2013年12月30日月曜日
「ローカル線の風景」
夕方外出することはほとんどないのですが、先日5時頃田舎の私鉄に乗りました。電車を降りて小さな駅舎に入ると、帰りの電車を待つ学生でいっぱいでした。赤々と燃える丸い石油ストーブは室温を上げてくれはしませんが、ほっこり和やかな雰囲気を醸し出しています。膝の上で本を開いている学生もいれば、友達とのおしゃべりに興じる学生もいます。座る場所がないくらい人数はいるのに騒々しくはなく、帰宅途中の解放感であふれていました。
これはまさに『白線流し』の風景。頭の中ではテーマソング『空も飛べるはず』が流れ始めます。15年以上前に放送された青春ドラマで、都会の若者ではなく信州松本の高校生たちの群像を描いた点が新鮮でした。スキー教室だったか、就寝時間の見回りに行ったら全室でこれを見ており、10時に消灯するのは無理だったことを覚えています。何気ないけれど懐かしい情景 ・・・ああ、いいもの見ちゃったなという感じでした。
2013年12月27日金曜日
「青色申告」
恐れていた青色申告の書類作成の時期となりました。現金出納帳はつけてきましたが、他に仕訳帳と総勘定元帳というのを提出しなければならないのです。簿記をやったことのある方なら何でもないことなのでしょうが、「借方」「貸方」という言葉さえしっくりこない私には至難の業です。なぜ「借方」が費用の発生を意味し、「貸方」が収益の発生を意味するのか、そこですでにつまずいてしまうのですが、のんびりしている暇はありません。とりあえず見よう見まねで作りましたが、これでいいものかどうか・・・。
市販の会計ソフトは大げさすぎるので簡易無料ソフトを探したところ、頭韻の軽やかさにひかれて「加藤かんたん会計ソフト」というのを使ってみることにしました。仕訳帳の入力さえすれば、総勘定元帳は自動作成され、また申告書に書き込む損益計算書と貸借対照表も自動作成してくれる、私にとっての税理士さんのようなものです。仕訳帳は仕入や売上が時系列に並んだものなのでなんとなくわかるのですが、総勘定元帳というものは何のためにあるのか最初わかりませんでした。どうも、お金を軸にして「何かがお金に形を変えた」か「お金が何かに形を変えた」かを総括的に把握するためのもののようです。(違うかもしれません。)
国税庁から青色申告説明会の案内が届いたので、自分なりに書類を書き上げて行ってみたのですが、それでも話はちんぷんかんぷんでした。でも行った意義があったのは、全く念頭になかった「棚卸」及び「減価償却」の計算をしなければならないとわかったことでした。パソコンの減価償却計算などはやらないならやらなくてもいいのですが、最近は何でも社会勉強と思ってやってみることにしているのです。
これでだいたいできたかなあと思っていたところ、ふと目に入ったのは記入例の「売上」に関する相手勘定科目です。「現金」と「普通預金」の両方があったのを見つけ、「がーん、作り直しだ・・・。」とわかりました。今まで「現金」とは漠然と「お金」と考えて、「普通預金」のものもいっしょくたにしていたのです。全額控除になる金額ですからこのまま出しても税務署は何も言わないだろうとは思いましたが、金額の不正はなくても、インターネット通販をしているのに預金口座がないのはいかにもおかしい。初年の今年やらなければもっと面倒なことになる・・・。
というわけで、書き方がわからないので図書館で調べ、それから丸二日かけて自分なりには書き方を把握しました。「加藤かんたん会計ソフト」といえども、入力してない事項には対応できないのでこれで合っているのか確信は持てません。結果は実際に提出してみないとわからないのです。あとは今年中に仕入れや入金があったら書き加え、12月31日にやることになっている棚卸し・・・か。
青色申告という名前は、元来提出用紙の色が青かったことから付いた呼び名だと聞いたことがありますが、その色自体、作成までの青息吐息状態から使われたのではないかと思ってしまいます。私の申告書は最も簡単な型のはずなのにこれですから、世の中の事業主さんは本当にエライな~と感心します。一つ言えるのは、個人事業は自分のためだと思ったら割に合わなくてとてもできないことだなということです。会堂建築のためだと思うからできるのです。ま、半分は道楽かな。
