2013年5月31日金曜日

「紅春 27」


 りくはお風呂や歯磨きが嫌いですが、写真撮影はもっと嫌いです。
「か、かわいい。」と思ってカメラを向けると、りくは必ず横を向いてしまいます。
「りくー、こっち向いて。」と言っても、がんとして向きません。
「やだな、また撮影か・・・」と思っているようです。まして普段と違う状況ではまったくりくのよさが出ないのです。一度、雨の日用のレインコートを着せて撮影しようとしたら、固まってしまい失敗。りくはモデル犬にはなれません。

「外にいる」と言うりくを残して家に入り、外で何をしているのかなとそっと覗いてみると、向こうも私を見ていた時の首をかしげた顔。
茶の間の扉を開けた時こちらを見る、まるでシュタイフのクマのぬいぐるみのような顔。
朝、「おはよう」を言いに来る時のうれしさに輝いた顔。
こういう顔は決して写真におさめることができないのです。なんと残念なことでしょう。

 先日、八重丸君が散歩の途中でうちに寄ってくれた時、カメラが近くにあったので一緒の撮影を試みたのですが、ふたりとも撮影嫌いと判明。せっかくの時間を邪魔しちゃってごめんね。

2013年5月29日水曜日

「『とりあえず』を越えて」


 どうしていいかわからない時や時間が空いたとき、とりあえず何かすることにしています。
「とりあえず、コーヒーでも淹れよう。」
「とりあえず、このへん片付けよう。」
「とりあえず、予定だけでも立てておくか。」
わりとすぐできるものばかりです。もっと大きな課題があるのにやる気にならないので、いよいよもう取り掛からないと、という切迫感が増すまでそのままになっています。

 2011年のイグノーベル文学賞に、「構造化された先延ばし」理論(Theory of Structured Procrastination)を見つけた時は、これぞ私がずっと採用してきた方式だと目を見張りました。最も重要な作業を先延ばしすることによって、それより重要性の劣る作業をどんどん片づけてゆくというテクニックで、「このやり方でよかったんだ。」とその理論的正しさが裏付けられたようでうれしかったと同時に、当面をやり過ごすという自分の浅く薄い処世術、しかもそれが長年にわたって堆積している来し方を突き付けられたようで痛い指摘でした。いい加減、人生で最も重要なことに取り組まなければならないのですが・・・。

2013年5月27日月曜日

「ホームベーカリー」


 パンがおいしいのはやはりドイツです。何の変哲もない丸パンが何故こんなにおいしいのかと思うほど、噛めば噛むほど味が出る、たぶん水が違うのでしょう。日本のベーカリーもおいしいですが毎日というわけにもいかず、普段はパン焼き器、いわゆるホームベーカリーで焼いたパンを食べています。以前聞いた機内食の話と同じで、パン工場にバイトに行っていた若者がそれ以後菓子パン類を一切食べなくなったという話を聞いてから、市販のパンを口にできなくなってしまったのです。そのため実家用にも一台購入しました。

 いつもはごくシンプルに、強力粉と全粒粉で焼くだけですが、朝、焼き立てをいただけるので十分おいしいです。水を入れ忘れる、イーストを入れ忘れるといった大失敗もありましたが、もうすっかり慣れ上手に焼けるようになりました。当たり前です、私ではなく機械が焼くのですから。

 時にはブリオッシュやココアパン、チーズなどの具入りのパンを焼いたり、残り物のご飯を加えてもちもちにしたりもできます。また食パン型だけでなく、こねが終わった時点で取り出し、麺棒で伸して黒ゴマはちみつペーストやシナモンシュガーを塗って巻き込み、渦巻き模様のパンにしたり、あんこを包み込んだ団子状の生地を2段重ねにして四つこぶ駱駝にしたりして楽しめます。キッチン用電化製品は購入しても結局使わなくなってしまう物が相当あるのですが(フードプロセッサーがいい例です。)、パン焼き機は大活躍です。父に「パン屋になったのか。」といやみを言われるほどです。材料が形になるのがいいですね。

