2014年11月10日月曜日
「カメラ盗難事件で思うこと」
アジア大会で水泳選手Tがカメラを盗んだとされる事件について当初から不可解すぎる違和感を抱いてしましたが、「真実はやっていない」と弁明する会見を見たとき不思議な既視感を感じました。記者たちが矢継ぎ早に繰り出す様々な質問に答えるT選手の姿を見て、「あ~、こういう子いるんだよなあ。」というのが実感でした。
手首をつかまれても騒がなかったのは危害を加えられたり争うことがいやだったからであり、鞄に何かを入れられたのに黙っていたのはゴミだと思い後で捨てればいいと思ったからであり、カメラをスーツケースに入れたのは部屋にゴミ箱がなく出しておくと相部屋の人の邪魔なので帰る時捨てればよいと思ったからであり、盗んだと認めたのはみんなと一緒に帰れなくなるとJOCや日本水泳連盟に迷惑がかかるからであり・・・。すべてこの調子で、我慢できるところまでは譲り続けるのです。他人に対して何か説明や主張をしたり、人と揉めて摩擦を起こすより黙っている方が楽なのです。勤めていた時の経験からして、こういう生徒は多数派ではないものの相当数いました。
ただ、あまりにナイーブ過ぎてこのまま社会に出ることはできません。15歳ならともかく、T選手はもう25歳です。国内以外ですごすことがないならまだしも、T選手は国際舞台で競技する選手です。水泳以外のことを教えてくれる人や学ぶ機会はなかったのでしょうか。生来の性格上、むしろT選手の弁明が理解不能という人も多いでしょうし、学ばなくてもなんとか無事に世渡りしていける人もいるでしょうが、そうでない人もいるのです。記者たちの疑問の焦点は、「なぜその時に声をあげなかったのか。」という点にあったと思いますが、T選手は「自分の心が弱くて」と答えていました。その場で抵抗したり自分の主張をきちんとできる人にとって、なぜできないのか不可解の一言に尽きるでしょうが、それがなんでもなくできる人にはできない人の心情は決してわからないのです。これは心が弱いというより或る種性格の問題であり、訓練しなければ本人にはどうすることもできないのです。
今から30年前頃、「日本人は水と安全はタダだと思っている。」と言われていましたが、基本的に今でもそうでしょう。海外に比べたら圧倒的に安全、安心な社会に生きてきた結果がこうなのです。もちろん悪いことではありません。ただ海外に出る時は、弛緩モードから緊張モードに意識してギアを入れ換えねばなりません。
「海外ではちょっと仲良くなったくらいの人から物を預かってはいけません。トイレに行く間「荷物見てて。」と言われても受けてはいけません。それが麻薬なら日本に帰れなくなります。国によっては死刑になります。」
20年前にホームルームで私が生徒に言っていた言葉です。
この事件の真相は私にはわかりません。ただ、T選手の話は私には十分理解できますし、あり得ることだと思います。その場合は、なんらかの理由でT選手が意図的に窃盗という濡れ衣を着せられたということになります。そうでない場合は、本当は窃盗したのに今になって虚偽の申し立てをし、なかったことにしようとしていることになります。窃盗が事実にせよ、でっち上げにせよ、人間の悪事に違いありません。この事件に限らず、ニュース報道で人の行う悪事を聞かない日はありません。もっとずっと陰惨な事件も多く気持ちが萎えてしまいます。
主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのを御覧になって、(創世記6章5節)
主は宥めの香りをかいで、御心に言われた。「人に対して大地を呪うことは二度とすまい。人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ。わたしは、この度したように生き物をことごとく打つことは、二度とすまい。(創世記8章21節)
人が心に思うのはことごとく悪いことだという記述が、まさに聖書の初っ端の創世記にあるのには驚かされます。この見識はあらためてすごいなと思います。