自由のない暮らしができていることを心底ありがたく思います。

 刑務所が高齢者でいっぱいになっていると聞きます。年をとって孤立化し、あるいは生活苦から軽微な犯罪を行ってしまい、出所後も生きるすべなく同じことを繰り返す人も多いとのことです。持病を抱えていたり、認知症の症状のある人もいて、職員の態勢も限界に近づきつつあるということは容易に想像できます。また、身近な人による保険金や遺産を狙った計画的な犯罪も、このところ毎日のように取りざたされています。

 イエス様は当時の群衆の有様を見て、「飼う者のない羊」のようだと深く憐れまれましたが、今とまったく変わらないことだと思います。これ以上的確な表現はないでしょう。これは若者だって同じなのですが、若い時は放蕩の限りを尽くしても或る時我に返って神に立ち返るということもまれにあるのを聞きます。人生の晩年になってもこの状態というのは悲しすぎます。

 私の場合、愛する人々の多くがすでに天の国で神様のそばに憩っていますが、このことは見方を変えればある意味実に大きな慰めです。実際父が亡くなった時にまず感じたのは、「父を送れてよかった。」という安堵感だったのです。これまでにその時その時は苦しいことつらいことも多かったのですが、振り返って本当に行き詰ったことがあったかと考えるとそれはないことに気づきました。

「神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。」 (詩編46編2節)

主にある平安のうちに、自分も来るべき日に備えて、いつお召があってもよいように一日一日を過ごしていかなければならないと感じています。


2014年12月2日火曜日

「印刷外注の予行演習」


 やっとトンネルの先が見えたと思ったら、あっという間にそこから出ていた・・・。何の話かというと、献堂式関係の書類作成の準備に関わることです。10月くらいから献堂式関係の準備が始まりましたが、広報としては案内状やプログラムの作成等の仕事があります。こういうことに慣れた人なら何でもないのでしょうが、私には初めてのことなので試行錯誤です。案内状は別の方が担当してくださるので、私はプログラムに集中することにしました。とにかく早めに取り掛かるのが肝要で、素案を作り、たたき台を元に意見を出し合い、改訂してしばらく寝かす・・・これを繰り返して何とか形になっていくので、十分な時間が必要です。

 最初は印刷を外注する予定はなかったのですが、少し調べてみるとかなりリーズナブルな値段でできることがわかり、全部電子データで造れるならこれに限ると思い直しました。とはいえ、今までの経験からいって私の場合、初めてすることは大抵失敗するので、予行演習が必要です。そこでひらめいたのが、以前から作ってみたいと思っていた簡単なアルバム冊子です。記念品の候補であるクリアファイルも印刷関係なので、これも作ってみることにしました。一緒のところに頼めればよかったのですが、調査の結果それぞれ得意分野があるようで別々のところに発注することにしました。困るのは、こういうものはイラストレーターというソフトで作り入稿するのが一般的だということです。一度も使ったことのないソフトで、知り合いのグラフィックデザイナーの方に相談したところ、とても高価だしど素人がいきなり使いこなせるものではないことがわかりました。しかし、皆が皆そんな素養があるわけではないのですから、調べてみるとワードで入稿できるところもあることがわかり、その方向でやってみることにしました。

 冊子の方はワードで作ったデータを、指示通りオフィスプリントというソフトで変換し、一つのフォルダに入れて圧縮して入稿。一番緊張したのは、一度しか出せないので、間違って別のものを送らないようクリックする時で、ちょっと指が震えました。クリアファイルの方は、冊子よりデザインの比重が高いせいか、イラストレーターで作成された完全データを入稿するよう求めているところがほとんどですが、「ワードやエクセルの場合、文字がずれたり色が変わったりすることがある。」と書かれているということはワードも一応受け取ってくれるということに違いありません。送ってみてダメならどうすればいいかアドバイスしてもらえるだろうし、費用を負担すれば修正もしてくれるはずと、思い切って入稿しました。結果、冊子の方は入稿してから4時間くらいで「データの確認終了、印刷に入ります。」のメールが、クリアファイルの方は約6時間後に修正なしで校了し、「解像度等これでよければ印刷に入ります。」のメールが来ました。納期は急ぎではないので7日後で発送日も書かれていました。

 案ずるより産むが易しで、しばし放心状態でした。やればできるものだなと。実際どんなものになっているのかは見るまでわかりませんが、ともかく献堂式必需品の作成の目途がついてほっとしました。この3週間くらいはバザーの時期でもあり、事業所の発送もあって職に就いていた時のことを思い出すほどの忙しさでした。ただ不思議なことに仕事が重なることはなく、一つが終わると次が来るという感じでうまく流れていました。東京の自宅では必要なものが手近にあって働きやすく、また家事も手抜きで最低限のことだけすればよい(例えば床に埃がたまろうと本人さえ気にしなければ構わない)ので、とても仕事がはかどりました。勤めていた頃経験したような集中力で臨んだので1日の終わりはぐったりでした。福島ではそれなりに家事もあるし、りくが邪魔しに来るのでたびたび仕事が中断し遅々として進まなかったのですが、まあこれはこれでいいのだろうと思いました。

2014年11月29日土曜日

「紅春 55」


 「犬に服を着せるのはやめようね。」
父がいた頃、よくそう話していました。柴っ子には特に立派な毛皮があるのですから、服など不要だし似合わないのです。ただ、大雨の時に着る合羽は必要だなあと思っており、何度かその製作に挑戦してきました。大雨でも散歩に行かないわけにはいかず、さすがのりくでも勝手口でたじろぐほどの雨ではぬれて可哀そうだからです。

 犬の服というのは結構複雑な形をしています。前足を入れる穴が要るし、かつトイレを妨げないように後ろ足のところは自由度を保てる形にしなければなりません。頭はぬれてもしかたないかと思うものの、背中と頭をつなぐ首の部分はできるだけ雨をしのげるものにしたい。また、ひっぱねが多いお腹はしっかりガードしたい・・・と考えていくとかなり面倒です。一番の問題はどうやって着せるか、つまりボタンか何かで留める開口部をどこにするかです。

 結局、二つの穴に前足を入れさせてから背中部分で留める形に落ち着きました。おとなしいりくでも足を入れる時に抵抗することがあるので、凶暴な犬だとこの形は無理だろうと思いました。一度目は、ずっと前に蓑の合羽をイメージして麻糸で編んであげたのですが、これは失敗でした。雨にあたると水分を含んで重くなるからです。挫折してしばらくそのままになっていましたが、今回アルミシートの布地で再挑戦してみました。軽くて水をはじくので、まあまあ目的を果たせたかなと思います。今後、生地が薄いので破れやすいという問題の克服が必要かもしれません。開口部を留めるものは、安全ピンやスナップボタン、洗濯バサミクリップ等いろいろ試しましたが、ワンタッチで留められるよう皮革とばね式クリップを使用しました。また、できそうだったので帽子もつけてみました。


 試着ではりくは固まってしまい迷惑そうでしたし、兄には「お前の自己満足だ。」と言われていますが、大雨の時はきっと重宝すると自信を持っています。断っておきますが、これ、クリスマスの仮装じゃありませんよ。

2014年11月25日火曜日

「郵便について」

 最近日常的によく行く場所として真っ先にあげねばならないのは郵便局です。青色申告用の領収書が必要なので、事業所の商品発送する時はポストに投函ではなく郵便局にいくのです。おかげで郵便事情にはずいぶん詳しくなりました。

 1kgまでなら定形外がよいが、1kgを越えて2kgまでだと大きさと宛先地域によって定形外かゆうパックを適宜選択することになります。ゆうパックはとにかくできるだけ小さくパッキングするのがこつで重さは気にしなくてよい。最近話題のレターパックはすぐれもので、A4までの大きさで平たく(3cm以内に)梱包できるものなら一押しです。重さにも宛先地域にも関わらず全国一律料金なので、福島から近畿以西への発送には最強と言えるでしょう。「『レターパックで現金を送れ。』はすべて詐欺です。」と大きな赤字で書いてあるのは笑えますが、問題の深刻さの表れです。

 郵便関係の情報サイトでこんなものまであるのかと感心するのは、ポストの集荷時間を検索できるサイトです。東京では結構頻繁に集荷があるからよいのですが、福島では場所によって1日1回しか集荷がなくそれを逃すと丸1日遅れてしまうのです。すぐ近くのポスト同士でも集荷時間が大幅に違ったり、ローソン前のポストは別なのか集荷回数が違ったりするので、郵便収集車のルートまでなんとなく読めてしまいおもしろいです。

 福島では24時間対応している本局まで自転車で20分かかるのですが、発送するまで落ち着かないので雨でなければ集荷時間に合わせて本局まで行くことがほとんどです。(ただし夜は行かないようにしています。一度やって地方都市の夜の暗さが身にしみました。) 東京の自宅からは本局まで自転車で数分なのでとても楽ちんです。夜10時でも朝5時でも平気です。

 郵便が届かなかったことは一度もありませんし、近畿まででも2日あれば届くというのは考えてみればすごいことです。これは先進国においても決して当たり前のことではなく、むしろ例外的なことなのです。ゆうパックにしても宅急便にしても、期日指定や配送時間の細かい指定が普通にできるのは、海外ではまずありえない驚異的なことです。例えばドイツと比べても格段に優れた配送サービスであり、この正確無比な配送システムを、本当は目もくらむような贅沢なサービスだと自覚すべきなのです。そういうわけで、家に配送の方が見えると私はつい丁寧に、「お仕事ご苦労様です。」と挨拶してしまいます。

2014年11月21日金曜日

「父の見ていたもの」


 東日本大震災が起きた当時私は東京で仕事についており、福島教会の状況をつぶさに知ることはできませんでした。食料やガソリンを手に入れるのに何時間も並ぶという生活の中で、教会堂から大事なものを伝道館に運び出し礼拝ができるように整えるという作業は、心身ともに疲労困憊することだったに違いありません。その後やむを得ず行われた会堂の取り壊しに、教会員皆がどれほど打ちひしがれ、さらなる悲嘆と疲労と混乱をもたらしたか想像に難くありません。

 現在福島教会の会堂建築工事は、工事用の覆いカバーもとれてその全貌見ることができるようになりました。あとは内装を中心に工事が進められることと思います。完成に近づくこのような教会堂を目にしてさえも、まだ幻ではないかと時々ふと思うのは、ここに至る迄の過程を思い起こすからです。震災直後4月末の祈祷会に奨励に訪れた牧師によると、その時の出席者は自分も含めて6名だったというし、その後に無牧の時期も経験し、信徒たちは伝道館で礼拝を続けて会堂の再建を思いつつも、一方でこのような小さな群れがそんな大それた負担を負えるのかという現実的な問題が頭をかすめた時期もあったに違いないと思うのです。

 父は震災を入院中のベッドの上で迎えましたが、その後、病院の態勢が整わないこともあり帰宅して家で療養しておりました。父が具体的に会堂建築とどう関わっていたか断片的にしかわからないのですが、一つはっきりしているのは、会堂の再建を父が確信していたことです。
「神様がここに教会を建てなさいと言ってできた教会なのだから、必ずここに会堂は再建されなければならない。会堂は必ず再建されるのだ。」
と父はきっぱり言いました。それから、何か書類を書いたり、放射能の心配のない山形まで山菜採りに行き会堂建築献金を捧げたりしていました。とても前向きな人で、一時的に落ち込んだり悩んだりすることはあっても、目標を決めたら手をこまねいている人ではありませんでした。

 2011年12月には似田先生を迎え会堂建築は大きく動き出し、2012年3月には会堂建築検討委員会が発足、2013年4月には教会総会において会堂建築を正式に決定し、今に至っています。

 父は2014年2月下旬3週間の入院の後亡くなりましたが、会堂建築の道筋が整い、基本設計もできて、あとは施工業者を決めて建築するだけというところまできていたので、入院中会堂建築に関する心配を口にすることはありませんでした。また、自分の寿命が新会堂の完成に間に合いそうもないと知っていたかもしれませんが、それも問題ではなかったのです。父の頭の中ではもう会堂は建っていたからです。もちろん今生きていたら、どれほど喜んだだろうかと思いますが、最期の表情があまりにも穏やかだったので、父が全く安らかな気持ちでこの世を去ったのは確かです。

「この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです。」(ヘブライ人への手紙11:13)

 福島教会の会堂再建は人間の業ではありませんでした。そして今、私の眼前に建つものは、父がすでに見ていたものなのです。




      
                          福島教会ホームページ Website Fukushima Church




2014年11月18日火曜日

「紅春 54」


 ドイツでオランダ人の夫と2匹の柴犬と暮らす日本人女性のブログ「柴犬とオランダ人と」のことは以前書きましたが、犬も住む所が違うと暮らしも相当違うようです。2匹は、アスカとセナという名の雌ですが、驚くことに、結構な広さの庭で放されるとネズミ狩りをするのです。ドヤ顔の犬の写真に、「2匹しとめました。」などとキャプションが入っていたりします。土日はよくタウナスまで散歩に行くようですが、ここでも藪に入ったと思ったら血まみれの野兎とともに現れたりします。猟犬の本能を保っている姿はりくと同じ犬種とは思えません。