2013年5月25日土曜日

「フライトシミュレーター Flight Simulator 」


 学校で習うことわざの一つに、 There is no accounting for taste. (人の好みは説明できない。)がありますが、これを聞くたび「その通りだ」と思います。ヘルベルトは普段は冷静沈着で寛容、あまり細かいことにこだわらず、どちらかというと動きはゆっくりしているのですが、好きなことをする時は人が変わったようになります。一般にファン心理はみなそうですが、理性が吹っ飛んでしまうようです。それが彼にとっては飛行機の操縦なのです。わざわざルフトハンザで操縦を習っていたこともあるくらい好きなのです。また、タイトーという日本製のフライトシミュレーションゲーム機はドイツのゲームセンターにもあり、相当はまっていたようでした。彼によれば、そのゲーム機はもちろん本物とは違うけれど、基本的な装備は一応備えているので楽しめるとのことでした。

 ところが或る時を境にこの大好きな趣味に没頭することがままならなくなったのです。それは1999年7月に起きた全日空61便ハイジャック事件です。この事件は、当時28歳のフライトシミュレーターマニアの男が羽田発札幌行の飛行機を乗っ取り、機長を殺害して自ら操縦行為を行うという事件でした。最終的には取り押さえられ乗客はすんでのところで墜落の危機から救われましたが、一歩間違えば500人以上が死亡しかねない大惨事となる恐ろしい事件でした。(犯人は羽田空港での乗り継ぎの際の手荷物検査に関わる警備上の欠陥を、各方面に通告し改善を要求していたという旅客機マニアで、要求が無視されたことに腹を立て、刃物を持ち込めることを実証し犯行に及んだとも言われています。)

 この事件はドイツでも大きく報道され、ヘルベルトはわざわざタブロイド紙を買ってきて、「ああー、これは僕だ。」とふざけながら熟読していました。本物の航空機を操縦したいという気持ちには共感できたのかもしれません。ファン心理は理屈ではないのです。ところが、この事件をきっかけにドイツではタイトーのフライトシミュレーターが撤去され、ゲームができなくなったのです。笑ってはいけないのですが、大の大人がささやかな楽しみを奪われてしょげているのでした。事件が起きたのは日本なのに、成田空港第一ターミナルにまだタイトーのフライトシミュレーターがあるのを見つけて(今現在あるかどうかは知りません。)、ヘルベルトは驚くと同時にとても嬉しそうでした。嬉々として操縦桿を握り、「もうここでしかできないんだよね。」と言って子供のようにゲームを楽しんでいました。まったく好き嫌いというものは理性を超越しているのだなと思ったことでした。

2013年5月24日金曜日

「腕時計」


 初めて腕時計をした日のことはよく覚えています。中学からバス通学となり時計が必要になったため母にもらったのですが、当時時計は貴重品でしたから、おさがりでもとてもうれしく思いました。以来、外出時にはいつも身に着けるようになったので、腕時計は私にとって内と外を分けるスイッチのような働きをしてしており、家に帰って時計をはずすとすっかり脱力するのが常です。

 日本発の正確なクォーツが作られてからというもの、物としての価値がこれほど凋落した貴重品も珍しいでしょう。今ではよほどのブランドでなければもう貴重品とは言えません。先日、電池切れなのか、時計が微妙に遅れるという時計としては一番困る状態になり、交通機関の利用に支障をきたしたので電池交換を考えました。しかし、そのサービスをしている店が近くにないのと、調べてみたら新品の時計の方が安いことがわかり考えてしまいました。2、3年前に電池交換をして気に入っていた時計で、新たに購入するのは確かにもったいない。だが、某米国通販サイトで探してみると眉唾ながら8割引きの衝撃価格、バックライト付きでしかもデザインが素敵(私はいつも男性用の大きな文字盤のものを愛用しています)。決め手は電池の寿命でした。なんと8年!・・・恐れ入りましたという感じです。時計は40年前の20分の1の価格で性能はずっとよいものが手にはいる時代になっていたのでした。なんともうら悲しくやるせない事実です。

2013年5月22日水曜日

「国際競争力」


 いつの時代もそうなのでしょうが、経済的な国際競争がますます熾烈になっていると感じます。インターネットの発達によって瞬時に事が決して行くため、アメリカ流の無時間モデルにおいては、身が持たないほどの生活ペースで日々が流れていきます。メディアでは、これからどんな国が興隆し覇権を握るかの予測に忙しいですが、未来に関する変数が多すぎるためまず当たらないだろうと私は思っています。

