朝、りくが起こしに来て、何度かやり取りした後、「そろそろ起きるか」という頃になると、「ああ今日も神様は新しい一日を与えてくださった」と、感謝でいっぱいになります。福島での生活は判で押したように、りくの散歩、草むしり、日常の家事、余裕があればパソコン作業をしてだいたい午前中が終わり、昼食後の休憩をはさんで、りくの散歩、りくの遊び相手、夕飯、余裕があればパソコン作業をし、一日が終わります。この間、パソコンに向かうとき以外はだいたいイヤホンをして読書(聴書)をしています。本さえ読めればご機嫌な私には、聴く読書ができるのは本当に幸せです。
りくは特に何するでもなくおとなしく傍にいますが、何といっても一番好きなのは散歩で、「隙あらば・・・」とさりげなく私の様子をチェックし、ここぞという時に「隙あり!」とモーションを掛けてきます。気候さえよければりくとの散歩は清々しく気分がよいものです。りくはただ歩いているだけで楽しいのだろうかと思うのですが、これがとても楽しそうなのです。「ただ歩いているだけ」ではないのです。散歩中りくは無我夢中であちこちクンクンしています。真剣そのものです。あの様子は私の読書と同じで、りくにとって散歩は新聞を読んだり、本を読んだりする情報収集の時間なのです。私もイヤホンをしながらの散歩ですから、「りく、お互い楽しいね」と優しい気持ちになれるのは何とありがたいことでしょうか。
りくは、というか、犬は人間の最高の友です。邪気がなく、思いやりがあり、遊んでいると意外な面白い発見があるので楽しいです。疲れていても、ついついりくの無茶なリクエストにも応えてしまうのです。しかしこれも、時間に余裕があるからできるのであって、勤めていた時のことはもう思い出せません。今は責任ある仕事はないので本当に気が楽です。たとえ不愉快なことがあってもその場限りで終わり、後を引くことがないというのは、精神衛生上理想的です。一日の終わり、茶の間で「あ~、今日もいい日でした」と我知らず口に出したところ、「へえ」と兄に驚かれてしまいましたが、その後すぐに「それはよかったね」との言葉がありました。私もそう思います。