 大晦日に作って翌日楽しみにしていたおせちが大惨事にあった話が以前載っていましたが、あれはお気の毒でした。日本風のおせちばかりでなく、牛肉や合鴨や鮭などのハイカラなお料理を作ったのに、朝起きたら椅子からテーブルへ乗り移ったと思われる犬にタンパク質系の料理は食べられてしまっていたのです。これもりくにはあり得ない。りくは鼻先が座卓にのった料理のすぐそばにあっても、盗み食いをすることはありません。料理を見て鼻をひくひくさせ品定めをするものの、皿に取り分けてもらったもの以外に手を出したことは一度もないのです。その代りおいしい食べ物があるとわかると、ビシッとおすわりをして「食べたいです。」とアピールします。特にしつけたり注意したりしたことはないのに、本当に利口な犬だと思います。(父がしつけていたのかも。)

 犬がアミノ酸系の食べ物を一瞬にして見分ける(嗅ぎ分ける)のは本能でしょうが、最近気づいたのは、りくが魚好きなこと。大好物はサンマで、ご飯と混ぜてやると肉以上に勢い込んでぺろりと平らげます。さすが日本犬と思うほどです。ま、人間が食べてもおいしいのですから無理もありませんね。

2014年11月14日金曜日

「転院」


 東京に暮らす利点の一つは病院が選べることでしょう。特に病院が集中している場所もあり、細分化された専門診療科をもつ病院がそれぞれ定評のある治療で知られています。病院は施設ももちろん大事ですが、診療に当たる医師はもっと大事です。東日本大震災の時に医者がいなくなったり、避難するため医者を変えなければならなかった人たちはどんなにか心許なかったろうといまさらながら思います。というのは、最近同じような体験をしたからです。

 このたび、私が利用している大学病院の新築移転に伴い、担当医が系列の別の病院に異動することになりました。私も同様に転院することにしたのですが、「予約を取ってから診察に来てください。」と言われていたので電話すると、「初診の電話予約はしていません。」との返事。10月初旬から電話して、いつ診療再開になるか尋ねましたが判然とせず、遅くとも10月下旬にはみえるはずだった担当医がその時期になっても現れませんでした。予定を立てる必要上、「せめて診察の曜日を教えてほしい。」とお願いすると、看護婦の話では「11月には診察が再開される予定ではあるが、まだ確定ではない。従って曜日もわからない。」とのことでした。まだ薬はあったのでよかったのですが、その話を聞いてかなり不安になりました。

 11月になった或る日、電話するのもおっくうで、ネットで病院のホームページを見てみると、なんと担当医の名前が載っており、しかも診察の曜日はまさにその日1日だけでした。その週に福島へ帰省することになっていたので、即決断、病院へ向かいました。一度も乗ったことのない国際興業のバスでしか行けない場所にあり、ちょっと違ったバスに乗るだけでもずいぶん風景がちがうものだなと思いました。その点、私にとってはちょっと不便なところにあるので空いているかなと期待していたのですが、とんでもない混雑でした。私以外にもその医者の診察再開を待っていたと思われる患者がわんさかおり、3時間待ちでした。全て終わって遅い昼食をとり、買い物を済ませて帰ってきたらもう夕方、1日がかりの通院でぐったり疲れました。1つよかったのは、これで来月からの診察がつながったということです。加齢のせいか新しいことに慣れるのは、心理的にも身体的にも大変だと思わされました。

2014年11月11日火曜日

「結構多忙な日々」


 毎日なぜこんなにやることがあるのだろうと思うことがあります。朝は5時前から活動すると夜9時にはぐったりします。その間何をしているのかと聞かれるとこれといったことはないので返答に困りますが、何かしらしているのです。全てがいわゆる「仕事」ではないのですから、本来やらなくてもいいことなのですが、おそらくある程度年配の人は多くがそうでしょう、ぼんやりのんびりということはめったにありません。私は無理はしないと決めていますが、時間がもったいないと感じてしまいます。

 おそらくはまだ何十年も生きるのでしょうが、こればかりは保証はない、まさに神のみぞ知ること。明日、危険薬物服用者の犠牲になるかもしれないし、富士山が噴火するかもしれない。現代のペストとも言える病の流行で人口が半分になるかもしれず、テロリストによって核爆弾のスイッチが押されるかもしれない。本当のところは誰にもわからないのです。

 今日、健康で年老いることに異常なほど関心が集まっていますが、生きるのはただ長らえることが目的ではなく、何か意味ある活動をするためでしょう。家族のため、社会のために何かしら善き貢献をしたいと皆心の底で望んでいるのだと思います。


2014年11月10日月曜日

「カメラ盗難事件で思うこと」


 アジア大会で水泳選手Tがカメラを盗んだとされる事件について当初から不可解すぎる違和感を抱いてしましたが、「真実はやっていない」と弁明する会見を見たとき不思議な既視感を感じました。記者たちが矢継ぎ早に繰り出す様々な質問に答えるT選手の姿を見て、「あ~、こういう子いるんだよなあ。」というのが実感でした。

 手首をつかまれても騒がなかったのは危害を加えられたり争うことがいやだったからであり、鞄に何かを入れられたのに黙っていたのはゴミだと思い後で捨てればいいと思ったからであり、カメラをスーツケースに入れたのは部屋にゴミ箱がなく出しておくと相部屋の人の邪魔なので帰る時捨てればよいと思ったからであり、盗んだと認めたのはみんなと一緒に帰れなくなるとJOCや日本水泳連盟に迷惑がかかるからであり・・・。すべてこの調子で、我慢できるところまでは譲り続けるのです。他人に対して何か説明や主張をしたり、人と揉めて摩擦を起こすより黙っている方が楽なのです。勤めていた時の経験からして、こういう生徒は多数派ではないものの相当数いました。

 ただ、あまりにナイーブ過ぎてこのまま社会に出ることはできません。15歳ならともかく、T選手はもう25歳です。国内以外ですごすことがないならまだしも、T選手は国際舞台で競技する選手です。水泳以外のことを教えてくれる人や学ぶ機会はなかったのでしょうか。生来の性格上、むしろT選手の弁明が理解不能という人も多いでしょうし、学ばなくてもなんとか無事に世渡りしていける人もいるでしょうが、そうでない人もいるのです。記者たちの疑問の焦点は、「なぜその時に声をあげなかったのか。」という点にあったと思いますが、T選手は「自分の心が弱くて」と答えていました。その場で抵抗したり自分の主張をきちんとできる人にとって、なぜできないのか不可解の一言に尽きるでしょうが、それがなんでもなくできる人にはできない人の心情は決してわからないのです。これは心が弱いというより或る種性格の問題であり、訓練しなければ本人にはどうすることもできないのです。

 今から30年前頃、「日本人は水と安全はタダだと思っている。」と言われていましたが、基本的に今でもそうでしょう。海外に比べたら圧倒的に安全、安心な社会に生きてきた結果がこうなのです。もちろん悪いことではありません。ただ海外に出る時は、弛緩モードから緊張モードに意識してギアを入れ換えねばなりません。

「海外ではちょっと仲良くなったくらいの人から物を預かってはいけません。トイレに行く間「荷物見てて。」と言われても受けてはいけません。それが麻薬なら日本に帰れなくなります。国によっては死刑になります。」
20年前にホームルームで私が生徒に言っていた言葉です。

 この事件の真相は私にはわかりません。ただ、T選手の話は私には十分理解できますし、あり得ることだと思います。その場合は、なんらかの理由でT選手が意図的に窃盗という濡れ衣を着せられたということになります。そうでない場合は、本当は窃盗したのに今になって虚偽の申し立てをし、なかったことにしようとしていることになります。窃盗が事実にせよ、でっち上げにせよ、人間の悪事に違いありません。この事件に限らず、ニュース報道で人の行う悪事を聞かない日はありません。もっとずっと陰惨な事件も多く気持ちが萎えてしまいます。

主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのを御覧になって、(創世記6章5節)

主は宥めの香りをかいで、御心に言われた。「人に対して大地を呪うことは二度とすまい。人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ。わたしは、この度したように生き物をことごとく打つことは、二度とすまい。(創世記8章21節)

人が心に思うのはことごとく悪いことだという記述が、まさに聖書の初っ端の創世記にあるのには驚かされます。この見識はあらためてすごいなと思います。

2014年11月3日月曜日

「この世の務めが過剰になると」


 マルタとマリアという姉妹の話が聖書に伝えられています。イエスがある村でマルタの家に迎え入れられたのですが、女主人のマルタが接待のために忙しく立ち働いているのに、妹のマリアはイエスの足元に座って話に聴き入っており、その不満を口にしたマルタに対して、イエスが「なくてならないものは1つだけである。マリアは良い方を選んだのだ。」とたしなめたという話です。

 この話は思わず苦笑するようなささいなエピソードだと思っていたのですが、実はこの世の生活において本質的な話だと思うようになりました。マルタは当時の女性に求められていた大事な務めを誠実に果たしているのであり、実際、日々の生活の中ではこのような働きなくして事は何一つ進みません。これは奉仕であり、仕事なのです。しかし、その務めも忙しさの度合いが越えてしまうと心を損なうもとになります。それは最終的に神に対する不平不満となるのです。

2:ルカによる福音書10章40節
マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていたが、そばに近寄って言った。「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。」

 自分だけが仕事の負担を負い、われ関せずというような態度の妹にじりじりしている様子がうかがえて気の毒になります。ここで、マルタとマリアという二人の人物に見られる態度は、実は一人の人の二つの側面と言ってよいでしょう。マルタもイエスの言葉を聴きたいのであり、マリアもこのままイエスの話をずっと聴き続けるわけにはいかないでしょう。この二つは両方同時にすることができないのですから、実生活の中では要は比重の問題なのです。

 今振り返ってみると、勤めていた間私はまさしくマルタのごとく、「多くのことに思い悩み、心を乱して」いたのです。仕事には誠実に取り組まねばなりませんが、礼拝に行くのもやっとでなかなか安息を得られない多忙さでした。あまりに神をないがしろにした生活でした。ようやくイエス様の足元に座ってその言葉に耳を傾けられる生活がととのえられたのは神様の恵みというほかありません。

2014年10月31日金曜日

「紅春 53」


 りくが8つになりし日、日本列島には台風が接近しておりました。いつものように6時前に朝の散歩をしましたが、りくは9時に私の肩をポンポン叩いて散歩に行こうと言います。いつもは「駄目だよ。」と言うのですが、この日は「雨が降らないうちに行っておくか。」とりくの頼みに応えました。11時半、3時にも同じことがあり、結局まだ雨は降らなかったので、「台風が来たら行けなくなるから。」とりくの頼みをききました。

 りくはその日「ハッピー・バースデー」を歌って、蒸した鶏肉をたくさんもらいました。結局、風雨が強まったのは夜から明け方までで、翌日の早朝には雨もやみ、風は凪といってもよい静けさで、普通に散歩ができました。昨日はりくにずいぶんサービスしちゃったなと思いましたが、バースデー・ボーイだったから、ま、いいでしょ。

 夏の間、昼間は暑くて買い物は無理だなと思い、早朝コンビニに行ったことがありました。自転車で片道数分のところなので、行って帰ってくるのに15分くらいだったと思うのですが、後から聞くと、その間りくが吠えていたとのこと。それも階段下のところで兄のいる2階に向かってワンワンとずっとやめなかったと。起こされた兄が下りてきて事情を確かめると、私がいなかった、つまり、「姉ちゃんいなくなった。捜して。」だったのです。確かにそんな時間に出かけたことはなかったので、りくも何事かと思ったのでしょう。「ちょっと行ってくるよ。」とは言って出たのですが。それにしても、もう8歳の犬がこんな赤ちゃんみたいなことでどうしたらいいのでしょう。りくには、「大人にならねばならないよ。」といつも言っています。



2014年10月30日木曜日

「除染事業」


 ようやく福島の私の住む地域の除染が行われることになり、先日市の職員と除染請負会社の方が打合せに見えました。家の内外の放射線量を測りましたが、同じ場所で下から1cm、50cm、1mの地点を測定します。家の中はそれぞれ、0.13、0.16、0.17であり、外の玄関前もほぼ同じ、庭中央が0.30、0.46、0.48でした。予想と違って全ての値で上の方が高いことを初めて知りましたが、りくのことを思って少し安心しました。

 原発事故からもう3年半も経っているので、屋根や壁はほぼ線量は低いだろうとのことで、高かった場合のみ行うとのことでしたが、雨どいや下水のマスは除染するとのこと。庭の木は伐らないが草系の花々はどうするか決めておいてくださいと言われました。出た土は、なにしろ仮置き場が決まっていないのでとりあえず各戸保管、となると地表に出しておくよりはやはり埋めるしかないだろうと思いました。