 国力を決めるファクターには、例えば、人口と人口における年代層別の分布(平たく言うと人口における若者の割合)、使用言語(平たく言うと英語使用国かどうか)、教育・文化の水準と格差の度合(平たく言うと少数のエリートが引っ張る国か、大多数がそこそこ教育されたぼんくらの国か)、為政者の指導力、そして国民性・・・。こう挙げてみると日本人はだんだんうつむいてしまいそうで、メディアも否定的な言説をくり返し、人々の不安感をあおっているようです。

 これらはどれもすぐには変わらないファクターで、日本に関して言えば少し厳しい時期はあっても、長期的にはそう悪くないのではないかと思っています。将来、単純労働の圧倒的部分がロボットに取って代られるのは避けがたいでしょうから、労働人口の減少は喜ばしいことかもしれませんし、これまでの日本の繁栄は日本語という非関税障壁に守られていたところが大きいのですから、英語力の低下はよいことかもしれませんし、エリートが国をリードしてもグローバル企業に富を吸い取られ国民に利益が還元されないのでは意味がないので、国民の圧倒的に厚い層がそこそこにフツーの文化・教育レベルなのはすばらしいことかもしれませんし、為政者が誰であっても変わりなく過ごせ、これはまずいなと思えばすぐ首をすげかえられるのは、冗談抜きで寿ぐべきことでしょう。

「一日なんて早いね。」
「うん、早いね。」
父とよくする会話です。やるべきことをするだけであっという間に一日が終わります。国力のファクターの中で、最も頼りなく思える「国民性」ですが、これこそ実は最も強力な要素ではないでしょうか。なにしろ無職の二人にしてこうなのです。二人とも標準的な日本人に照らせば、不活発な部類に属する人間です。ゴールデンウィークなど家でゆっくりしているのが常で、大渋滞の中混雑する行楽地に行く人々の映像を見るだけでぐったりしてしまう種族です。ましてやお仕事に精を出されている方はどれほど忙しく一日が過ぎ去ることかと察せられます。標準的な日本人なら日々活発に活動し、夜を日に継いでの頭の下がるような仕事をしている人も多いのです。人の役に立ちたいと願う人々がごまんといる国なのです。中南米から来た人が、「自分の国では皆どうやって仕事をサボるか考えているが、日本では皆何かできることはないかと考えている」と言っていました。この国民性には信頼を置いてもいいのではないでしょうか。これが国力の要素の中でも、最も寿命が長いものであることは確かでしょう。たぶん、今まで二千年以上変わっていないはずです。

2013年5月20日月曜日

「紅春 26」


 「マジ思う 犬に生まれて よかったな」
りくを見ているとこの犬川柳を思い浮かべます。父のおかげでりくは至れり尽くせりの生活を送っており、時々、「何か不足あるかい?」と聞かれていますが、あるわけがありません。

 しかし、りくにもお仕事はあります。一つ目は、タイムキーパーです。私がいない時は、りくが朝父を起こして散歩に出ます。散歩は1日も欠かせないことなので大変ですが、父の健康維持に役立ってもいます。帰省中にりくと朝一の散歩をした後、7時近くになっても父が起きてこないことがあり、ちょっと怖くなって、「りく、お父さん起こしてきて。」と頼んだこともあります。この時はただの寝坊でした。私が家にいるとりくは子ども返りしてしまうようで、普段の実態が把握できないのですが、兄が起きてくる時間には廊下に出てゆき、階段の下で待っているといいます。

 もう一つの仕事は、家を守ることです。いつも茶の間のカーテンの陰から外を眺め、天下国家の情勢を見極め、家にやって来る訪問者や宅急便等があれば吠えて父に知らせます。父は耳が遠く、玄関のチャイムが鳴っても聞こえないことが多いので、聴導犬としてりくは本当に大切な役割を果たしています。出入りの犬好きのガス屋さんをはじめ、外にいる時は近所の方々、通りがかりの人に至るまで、みなりくに声を掛けかわいがってくれます。