2013年12月25日水曜日
「紅春 41」
りくは普段茶の間の座布団の上でおっとり、のんびりしていますが、時折同じ犬かと思うほど豹変することがあります。何かの拍子にスイッチが入ると、茶の間や土手下の小さな区画を所狭しと駆け回り、急にブレーキをかけて止まったり方向転換をしたりするのです。また、おもちゃを取り出して振り回したり放り投げてはまたくわえたり、どこにこんな敏捷性が隠れていたのかと思う動きをします。
何がスイッチになるのかよくわかりませんが、確実なのはお風呂の後。それからたまに、家族が帰宅した時や夕飯の直前に行うこともあります。たぶん気持ちが高まる時なのでしょう。この状態になると止めることはできませんし、手が付けられません。わずかに残る野生の趣を感じ、近寄るのもためらわれるので、気が済むまでやらせておきます。
何がスイッチになるのかよくわかりませんが、確実なのはお風呂の後。それからたまに、家族が帰宅した時や夕飯の直前に行うこともあります。たぶん気持ちが高まる時なのでしょう。この状態になると止めることはできませんし、手が付けられません。わずかに残る野生の趣を感じ、近寄るのもためらわれるので、気が済むまでやらせておきます。
2013年12月23日月曜日
「気候と性格」
自分がいかに動物かを最も実感するのは気候や天気に関してです。秋晴れが約束された青空の朝はそれだけでうれしさでいっぱいになりますが、なんとなく気鬱になるのは次第に日が短くなり冬に向かっているからにちがいありません。デュルケムがいう南欧と北欧で自殺率が違うのは当たり前、人間が受けている太陽の影響は自分で気づいている以上なのでしょう。人間は何よりもまず生物の一つの種なのです。
東京と福島を往復して気づくのは何より気候の落差です。特に冬の東京はほぼいつも晴れていますが、福島では吾妻山がくっきり見える晴天はなかなかありません。文明の利器により生活水準の差は埋められても、気候そのものを変えられるわけではありませんから、何日分も見越して計画的に事を運ばなければなりません。用心深くなるわけです。同時に巡ってきた好機をすばやくとらえて利用する術が自然と身に付きます。先日久々に晴れた朝、真っ青な空を背景に吾妻連峰を写真に収めていたら、カメラを持ったおじさんが来て、「考えることはみんな同じだな。」と言いました。そうです、この写真が撮れるのは今しかないのです。この空も1時間後には曇ってしまうのですから。
2013年12月20日金曜日
「ドイツの食事情」
ドイツの料理は一般に考えられているよりずっとおいしいものです。提供される食事の量を考えてよくスープを食しましたが、かなり美味でした。ただ、衣食住でいうと、衣にも食にも関心が薄く、ドイツ人の関心はもっぱら住、それも建物というより住環境、生活環境に向けられているというのは確かでしょう。 そこへいくと日本人が食に寄せる関心とエネルギーには計りしれないものがあります。外国人がたまたま子供の住む日本を訪れて料理番組の多さに驚き、
「この国の人はそんなに食べるのが好きなのかい。」
と聞いたという話もあります。
大学時代ドイツに短期留学した友人が、「ある時ホストファミリーがランチを作って持たせてくれたが、パンとゆで卵だけで悲しかった」と話していました。逆に彼女が一度だけ夕飯を作ることになり、天ぷらを揚げてあげたら、
「日本の主婦は本当に毎日こんなことをしているのか。」
と驚かれたと言います。そうなのです。ドイツでは一般に夕食に火を使った料理はしないようなのです。パンにチーズやハム(それはそれはたくさん種類はあるのですが)、よくてサラダというのが普通のようです。これでは日本人にはわびしくてたまらないでしょう。
ヘルベルトは料理をしない人でしたから、ドイツでは毎晩外食、私はこの上なく楽ちんで、温かくおいしい食事を堪能していました。ですからドイツの家庭料理についてほとんど知しませんが、ドイツ人の食への無関心はお金があるなしに関わらないようです。お金持ちでも夕食は家で質素にとっているので、毎晩外食などどいうのは、ドイツではもう途方もないことなのです。