 たとえ仮置き場が決まってもその先の処分はどうするのでしょう。放射性廃棄物はどんどん溜まっていくのです。このように今でさえ最終処分の方法もわからないのに、原発を再稼働しようとする人々がいるのは本当に不思議です。自分の住む所が同様の被害を受け、同じ立場に立たないとわからないことなのでしょう。もしくは会社の存続という命題が他人の命よりも大事なのでしょう。もっとありうるのは、我々は肥沃で広大な国土を失ったというのに、国や原発関連企業が除染を新たな公共事業と見なしているのではないかということです。


2014年10月26日日曜日

「懲りない園芸」


 マンションの大規模修繕を機にルーフバルコニーでのガーデニングはすっぱりやめたのですが、部屋にグリーンがないのはなんとも寂しく、時々小さな鉢植えを置いていました。しかし、月の半ばを福島で過すため枯らしてしまうことが多く、思いついたのは花を水差しに鉢ごと入れ、さらにそれをジッパー付のビニール袋に入れるという方法でした。これだとビニールはすぐ曇って中が見えなくなりますが、水分は蒸発しないので家を空けた2週間の間、なんとか枯れずに持ちこたえてくれるのです。

 このことにヒントを得て、部屋にビニールの温室を置くことにしました。寒さ対策ではなく、水分保持対策の温室で、虫の心配もなくこの中で水分が循環してくれるといいなと思ったのです。50cm×70cm×125cmくらいの大きさで3段棚の製品にしましたが、結構大容量で鉢がたくさん入り大満足です。

問題は、帰省する前にあげた水で2週間もつかどうかでしたが、やってみたところ、おおむねうまくいきました。瀕死の状態のものもありましたが、これはむしろ温室の中が暑かったせいかもしれません。帰宅してすぐにベランダに出して外気を吸わせ、水をなみなみと注いでやると、「あ~、生き返った。」という植物たちの声が聴こえてくるようでした。

2014年10月22日水曜日

「人の命が軽くなる」


 先日、イスラム国の戦闘員の求人に応じてシリアに渡ろうとしていた大学生が逮捕されました。伝えられるところでは、「もしもシリアに行かないとしたら、今年中か、来年にも、間違いなく自殺しているから、シリアで死ぬことになっても、全く変わりがありません。」と語ったと言う。また、「そこには戦場があって、全く違う文化があって。イスラムという強大な宗教によって、民衆が考えて行動している。このフィクションの中に行けば、また違う発見があるかな。」とも。どうやら一番の渡航理由は、違う生活の場に身を置きたいということだろうと思われます。

 現在ヨーロッパ各国でも、ヨーロッパで生まれ育った若者がそれぞれ数百人規模でシリアやイラクに渡航し、イスラム国の戦闘員として参加しているようです。ヨーロッパの若者には思想性があるという人もいますが、私は先ほどの大学生と何ほども違わないと思います。このような若者が次々生まれていることは明らかに社会の不調のせいでしょう。

 グローバリゼーションのおかげで世の中は本当にせわしなくなりました。以前、株のデイ・トレイダーは大金を稼ぐけれども消耗して30代で燃え尽きると聞いたことがあります。一瞬で決断し事が決する過酷な環境に24時間さらされるからでしょうが、これが今は特別な人にではなく、現代社会に生きる全ての人の現実になりつつあります。

 例えば、2027年に開業予定のリニア新幹線は東京―名古屋間を最速40分で結ぶとされていますが、ほとんどがトンネルの中とも言われ、これでどうしようというのでしょう。浮いた時間は次なる仕事に人を駆り立てるだけでしょう。こんなこと一つとっただけでも、これから人生を始める人にとって大変気鬱な希望の持てない未来ではないでしょうか。あまりに人の身体の感覚を無視した現実は人間を損なうことになるでしょう。こういうことが世界的規模で起きているのです。

 人生を生きる価値のないものと思うとすれば自分の命の重さは限りなく軽くなってゆき、同時に他人の命の重さも同様に軽くならざるを得ないでしょう。或る種、破れかぶれの自爆行為が次第に蔓延していくように思えてなりません。

2014年10月21日火曜日

「りんご可愛や」


 この時期福島で過す楽しみの一つはなんと言っても野菜や果物です。自転車で数分のところに農家の直売所があり、最近は野菜、果物はほぼここで買っています。出荷している全農家の全種類の放射線量を定期的にモニタリングしているので安心だし、とにかくおいしい。味をしめるととてもスーパーの物は食べられなくなります。9時45分の開店前には、駐車場は満杯、既に入口ドアの前に行列ができています。(主婦もいますがやはりシニアが多い。) お盆や9月の連休の時期などは、帰省した息子・娘一家に持たせてやる桃や梨やぶどうを箱買いする人々でごったがえします。

 開店して数分でレジに並ぶ人が長蛇の列を作るので、一番賢い買い方は、買う物を決めておいてそれだけ取って1分でレジを通過することでしょう。ゆっくりいろいろ見たいときはむしろ10時過ぎがお勧めです。困ることが1つだけあるのは、スーパーと違って欲しいものが必ずあるとは限らないこと。この前はあった人参が今日は出荷されていなかったり、午後3時頃にはピーマンが売り切れていたりします。まあ、こういうのも一興で、献立を変更したり代替野菜を買えばいいだけです。カボチャなども種類があり、「栗坊」とか「栗えびす」など可愛らしい名前がついているのを見るとうれしくなってしまいます。

 桃、梨、ぶどう、柿を堪能して、りんごの季節になりました。リンゴの王様「ふじ」がまだ出ないこの季節、以前はあまりりんごに興味がなかったのですが、最近りんごに目覚めてしまいました。津軽や千秋は東京でもよく見ますがあまり食べません。ところが直売所で、「緋のあづま」、「陽光」、「新世界」、「秋映」、「シナノスウィート」「ほおずり」などを見つけ、りんごの種類はこんなに多いのかと驚きました。日によっては懐かしの「紅玉」や「スターキング」もあります。全部試したわけではありませんが、最初の3種は甘味だけでなく酸味も強く実にりんごらしいりんごです。歯触りもシャキシャキで「ふじ」に匹敵するおいしさだと思います。これが小玉~中玉5、6個入りで300円~350円なのですから食べない手はありません。「1日1個のりんごは医者を遠ざける」と言いますが、1個で済まないのが悩みの種です。

2014年10月15日水曜日

「本来の姿で」


 キリスト教の言葉で、日本人にとってまずわからないのが「罪」という言葉ではないでしょうか。聖書で使われている「罪」と一般に言う「罪」とは、重なっている部分はあるものの、やはり大きくずれているからです。福音書では、イエスは徴税人や罪人とよく一緒におり、食事をともにしたりしています。徴税人はいわばローマ帝国の手先として税金を集める者であることから考えると、罪人というのは犯罪者という意味ではなく、ユダヤ人社会の律法を守れない汚れた者という意味でしょう。

 律法とは神が救いのしるしとしてイスラエルに与えられたものですが、その内容を一言で言えば、人はどのように生きるべきかが記されたものです。日本人の目には、道徳的な戒め・祭儀に関する決まり・社会生活全般における定め等が混然一体となっているように見えます。微二入り細を穿った判例法でもあるので、聖書が手元にあってさえさっぱりわからないのですから、当時の一般庶民には何が何だかわからなかったことでしょう。また、忠実に守りたくても実生活上の社会的、経済的制約のため到底守ることができない場合も多く、そうなると専門家の目には彼らが律法を守らない汚れた人々と映ったことでしょう。

 しかし、イエスによれば、当時罪人と思われていた人だけでなく、律法を厳格に守って生活していた専門家たち(律法学者やファリサイ派)も同じ罪人なのです。この人たちがいきり立ってイエスを殺そうとするのは、イエスが彼らを断罪したからです。

ヨハネによる福音書9章41節
イエスは言われた。「見えなかったのであれば、罪はなかったであろう。しかし、今、『見える』とあなたたちは言っている。だから、あなたたちの罪は残る。」

 「罪」に当たる日本語の言葉がないので困ってしまいますが、聖書でいう「罪」の原語は「的外れ」だといいます。だから言い換えるなら罪とは、「神が創造された本来の姿から外れている」様態であると考えてよいでしょう。現代風にいうなら「迷子」ということになるでしょうか。これなら実に多くの人が該当するだろうと思います。



2014年10月13日月曜日

「紅春 52 特集号」

 りくは今度の10月13日に8歳になります。両手に乗るほど小さかった子がこんなに立派な犬になり、感無量です。今まで書いたりくのブログも50を越えました。家族の8年間の記録なので、これまでのものを1つにまとめておくことにしました。日本犬が外国で人気と言うのは本当かも知れません。「紅春」の号の時は、特に海外から見に来られる方もいるような・・・。画像は万国共通だからですね。




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 それは目の光の強い子犬でした。他の子犬とは全く違い、じゃれつきもしなければ吠えもしません。ただ、じいっとこちらを見ていました。

「この子です。」
私たち大の大人3人とその子犬は、一緒に家に帰りました。2006年もあと2日を残すばかりという年の暮れでした。

 10月生まれなのに福之紅春号という名のその子犬は、文字通り家に春を運んできました。縄文の昔から人間と暮らしてきた犬種です。片耳はまだ折れていましたが、二週間後に実家を訪れた時は両耳とも屹立していました。しっぽはこんもりとうず高く巻き上がってやけに立派でした。貴族のようなその名前は、家では単純明快に「りく」と呼ばれました。

 りくは不思議なくらい食に関心がなく、食が細い犬というのを初めて知りました。りくにとって大事なのは家族で、誰かが帰ってくると、ごはん中でもダッシュで出迎えに行きます。

りくが来てから、二週間ぶりで初めて実家に帰った時のことです。
「ただいま。」と言って玄関の戸を開けると、いぶかしげな顔で廊下を歩いてきたりくは、私を見た途端、「あっ」というように口をぽっかりあけました。
「犬でもこんな顔するんだ・・・」と驚いていると、りくは大慌てで茶の間にとって返しました。家族の帰還を他のメンバーに知らせるためです。まだ生後3ヶ月の子犬にしてなんという記憶のよさと的確なふるまいであることか。その後の歓待の仕方は尋常ではありませんでした。私のことを「時々旅から戻る群の仲間」と認識しているらしく、帰る度に大歓迎を受けます。私の存在をこれほど全身で喜んでくれる生き物はいません。
2007年 冬



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  「犬が来て買った育児書20冊」という犬川柳がありましたが、私もりくが来る前に、子犬の育て方に関する本を熟読しました。食事に関しては、「家庭内の秩序を崩さないためにも、犬の食事は必ず人間の食事が済んだ後に与えるようにしましょう。」と書いてあり、その通り実行しました。

 私たちが夕飯を食べ始めると、りくは「あれっ、僕のどこだろう。」というように空っぽのごはん皿をのぞきこんだり、廊下においてあるドッグフードの袋を見に行ったりするので、私は胸がしめつけられる思いでした。父はささっと食べて、「もう終わったから。」と言い、すぐにりくにごはんをあげていました。

 結局、全員食べた心地がせずこれでは身がもたないので、このやり方はこれきりになりました。育児書のためにりくがいるんじゃない!
 
「りく、ごはんだよ。一緒にごはん食べようね。」
それからは楽しい食卓となりました。






 りくが来て2週間ほどしたある日、日本犬保存会というところから、りくの、いや、「福之紅春号」の血統書が届きました。父は「福之大次郎号」、母は「名城の福女号」で、さらに三代さかのぼる計30頭の名前が記されています。

父方の玄祖父母には、「二代豊錦号」(岐阜大黒荘)や「誉之錦姫号」(岩代誉洞)がおり(いったいどれほど美しい犬なのでしょう)、母方の曾祖父母には、「竜王号」(二光荘)や「春姫号」(讃岐水本荘)の名前が見えます。人間よりはるかに由緒正しい家系なのです。「武蔵の紅鈴号」という名も見えますので、りくはこのあたりの名前を一字ずつもらったのかもしれません。(それにしても、なぜ女の子の名前・・・?)