 三つ目は、ホームドクターとしての役目です。りくの健気さやのんびりした様子を見ていると、たいていのことは「ま、いいか。」と思えます。疲れていてもりくと遊ぶと疲れが吹っ飛びます。
「りく、兄ちゃんに『タバコは体に悪いからやめて』って言ってね。」
「天気が悪い時はタクシー使えばいいのにね。りく、お父さんに言ってやって。」
本人を前に言いにくいことは、みんなりくに頼みます。りくは専属の精神科医です。なかなかの名医です。

2013年5月17日金曜日

「スパルタ教育」


 私が中学時代を過ごした頃のことを表現する言葉があるとしたら、ただ一言「ラディカル」でしょう。時代的なものなのか、風土的なものなのか、あの中学特有の伝統なのか、今の感覚では考えられないようなことが普通に行われていました。生徒たちは休日にも徒党を組んで、先生に無断で勝手な活動をしていました。荒川河川敷の通称「夢の島」で早起き野球や球技大会の練習をしたり、夏休みに摺上川流域のキャンプ場でキャンプをしたり・・・。それを知っていたはずの先生は気の休まる時はなかったでしょう。晩秋の阿武隈川沿いのサイクリングロードを走るマラソン大会にしても、男子13キロ、女子10.5キロもあり、いまどき高校でも走らせない距離だと思います。

 3年生になると、地元の二大新聞社による中3生対象の模試を受けるのですが、これは県下のほぼ全ての中学生が受けるテストでした。そして、その結果の成績上位者何百名だかが新聞紙上で発表され、その新聞をとっている家庭に自動的に配達されるという、プライバシーもへったくれもない制度がまかり通っていて、誰もそれを不思議に思っていなかったのです。親達には自分の子供だけでなく、他人の子供の成績まで一目瞭然であり、何かの用事で電話するときなど、「新聞でお子さんの名前見ましたよ」という台詞が挨拶の枕詞として使われていたほどです。生徒たちも新聞発表を内心楽しみにしており、成績上位の先輩は話題になったし、逆に他校にトップを奪われたりすると、心底へこんだものでした。

 別なテストだったかもしれませんが、一度真冬に全員が机と椅子を体育館に持ち込んで、体育館でオーバーコートを着たまま受験するということがありました。吾妻おろしで底冷えのする体育館の気温は5度くらいだったのではないでしょうか。5教科受け終わった時には手はかじかんで動きませんでした。「あれってなんだったんだろうねえ。」と友達と話しましたが、考えられることは先生の人手減らしです。体育館で4クラス全員が受けられ、私語やカンニングの心配のない生徒たちなら、教員は2名配置すれば十分だからです。いずれにしてもすごい発想で、今日なら虐待と言われかねません。

 おおらかな時代でした。生徒は生徒の考えで動いており、学校には学校の方針がありました。時代によって常識とはこれほど変わるものなのかと思う出来事ばかり、懐かしく思い出されます。全てを肯定するものではありませんが、学校が何から何まで抱え込み、事故を恐れて行動を制限すること、逆に言えばあらゆる責任を学校に押し付けることで失われたものは大きいと感じます。

2013年5月15日水曜日

「『おれは猫』ふうに」


 タンゴの曲調で、「おれは猫、猫、誰にも頼らず生きていく。誰にも頼らず・・・でもちょっとは頼る。」というペットフードのCMを見た時、あまりに絶妙なコピーなので思わず喝采しました。

 この歌に合わせてベランダの上を歩いて登場する猫は、ソファーに横になっているご主人のお腹の上に飛び降りて横切り、爪研ぎ用の板で爪を研いだり、ドーナツ型のクッションに頭を突っ込んだりします。猫なりに肩で風を切るような威勢の良さで、「誰にも頼らず」好き放題しているのです。本人は普通に生きているつもりでも、はたから見ると傍若無人で、人間もきっとこうなんだなあと思わされます。

