文面を読み終えて唸ってしまった。「雑記」と表書きされた用紙の束は、きれいに綴じられて桐の箱に収められていた。これは数年前に届いたらしいが、私が英国留学から帰国するまで、風呂敷に包まれて机上に置いてあった。今やっと読んだところだ。家人に訊いてみたが、ただ届いたものを受け取っただけで、それ以上、由来も訳もわからない。一応先方に問い合わせてみたが、向こうも福翁の遺品を整理していたら「夏目君へ」と書かれたものがあったのでお届けした次第である、という。「夏目姓でほかに思い当たる人がいないので…」と相手は申し訳なさそうに付け加えた。手元の風呂敷を見ながら「何か面倒だな」と思った。それで、冊子はそのまま机に置いてある。
帰国後、一高と帝大で講師となったが、教職は私には不向きで、いろいろあって何だか参ってしまった。体調も思わしくなく悶々としていたが、そのうち何か書いてみようと思った。人間は嫌いだし書けそうにないので猫の話にした。すると面白がってくれる人もいて、なんだか少し楽しくなってきた。こんなに自由に書けるのはやはり新文体のおかげだと思うと、あの冊子のことが頭をかすめた。しかし瞬時にそれを振り払って、次に何を書こうかと考えた。猫は死なせてしまったし、もう動物は駄目だなと考えを巡らせていると、高等師範学校の英語教師の職を辞し、東京を離れて一年ほど松山の中学に赴任した時のことが思い出されてきた。嫌なこともあったが、それも含めてハチャメチャに楽しかった気がする。あれを書いてみようと思った。
書いてみた。何もかもうまくいかないのは明治になったせいだという気がしていた。だから、赤シャツも野だいこも狸もこすい生徒たちも、みんなコテンパンにやっつけてやった。だがそれは本当か。やっつけられたのはこちらではないのか。自分を手放しで可愛がってくれたのは下女のキヨだけだ。もとは由緒ある家の出だった女だ。キヨはもういない。「おれ」はキヨに三円借りていた。返せないのではなく返さないのだと、自分に言い聞かせてきた。でも、もうキヨはいない。返さないのではなくもう返せないのだ。いや、なんとしても返さねばならない。でも、どうやって…?
私は例の雑記帳を箱から取り出し、机に向かった。何度も読んだ。決断するのに一年かかった。自信がなかったからだ。「サベーレ・アウデ 知る勇気を持て」という声が頭の中で鳴り響いていた。私は一切の教職を辞し、新聞社に入社した。もう書いて生きていくしかなかった。