 さらに目を移すと、父犬の主な賞歴の欄には、
「平成17年春 栃木展 優良1席 若犬賞」、
「平成17年春 福島展 優良1席 若犬賞」、
「平成17年春 山形展 優良1席 若犬賞」
と、三県の若犬賞総なめの記録が・・・。思わずのけぞり、りくに、
「りくの父ちゃん、すごいな。」
と話しかけてしまいました。


 りくはおっとりした気のいい性格で、このおっとりさ加減がお育ちの良さを表しているのでしょう。家族一同、びっくり仰天の血統書騒動でした。うちのような庶民の家庭でよろしいのでしょうか、りく。





 りくが4ヶ月ころのこと、無類の犬好きである友人がりくを見たいと言いました。彼女とは、リチャード・ギア主演のアメリカ映画「Hachi」を一緒に見に行き、「思い切り泣こうね。」と言い合った仲です。(ああいう映画は犬好きとでなければ見に行けません。秋田犬の子犬は成長がはやいという理由で、子犬時代の撮影には柴犬が用いられていました。アメリカ人には区別がつかなかったのかもしれませんが、あれはどこから見ても柴犬です。)
 
 子犬の時代というのは短いものです。最初冗談かと思ったのですが、彼女は本当に東京からわざわざ、りくに会うためだけにやってきたのです。

 その日父から、
「遠くから客人がみえるのでしっかり接待するように。」と言いつかったりくは、お客様に挨拶をし、おやつをもらい、一緒に写真におさまり、寒い2月でしたが、川原のお気に入りの砂場に遊びに行きと、半日大変楽しい時間を過ごしました。


 友人の話によると、以前ゴールデンレトリバーの子犬を見に行ったことがあるが、りくのお行儀の良さは、かの犬とは比べものにならないとのことでした。

 昼寝をせずに半日遊んで疲れたのでしょう、夕方のずいぶん早い時間にりくは眠ってしまいました。いつもの寝床と違うところで寝ているので、
「りくの寝るとこ、こっちでしょ。」
と言いましたが、りくにはもう立ち上がる力は残っていませんでした。子犬なりに全力を尽くしたのでしょう。そおっと寝床へ移して寝かせました。

「よくがんばったね、ゆっくりお休み。」






 りくは昼間は父と二人で過ごします。ですから、りくの教育係は父なのですが、りくはしつけや教育というものを超越していたように思います。できることは教えなくてもできるし、「できないこと」というのは端的に「やらないこと」なのです。

 例えば、「お座り」というのは礼儀作法ですから、人に頼みごとをするとき(「散歩につれていってください」「おなかが空きました。ごはんをください。」などの時)、全く教えなくてもりくは居住まいを正します。それに対して、「お手」というのは芸であり、ある意味、人に媚びる動作です。りくはいくら教えても「お手」をしませんでした。困ったような悲しげな顔をするのです。「お手」をする意味がわからなかったのだと思います。

 私は子供の頃、自転車で犬を散歩させている人を見て一度やってみたいものだと思ったのですが、その頃飼っていた犬は、普通の散歩でもものすごい勢いでぐいぐい引っ張るので、自転車で散歩など夢想だにできませんでした。
 私はまだ子犬のりくと一度自転車での散歩を試してみることにしました。驚きです。りくは最初の1回目から、こちらのペースに合わせて走れるのです。声をかけてやると、時々ちらちらこちらの動きを見ながら、集中してピタッとついてきます。「りくは天才!」と思いました。


 りくは子供の頃、毎晩寝る前に父とその日の反省をしていました。父とりくは向かい合い、ひざと前足をつきあわせての真剣な反省会でした。話すのは父です。
「今日もたくさん遊びました。でも遊んだおもちゃを片しませんでしたね。おもちゃはおもちゃ箱に片してください。」
りくは姿勢を正し、神妙な顔で父の話を聞いていますが、片しはしません。



「家族 不在と存在」

 りくを初めて迎えに行った3人というのは、兄と私とヘルベルトです。
「お父さんが一番長い時間一緒に過ごすんだから、いっしょに行こう。」と言ったのですが、父は
「お前たちで行って来い。」
と言いました。おそらく父には子犬を選ぶことなどできなかったのだろうと思います。

  父は時折、
「お母さんがいたら、りくはどんなにかわいがられたろうね。」
と言います。子供のころ飼っていた、我の強いお転婆犬でさえかわいがっていた母ですから、りくがどれほどかわいがられるか想像に難くありません。
 楽しい時に或る人の不在を感じるのは、その人が家族だからであり、家族の中に生きているからです。一方で私は、母が生きていたら、りくを飼うことはなかっただろうと思うのです。変な感覚なのですが、りくと母はとても似ており、母がいなくなって代わりにりくがうちに来たような気がします。犬川柳に、「神様に行っておいでと言われてた?」というのがありましたが、「ああ、まさに」という感じです。

  りくは兄の車が玄関につくと、「帰ってきたぞ」と全身でうれしさを表しながら家族に知らせ、迎えに行きます。その後茶の間で、兄にしかしない仕方で甘えます。兄の体に頭をつけ、1分以上、時には2、3分もじいっとしています。私には、1日あったことを話しているように見えます。その間、兄はずっとつきあっています。

 りくに関して何かあった時の私の決め台詞は、「私が『この子です』と言って、りくがうちに来たんだよね。」です。(それゆえ私は、人を見る目はともかく、犬を見る目はあると言われます。)これには兄も黙ってしまい、「ん、まあ、それはそうだな・・・」と同意します。でも本当はそうではない、私たちがりくを選んだのではなく、りくが私たちを選んだのです。少し離れたところからじっとこちらを見ていたのですから。

  父の口癖は、
「うちでは、一番小さい子が一番偉いんだよ。」と
「うちに来たからには、幸せになってもらわないと。」
です。私の目から見ると、時々「りくに甘すぎる!」と思うのですが、父は、私が一番りくに甘いのだと言います。
「なあ、りく、姉ちゃんなんかちょろいよな。」

  家族を隅々までコントロールして、漁夫の利を得ているりくです。






 春になりました。庭の草木も花を咲かせ、自然の息づかいが戻ってきました。りくにも初めての春です。りくがすくすく育っていることは、家族のだれにとっても大きな喜びでした。その頃、父は庭仕事をするとき、いらない木材で囲った柵の中にりくを入れて、一緒に外におりました。

 ある日、草むしりをしていた父がふと振り返ると、いるはずのりくがいません。りくはもう柵を越えられるほど大きくなっていたのです。


「りくーっ。」

遠くには行っていない気配なのですが、怒られると思うのか出てきません。父が思案していると、たまたまそこに八重丸の飼い主さんが通りかかりました。八重丸はりくより2才ほど年上の柴犬で、散歩仲間です。
 犬にも合う犬と合わない犬があるのが不思議ですが、りくは赤ちゃんの頃から八重丸君が大好きです。八重丸君はりくよりさらにぽおっとした感じの子で、年長者の余裕かあまりりくを相手にしませんが、りくの方は散歩中出会うと大喜びでした。

 事情を知った飼い主は、
「今、八重丸連れて来っから。」
と言って帰られました。

 八重丸の到着とともに、事態はあっけなく収束しました。一緒に遊びたいりくはすぐ姿を現し、「ご用!」。その後父にみっしり叱られ、しばらくの間、りくは「脱走犬」と呼ばれていました。

 これが、我が家で年に1度は語られる、「りく脱走で八重丸緊急出動事件」の顛末です。







 りくが子供のころ、学校帰りの子供たちが「りくと遊ばせてください。」と言って、時々大挙してやってきました。  りくは大人気なのです。無理もありません。誰とでも仲良くできる気だてのいい子で、りくを見ているとほんとにトクだなと思います。いつも「近寄ったら噛むよ。」というオーラを出している犬と比べたら、りくは何の努力もなしに、みんなから「りくちゃん、りくちゃん、かわいいなあ。」と言われます。

*背景は一度も入ったことのない犬小屋。自分は入らないのに猫が入っていると猛烈に怒ります。

 おまけに見栄えが良く、なおかつ小憎らしいほど賢いのです。今は床まで届くのれんを使っているので、りくは茶の間と廊下の行き来が自由にできますが、以前は戸をガタガタさせるたびに開けてあげていました。兄が洗面所で歯を磨いていると、戸をガタガタさせているので行ってみると、戸は開いていたということがありました。りくは兄がやって来るのを見越して戸を揺すっていたのです・・・ため息。

  飼い主の欲目もあるでしょうが、りくは三拍子そろっています。天は二物を与えずといいますが、与えすぎではないでしょうか。

 「子供らが来てるときは、危ないから見てるようにしている。」
ある時、父が眉間にしわを寄せて言いました。
「りくは噛むような犬じゃないから大丈夫じゃない?」
「この前、りくを蹴った子がいて、そいつには『お前はもう来んな!』と言った。」
逆の心配でしたか。父は人間への信頼をなくすような行為を何より恐れたのです。

 りくは子供のころ特によく遊んでくれた近所の子を覚えていて、その子が学校の行き帰りに外を通るのを見ると、大人になった今でも、「いってらっしゃい。」「お帰りなさい。」と家の中から声をかけています。たまたま外にいる時は、頭をなでてもらえます。





 
生後半年頃だったでしょうか、歯が抜け替わる時、りくが何でも噛んだ時期がありました。ある日、私が昼寝している間に、りくが電動自転車の充電器のコードをかじり、ちぎれた黒いコードの破片がぼんやり見えた時、私は卒倒しそうになりながら「ああ~」と叫んでいました。
 りくを見ると、目を輝かせながら、「分解しました」と得意げな顔です。
「りく~、なんてことしたんだ。」と絶叫すると、途端にりくは自分が何かまずいことをしたのがわかって、すっかりしょげてしまいました。私は、ちょっと叱りすぎたかなと後ろめたい気持ちになりました。

 それから2時間くらいたった頃、父がふと言いました。
「今日はりくはおとなしいなあ。」
ああ、やはりそうなのか。
「私に叱られたから・・・」と正直に言うと、事情を知った父は、「犬が物を噛むのは当たり前だ。そんな大事な物を床に置いておいたお前が悪い。」と言いました。
おっしゃる通りです。

「りく、姉ちゃん悪かったな。・・・仲直りの散歩に行こうか。」
まだ気落ちしている様子のりくを、「行こう、行こう」とせきたてて散歩に出ると、20分ほどでようやくいつものりくに戻りました。

 りくが何かを壊したのはその時だけです。






 その人が土手の道を自転車をこいでゆっくりやってくるのを見たとき、「ああ、この人か」と思いました。話に聞いていた「ジャーキーおじさん」です。ズボンの両ポケットにビーフジャーキーを大量に入れていて、散歩中の犬を見るとくれてやるのです。最初は警戒したのですが、ただの犬好きのおじさんで、犬に食べ物をあげるのがうれしくてしかたない人なのでした。

 おじさんの左右のポケットには種類の違うジャーキーが入っています。一つはスティック状の細い犬用のジャーキー、もう一つは太くて短い人間が食べるようなジャーキーです。父が散歩中に、りくは両方いただいたそうです。

 しばらくして、やはり父の散歩中にまたおじさんに会いました。おじさんは細いジャーキーをりくに差し出しましたが、りくはお座りの姿勢のまま微動だにしません。
「あ~、この犬はおいしい方しか食べないのか~。」
とおじさんは叫び、りくに短くて太いジャーキーを差し出しました。こちらは躊躇なく、パクッと一口で食べたそうです。りくは一度あったことは全部覚えているので、お座りの姿勢でおじさんに、「おいしい方をください」とお願いしたのでした。

「この犬だけです。」
とおじさんはしきりに感心していたそうですが、父は家に帰ってきて、
「りく~、お父さんは顔から火が出るほど恥ずかしかった。」
と嘆いていました。


りくをグルメ犬にしたのは、他ならぬあなたですよ、お父さん。
父は自分がおいしいと思うものをかまわずりくにあげるので、りくの舌は肥えていくばかりです。

 私の気持ちを察したのかどうか、私がおじさんに会った時は、りくは両方のジャーキーをもらっていました。



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 お風呂が好きな犬がいるのかどうか知りませんが、りくはお風呂が嫌いです。今でこそあまり嫌がらなくなりましたが、それでも気配を察して毎回勝手口まで逃げてゆきます。朝一番の散歩に行った後、冬場は寒くないようにお湯を暖め返してからりくを湯船に入れます。最初は怖がって暴れましたが、なだめすかして入れました。

「朝からお風呂に入れる犬なんていないんだよ。小原庄助さんみたいだね。」
それからいっぺん出してシャンプーし、
「かゆいとこあったら、今言ってね。あとからやっぱりここもかゆかったと言われても困るよ。」 
(風呂に入れた直後に体を掻いているのを見ることほど、がっくりくるものはありません。)
最後の脅し文句は、
「きれいにしてないと八重丸君に嫌われるよ。」
泡を流した後、もう一度湯船に戻してきれいにすすいで入浴終了。吸水タオルで拭いて、晴れてお役御免となります。

 お風呂の後は人が(犬が)かわったようにハイになり、たいてい茶の間で大運動会になります。それがひとしきり済んでもまだ7時、兄が起きてきていつもは廊下で「おはよう」を言うとすぐ行ってしまうりくが、まとわりついているので不思議に思い、そして気づきます。
「あ~りく、お風呂に入ったのか。いい匂いするなあ。」
りくはこれを言ってもらいたくて、嫌なお風呂も我慢しているのです。



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りくは子供のころは茶の間で寝ていたのですが、最近は季節や状況によっていろいろなところで寝ています。たいていは父の寝室に一緒に行き、母の遺影のある座卓の前の座布団の上で寝ますが、冬は寒いので父を寝かしつけてから(本当です。父が寝たのを見届けると戻って来るのです。)茶の間に戻り、余熱のあるこたつで寝ます。