 そこに一家の優しい奥さんがペットフードを用意してくれて、猫は一転、前言撤回。「でもちょっとは頼る」と言って遠慮なく食事をいただきます。これでいいんじゃないでしょうか。最初から全くの人頼みでは困りますが、誰にも頼らず生きていく気概はあってもいつもそううまくいかないのが世の常。一度「頼らない」と言ってしまったからと依怙地にならずに、ちょっとは頼ってもいいではないですか。周りの人も、「頼らないって言っただろう。」などと追いつめず、力になれることがあればやってあげればいいのです。お互い様なのですから。でもこの変わり身の早さが許されるには、やっぱりそれ相応の愛嬌が必要ですね。

2013年5月13日月曜日

「助手席にて」


  地図が読めない女というのが話題になった時、まさに私だと思いました。方向音痴がはなはだしく、必ずとんちんかんな方向に行ってしまうのです。ヘルベルトは地図の見方が的確で、どんな方角に向かっていても北を上にしたまま地図をたどっていけるのです。彼とはよくあちこちドライブしました。運転の動作は反射的なものなので、とっさの時のことを考え、ドイツでは彼が、日本では私がときっちり分けていました。まだカーナビなど普及していない頃、地図の地名が日本語であるにもかかわらず、彼のナビゲーションは本当に頼りになりました。

 逆にヨーロッパでは助手席で私にできることはありませんでした。せいぜい赤信号のときにミネラルウォーターを差し出したり、時折、「クロイタボンボン(のど飴)要る?」と聞いたりするくらいでした。あまりにスムーズな運転なので、はっと気づくといつの間にか居眠りしていて、
「ごめん、また寝ちゃった。」
ということがしょっちゅうでした。彼はいつも静かに微笑んで、
「あなたが隣でうたた寝しているのを見るのは、とても幸せな気分だ。」
と言いました。

  一度、タウナスTaunusのネロベルクNeroberg近くの下りの山道で方向を変えようとしていた時、後ろからすごい勢いでサイクリング車が来たのに私が気づいて、「ストップ!」と叫び、大過なく済んだことがありました。
「あなたのおかげで命拾いしたよ。」
唯一、助手席で私が役に立った出来事でした。

2013年5月10日金曜日

「手作り食品」


 私が食品を手作りするのは主に食品添加物に対する心配からです。野菜を取るのに欠かせないのはドレッシングですが、簡単に作れる2種類を常備しています。1つ目は黒酢と亜麻仁油をベースにしたもの(好みですりごま、ニンニク、生姜を加える)、 2つ目はチリソース(オリーブオイルで唐辛子、ニンニク及び生姜を炒め、たっぷりのトマトと一緒にミキサーにかけた後煮詰めたもの)です。乳化剤等が入っていないので使うたびよく振ってかけなければなりませんが、材料が把握できているので好きなだけかけても安心です。この2つにあとは醤油があればだいたいどんな野菜にも対応できます。チリソースは他の料理の味付けにも重宝します。

 もう一つよく作るのは、炊飯器を使ってパイのような形状に仕上がるお菓子や料理で、チーズケーキ、パンプキンケーキ、スイートポテト、キッシュなどです。チーズケーキは練ったクリームチーズに、卵2個、牛乳50ml、黒砂糖大さじ4、小麦粉大さじ2(好みでレモン汁、ラム酒、レーズン)を加え混ぜ合わせて、炊飯器で炊くだけです。10分ほど保温して、やや小さめの皿を内釜に入れさかさまにすると形が崩れずに取り出せます。他はこの応用で、卵と小麦粉以外の食材を適宜変えるだけです。

 最初に炊飯器でケーキを焼いた人は勇気がいっただろうと思いますが、よくぞやってくれました。この調理法は応用範囲が非常に広く煮込み料理もできるようなのですが、炊飯器のイメージが狂ってしまうのでそこまではやる気になれません。また、炊飯器で毎日ご飯を炊く家では夕飯に熱々を頂くのは無理です。実家では、主食たるご飯を供給するのは家長の務めと父は心得ているらしく、いまだに米をといでご飯を炊くという炊飯器の実権(?)を父が握っています。毎日の大事な日課なのでこれには手を付けられません。