今思うと、普通に夕飯を作ってもドイツ人の感覚からすると、とても手のかかったおもてなしと映ったのではないでしょうか。今でこそ和食なブームですが、味噌汁を「初めて食べたときから美味しいと思った。」と言った時は「へえー」と思いました。すき焼きなどは「昨夜のスープまだある?」と言って食べてくれるほど好きでした。朝はたいていパン食で、オムレツが好きだったのでトマト入りのをよく焼きましたが、何の変哲もないオムレツを「こんなおいしいオムレツは食べたことがない。」と大げさにほめてくれました。あれにはドイツの食文化がおおいに関わっていたわけです。また焼いてあげたいのですがそれはもうかなわないことです。
2013年12月18日水曜日
「心に残る話 3」
私たちのほとんどが、もし言葉にすれば他人を喜ばせる楽しい事実を言わずにおくのはなぜでしょうか。
一人の感じの良い老紳士が、商品を売りに、或る古美術店によく立ち寄ったものでした。ある日、彼が去った後で、その古美術商の妻が言いました。
「私たちがあの方の訪問をどんなにうれしく思っているか、あの方に話したいと思うの。」
夫は答えました。
「今度話そう。」
翌夏、一人の若い女性がやってきて、例の老紳士の娘だと自己紹介しました。彼女は父は亡くなったと言いました。それで、古美術商の妻は、彼女の父が最後に訪ねてきた後に自分と夫が交わした話のことを彼女に告げました。その訪問者の目は涙でいっぱいになりました。
「もしそのことを父に話してくださっていたら、父はとても喜んだでしょうに。父は元気づけの言葉を必要とする人でした。」
「あの日以来、或る人についてすてきなことを思うたびに、その人に話すようにしています。そんな機会は二度とないかもしれませんから。」
と、店主は言いました。何かよいことは誰に関しても言うことができます。それを口に出しさえすればいいのです。
Why do most of us leave unsaid some pleasant truths that would make others happy if we said them?
A charming gentleman used to drop in at an antique shop to sell goods. One day after he left, the antique dealer’s wife said, “I’d like to tell him how much we enjoy his visits.” The husband replied, “Next time let’s tell him.”
The following summer a young woman came in and introduced herself as the daughter of the salesman. She said her father had died. Then the wife told her of the conversation she and her husband had had after her father’s last visit. The visitor’s eyes filled with tears. “My father would have been pleased very much if you had told it to him He was a man who needed reassurance.”
“Since that day,” says the shop owner, “whenever I think something nice about a person, I tell him. I might never have another chance.”
Something good can be said about everyone. We have only to say it.”