 私が実家に来ているときは全く状況が変わります。茶の間から私が私室としている客間に来て、ドアをカシャカシャして開けてもらおうとしますが、私が入れないとまた茶の間に戻るということを何度か繰り返します。
「明るくなる頃なら入れてやってもいいか、昼間は入って来るんだし・・・。」
と考えたのが運の尽きでした。夏なら5時にはもう明るくなりますが、冬は真っ暗です。そのうち、
「まだ暗いけど、4時半だから・・・まあ、いいか。」
となり、それが4時になり、とだんだん来る時間が早くなっていきました。やがて3時になり、2時になり、こちらも睡眠を中断されボーっとした頭で毎回時間を確かめるわけではないので、ついに12時より前にやってくるようになりました。入れなければいいのですが、カシャカシャがだんだん激しくなるのでそうもいかないのです。

 それだけではなく、はじめは足元のじゅうたんの上で寝ていたのに、次第に布団の上に侵食してくるようになりました。冬は寒いのか顕著にエスカレートしていきます。ついに我慢の限界を越えたとき、私は父に窮状を訴えました。
「お父さん、見てください。あそこにりくが寝てるんです。」
私の布団のほぼ中央にあるクレーターのようなくぼみを見て、父は言いました。
「こ、こんなド真ん中に・・・これはひどい。」
「でしょう。私は左右どっちかに寄って小さくなって寝ています。あのくぼみの真下に電気あんかがあるんです。」
「ほうっ。」
「ひさしを貸して母屋を取られた気分です。お父さんからもりくに言ってください。」
「りくはあんかの上で寝てるのか。あったかいところにいるんだな。そのへんがやっぱりりくは違うな。」
だめだ、話の焦点が完全にズレている・・・。 父による解決は望み薄だ、何か手を打たないと。

 その後、実家から自宅に帰って夜になり、なんだか自分がウキウキしていることに気づきました。そのわけを心の中でたどってみてわかりました。
「あー、手足を伸ばしてゆっくり寝られるのはいいなあ。」



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犬にもいろいろな性格の犬がいるように、猫にもいろいろいます。
りくには敵対心というものがないので、知らない相手に考えもなしに近寄って行きます。猫の後を追っていき、土手の階段の上で待ち構えた猫から猫パンチを食らっても、何が起きたのかわからず目をぱちくりさせたりします。

 夜、家の庭で猫が鳴いている時は怒って吠えますが、猫がきらいなのではなく、縄張りを荒らされるのが嫌なのです。りくはりくで家を守っているのですから。いつまでも止まないと兄が、
「りく、悪い猫を退治しに行こうねー。」
と言って、りくと一緒に出かけていきます。何をするわけではありません。一回りパトロールすると、りくは安心するのです。

 良好な関係の猫もいます。散歩中、通りがかりの人が、白と薄茶まだらの小柄な猫がりくと一緒にいるのを見て驚いていました。
「猫、逃げないんですね。」
「あの子たち、知り合いなんですよ。」
「知り合い・・・」
「ええ、お互い知り合いなんです。」
他に言いようがなく、同じ言葉を繰り返しました。別に仲がいいわけではないのですが、猫も気がいい子なので、りくに対して「なによっ。」という仕草で身を引くものの、くんくんにおいをかがれている間、じっとしています。動物にも知り合い程度の付き合いというものがあるのです。



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 まだ片耳の折れていた子犬の時分からりくはヘルベルトを知っています。1年後に会った時、りくは彼のことを覚えていて歓待していました。しかし、年に一度お正月を過ごしに来る彼をりくは違う群れ Rudel の人とみなしていたようです。

 「ほらね。」
客間にいた時、私は気づかなかったのですが、ヘルベルトがりくの繰り返す動作を指摘しました。
私を見る・・・、ドアを見る・・・
私を見る(「いっしょに」)・・・、ドアを見る(「茶の間に行こう」)・・・

茶の間はりくが一番落ち着ける場所です。りくにとって私は母親としての側面があるのだろうというのがヘルベルトの分析でした。この動作を延々繰り返されると、さすがに気が滅入ってきて、「ちょっと茶の間に行って来るね。」という」ことになります。

 散歩にもよく3人で出かけました。言われなければ気づかないほどの変化なのですが、私とヘルベルトがずっとおしゃべりしていると、りくが微妙に間に入ってこようとするのです。りくを蚊帳の外においていたつもりはないのですが、2人で話に熱中しているのがりくにはつまらなかったのかもしれません。りく、あれは・・・やきもちですか?



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   「りくは生まれて2カ月半でお母さんから離れてうちに来たんだな。」
ある時、父がしみじみ言いました。考えてみれば確かにそうです。私は急にりくが不憫になりました。

 また、東日本大震災の時のこと、兄は入院中の父をたまたま見舞っていて地震に遭いましたが、その時りくは一人で留守番中でした。老朽化した病院の天井や壁がパラパラと剥がれ落ちる中、「ここでお父さんと一緒に死ぬのか」と思うくらいの揺れだったそうで、結局父は入院を打ち切って、兄と一緒に自宅に戻ってきました。二人ともりくのことが心配でドアを開けると、りくは無事でした。それどころか、「危ないから、こっちこっち。」というしぐさを見せたとのこと、どこまでけなげな犬なのか。

 今では、ちょっとでも揺れるとすぐ父のもとに跳んできます。父は、
「一人で震災を耐え、怖かったんだろう。」
と言います。またまた、不憫になってしまいます。
 この二つのことが心にひっかかって、ついついりくには甘くなってしまうのです。



15


 りくがまだ子犬の頃のことです。久しぶりに帰省し、滞在中に買い物に出かけて帰ってきた時、父が言いました。
「もう、りくには参った。」
私のいない間、ずっと父にまとわりつき、ぐずぐず何事か言っていたとのこと。訴えの中身は、
「姉ちゃんがいなくなったから探して。」
「いなくなったんじゃなくて、買い物に行ったんだよ。」
と言ってもわからず、帰るまでずっと訴えていたので、ほとほと困ったそうです。

 それからは、必ず買い物に行くことを告げ、勝手口から出るようになりました。玄関から出ると、しばらく旅に出る(=いなくなる)のだなとりくは理解するのです。3時間くらいのお出かけは許容されますが、それ以上長くなると、帰った時、「遅い!」と言って怒ります。ですから、気分を変えさせるためにそのまま散歩に出るのが習いとなりました。

 私は夜に外出することはまずないのですが、先日はクリスマスイヴ礼拝のため夕方出かけました。りくは4時ころから台所に行ったまま、勝手口の前でお座りしていたとのこと。
「まだ、当分戻って来ないよ。」
と父に言われてもりくは聞く耳を持たなかったそうです。私が7時過ぎに戻ってドアを開けると、果たしてりくはそこにいました。それからが大変、私は「帰りが遅い!」と叱られ、夜だというのにりくの機嫌をとるため散歩に出る羽目になったのです。



16


 「そろそろお父さんに電話しなくちゃ。」
一週間ほど間があくと、私は父に電話します。いつも決まって夜7時頃です。父は電話に出るとすぐに、
「あー、待って、来た来た。」
と言ってりくに代わります。その時間の電話は私からとわかるようで、りくは別の場所にいてもやってくるとのこと。父が受話器をりくの耳につけているので、私が一方的にしゃべります。

「はい、受話器なめてます。」(もしくは、「はい、電話線なめてます。」)
と、父の実況中継が入ったあと父と話します。いつも用事は特にないので雑談です。話が終わると父は、
「もう一回ね。」
と言って、再びりくに代わります。りくとしゃべっている方が長いくらいです。
毎回繰り返される出来事なので、今ではこう言うようになりました。
「あー、そろそろ、りくに電話しなくちゃ。」



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 「帰ってから、りくどうしてた?」
「午後中、お休みになってました。夕方、やっと元気になったよ。」
父の言葉に私はため息をつきます。私が帰省していると、りくはいつもする昼寝をしなかったり、普段は8時前に眠るのに私にお相伴して寝るのが遅くなってしまうのです。それだけでなく、うれしくて気が張っているようで、要するに調子が狂ってしまうのです。いつも私が帰った後ぐったりするとのこと、本当に困ってしまいます。

 「りくのベルト、切れちゃったよ。」
と電話があったこともありました。りくに似合うだろうと思って買った皮のハーネスでしたが、不良品だったのかなと納品書を手に帰省したところ、ハーネスには明らかにりくの歯形が・・・。
 そのようなことが二度あり、どうやら私がいなくなるとりくは寂しくて革ひもを噛んでしまうのだとわかりました。可哀そうですが、どうしようもありません。革ひもはあきらめました。



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 冬場はさすがにしないのですが、兄とりくはよく夜中に散歩をします。(父はこれを「夜遊び」と呼んでいます。) 夏の昼間は暑いこともあって、夜、兄が階下に降りてきた時に散歩をせがんだのが最初のようです。りくの賢いところは「無駄な動きがない」ところで、たとえばお風呂に入っている最中はまったくやって来ないのですが、入浴が終わるか終らないかのタイミングでやってくると言います。眠い時に散歩は厄介なので、「今日は来ないな、逃げ切れそうだ。」と思った瞬間に姿を現すとのこと。

 或る時ふと目が覚めると、風呂場の灯りが廊下に漏れていました。兄がお風呂に入っているのだなと思いつつまた眠りに落ちようとした時、傍らで寝ていたりくがすぅっと出ていくのがわかりました。風呂場の電気が消えたのはその数秒後で、気味が悪いほど絶妙なタイミングでした。兄が言っていた言葉を目の当たりにし、その正確な予測能力に恐れ入りました。常にどんな音でも拾うべく360度小刻みに動く耳と、動物的な勘の賜物でしょう。



19



 
 りくは誰かと遊ぶのが大好きなのですが、遊んでもらえないときは一人でおもちゃで遊びます。おとなしくしているなと思うと、たいていぬいぐるみの綿出しに熱中しています。

 おもちゃ箱から好みのおもちゃを持ってきて遊ぶのを見ていると、おもちゃとそうでないものの区別がついているのはすごいなとあらためて思います。大好きなぬいぐるみほどぼろぼろになっています。



 たまにふざけて、
「これ貸して。」
というと、りくはぬいぐるみを噛みしめたまま、
「貸せません。」
と言います。
「なんで貸せないの?」
と聞くと、さらにぐっと噛みしめて、
「自分のだから貸せません。」
とのこと。それから私はりくの動きを観察し、隙を見て、
「そんなこと言わないで貸してよ。」
と、おもちゃの取り合いをして、ひとしきりりくと楽しく遊びます。



20

 夏か冬かと言われれば、りくは断然冬が好きです。柴犬の毛はダブルコートで皮膚が見えぬほどびっしり生えていますから、夏は大変です。一度もう日が傾いたから大丈夫かと散歩に連れて行ったら、熱中症の症状を引き起こし、あわてて帰ってエアコンの風に当てて事なきを得た経験があり、あの時はどうなることかと思いました。

 冬は雪の中でも大喜びで跳ね回っているのに、家の中に入ると途端にいつも一番暖かいところに陣取るのです。一つ心配になるのはストーブの目の前にいることです。赤ちゃんの時はファンヒーターを使っており、熱風がものすごい勢いで出てくる真ん前に顔を向けているので、いつもすぐお尻を向け直していたのですが、気がつくとまた熱風を顔に浴びているのでした。

 今は昔ながらの火の見える石油ストーブを使っていますが、同じく真ん前に陣取っているので、頭を触ってみると熱くなっています。人間が同じ位置に顔を置いてみるととても長くはいられません。


犬が好きでやっている以上、心配はないのかもしれませんが、鼻がカパカパに乾いていてもいいのでしょうか。これだけはどうしてもわかりません。



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 めったに見られないのですが、りくの顔でとりわけかわいいのは、寝ている時に犬歯の先っぽがちらっと外に出ている顔です。歯茎をめくってみると大きく立派な犬歯で、「おお、やはり狼の末裔だな。」と思います。お風呂と同じで子供の頃からもっと歯磨きに慣れさせておけばよかったなあと思います。たまに歯ブラシのついた指サックで歯をみがいてやるのですが、慣れないせいか嫌がります。「いやだけどママは本気で噛めません」という犬川柳さながら、りくもそんな感じで耐えています。

 以前、りくを連れて遠出した時に、自宅で黒柴を飼っているという若い姉妹が「犬触ってもいいですか。」とやってきたのですが、りくを見て、「体細い、脚長い、歯白い」と言ってほめてくれました。飼い主はほとんど何もしていないのに、りくは本当に手のかからない犬です。

  りくは兄と朝食を食べるのが日課になっていますが、もらったパンのかけらに耳がついていると、「ん?ちょっと硬いな。」という顔をします。一度出して噛みなおしているのを見ると、思わず「あなたの牙は何のためにあるの?」と言ってしまいます。「りくはちっちゃい弱っちい狼だな。」と兄はあきれています。



