2020年6月6日土曜日

明治徒然話1  ― 諭吉の独り言1 ―

1.『ヅーフ・ハルマ』

 今になってみると、結局、新しい日本語の文体を創出したのは、長谷川二葉亭君であった。ロシア語の使い手がこれを成し遂げるとは思っていなかった。森君あたりがやるかと思っていたのだが、いや、同じ翻訳者でも森君は筆が立ちすぎる。あれほどの漢語の使い手では新たな文体を作る必要が無い。そこへいくと二葉亭君は自分は思うように文章が書けないと言っていた人だから。『浮雲』から十幾年になるか。ま、傑作とはいかなかったが、全てはあの作品から始まったのだ。おかげで私も自伝は新文体を使って書いた。

 人生の転機はいつ訪れるかわからない。私の場合、何と言っても、大阪に移って緒方先生のあの塾で学び始めたことだろう。今でもありありと目に浮かぶ、試験前の塾生でごった返していたヅーフ部屋が。人いきれにやられて難儀した。ずいぶんやんちゃもしたが、目的もなく一心不乱に学んでいたあの頃ほど楽しかったことはない。蘭語はたった一つ、世界に開いた窓だった。不思議な、途方もない世界を感知して、見たこともない言語体系の美しさとこの世のものとは思えない文明の有様に、すっかり魅了されたのだ。思えば蒲団に枕して寝ることも忘れるほど激しく学んだ。世間では悪く言われるばかりの貧乏書生だったが、今となってはただただ懐かしい。若い日に、良き師、良き友と学べたことは私の生涯の喜びであった。

 だが、あの頃の我々の苦労など取るに足りない、我々には辞書があったのだから。玄白先生らの解剖学書の解読作業のご苦労は、涙なしには読めない。洋行の折にとにかく辞書を買い漁ったのは、それさえあればどんな言語にも通ずるチャンネルが開けるからなのだ。横浜では読める文字も通じる言葉もなくて、もう英語の時代だと思い知らされたが、失望している時間はなかった。あの時出会ったドイツ人商人と筆談ができたのは、蘭語とドイツ語が兄弟言語のようなものだったからだ。結局、ヨーロッパの言語は皆どこかで繋がっているのだから、無駄な勉強などない。無論、『ヅーフ・ハルマ』はもとは仏蘭辞書であって独蘭辞書ではない。それは誰でも知っている。このヒントに気づくだろうか。ただの書き間違えと思うだろうか…まあ、試してみよう。

 独蘭辞書を使って最初に読んだのはカントである。その書は『アウフ・エアクレールンクとは何か』以外ではあり得ない。アウフ・エアクレールンクとは英語でエンライトゥンメント、「照らす、蒙を啓く」ということだ。『啓蒙とは何か』を読んで、私はいささか驚いた。システムと成り果てた西洋の宗教支配体制と、長年の支配で硬直化した幕藩体制との違いがあるものの、私の考えと同じだったのだ。カント自身、「さまざまな人の思想がどこまで偶然に一致するかを試したい」と述べているのだから、その実例として私の考えを残してもよいだろう。その後、次々と他の著作を読んでみたが、これほど考えが一致する人物がこの世にいようとは思わなかった。私の課題は理論と実践を同期させることだ。理論上は正しいかも知れないが、実践には役に立たないと言わせてはならない。まあ、私は著作の中で繰り返し「官途…、官途…」と書いたのだから、ひとつカントを読もうかという気になる者もいるやも知れぬ。

 それにしても、『ヅーフ・ハルマ』を一年で二冊も筆写した男がいたのだ。江戸っ子にしては骨のある奴だと思った。江戸城明け渡しについて西郷と交渉した男でもあった。それができたのは、決死の覚悟で駿府に赴いた山岡の下準備があったればこそなのだが…。旧幕臣として期待をかけていたのに、維新後は新政府に出仕しおって…がっかりだ。通り一遍の凡人ならばともかく、あのように傑出した人物が痩せ我慢の気風を捨てたのでは、先が思いやられる…万世どころかもう百年もすれば誰も痩せ我慢などしなくなる。だが、それができる人が一定数いなければ社会はもたない。国の存立は保てないのだ。つい、自伝の中であの男の胆力の弱さを随分こき下ろしてしまったが、ちょっと狭量だったかな。

 国という概念も私的なもの、一つのアイディアにすぎないというのは確かなことだ。「立国は私なり、公に非ざるなり」である。この点でも私はカントと同意見だ。人が立場上行う発言は、実は理性の私的な行使に過ぎない。一方、学者としての理性の表明は公的なものである。不思議に思われるかもしれないが、その逆ではない。人が市民としての或る地位において、または官職にある者として、実行する理性の行使は、立場上配慮して行わなければならない相手がいるのだから、自分の言論・行動が制限されてしまう。立場上する発言は、十全には本人の自由意思に基づかないからである。人間に啓蒙をもたらすことができるのは「理性の公的な利用」だけだとカントが言う時、それができるのは学者だけだと彼は考える。彼が学者と呼ぶのは「何からも制約を受けずに思考でき、それを文字を用いて表明できる者」という意味なのだ。しかしこういう理路が理解できて、ここ一番という正念場にそのように振る舞える人間であるためには、その人はどうしても或る程度成熟していなければならない。ここ一番とは、国家存亡の危機にあたってという意味である。平穏な時には痩せ我慢などいらない。だが、国が生き残れるかどうかの瀬戸際で、この国家という想像の共同体が成り立ち得るのは、自分の使命を自覚した者が黙って踏ん張り、己がなすべきことを遂行した時だけなのだ。この世には生半な哲学などでは計り知れないものがある。ヤングメンにはそれが思いもよらないことなのは分かるが、あれほどの男がと思うと、何やら情けなく失望を禁じ得ないのである。こういった人としての務め、世の中における役割を、皆に分かってもらうのは無理なのだろうか。もし分かってもらえるとしたら、どのようにして…? これが私の最初のそして最大の課題であった。