2013年5月22日水曜日
「国際競争力」
いつの時代もそうなのでしょうが、経済的な国際競争がますます熾烈になっていると感じます。インターネットの発達によって瞬時に事が決して行くため、アメリカ流の無時間モデルにおいては、身が持たないほどの生活ペースで日々が流れていきます。メディアでは、これからどんな国が興隆し覇権を握るかの予測に忙しいですが、未来に関する変数が多すぎるためまず当たらないだろうと私は思っています。
国力を決めるファクターには、例えば、人口と人口における年代層別の分布(平たく言うと人口における若者の割合)、使用言語(平たく言うと英語使用国かどうか)、教育・文化の水準と格差の度合(平たく言うと少数のエリートが引っ張る国か、大多数がそこそこ教育されたぼんくらの国か)、為政者の指導力、そして国民性・・・。こう挙げてみると日本人はだんだんうつむいてしまいそうで、メディアも否定的な言説をくり返し、人々の不安感をあおっているようです。
これらはどれもすぐには変わらないファクターで、日本に関して言えば少し厳しい時期はあっても、長期的にはそう悪くないのではないかと思っています。将来、単純労働の圧倒的部分がロボットに取って代られるのは避けがたいでしょうから、労働人口の減少は喜ばしいことかもしれませんし、これまでの日本の繁栄は日本語という非関税障壁に守られていたところが大きいのですから、英語力の低下はよいことかもしれませんし、エリートが国をリードしてもグローバル企業に富を吸い取られ国民に利益が還元されないのでは意味がないので、国民の圧倒的に厚い層がそこそこにフツーの文化・教育レベルなのはすばらしいことかもしれませんし、為政者が誰であっても変わりなく過ごせ、これはまずいなと思えばすぐ首をすげかえられるのは、冗談抜きで寿ぐべきことでしょう。
「一日なんて早いね。」
「うん、早いね。」
父とよくする会話です。やるべきことをするだけであっという間に一日が終わります。国力のファクターの中で、最も頼りなく思える「国民性」ですが、これこそ実は最も強力な要素ではないでしょうか。なにしろ無職の二人にしてこうなのです。二人とも標準的な日本人に照らせば、不活発な部類に属する人間です。ゴールデンウィークなど家でゆっくりしているのが常で、大渋滞の中混雑する行楽地に行く人々の映像を見るだけでぐったりしてしまう種族です。ましてやお仕事に精を出されている方はどれほど忙しく一日が過ぎ去ることかと察せられます。標準的な日本人なら日々活発に活動し、夜を日に継いでの頭の下がるような仕事をしている人も多いのです。人の役に立ちたいと願う人々がごまんといる国なのです。中南米から来た人が、「自分の国では皆どうやって仕事をサボるか考えているが、日本では皆何かできることはないかと考えている」と言っていました。この国民性には信頼を置いてもいいのではないでしょうか。これが国力の要素の中でも、最も寿命が長いものであることは確かでしょう。たぶん、今まで二千年以上変わっていないはずです。