2013年12月16日月曜日
「グローバリゼーションの行く末」
私がアメリカの凋落をはっきり意識したのは、2005年にハリケーン・カトリーナがルイジアナを襲った時のことです。凋落と言っても経済や政治的、軍事的なものではなく、アメリカの至宝とでも言うべき博愛や善意に対する信頼に関してです。
壊滅的な被害を受けたニューオーリンズから人々が着の身着のまま車で避難する姿は、確かに新たな第三世界の出現を思わせるものでしたが、それだけならこのような大災害に襲われた地域ではどこでもあることです。車のない最貧困層が残された街では、払底した商品の略奪や他の犯罪が横行し、また商店側は物の価格が吊り上げ便乗値上げをしました。もっと気持ちが萎えたのは、この街を再開発したいと考えていたディベロッパーが、その障害となっていたスラム地区の一掃をこの災害に乗じて行い、この自然災害をまるで神の恩寵であるかのように見なしたことでした。
現在世界中を席巻しているグローバリゼーションは、この時点ですでにアメリカの人々の中に骨肉化しており、自己利益を増大させることが惻隠の情を軽く越えてしまったのでした。この時、「この国も終わりだな。」と私は感じました。その後に起きたのは、サブプライムローンという犯罪的な商法に端を発したリーマンショックでした。東日本大震災では、カトリーナの時に発生したような現象は起きませんでしたが、グローバリゼーションの害毒におかされ続ければ、日本の行く末もアメリカと同じものにならざるを得ないでしょう。
2013年12月13日金曜日
「冬のヨーロッパ」
「一般的にヨーロッパの冬はそんなに寒くないよ。」
ヘルベルトの言葉を真に受けて、一度だけ冬のヨーロッパを訪れた時がありました。キリスト教圏では、十二夜(twelfth night)の1月6日までクリスマスの装いですから、本場の(?)クリスマスの雰囲気を堪能できてよかったのですが、問題は寒さでした。ドイツからスイスへ行くことになっていたので、東京ではとても着られないダウンの裾の長いコートを着て行きました。それでも外は骨の髄まで寒いと感じました。もちろん家の中はとても暖かく豊かな気持ちになれますが、外は日中でもマイナスの気温が普通です。しかし、ドイツの人もスイスの人も、ご老人でも動じることなく、かくしゃくとして闊歩しています。要するに、寒さに対する体の耐性が全く違うのです。北海道出身の方なら順応できたかもしれません。
その時は確かロンドンで乗り継ぎ便に乗って帰国したのですが、乗り込んでくるのはスウェーデンやデンマークからの日本人が多かったのを覚えています。日本に近づき、東京の気温や風速が機内アナウンスされました。東京の日中の気温が6度というのはかなり寒い日なのですが、機内では一斉に「おーっ、夢のようだ。」と歓声が上がりました。それはそうでしょう、皆、日中でも氷点下の世界から戻ってきたのですから。ヨーロッパの冬がそんなに寒くないというのは、ロシアに比べてのことでしょうか・・・。いずれにしてもその後、冬にヨーロッパを訪れたことはありません。
2013年12月11日水曜日
「お薬の不思議」
待合室で診察を待つ間、中の声が聞こえてしまうことがあります。ある時、おじいさんが大きな声で言うのが聞こえました。
「毎回きちんと飲んでるのに、薬が余っちゃうんだよね。」
これほど生活実感に合致した表現がありましょうか。
以前、お店で1から7まで番号をふった7角形の容器を見つけ、何だろうと思ったらピルケースと書いてあり、一週間分の薬を小分けにしておく箱だとわかりました。
「こんなの使わなきゃいけないようになったらおしまいだな。」
と、その時心の中で思った覚えがあるのですが、もう笑えない事態になっています。
薬というのはだいたい2個パックで折り取るようにできていますが、朝晩1錠ずつ飲めばよい場合、朝1つ目を飲んだら毎日朝使い始めることになるはずです。ところが、不思議なことに使いかけのパックが朝見つかるのです。昨夜飲み忘れたかと記憶をたどると、
「いや、昨日は間違いなく飲んだ。」