  安全なものを食べていると思えるのはもちろん気分がいいのですが、時折、思い切りジャンクなものを食べたくなってしまうのはどこかに無理があるのでしょうか。

2013年5月9日木曜日

「自然の中の子供」


 ビジネス界や教育分野で活躍する同い年の友人や知り合いが、最近の若者についてこぼしているのをよく聞きます。優秀なのだが使えないのだそうです。そんなこともあるまいと思うのですが、一つだけ思い当たることがあります。

 私は山育ちで、幼稚園の頃は国際スキー場のある猪苗代に住んでおり、遊び場は裏山でした。土筆を摘んだり、沢蟹をかまってあぶくを出させて遊んだりしていました。小学校に入ると今度は同じ低学年の仲間達と一緒に遊びました。今考えるとよく大人が許したものだと思うのですが、そういう時代だったのでしょう、土曜の午後など子供だけで植物や昆虫の採集をしに山に分け入りました。学研の付録についてきた長い根の植物を掘り出せる特殊な移植べらや虫かごを持ち、みんなで一本の縄を手に斎太郎節(大漁唄い込み)を歌いながら進みます。(ただし、この歌の中間部分を正しく歌える者は一人もいません。「えんやーとっと、えんやーとっと、まつしま~あの」の出だしと、「た~あいりょうだえ~」の締めの部分だけは歌えました。) 無論、皆が縄を握っていたのははぐれる者がないようにとの子供ながらの配慮からであり、大漁唄い込みを歌っていたのは収穫の多きことを願ってのことです。

 本当にわくわくする体験でした。考えてみると、十歳にもならない子供たち数人だけで、一本のロープに身をゆだねて山に植物採集に行くなど、今の日本では決してできない体験になってしまいました。自然という時に恐ろしい存在となるものの前で、目的のために必要な物や安全確保についてこんなふうに頭を使い、仲間と協力し合って大人抜きの自分たちの力だけで計画し実行するという経験がどれほど貴重なものだったことか。

 昔は子供の数も多く、大人が子供から目を離すことにおおらかでしたから、多かれ少なかれ皆そういう体験があったと思います。冒頭の話との間に飛躍があると思われそうですが、もし今の若い人たちに足りないものがあって年配の人との間に違いがあるとすれば、ほとんどこの体験があるかどうかだけなのではないかと思うのです。

2013年5月8日水曜日

「紅春 25」


 りくは食べ物に対して執着がない犬です。父からおいしい食べ物をもらう時はそれなりに意気込んで食べますが、普段はドッグフードの食事にさほど意欲的ではないのです。犬は食欲がほぼ全てと思っていた私には驚きでした。

 年に一度の検診の折、血液検査でりくが人間の食べ物を食べていることがばれてしまい、指導を受けました。今まで食べていたドッグフードは量販店で父が買ってくる柴犬用のものです。あまりおいしくはないようで、りくは父に
「ぜいたくを言うな。」
と言われていますが、チーズやお肉を細かく切って混ぜてあげないと食が進みません。特に食欲の落ちる夏場は食べさせるのに苦労します。

 そのため、ものは試しと、医者に奨められたドッグフードを与えてみることにしました。ペットフードに力を入れている店には置いてありますが、どこの量販店にもあるわけではないものです。犬種によってまた年齢によって細かく種類が分かれていて、聞いたこともない犬種のものまであるのですが、外国製のためか「柴犬用」のものは見当たりません。とりあえず、「皮膚が敏感な犬用」というのを選び、購入しました。りくは皮膚が過敏な犬ではありませんが、成分に気を遣っているようなので、(犬種によってどれほどの違いがあるかわかりませんが)意味もなく「プードル用」とか「シュナウザー用」とかを与えるよりいいかなと。これを初めて食べさせたとき、今まで見たこともない勢いでバクバク食べるので圧倒されてしまいました。父も驚いて息を呑みました。
「本気になって食べてる・・・」
トッピングをせずにドッグフードのみでも食べるのはこのメーカーです。以前食べていたものの6倍の値段ですが、りくのためならえんやこらです。