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 りくのことで家族の一致した意見は、「毎日見ててもかわいいね。」ということです。いつも正面から相手にしなければならないので疲れることもありますが、邪気がないので何もかも許せます。

 りくは常に散歩に行くチャンスを狙っていて、父はやることが一段落するか気が乗らないとダメなこと、兄には前足で肩や腕をポンポン叩くと成功すること、私には礼儀正しくお座りしてじっと見つめるのが有効なことを知っており、それぞれうまく使い分けています。

 寒い日で散歩に出たくない時は、りくに見つめられても目をそらし、体の向きをかえるのですが、りくはその方向に移動し目を合わそうとします。父が間髪入れず、「りく、粘れよー。」と合いの手をいれます。私は、「りく、お父さんに頼んで。」と言うのですが、りくはその時その時で状況を瞬時に判断し、ターゲットにロックオンします。結局、りくに選ばれた方が散歩に出る羽目になるのです。



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 りくは素直で控えめな性格です。外の人に対してはそのまま外面よくふるまっているのですが、家族にはあまのじゃくな面を見せます。
 
 散歩でいつもの場所のあたりまで行って「さあ、そろそろ帰ろうか。」と言うと、必ず「やだ、もう少し行く。」とがんばります。負けたふりして「じゃあ、あと少しね。」と言ってほんの10mほど歩き、「さあ帰ろう。」と言うと今度は素直についてきます。

 帰ってきて家に入ろうとすると、「僕、入らない。」と一度は言います。どんなに寒い日でも毛皮を着ているのでへっちゃらです。
「姉ちゃんは家に入るよ。りくは入らないんだね。じゃあね。」
と庭につないで私は家に入ります。一人で静かに遊んでいたり、通る人や犬に声を掛けたりしているうちはいいのですが、わりとすぐ「家に入りたい。」と言って鳴きます。特に家の中から家人の話し声や笑い声が聞こえてくるともう一人ではいられないようです。やはり群れで暮らす種族なのです。

「だからさっき家に入るよって言ったでしょ。」
もう一度外へ行ってりくを抱き上げ足を洗って家に入れるのは面倒なので、私はいつもりくに文句を言うのですが、りくはどこ吹く風です。父がりくのおへそのあたりをグリグリしながら、「ここが曲がっている子がいますね。」と言うと、りくはお腹を見せてあおむけになり、すっかり甘えています。ため息・・・。



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 真夜中にりくの吠える声で起こされました。夜中に吠えるのは私の知る限り初めてのことです。いつまでも止まず、「ううーっ。」とうなりながら落ち着かない様子。春のこの季節、原因は猫です。近所迷惑でもあるので、兄がりくの猫退治に同行し二人で出かけて行きます。あとで聞くと、玄関先に堂々と猫がおり、りくの縄張りを荒らしていたのでした。

 また、私がいない時に、朝方吠えた時もあったそうで、父が見に行くと猫が5匹もそろって家の前でミーティングしていたとのこと。父曰く、
「あれじゃ、りくが怒るのも無理はない。」
そんなわけで、寝不足のりくは昼間ぐったりしています。両手で鼻を抱え込むようにして寝るのは、柴犬の特徴でしょうか。春はりくにとって心休まる時がない季節でもあります。



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 りくは食べ物に対して執着がない犬です。父からおいしい食べ物をもらう時はそれなりに意気込んで食べますが、普段はドッグフードの食事にさほど意欲的ではないのです。犬は食欲がほぼ全てと思っていた私には驚きでした。

 年に一度の検診の折、血液検査でりくが人間の食べ物を食べていることがばれてしまい、指導を受けました。今まで食べていたドッグフードは量販店で父が買ってくる柴犬用のものです。あまりおいしくはないようで、りくは父に
「ぜいたくを言うな。」
と言われていますが、チーズやお肉を細かく切って混ぜてあげないと食が進みません。特に食欲の落ちる夏場は食べさせるのに苦労します。

 そのため、ものは試しと、医者に奨められたドッグフードを与えてみることにしました。ペットフードに力を入れている店には置いてありますが、どこの量販店にもあるわけではないものです。犬種によってまた年齢によって細かく種類が分かれていて、聞いたこともない犬種のものまであるのですが、外国製のためか「柴犬用」のものは見当たりません。とりあえず、「皮膚が敏感な犬用」というのを選び、購入しました。りくは皮膚が過敏な犬ではありませんが、成分に気を遣っているようなので、(犬種によってどれほどの違いがあるかわかりませんが)意味もなく「プードル用」とか「シュナウザー用」とかを与えるよりいいかなと。これを初めて食べさせたとき、今まで見たこともない勢いでバクバク食べるので圧倒されてしまいました。父も驚いて息を呑みました。
「本気になって食べてる・・・」
トッピングをせずにドッグフードのみでも食べるのはこのメーカーです。以前食べていたものの6倍の値段ですが、りくのためならえんやこらです。



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 「マジ思う 犬に生まれて よかったな」
りくを見ているとこの犬川柳を思い浮かべます。父のおかげでりくは至れり尽くせりの生活を送っており、時々、「何か不足あるかい?」と聞かれていますが、あるわけがありません。

 しかし、りくにもお仕事はあります。一つ目は、タイムキーパーです。私がいない時は、りくが朝父を起こして散歩に出ます。散歩は1日も欠かせないことなので大変ですが、父の健康維持に役立ってもいます。帰省中にりくと朝一の散歩をした後、7時近くになっても父が起きてこないことがあり、ちょっと怖くなって、「りく、お父さん起こしてきて。」と頼んだこともあります。この時はただの寝坊でした。私が家にいるとりくは子ども返りしてしまうようで、普段の実態が把握できないのですが、兄が起きてくる時間には廊下に出てゆき、階段の下で待っているといいます。

 もう一つの仕事は、家を守ることです。いつも茶の間のカーテンの陰から外を眺め、天下国家の情勢を見極め、家にやって来る訪問者や宅急便等があれば吠えて父に知らせます。父は耳が遠く、玄関のチャイムが鳴っても聞こえないことが多いので、聴導犬としてりくは本当に大切な役割を果たしています。出入りの犬好きのガス屋さんをはじめ、外にいる時は近所の方々、通りがかりの人に至るまで、みなりくに声を掛けかわいがってくれます。

 三つ目は、ホームドクターとしての役目です。りくの健気さやのんびりした様子を見ていると、たいていのことは「ま、いいか。」と思えます。疲れていてもりくと遊ぶと疲れが吹っ飛びます。
「りく、兄ちゃんに『タバコは体に悪いからやめて』って言ってね。」
「天気が悪い時はタクシー使えばいいのにね。りく、お父さんに言ってやって。」
本人を前に言いにくいことは、みんなりくに頼みます。りくは専属の精神科医です。なかなかの名医です。



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 りくはお風呂や歯磨きが嫌いですが、写真撮影はもっと嫌いです。
「か、かわいい。」と思ってカメラを向けると、りくは必ず横を向いてしまいます。
「りくー、こっち向いて。」と言っても、がんとして向きません。
「やだな、また撮影か・・・」と思っているようです。まして普段と違う状況ではまったくりくのよさが出ないのです。一度、雨の日用のレインコートを着せて撮影しようとしたら、固まってしまい失敗。りくはモデル犬にはなれません。

「外にいる」と言うりくを残して家に入り、外で何をしているのかなとそっと覗いてみると、向こうも私を見ていた時の首をかしげた顔。
茶の間の扉を開けた時こちらを見る、まるでシュタイフのクマのぬいぐるみのような顔。
朝、「おはよう」を言いに来る時のうれしさに輝いた顔。
こういう顔は決して写真におさめることができないのです。なんと残念なことでしょう。

 先日、八重丸君が散歩の途中でうちに寄ってくれた時、カメラが近くにあったので一緒の撮影を試みたのですが、ふたりとも撮影嫌いと判明。せっかくの時間を邪魔しちゃってごめんね。













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 長かった福島の冬が終わったと思ったら、あっという間にもう夏ですが、この間に避けられないのがりくの抜け毛問題です。3月頃から4月いっぱい、ふわふわの下毛が抜けて夏用の毛皮になります。

 この時期は、表面の剛毛から綿毛が飛び出ているなと思い、つまんでみるとごそっと驚くほど抜けます。首のあたりなどは下毛がだぶついたようになっているのでブラシを当ててやると、気持ちよさそうにしています。どんどん取れるのでちょっと心配になるほどで、いつまでやってもきりがありません。
「りく、ずいぶんやせたね。」
と言って、適当に終わりにします。父は風の強い日に土手の上でブラッシングをするそうです。

 抜け毛の季節に特に大変なのはお風呂はです。風呂場の排水口は抜け毛の山、また風呂からあがった後にりくが歩いたところには毛が落ちています。
「りく、毛を落とすな。」
と父が言うのですが、それは無理というもの。りくが悪いわけではないのです。家中掃除機をかけてやっとお風呂が一段落、ふぅー。

 秋にも毛の抜け替えがありますが春ほどではありません。抜け毛と言うとドキッとしますが、自然の摂理なので「りくの抜け毛は心配なし」っと。



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 いい季節の散歩は本当に楽しいものですが、冬は大変です。特に雪道はただ歩くのも芸がないので時々買い物と組み合わせて遠出します。1キロくらい離れたコンビニによく行くのですが、りくにとって遠出の時は目新しい物が満載なのでうれしそうです。絶対必要なのはトイレ用品、道のりが長いので必ずします。

 コンビニの駐車場の端の危なくないところにりくをつなぎ、
「すぐ戻るからね。いい子にして待っててね。」
と言い聞かせ、店に入ります。りくはおとなしく私を見送ります。買う物は決めてあるので時間はかかりません。店内から出てくる私の姿を見つけると、途端にりくは吠え始めます。私が駆け寄ると、全身で喜びを表現しまとわりついてきます。たぶん3分くらいしかたっていないのに、1ヶ月ぶりの再会かと錯覚するほどです。知らない人が見たら、動物虐待と思われないか心配になります。



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 りくはとにかく散歩好き。散歩に行って1時間もしないうちに「また行きたい」と言うこともあり、「りくと散歩にばかり行っていられないんだよ。」ということもしばしば。朝一で行き、父が午前中に一回行き(実はりくは私が帰省している時は私と行きたいのです。父に呼ばれてもじとっと私の方を見て、後ろ髪を引かれるようにして出ていきます。)、その後私に再度せがみ、気分がよければ午後に一回、夕方食事の支度を始める前に行けたらまた行き、行けなければ夕飯後、さらに夜兄が一回と数えてみれば相当行っています。

 近所に外で飼われている犬がいるのですが(昔はあたりまえのことでした。)、そちらの方はあまり通らないようにしています。なんだか可哀想なのです。1年中北側のあまり陽の当たらない場所につながれていて(もちろん散歩はしています。)、その前をこれ見よがしにりくが通ったりすると、険しい顔で歯をむいたりすることがあります。無理もないよなあと思います。この上、りくが内犬で家じゅう自由に歩き回れて寒い冬にはストーブの前でぬくぬくしているなどと知ったらどうなってしまうのでしょうか。
 
 普段通るルートはだいたい決まっていますが、時々りくが「今日はこっちに行きたい。」と主張することがあります。行けるときはつきあいます。また猛吹雪でとても土手は歩けない時でもりくは行こうとするので、「今日は無理」と言って民家の方のルートに変えます。

 犬なら本性で散歩は自然とできるのかと思っていたのですが、そうではありません。最初は外に連れていっても散歩になりませんでした。どっちに行っていいかわからず、右往左往、ちょっと進んだかと思うとまた逆方向に行こうとし・・・ああ、そんな時期もありました。今は毎日寄る場所もあってなにかりくなりにチェックすることがあるらしく、自信をもって自分のペースで散歩しています。立派な犬になりました。



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 ロイヤルカナンから今年ついに柴犬用のドッグフードが発売されました。消化率90%以上のタンパク質を24%以上含み、脂質は12%以上、粗繊維等の量も申し分ないようです。洋犬のものとそう違うとも思えませんが、日本のブリーダーと共同開発とのこと、さっそく購入して与えてみました。始めはほんの少しずつ味を見ていたようでしたが、そのうちバクバク食べ出し、3回お代わりしました。今まで食べていたものも一応置いてみると食べ比べていました。

 お腹が空けば何でも食べるのでしょうけれど、確かに毎日同じものだと、犬とはいえ飽きるのだろうなあと思います。このへんは新商品の発売をつい楽しみに試してしまう人間と同じす。それにしても、人間が5キロ3千円の米を食べているのに、りくは3キロ3千円のドッグフードを食べていることに多少疑問を感じないわけでもありません。



