4.『浮雲』
話し言葉と乖離していた書き言葉の文体を根本から変えたのは、長谷川二葉亭君であった。彼がまずもって翻訳者であったことがそれを可能ならしめたのだ。文語文はもう完成体として存在するのだから、翻訳者が用いる日本語にはあまり自由に訳せる余地がない。ましてや外国語の音調を含めての翻訳には不向きであった。従って、これまで知られていなかった外国文学を日本に紹介するなら、いまだ存在しない新しい文体を必要としたのだ。その後に試された言文一致体の翻訳小説は、最初はまだ未熟ながら、訳者の力量によって表現できる広がりと深みにおいて、かつてない可能性を示した。『あひゞき』は、日本の読者にはやや刺激的すぎたのではなかろうか。なにやらあれを若い時読んだ読者が、文学の隆盛に伴ってもっとえぐい小説なんぞを書きそうな気がするのだ。新文体で自由に書けるとしたら、なんだか自分しかいない話になりそうではないか。自分の探求にはここまでという限界が無いから、これはどんどん過激にならざるを得ない。それは西洋でも同じだろう。常に常に西洋の後追いをしようとする輩は必ずいると思うと、なんだか頭が痛い。いずれにせよ放っておくしかないのだが。
話が逸れた。言文一致体を用いることで、自分の思い通りに自在に翻訳できるとすれば、ましてや日本語による文芸作品の創作はどれほど従来と違う新しい地平を見せることかと、二葉亭君は考えたのだろう。彼はそのための時代の申し子だった。これは彼自身認めていることだからそう言っても差し支えないと思うが、彼はどちらかというとロシア語の方が母国語より堪能と言えるバイリンガルだ。音調も含めて原文よりざっくりこなれた日本語にすることは得意ではない。それを言えば英国留学の夏目君などはいっそう翻訳には慎重だろう。彼は漢詩の達人だから、英詩の音韻を研究して、日本語訳は無理だと思えば、翻訳に手をつけないかもしれぬ。「必要は発明の母」とはよく言ったものだ。結局、皆、必死に新しい国語と格闘した二葉亭君のあとに続くだろう。
ともあれ、二葉亭最初の小説『浮雲』第一篇が刊行された。いや待てよ、『浮雲』が出たのは『あひゞき』より先だったか。この辺があやふやなのは『あひゞき』のインパクトに比べて、『浮雲』はぼんやりした印象しかないからだ。これは作者にも若干の責任があるだろう。思うに、小説を書くのに坪内君に助言を仰いだのは如何なものかという気がする。坪内君はシェークスピアの紹介者。シェークスピアは戯曲の作者であるし、彼がアドバイスとして例に挙げた円朝の落語も基本はト書きなしの会話形式による一人芸だ。話し言葉の抜き書きだけならともかく、それだけでは小説にならない、一番問題なのは地の文なのだ。この点が坪内君のもとに赴いた二葉亭君の誤算だったのではないだろうか。まあ、あの時代、ほかに助言を求めるべき人がいなかったのは事実だ。まさか『佳人の奇遇』を書いた柴君の兄を頼るわけにもいくまいし。だが、文学論の中で『南総里見八犬伝』を前時代のものとして批判的に評した当の本人が、『当世書生気質』のような戯作文学風の小説を書いてしまうのだからなあ。それに加えて、あの当時、二葉亭君には書きたい主題が特になかった。文体を試したかったのだ。だから、落語の円朝と言えば「芝浜」というわけであったかどうか、なんとなくそんな舞台の小説ができた。特に第三編では話の筋に動きがなくなって、最終的にあれは未完に終わった。だが、彼はあの一作で終わる人ではない。たぶん、いずれまた何か書くだろう。世間をあっと言わせる作品を。
それにしても、森君と長谷川君は全くタイプが違うのに、何だか似ている気がするのはどうしてだろう。旺盛な翻訳者だからか、それとも森君もドイツ語のバイリンガルだからだろうか。森君を追ってドイツから来たという女性は小説の中で永遠にその姿を刻んだ。『あひゞき』に似た悲恋ものだからか、二葉亭君は『舞姫』をロシア語訳したとも聞いた。あの二人には何か通い合うものがあるのだろう。森君が新しい文体で書くのを読みたいものだな。今のところ、最も優れた新文体の作品は、『国民之友』に載った独歩君の『武蔵野』であろう。誠に美しい日本の自然を優しく描いている。思わず、この優しさの正体は何だろうと考えた。新文体が武蔵野の自然の中で作者の心と完全に溶け合ったのだとしか思えない。その中で独歩君自身が『あひゞき』の冒頭部分を引いて、自分が落葉林の趣を解するに至った由来を述べているのだから、彼には二葉亭君の直系という自覚があったであろう。他の作家たちがこぞって新文体で書き出すにはまだもう少し時間がかかろう。最初の一作から一世代で新文体が定着するなら、むしろそれは作家たちによる長足の達成と言うべきだ。文学界はこれからどんなふうになるのか、これはなかなか楽しみだ。天保の老人にはちと寂しい気もするが。