2013年5月6日月曜日

「成果主義の弊害」


 その頃、グローバリゼーションという言葉が世間に普及していたかどうか思い出せませんが、私が「これはちょっと変だ」と思ったのは今から十年以上前、ドイツのテレビでエビの加工についてのドキュメンタリー番組を見た時でした。それによると、かつて北海・バルト海でとられたエビは地元の港町で殻をとる作業がなされ出荷されていましたが、現在(放映当時)ではそれは冷凍車でポルトガルに運ばれます。食べるためではなく、殻をとる作業にかかる人件費が安いからで、マイナス数度に保たれた車内で本来暑い国であるポルトガルの人々が震えながら殻をとったエビは、再び今度はフランクフルトに運ばれそこから様々な地域に流通するというものでした。その時はEU統合により生じた事象と思っていましたが、もっと大きな流れの中の一つの事例にすぎませんでした。自由化、グローバル化という世界の流れこそが、この膨大なエネルギーの無駄を生んでいたのです。もちろん、グローバリストはこれを無駄とはゆめ思わず、コストの最適化と考えます。ものを判断する上での唯一の尺度がお金だからです。

 国境を越えて昼夜休みなく動き続けるグローバリストにとって、最適化は一分一秒を争う問題です。それに対応するため、効率最優先、成果主義、短期的業績評価、数値目標至上主義といったものが、まるで何かにとりつかれたかのように急速に幅を利かせるようになりました。

 メディア自体の劣化もひどいのですが、それなりの精度を求められてしかるべき出版物も、仰天するほど雑な作りになってきていると感じます。おそらく定期的に成果を問われるためでしょう、研究者や著述業に関わる人が自分の主張を世間受けする形でまとめようとし、そのためには、身の回りのごくわずかな症例から強引に結論を引き出したり、論拠としてはかなり怪しいデータをも駆使して自分の議論に都合のいい資料にしてしまうという悲しい実態が散見されます。また、「ひきこもり」「ニート」「パラサイト・シングル」「負け犬」「世代間格差」など、現象的に存在はしても言葉として流行語のように認知されているのは日本だけということも多く、一般の人にはあたかもそれが日本だけに大量に発生した大問題の現象ととらえられているのです。

 彼らもグローバリストにあおられている被害者なのですし、現在の一般的雇用・労働状況がいいというつもりはありません。しかし、確かに面白くはあるけれどある種ファンタジーとしか言えないものを喧伝し、大局的に見て(まさに世界的に見て)、現実を実態以上に悪く見せることには何のよい効果もなく、相当罪深い行為であるように思われます。それはむしろ若い人を追いつめ、自分が不当にひどい扱いを受けていると信じて自暴自棄になってしまう場合が多いのではないでしょうか。このような形で自尊心を傷つけられた若者がルサンチマンを募らせ、戦争を望んだり無差別殺人を行ったりするように追い込まれてしまっているのであれば、まさに悪循環というほかありません。この国には大人がいないと嘆く人も多いですが、自分はどうなのか、自分もその一人に含まれているのかいないのか、時々聞いてみたくなります。

2013年5月5日日曜日

「都バスショック」


 久しぶりに都バスの時刻表をチェックして仰天しました。愛用していた路線が今年度4月から廃止されていたのです。「都内一周都バスの旅」で最初に挙げた東京駅丸の内南口出発の等々力行きがない! 同じルートを走る東急バスはありますが、都バスがこの路線を手放すとはなんという愚行・・・ 最も都バスを代表する路線だと思ったから起点としたのに! 日比谷公園、東京タワー、慶応大学、白金高輪を経由する最も美しい路線の一つだったのに! 等々力まではともかく、せめて目黒までの路線は残しておいてほしかった、都バス自体の存立のために痛切にそう思います。

  もう一つのがっかりは、浜松町―お台場間のレインボーブリッジを都バスで渡れる虹01路線が廃止されたことです。これまた、楽しい路線で、友達と行く都バスの旅の企画の第2弾くらいには必ず組み込んでいたものでした。

 三つ目の失望は、特に周辺部の路線で住民の足として重宝されてはいるが、採算がとれていないと思われる路線を廃止したり短縮したりしてしまったことです。今回の路線の改変を見る限り、もはや「都バス讃歌」で書いた都バスの魅力は大きく損なわれてしまったと言わざるを得ません。話題となっている終夜運行についても思うところがあり、一連の流れと無縁ではないでしょうが、今は路線の改変の方が私にはショックで愕然としています。