と思い出します。それから考え巡らせ、
「朝2回飲んじゃったのかな。いや、昼食のあと無意識に飲んだのかも。」
とわからなくなってしまうのです。
しかたなくそのまま飲み続けていると、そのうちいつの間にか元の朝から飲み始めるパターンに戻っていたりするのです。ここまでボケたらおしまいだなと思っていた状況に、今まさになっていることに愕然とします。他に1日1回1錠の薬もあり、これもだいぶ余っているような・・・。これはもう、あの7角形のピルケースを使う時かもしれません。
2013年12月8日日曜日
「紅春 40」
りくはよく茶の間の出入り口に陣取っています。以前はうっかり開けて入ろうとして踏みそうになり、
「こんなところにいたら危ないでしょ。」
と言っていたのですが、今ではもう定位置の一つになりました。そこはりくが家族の出入りをチェックする関所なのです。
夜、茶の間で寝ているりくを残し、洗面所で歯を磨き眠ろうとしてふと見ると、廊下の先に黒々と切り立った山のような三角お耳のシルエット・・・。寝ていたはずのりくがじっとこちらを見ているのです。兄の話では、夜中に階下に下りてきて、ふと振り返るとすぐ後ろに音もなくりくがいて、「ぎょっ」とすることもたびたびとか。
りくはいつでも家族の動きを把握しています。私が帰省していると、把握しなければならない対象が増えて大変そうです。だから疲れちゃうんだよ、りく。
2013年12月6日金曜日
「いい人と憎まれっ子」
「いい人ほど早死にする」と、その裏返しの「憎まれっ子世にはばかる」は、ある程度論理的に説明がつくのではないでしょうか。いい人は自分のなすべきことを知り、他人を自分のように考える人ですから、津波が迫っていても防災センターから最後まで避難を呼びかけるアナウンスを続けたり、線路で倒れているお年寄りを見過ごすことができなかったりするのです。
憎まれっ子というのは、そばにいると実害が及びますが、その可愛げのある呼び名からして悪い人ではなく、言ってみれば愛すべき人です。ただ、なぜ憎まれるかといえば、世の中自分が中心という態度で世渡りするからです。他人を思いやる前に「まず自分」なのでストレスは無し、長生きするはずです。大方の人はこの中間に位置しています。自分のことと他人のことをどのくらいのバランスで考えているかが一つの指標になるかもしれません。
以前、一日20分隣の席の同僚の愚痴を聞いていたことがありました。反対隣の同僚はその様子を見て、私に「よく黙って聞いているな」と言っていました。話してしまうと気が済むのか、その方はいたって元気に過ごしておられました。私はただ聞き流していただけのはずなのですが、ご想像の通り、軽く自律神経失調の症状を呈し、その時は気がつかなかったのですが、ずいぶん経って「そう言えば・・・」と思い当たったのでした。いい人ぶるのではありませんが、愚痴を言って発散できるのも性分なら、黙って聞いてしまうのも性分なのですから、こういうのは直せるものではないですねえ。
2013年12月4日水曜日
「ブログの1年を振り返って」
ふと気がつくと、ブログを書いて1年たちました。書き始めた時は、せいぜい40~50も書けば書き尽くすだろうと思っていましたが、いつのまにか200を越えました。だいたい書きたいことは書いて気が済みつつあります。現在の効能はほとんどボケ防止ですね。
小学校の頃、班で1冊「心の窓」というノートがあり、順番に作文を書いて先生に提出するという課題がありました。一班は5~6人で、たとえ毎日書けない場合があったとしても、月に2回は順番が回ってきたのではないでしょうか。班で回覧するからには他の班員のも読まなくてはなりませんし、普段から「今度は何書こうかな。」と考えておかなくてはなりません。毎回7、8冊のノートにコメントを書く先生も大変だったでしょう。思えば年に一人20回くらいは作文を書いたことになり、4年生から6年生まで担任が代わらなかったので、これが3年間続きました。自分が書いたもので覚えているのは、「春」、「新しい筆箱」、「祖父の叙勲」だけです。