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 私が子供の頃は福島は、夏とても暑い土地として有名でした。
「今日も全国で一番暑かったよ。」
という日がよくあったのです。しかし今、東京から福島に来ると、明らかに涼しいと感じます。思い出してみればあの頃は暑いといっても34℃、最高に暑くても35℃くらいだったと思います。一般家庭にエアコンが入ったのは私が高校生の頃で、それまではぬれタオルと扇風機だけでなんとかやっていたのです。今、日本で一番暑い地域はそれより5℃以上も気温が上昇しており、熱中症による命の危険を心配しなければならなくなりました。

福島は相対的に涼しくなったといっても、毛皮を着た身にはやはり暑いようです。朝早くの散歩はいいのですが、その後はもう暑くなり夕方まで外に出せないこともしばしばです。外に行きたいと言うこともありますが、実際出してみると「やっぱり無理でした」と自分でわかり、「家に帰る」と言います。家の中では風の通り道など比較的涼しいところにいますが、茶の間にいる時は父がエアコンをかけてあげています。父はエアコンも扇風機の風も苦手で、普段何も使わずに暑い茶の間にいることが多いのです。私がエアコンをかけると、「暑くない。」と言って切ってしまうほどです。それなのにりくがいると、
「あの子は暑さに弱いから。」
と言って自分でエアコンをかけるのです。これっていったい・・・。もはやりくはお犬様の域に達しているのです。




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 食に関してりくは全くガツガツしたところのない犬で、時々もうちょっと食欲があればいいのになと思うことがあります。りくに食事させるのは結構大変です。ドッグフードだけを食器に入れても食べるのはよほどお腹が空いている時で、たいていはふうっと匂いを嗅いでそのまま行ってしまいます。
「そんなわがまま言う子は食べなくていいんだ。」
と私は言うのですが、また戻ってきてこちらの顔をうかがっているので、ついトッピングをしてしまいます。

 りくの戦略はただ一つ、「食事は急がない」です。夏の暑い時、食欲が落ちあまりに食べないので、「このままでは夏バテしてしまう。」と、お肉やら卵やらチーズやらを混ぜて食べさせていたことから、「食べずにいるとだんだんおいしいものが出てくる」と学んだようです。 なるべくドッグフードを食べさせ、あとはご飯のおかずを少し分けてあげますが、やはり人間の食べ物の方がおいしいので、ドッグフードをえり分けて食器の外に出しながら食べています。

 先日、愛犬を亡くされた方から「りくちゃんに。」と、缶詰を3缶いただきました。「ひな鶏レバーの水煮」という、りくがついぞ食べたことのない高級品です。さっそくその晩いつものドッグフードを混ぜてあげてみると、ひどく勢い込んで食べています。普段は残すドッグフードもきれいに完食! しかも、いつもは食べ終わるとスーッといなくなるのに、この日はいつまでも私のそばをうろうろしています。よほどおいしかったのでしょう。
「さくらちゃんに『おいしいものありがとう』って言わねばね。次は・・・2か月後のお誕生日!」
これは意地悪からではありません。



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 りくを見ていると毎日ヒマだろうなと思います。朝、家人を起こし兄を見送った後は、郵便や宅配の対応以外はとくにすることがありません。他の家人は出かける用事や買い物があるのでその見送りやお出迎えくらいはしますが、あとは寝そべってうとうとしていたり、念入りに身づくろいをしたりしています。犬の睡眠時間は12~15時間と言いますから、まあいいのでしょう。

 そのかわり、兄が帰ってきた時の喜びようは大変なものです。車が帰ってきたことを他の家人に知らせる時、吠えるだけでなく声を絞り出すようにして明らかに何か話しているのです。感極まった訴えがあまりに真剣なので、「ああ、一日中待ってたんだな。」と思います。これが毎日の出来事なのです。

 兄が姿を現すまで、また洗面や着替えをしてりくを相手にできるまで結構時間がかかるので、その間、りくはうれしくてどうしていいかわからないようです。父にかかっていったり、大好きな「弟くん」という名のぬいぐるみを振り回したりしています。やっと兄と遊べるようになると、頭をつけてピョンピョン跳ねたり、お腹を出してあおむけになったり(この時前足は完全に脱力し、まるで「うらめしやー」というような格好になっています。) まったく甘えきっているのです。

 りくはまもなく七つになります。犬の年齢は七掛けといいますから、人間でいえばもう「天命を知る」歳に近いのです。こんな甘えっ子でいいのでしょうか。





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 帰省したら父がいなかったので、変だなとは思ったのです。りくが大喜びで迎えてくれましたが、こちらもいつもとちょっと違う感じ。なんだかびっくりして戸惑っているようでした。

 理由がわかったのは一週間ほどして、来月の予定を壁に掛かったカレンダーに書き込もうとした時でした。いつも父にわかるように、到着日と出発日を赤ペンで書いておいたのですが、今月のカレンダーは真っ白でした。書き忘れたのです。何日か前に電話でも知らせておいたのですが、父は耳が遠くて伝わっていなかったようです。
「カレンダーに書き込むの忘れてた。」
と言うと、父が
「そうだよ。だから、りくには、『今月は姉ちゃん来れないんだよ。』と言い聞かせておいた。」と。

 それでか・・・。だから玄関を開けた時、りくはふいを突かれていつもと対応がちがったのです。いつもは私が帰る日の3日前から、父はりくに
「いい子にしてたら、姉ちゃん帰ってくるかもしれないよ。」
と話し、当日は玄関にスリッパを出しておくので、りくは私の帰宅を確信し、期待でいっぱいになって待っているのです。うっかりしてたな、りくも調子が狂ったろうね。



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 りくは父と過ごす時間が長いので対応の仕方を一番よく心得ています。説教が始まると場所を移動し、馬耳東風と聞き流します。「(散歩に)行くぞ。」と声が掛かると勇んで勝手口に馳せ参じます。父が台所に立つときは時々行って監督します。(食が細い割には、自分に関係のある物が調理されているかどうか気になるようです。)

 時には「今忙しいから、自分で工夫して遊んでなさい。」という高度な課題が課せられることもありますが、それなりに理解しおもちゃ箱からその時々の気分でおもちゃを選んで遊んでいます。私が父と言葉でやり取りするとつい言いすぎて、お互い気まずい思いをすることがありますが、りくは本当に賢いなと感心します。見習わなければと思うことがしょっちゅうです。



37

「あら~、美しい犬だこと。」
「きれいだね~、かわいい。」
散歩中、りくはいろいろな人からいろいろな声を掛けられます。大きな声で思ったことをそのまま発声するご婦人がいるかと思うと、ひそひそ話をしながら通るご夫婦もいます。

「あの犬、かっこいいね。」
「うん、かっこいい。」
思わず耳がダンボです。

 土手を大型犬が登ってくるので、りくがお座りして通り過ぎるのを待っていたら、
「まあー、立派。なんて立派な。」
と飼い主さん。

「何か見てるんですね。」
「ええ、川を見ています。」
りくは土手の決まった場所で向こう岸に向かってきちんと座り、じっと川をながめるのが好きです。放っておくといつまでも見ているので、「そろそろ行くよ。」と言って散歩の続きを促します。

「りくちゃんですね。」
「はい、りくです。」
りくの名は知っているのですが、何かしら声を掛けたいのです。
「りくちゃんでしょう、八重丸君のお友達の。」
交友関係まで知られている・・・。
「りくちゃん、りくちゃん。」
とひたすら名前を連呼する方もいます。

 りくの態度はいつも同じ、まったくどこ吹く風なのです。もうちょっと愛想よくしてちょうだい。



38


 私が帰省している時といない時とで、対応が変わるりくのしつけとしては「外から帰ってきた時の足の洗い方」があります。普段はぬれ雑巾で足を拭くだけで家に入れているようなのですが、私がいる時は必ず水道で足を洗うようにしています。これも子供の時からきちんと慣れさせておけばよかったと思うことです。いや、軽々抱き上げられる子犬の頃は足を洗っていたのですが、だんだん重くなるにつれて足拭きに移行していったというのが真相です。

りくにはいつも
「姉ちゃんが来たからには足を洗わないと家に入れないんだよ。」
と言っています。すでに10キロはあるりくを抱っこしたまま、まず後ろ足を水道で洗い、それから流しのふちに後ろ足で立たせて、体はしっかり支えながら前足を洗います。とても不安定な姿勢なのでりくは足を洗うのがきらいなのです。

 他の家人と散歩に行って戻って来た時、勝手口に私がいないようだと思うと、りくはそのまま入ろうとしますが、たいていは待ち構えていて
「そうはいかないんだよ。悪い生活から足を洗ってください。」
と言って抱っこします。りくは
「あー、見つかっちゃった。」
というふうに仕方なく足を洗います。




39


 人間に利き手があるように犬にも利き前足があります。りくは前足を交差して寝そべっている時、必ず左手を上にしています。人が指を組むときどちらの親指が上にくるか決まっているのと同じです。これに気づいたのは父で、りくの姿を声に出して描写していたら、いつも「左手、前」だったのです。

 東京に帰る日、兄に駅まで送ってもらう前に車の窓を開けてりくに別れの挨拶をするのですが、このとき父にだっこされたりくが出すのは決まって右前足です。犬も時と場合によって使う足が決まっているようです。私はそんなことを考えてもみなかったのですが、いつも一緒にいるだけあってさすがに父の観察は鋭い。



40


 りくはよく茶の間の出入り口に陣取っています。以前はうっかり開けて入ろうとして踏みそうになり、
「こんなところにいたら危ないでしょ。」
と言っていたのですが、今ではもう定位置の一つになりました。そこはりくが家族の出入りをチェックする関所なのです。

 夜、茶の間で寝ているりくを残し、洗面所で歯を磨き眠ろうとしてふと見ると、廊下の先に黒々と切り立った山のような三角お耳のシルエット・・・。寝ていたはずのりくがじっとこちらを見ているのです。兄の話では、夜中に階下に下りてきて、ふと振り返るとすぐ後ろに音もなくりくがいて、「ぎょっ」とすることもたびたびとか。

 りくはいつでも家族の動きを把握しています。私が帰省していると、把握しなければならない対象が増えて大変そうです。だから疲れちゃうんだよ、りく。



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  りくは普段茶の間の座布団の上でおっとり、のんびりしていますが、時折同じ犬かと思うほど豹変することがあります。何かの拍子にスイッチが入ると、茶の間や土手下の小さな区画を所狭しと駆け回り、急にブレーキをかけて止まったり方向転換をしたりするのです。また、おもちゃを取り出して振り回したり放り投げてはまたくわえたり、どこにこんな敏捷性が隠れていたのかと思う動きをします。

 何がスイッチになるのかよくわかりませんが、確実なのはお風呂の後。それからたまに、家族が帰宅した時や夕飯の直前に行うこともあります。たぶん気持ちが高まる時なのでしょう。この状態になると止めることはできませんし、手が付けられません。わずかに残る野生の趣を感じ、近寄るのもためらわれるので、気が済むまでやらせておきます。




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 「りくに掛け布団をつくってやって。」
と父に言われ唖然としました。りくにどうして掛け布団が要るのでしょうか。りくは私がいない時はこたつの余熱のあるところで寝るのですから寒いはずはないのです。父が言うには、夜起きるたび、こたつカバーを体に掛けてあげているがもっとちゃんとしたのを掛けてあげたいとのこと。どこまで過保護なのでしょう。

 外で寝ている犬だっているのです。掛け布団なんて必要ないと思いましたが、父の頼みを無下にもできません。しかたなく古い毛布をあげました。りくはもう雪ん子のようです。こんなことをしていてかえって寒さに対する耐性を失わないのでしょうか。


 私が帰省しているとりくは必ず私の部屋にやってきて寝ます。掛け布団はありませんが、ずっといるところを見ると平気なのでしょう。もっとも私の部屋では、りくは始め布団のわきにいますが、そのうちズイズイと上がってきて電気あんかを探り当て、その上で寝ています。控えめなようで案外ちゃっかりしているのが柴犬の気質かもしれません。
「飼い犬にあんか取られてもらい熱」
結局、私が寒いのであんかは2つにして1つはりくが使っています。



43


 春の風物詩、狂犬病の予防注射に行ってきました。これまでは父がやっていた仕事です。もともとはもう一日遅く福島に帰って、翌日の注射場所に行くつもりだったのですが、そこは小学校より遠く1キロ以上離れているので一番近い場所に行くことにしたのです。

そういえば、小学校6年の或る土曜日、「今日は学校が終わったらすぐ帰ってきてね。」と母に朝念を押され、帰るとその足で一緒に犬を連れて再び学校方向にとって返し、神社の境内で行われていた予防注射をしてきたのがその場所でした。今思うと、母もあそこまで一人で犬を連れて行く自信がなかったのでしょう。

