2013年5月2日木曜日

「歴史は白昼夢」


 以前勤めていた職場で、ある時事務室に足を踏み入れた時のことです。何かの話で盛り上がっていたらしく「川辺野さんなら知ってるかも。」と誰かが言うので、「何のことですか。」と尋ねると「『ベルばら』の主人公の名前はなんでしたっけ。」との問いでした。正式名のオスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ准将と答えるべきか一瞬迷いましたが、「オスカル様ですか。」と即座に答えると皆口々に「おお、そうだった。」と言って話は終わりになりました。

 確かに私は『ベルばら』世代です。宝塚は見ていませんが、池田理代子の漫画は読みました。その後の少女漫画はしばらくの間、何らかの形で彼女のモチーフを盗み続けたといっても過言ではないほどの記念碑的作品でした。

 でも、高校時代、世界史の授業では全部習っていたはずなのです。フランスの財政が傾いたのは、諸々の戦争による負担、とりわけアメリカ独立戦争の戦費調達のせいであって王室が特別贅沢な暮らしをしたためではないことも、当時バスチーユ牢獄にいたのは国事犯でも何でもなく偽金作り他十人ほどにすぎなかったことも、民衆が飢えていたのは主として前年の大凶作のせいだったことも、高等法院が王室に反旗を翻したのは別に民衆のためではなく特権階級たる自分たちにも課税が及びそうになったためであることも。教える教師もだるそうで決して目に星など浮かべてはいませんでした。あの時気づくべきだったのです。

 ところが、私が『ベルばら』の呪縛からようやく解放されたのはだいぶ後のことで、その後、自分の中でフランス革命はどんどん旗色が悪くなっていきました。なぜならそこは「これってポル・ポト?」と自問するほど、クメール・ルージュも真っ青のキリングフィールドであり、革命が単なる暴力・暴動の連鎖でなかったと言い切ることが難しかったからです。

 しかし、そこで終わらないのが『歴史の白昼夢』(河出書房新社)の著者 ロバート・ダーントンなのです。彼は、それでもなおフランス革命には何らかの価値があったと主張します。この本は歴史とは何かを再々考する機会を与えてくれました。彼の主張には首肯せざるを得ないでしょう。だって、フランス革命がなかった後の世界は我々の想像を絶するものだからです。ちなみにベルリンの壁が崩れた時、なんたる天の采配かたまたま客員教授として東ドイツにいて、内側から(即ち、西側万歳的なメディアとは一線を画す筆致で)その出来事を描いた同じ筆者による『壁の上の最後のダンス』も出色の書です。