そうか、ブログというのは現代の生活綴り方教室だったのか。どんなことを書いたのかまとめてみたところ、タイトルから中身が思い出せるのは半分くらい・・・ とほほですね。
2012
11月
フェルメール・カフェの紹介、1枚目の絵「牛乳を注ぐ召使い」、2枚目の絵「真珠の耳飾りの少女」、3枚目の絵「地理学者」、4枚目の絵「絵画芸術」、5枚目の絵「窓辺で手紙を読む女」、6枚目の絵「天文学者 」、「ウィーンの或る教会」
12月
「紅春」、「故郷の山はありがたきかな」、「プラハあるいはフランツ・カフカ 」、「ウィーンでの靴直し」、「紅春 2」、「高校断章」、「ヘクセンアインマルアインス」、「ベスト・フレンド 」、「紅春 3」、「ライプツィヒ ニコライ教会」、「最近の若い人」、「午後2時の食堂」、「紅春 4」、「言語ゲーム シェークスピアとプリンツェン」、「母の背中」、「ドイツ、おかしな名所巡り」、「紅春 5」、「転機」、「旅の風景」、「疾風怒濤の日々 」、「家族 不在と存在」、「幻の本」、「無名性の恩寵」、「プリンツェンのドイツ」、「紅春 6」、「都バス讃歌」、「たわいない話」、「昔の高校」、「イグノーベル賞落選作」
2013
1月
「紅春 7」、「会津の人」、「カフェの人々」、「初笑い」、「紅春 8」、「初めての日本」、「正しい人、正しいこと」、「食事と睡眠の効用」、「紅春 9」、「フェミニズムってなあに?」、「ガーデニング好き」、「実録 2001年8月4日 フランクフルト国際空港」、「雪かき」、「紅春 10」、「聴書」、「記憶のツボ」、「田舎者」、「福島教会のこと」、「路傍のチェス対決」、「紅春 11」、「食品についての不思議」、「タイムカプセル」、「毎日の過ごし方」
2月
「日本とドイツ 日本人の働き方」、「紅春 12」、「同窓会」、「少年少女推理小説」、「何かになるということ」、「祈りの場」、「前向きに後退」、「紅春13」、「インターネットとの付き合い方」、「被災地ドライバーの民度」、「図書館批評家」、「カフェでの会話」、「紅春 14」、「日本とドイツ きれい好き」、「幸福な生活」、「『追憶』を追憶する」、「文学の好み 鷗外と漱石」、「栄養ドリンク」、「紅春 15」「人を見る目 ハンガリーにて」、「尊厳の芸術展」、「レントの季節」
3月
「卒業の朝」、「確定申告」、「紅春 16」、「プラス・マイナス5℃」、「象の墓参り」、「日本とドイツ 発想の違い」、「実話の魅力 『謎の十字架』」、「若い人の幸福感」、「紅春17」、「憧れの修道院」、「趣味」、「PM2.5」、「養生食」、「山歩きの教訓」、「紅春 18」、「必需調理器具 No. 1」、「ドイツの税関」、「使命感を持つ人」、「未来について」、「流行の顔?」、「紅春 19」、「病院のカフェ」、「ロボット文明」、「タニタ食堂 vs. 学生食堂」、「超自然的な力を感じる時」、「運の悪い日」
4月
「紅春 20」、「Home 心の拠り所」、「桃源郷」、「なぜ書くのか」、「哄笑」、「所有欲」、「紅春 21」、「日本とドイツ 親の権限」、「通販生活の功罪」、「うまい話」、「ラジオ体操」、「コミュニケーション新世代」、「紅春 22」、「ヨーロッパ温泉事情」、「文化祭今昔」、「低温スチーム」、「刺繍生活 その後」、「都内一周都バスの旅」、「紅春 23」、「日本とドイツ 法意識」、「合唱県」、「ロボットの微笑み」、「今ふたたびのジパング」、「不安の消失」、「紅春 24」、「ドイツ旅行 母とともに」
5月
「歴史は白昼夢」、「エッセイの醍醐味」、「都バスショック」、「成果主義の弊害」、「紅春 25」、「自然の中の子供」、「手作り食品」、「助手席にて」、「『おれは猫』ふうに」、「スパルタ教育」、「紅春 26」、「国際競争力」、「腕時計」、「フライトシミュレーター」、「ホームベーカリー」、「『とりあえず』を越えて」、「紅春 27」
6月
「夢うつつ 『引き裂かれた神の代理人』」、「起こらなかった事件」、「接着剤いろいろ」、「学校の終焉」、「フーズム」、「紅春 28」、「ベジブロス」、「歴史を知ることの難しさ」、「刺繍生活 続く」、「日本とドイツ 混雑と行列」、「都会の快適生活」、「紅春 29」、「改憲論議」
