2013年12月16日月曜日
「グローバリゼーションの行く末」
私がアメリカの凋落をはっきり意識したのは、2005年にハリケーン・カトリーナがルイジアナを襲った時のことです。凋落と言っても経済や政治的、軍事的なものではなく、アメリカの至宝とでも言うべき博愛や善意に対する信頼に関してです。
壊滅的な被害を受けたニューオーリンズから人々が着の身着のまま車で避難する姿は、確かに新たな第三世界の出現を思わせるものでしたが、それだけならこのような大災害に襲われた地域ではどこでもあることです。車のない最貧困層が残された街では、払底した商品の略奪や他の犯罪が横行し、また商店側は物の価格が吊り上げ便乗値上げをしました。もっと気持ちが萎えたのは、この街を再開発したいと考えていたディベロッパーが、その障害となっていたスラム地区の一掃をこの災害に乗じて行い、この自然災害をまるで神の恩寵であるかのように見なしたことでした。
現在世界中を席巻しているグローバリゼーションは、この時点ですでにアメリカの人々の中に骨肉化しており、自己利益を増大させることが惻隠の情を軽く越えてしまったのでした。この時、「この国も終わりだな。」と私は感じました。その後に起きたのは、サブプライムローンという犯罪的な商法に端を発したリーマンショックでした。東日本大震災では、カトリーナの時に発生したような現象は起きませんでしたが、グローバリゼーションの害毒におかされ続ければ、日本の行く末もアメリカと同じものにならざるを得ないでしょう。