「りく、注射に行くよ。」 
開始時刻の15分前くらいに家を出て、今日は道草を食わないようにしながら集合場所に行きました。いつもと違う雰囲気にりくは勢い込んでぐいぐい進んでいきます。集合場所に着くと、注射はもう始まっていました。獣医は2人。終わった犬はどんどん帰っていくのでその場にいたのは数匹ですが、最近の傾向なのか小型犬が多い。なんとそこではりくが一番大きいくらいでした。小型犬は注射の時、怖いのか、本当に痛いのか、キャンキャン鳴いて阿鼻叫喚の様相を呈していました。りくは物怖じしない様子でいましたが、獣医が注射器を持って迫ってくると逃げ腰になりました。
「だっこします。」
「だっこがいいですね。」
だっこしたまま後ろを向けるとお尻のあたりにチクッとされておしまい。りくは一言も発しませんでした。
「おりこうさんでした。」

 まっすぐ帰って寝かせました。今日は大丈夫でしたが、6月ころ動物病院で行う3種混合ワクチンの注射の時は幾度か具合が悪くなったと聞いていたからです。りくはりくなりに疲れたようで、鼻を抱え込んで午後はぐっすり寝ていました。










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「電飾ガオーに会った。」
「どうだった?」
「相変わらずだけど、離しておいたから。」

 私は夜はりくの散歩をしないのでその状態で会ったことがないのですが、「たぶんあの子だなあ。」と心当たりの犬がいます。昼間一度会ったとき、りくが唯一、一戦を交えた犬なのです。普通に散歩させていたら、「グルルルー」とうなり声をあげて襲ってきたのです。りくより少し大きくがたいがよい犬でした。あわててリードを引きましたが、お互い少々やりあった後でした。両者とも噛んではいないと思うのですが一応飼い主同士名前のやりとりをして別れました。

 散歩中、気性が荒い犬に出会うことも結構ありますが、あれほどの犬は初めてです。りくだけでなくあらゆる犬に対して凶暴な態度を示すようでした。りくが売られた喧嘩を買うタイプというのもこの時まで知りませんでした。犬川柳にあったっけ。
「喧嘩ダメ、言いつつ内心、負けちゃダメ」

 その後一回だけ昼間散歩した時にその犬に会いましたが、飼い主さんが遠くからこちらの姿を認めた途端、かなり重いだろうに犬を抱き上げて草地の端っこに寄っていました。こちらを気遣ってのことなのか、自衛のためなのかわかりませんでしたが、声を掛けられることもなくその後会うことがありませんでした。

 兄の言葉では、「気の荒い犬は他にもいるけど、あの子は特別。」とのこと。昼間散歩するといろんな問題が起こるから夜散歩することにしたのだろう、それも相手に警告する意味で遠くからも見える電飾状態でやってくるのだろうと。電飾は飼い主さんもしているとのことで、私はすっかり同情してしまいました。犬だって生まれつきの性格なのだから可哀そうといえば可哀そうです。りくみたいな性格に生まれていたら、なんの苦労もなくかわいがられていたでしょうに。





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 りくは普段の散歩以外は外出することが少ないので、たまのおでかけの時は落ち着きをなくします。新しいこと、久しぶりに経験することに興味津々なのです。

 先日は毎年の定期検診と混合ワクチンの注射に動物病院へ行きました。車で行くので二人いないとできない行事で、これまでは父がしていましたが今年から私の仕事です。

 入るとかごに入れられた猫の他、数匹の犬が待合室で待っていました。皆とても落ち着いていて、騒いだりする犬はいません。もっとすごい状態を想像していたのでちょっと拍子抜けしました。りくが一番興奮している感じです。しかしその日はあまり待たずに順番がまわってきました。

「りくちゃん、診察室にお入りください。」
と呼ばれ、兄はりくを診察台に上げました。獣医さんと話しながらゆっくり体重測定、体温測定、採血、問診と進んでいきます。りくは体重が9.78キロで去年と変わらないものの、これ以上体重が落ちたら痩せすぎと言われました。毎日苦労して食べさせているのにがっかりですが、もともと食が細いのですからどうしようもありません。

採血は足首のあたりからするのですが、結構時間がかかります。検査台の前に兄がいてりくの様子を見ていますが、りくは斜め後ろにいる私の方をじとっと見るので、「大丈夫だから。」と声掛けが必要です。体温は39.1度で正常値、人間より3度も高いのかと認識を新たにしました。フィラリアの検査結果は陰性で問題なし、血液検査の結果は後日郵送されることになっています。一番最後にお尻のあたりに混合ワクチンの注射がありましたが、これは痛かったらしく「きゃん」と鳴きました。

あとは家でゆっくり寝かせるだけですが、この日は兄が市役所で書類をとる用事があったのでついでに済ませて帰ることにしました。兄が用事をしている間、りくと私は駐車場の木陰で待っていると、同じく仕事で市役所に来たビジネスマン風のおじさんがりくを見つけ、声を掛けてきました。
「いくつですか。」
「7つです。」
と答えると、「えっ。」と驚いた様子。
「そんなになっているんですか。2つか3つだと思いました。」と。最近、「やはり年は争えない。りくもオヤジ顔になってきたな。」と思っていただけに、そんなに若く見えるのかとちょっとうれしく思いました。
「女の子ですか。」
「いえ、男の子です。優しい子なので女の子みたいなんですけど。」
「そうでしょう。」
本名の「紅春」からしてどうみても女の子の名前です。生まれた時からきっとぽやっとした感じの子犬だったにちがいありません。

 この日りくはちょっと疲れたようでしたが、具合が悪くなることもなく無事注射を終えて安心しました。また1年元気に過ごそうね。







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動物病院からりくの血液検査の結果が送られてきました。恐る恐る開封してみると、昨年ひっかかった肝酵素と無機リンの数値が正常値になり、若干基準値を外れている項目があるものの、「今回の血液検査では大きな問題はありませんでした。」とのうれしいコメント。食生活に気を配っていた甲斐がありました。

 犬には良質のドッグフードが一番よく、食事はそれのみでよいのですが、すでに人間の食べ物をもらってきたグルメ犬にとってそれだけではすまないのが頭の痛い点です。少しはおいしいものをあげつつドッグフードをどれだけたくさん与えられるかが勝負です。(りくがドッグフードのみでも食べるのはお風呂に入ってあからさまに体力を消耗した時だけです。) 定番のチーズやちくわ、魚肉ソーセージは犬の健康にそう悪いこともないだろうと思うのでよくトッピングします。

 また、古代からのDNAに折り込み済みなのかと思うほどりくは米飯が大好きなので(本当のところは父の食事のお相伴をしていたからにすぎないでしょうが)、ご飯をドッグフードに混ぜて少量の肉や魚とともに与えることもよくあります。ちょっと古くなってきたかなと思う卵なども玉子焼きにしてドッグフードとともにあげます。こうしてりくの健康が保たれています。いやーよかった。





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 最近私は、父が使っていた和室を寝室としているのですが、必ずりくがやってくるので自分の布団のわきにりくの毛布を敷いて寝床を作ってあります。これはなかなか良い方法で、りくは時々私の足元の布団の上に乗ってこようとするのですが、「だめです。」と言うとあきらめて自分の寝床にすごすごと戻ります。

 夏の朝はだいたい5時半頃起きて支度をし、りくと散歩にでます。先日気配を感じて目を開けたらすぐ上にりくの顔が・・・。それから前足で肩をポンポン叩かれたので、
「まだそんな時間じゃないでしょ。」
と言って時計を見ると20分の遅刻。もうそんな時間だったのです。いつだってりくが正しい。

 外出するとき、茶の間と和室の襖はだいたい閉めておくのですが、帰ってくるとたまに開いていることがあります。たまたま家に寄った兄が、「りくがカシャカシャしていたので開けてやった。」とのこと。外出するとき私は必ず
「行ってくるよ。お留守居頼むね。」
とりくに声を掛け、りくも私が勝手口から出ていくのを見ているのですが、そのうち、「ひょっとしたら和室にいるのではないか。」と思い探すようなのです。

そういえば、父がいた頃りくは、
「りく、カシャカシャじゃなくて、ノックはトントンってするんだよ。」
と言われていたっけ。お父さん、それはりくには無理でしょうが。





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 父が亡くなったということをりくはどうとらえているのか・・・これは私にも謎です。父の強烈な記憶があるはずなのに、一見したところ寂しそうだとか物思いにふけっているような様子はありません。勤めていた頃たまに帰省する私を「長旅に出ている群れの仲間」と認識していたように、父のこともそう思っているのかもしれません。もし再び現れるようなことがあれば欣喜雀躍して歓待をすることでしょう。また逆に、ひょっとすると犬にとっては眼前の現実がすべてなのかもしれませんが、本当のところはわかりません。

 りくにとって生活が変わったのは確かで、私がいないときは昼間は一人になってしまいました。東京でそれを思うと可哀そうでいてもたってもいられなくなるので考えないようにしています。兄が昼間家に戻れるときはできるだけ来るようにしているとのことですが、りくはだいたい寝て過ごしているようです。話を聞く限り、りくはそれなりに順応しているようなので、「あの子は賢いから。」と思って自分を納得させています。

 私は6時前にりくと散歩に出ますが、私がいないときは散歩の時間が1時間以上遅くなります。いなくなった翌朝にはりくは階段の下で兄に「散歩に行こう。」とわんわん声をかけるそうですが、兄が布団の中で完全無視を決め込むと翌日からは兄が起きてくるまでおとなしく待っているといいます。また、昼間寝ているのでりくは夜眠くならず、夜中も散歩に連れ出しているとのこと、ご苦労様です。

 私がいるとりくはべったりひっついていて、時々くんくんと甘えた声を出しながら「遊ぼう。」とか「散歩に連れてって。」とか言ってくるのですが、これも兄だけの時は兄の食事や用事が済むまでおとなしく待っているとのこと。要するに私がいるとりくは甘えきったダメ犬になるのです。りくのしつけには私がいない方がいいのかもと思うほどですが、もうこうなったら私がいる時は好きなだけ甘えさせてやろうと思います。





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りくにも夏休みをということで兄の車であづま運動公園に遊びに行きました。獣医さんに行くのではないとわかったらしく、車の中で窓に張り付いて外を見るのに大興奮。右、左、後ろと片時もじっとしていません。目的地に着いたらさらに興奮し、ふかふかの芝生の上をずんずん進んでいきます。お盆の真っ最中で人は少なく、手綱を離しても支障なく好きなように歩かせてやりました。30分ほど歩き結構疲れましたが、りくは元気いっぱいでした。持って行ってよかったのはなんといっても水筒。父が病院で使っていたものですが、カップに水を入れてやると飲むわ飲むわ、これがなければ大変でした。

 いったん車に戻り、民家園の駐車場へ移動。民家園はりくは入れないので兄とお留守居してもらいました。兄は何度か来ているので私だけ入園、といっても無料なのは驚きでした。江戸時代から明治にかけての福島県北地方の民家を中心に、芝居小屋や商人宿等10棟ほども復元されており見ごたえのあるものでした。特に旧広瀬座という芝居小屋は圧巻で、これで舞台が中央にせり出していたら、エリザベス朝の白鳥座みたいだとぞくぞくしました。イベントとして時折、実際に歌舞伎の公演や映画上映会が開かれているようで一度見てみたいものだと思ったほどでした。りくと兄が待っていると思うと全部は見学できなかったので、またゆっくり来ようと思いました。

 外に出て見回すと兄とりくがベンチで休んでおり、りくは私を見つけて手綱をつけたまま跳んできました。いつものように一か月ぶりの再会かと思われる歓待です。それから、子供たちでにぎわうアスレチックフィールドを通って、妖怪伝説のある室石を見て帰宅しました。たくさん歩いたのでおなかが減ったらしく、りくはその日の夕飯をたんと食べました。いつもの3杯ほどなのに、ドッグフードにベーコンのトッピングで5杯をぺろりとたいらげました。りく、今日はいい夏休みになったね。





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りくと散歩に出ていつも行くあたりまで行って帰ろうとしたら、りくは「まだ帰らない。」と言います。しかたなくもう少しつきあい、引き返そうとしたのですが、またもや「まだ帰らない。」とのこと。こんなことは珍しく、土手の散歩道に誰の姿もなかったので綱ひもを離し、
「姉ちゃんは帰るよ。じゃあね。」
とりくにくるりと背を向け歩き出しました。

「りくはどこへも行けやしない、すぐついてくるだろう。」
と思ったのですが、振り返ってみるとじっとこちらを見たままの姿勢。私はそのまま歩き続け、ちょっと走るまねをしたりしながら進むと、20メートル、30メートルと離れていきます。りくは身じろぎもせずに同じ姿勢でいます。
「おのれ、りく・・・」

私はそのままどんどん歩き、ついに距離は50メートルくらいになりました。りくを見ると相変わらずじっとしていましたが、その向こうに人がやってくるのがみえました。
あっ、これはまずい。

 私がりくに向かってダッシュすると、その瞬間、りくも私に向かって猛ダッシュ。りくと私は真ん中あたりで合流し、りくは小刻みに足踏みしながら私に体を摺り寄せてはしゃいでいます。再会を喜び合う姿は、そこだけ見たら、「南極物語」そのものでした。