2013年5月6日月曜日

「成果主義の弊害」


 その頃、グローバリゼーションという言葉が世間に普及していたかどうか思い出せませんが、私が「これはちょっと変だ」と思ったのは今から十年以上前、ドイツのテレビでエビの加工についてのドキュメンタリー番組を見た時でした。それによると、かつて北海・バルト海でとられたエビは地元の港町で殻をとる作業がなされ出荷されていましたが、現在(放映当時)ではそれは冷凍車でポルトガルに運ばれます。食べるためではなく、殻をとる作業にかかる人件費が安いからで、マイナス数度に保たれた車内で本来暑い国であるポルトガルの人々が震えながら殻をとったエビは、再び今度はフランクフルトに運ばれそこから様々な地域に流通するというものでした。その時はEU統合により生じた事象と思っていましたが、もっと大きな流れの中の一つの事例にすぎませんでした。自由化、グローバル化という世界の流れこそが、この膨大なエネルギーの無駄を生んでいたのです。もちろん、グローバリストはこれを無駄とはゆめ思わず、コストの最適化と考えます。ものを判断する上での唯一の尺度がお金だからです。

 国境を越えて昼夜休みなく動き続けるグローバリストにとって、最適化は一分一秒を争う問題です。それに対応するため、効率最優先、成果主義、短期的業績評価、数値目標至上主義といったものが、まるで何かにとりつかれたかのように急速に幅を利かせるようになりました。

 メディア自体の劣化もひどいのですが、それなりの精度を求められてしかるべき出版物も、仰天するほど雑な作りになってきていると感じます。おそらく定期的に成果を問われるためでしょう、研究者や著述業に関わる人が自分の主張を世間受けする形でまとめようとし、そのためには、身の回りのごくわずかな症例から強引に結論を引き出したり、論拠としてはかなり怪しいデータをも駆使して自分の議論に都合のいい資料にしてしまうという悲しい実態が散見されます。また、「ひきこもり」「ニート」「パラサイト・シングル」「負け犬」「世代間格差」など、現象的に存在はしても言葉として流行語のように認知されているのは日本だけということも多く、一般の人にはあたかもそれが日本だけに大量に発生した大問題の現象ととらえられているのです。

 彼らもグローバリストにあおられている被害者なのですし、現在の一般的雇用・労働状況がいいというつもりはありません。しかし、確かに面白くはあるけれどある種ファンタジーとしか言えないものを喧伝し、大局的に見て(まさに世界的に見て)、現実を実態以上に悪く見せることには何のよい効果もなく、相当罪深い行為であるように思われます。それはむしろ若い人を追いつめ、自分が不当にひどい扱いを受けていると信じて自暴自棄になってしまう場合が多いのではないでしょうか。このような形で自尊心を傷つけられた若者がルサンチマンを募らせ、戦争を望んだり無差別殺人を行ったりするように追い込まれてしまっているのであれば、まさに悪循環というほかありません。この国には大人がいないと嘆く人も多いですが、自分はどうなのか、自分もその一人に含まれているのかいないのか、時々聞いてみたくなります。