7月
「マンション点検日」、「ボルツナーさんの猫」、「国産農産物」、「自画像」、「大型家電」、「紅春 30」、「心に残る話」、「悪人だけど」、「働く人を応援します」、「グラーツの城山ホテル」、「思いやり過剰?」、「富士登山」
8月
「紅春 31」、「にわか発明家」、「にわか事業家」、「日本とドイツ 言葉による安全保障」、「マクベス夫人の憂愁 1」、「マクベス夫人の憂愁 2」、「マクベス夫人の憂愁 3」、「マクベス夫人の憂愁 4」、「紅春 32」、「時空の制約の中で」、「那須高原サービスエリア」、「若冲展」、「DBとの戦い」、「日本人から学ぶ10のこと」、「紅春 33」
9月
「子供と本」、「刺繍の終わり、編み物の始まり」、「オラクル」、「心の速度」、「シエナのかけっこ」、「東京オリンピック招致」、「紅春 34」、「心に残る話 2」、「盗難考」、「早朝エクササイズ」、「食堂車」、「企業人の資質」、「紅春 35」
10月
「呪われた本」、「起床と就寝」、「総合診療医」、「ブラティスラバの思い出」、「バーコード」、「紅春 36」、「購買意欲」、「アンデルセンの二つの話」、「ヘイト・スピーチ」、「匂いの記憶」、「コンパートメント」、「紅春 37」、「大人の実年齢」
11月
「在宅と外出」、「驚かない時代」、「危機センサー」、「ヨーロッパの駅舎にて」、「紅春 38」、「国家安全文化度の測定法」、「桜とインターネット」、「アゴタ・クリストフのこと」、「小学生の早朝活動」、「1991年夏フィンランド」、「紅春 39」、「ドイツに住む柴犬」、「非アメリカ的なるもの」
2013年12月2日月曜日
「クリスマスとサンタクロース」
20世紀最高の知性と言われるレヴィ=ストロースの著作に、『火あぶりにされたサンタ―クロース』という小論があります。1951年にフランスのディジョンで、サンタクロースの高まる人気に業を煮やした教会が広場でサンタクロースの人形を燃やした事件を扱ったものです。このことによって、人間の中にあるサンタクロースなるもの(その本質は贈与)の永遠性が人類の記憶に刻まれたと言ってよいでしょう。
以前長崎を訪れた時、案内してくれた人がカトリック教徒で、今度長崎くんちの担ぎ手となるというので、それがよいかどうか神父さんに聞いたという話をしてくれました。神父さんの答えは「差支えない」ということで安心したと言っていました。土地柄、この祭りに加われないということは市民としての資格を問われかねないものであり、この長崎のクリスチャンにとっては切実な問題なのだろうと推察されました。
普通に考えれば、キリスト教の信仰と神社の神輿担ぎとは両立しないでしょうし、その時私も「それはどうなのかなあ。」と思ったのですが、信仰と異教の祭りに携わることの良し悪しに引き裂かれていることそれ自体、そして「差支えない」と答えた神父の答えにこそ、深い人類学的知見があるのだという気がします。もちろん、「神輿を担いではならない」と言ってもよかったのですが、それはサンタクロースを火刑にするのと同じことになったでしょう。
キリスト教はヨーロッパ文明に深く根をおろしていますが、ヨーロッパ人皆が日本のキリスト者ほど突き詰めて信仰しているとは言えないでしょう。ドイツでは所属する教会籍により自動的に10分の1税を象徴する献金が徴収されており、ずいぶん前にシュティフィー・グラフが教会籍を離脱したのはそのためです。今ではもはや教会堂を維持しきれず、会議場や展示施設として利用されている建物もあります。ヨーロッパでは教会は社会制度の一部です。古い制度が信仰の深さと一致するわけではありません。社会の中でそれぞれのシステムや風土に浸かりながら、それでも、ヨーロッパであれ、日本であれ、キリストへの信仰がしぶといのは聖書にある通りです。
「何をしてもむだだった。世をあげて彼のあとを追って行ったではないか」。 (口語訳 ヨハネ12-19)
登録:
投稿 (Atom)