2013年5月4日土曜日

「エッセイの醍醐味」


 女性のエッセイストは多いですが、私が好きなのはKさんです。大学卒業後、生命保険会社に就職し、その後中国留学をし物書きになった方です。エッセイというものはあまりに年齢が違ったり、生活レベルや行動様式が異なっていると共感できないことが多いのですが、感受性はかなり違うものの同世代で問題意識も近いので読みやすいのです。彼女は大学の同期で、むこうはこちらを知りませんが、それなりに目立っていたので私の方は彼女を知っています。少し前にいまや日本人の二人に一人はかかるという病気をなさいましたが、無事回復されて何よりでした。

 彼女の書くものはちょっと休みたい時に読むのに最適です。日常生活に軸足を置き、重要なことは何も書いていないので、疲れたとき肩の力を抜いて読めるのがいい。「重要なことは何も書いていない」というのはエッセイにおいては褒め言葉で、肩の凝るようなものを書かれても困る、そういう気分でエッセイを手にするのではないのです。時折見せるおちゃめで間抜けな側面はそのまま素であるわけはないでしょうが、こちらをホッとさせてくれます。

 大変だろうと想像するのは、どんな時でも定期的に書けなくてはならないこと、不案内な分野でも要請があれば書かなくてはならないこと、そして何よりきついだろうなと思うのは、それを顔と名前を出してやらねばならないことです。プロとはそういうものです。

 なにか情報を求めてではなく、ちょっと手持ち無沙汰な空き時間、特に何が書いてあるというわけではないけれど、なんとなく読みたくなる、つい読んでしまう・・・ これぞエッセイの真骨頂でしょう。

2013年5月2日木曜日

「歴史は白昼夢」


 以前勤めていた職場で、ある時事務室に足を踏み入れた時のことです。何かの話で盛り上がっていたらしく「川辺野さんなら知ってるかも。」と誰かが言うので、「何のことですか。」と尋ねると「『ベルばら』の主人公の名前はなんでしたっけ。」との問いでした。正式名のオスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ准将と答えるべきか一瞬迷いましたが、「オスカル様ですか。」と即座に答えると皆口々に「おお、そうだった。」と言って話は終わりになりました。

 確かに私は『ベルばら』世代です。宝塚は見ていませんが、池田理代子の漫画は読みました。その後の少女漫画はしばらくの間、何らかの形で彼女のモチーフを盗み続けたといっても過言ではないほどの記念碑的作品でした。

 でも、高校時代、世界史の授業では全部習っていたはずなのです。フランスの財政が傾いたのは、諸々の戦争による負担、とりわけアメリカ独立戦争の戦費調達のせいであって王室が特別贅沢な暮らしをしたためではないことも、当時バスチーユ牢獄にいたのは国事犯でも何でもなく偽金作り他十人ほどにすぎなかったことも、民衆が飢えていたのは主として前年の大凶作のせいだったことも、高等法院が王室に反旗を翻したのは別に民衆のためではなく特権階級たる自分たちにも課税が及びそうになったためであることも。教える教師もだるそうで決して目に星など浮かべてはいませんでした。あの時気づくべきだったのです。

 ところが、私が『ベルばら』の呪縛からようやく解放されたのはだいぶ後のことで、その後、自分の中でフランス革命はどんどん旗色が悪くなっていきました。なぜならそこは「これってポル・ポト?」と自問するほど、クメール・ルージュも真っ青のキリングフィールドであり、革命が単なる暴力・暴動の連鎖でなかったと言い切ることが難しかったからです。

 しかし、そこで終わらないのが『歴史の白昼夢』(河出書房新社)の著者 ロバート・ダーントンなのです。彼は、それでもなおフランス革命には何らかの価値があったと主張します。この本は歴史とは何かを再々考する機会を与えてくれました。彼の主張には首肯せざるを得ないでしょう。だって、フランス革命がなかった後の世界は我々の想像を絶するものだからです。ちなみにベルリンの壁が崩れた時、なんたる天の采配かたまたま客員教授として東ドイツにいて、内側から(即ち、西側万歳的なメディアとは一線を画す筆致で)その出来事を描いた同じ筆者による『壁の上の最後のダンス』も出色の書です。