2013年5月9日木曜日
「自然の中の子供」
ビジネス界や教育分野で活躍する同い年の友人や知り合いが、最近の若者についてこぼしているのをよく聞きます。優秀なのだが使えないのだそうです。そんなこともあるまいと思うのですが、一つだけ思い当たることがあります。
私は山育ちで、幼稚園の頃は国際スキー場のある猪苗代に住んでおり、遊び場は裏山でした。土筆を摘んだり、沢蟹をかまってあぶくを出させて遊んだりしていました。小学校に入ると今度は同じ低学年の仲間達と一緒に遊びました。今考えるとよく大人が許したものだと思うのですが、そういう時代だったのでしょう、土曜の午後など子供だけで植物や昆虫の採集をしに山に分け入りました。学研の付録についてきた長い根の植物を掘り出せる特殊な移植べらや虫かごを持ち、みんなで一本の縄を手に斎太郎節(大漁唄い込み)を歌いながら進みます。(ただし、この歌の中間部分を正しく歌える者は一人もいません。「えんやーとっと、えんやーとっと、まつしま~あの」の出だしと、「た~あいりょうだえ~」の締めの部分だけは歌えました。) 無論、皆が縄を握っていたのははぐれる者がないようにとの子供ながらの配慮からであり、大漁唄い込みを歌っていたのは収穫の多きことを願ってのことです。
本当にわくわくする体験でした。考えてみると、十歳にもならない子供たち数人だけで、一本のロープに身をゆだねて山に植物採集に行くなど、今の日本では決してできない体験になってしまいました。自然という時に恐ろしい存在となるものの前で、目的のために必要な物や安全確保についてこんなふうに頭を使い、仲間と協力し合って大人抜きの自分たちの力だけで計画し実行するという経験がどれほど貴重なものだったことか。
昔は子供の数も多く、大人が子供から目を離すことにおおらかでしたから、多かれ少なかれ皆そういう体験があったと思います。冒頭の話との間に飛躍があると思われそうですが、もし今の若い人たちに足りないものがあって年配の人との間に違いがあるとすれば、ほとんどこの体験があるかどうかだけなのではないかと思うのです。