2013年11月28日木曜日

「非アメリカ的なるもの」


 私はアメリカに行こうと思ったことがありません。中2の春休みに一度行ったことはあるのですが、それとて自分の意志で行ったわけではないのです。ただ外国を見たいという気持ちはありました。大学では英米文学科を出たのに、一度もアメリカへ行ってはいないのです。私の関心は常にヨーロッパに向いており、初めて英国を訪れたときそれは決定的になったのでした。

 私は「なぜアメリカに惹かれないのか」について深く考えたことがありませんでした。唯一口にした理由は「歴史が浅い国だから」であり、それは確かに大きな理由ではあるのですが、それだけだったのだろうかという思いが年を重ねるにつれて高じてきたのです。

 誤解のないようにしておきたいのは、私はアメリカを高く評価していたということです。私が育ったのは東西冷戦の時代とぴったり一致しており、アメリカは親和性のある超大国として存在していました。特にそのあけっぴろげな明るさや開放性、高らかに謳われたヒューマニズムや人権意識、一般庶民のgoodness(善良さ)を高く評価していました。たぶん実際にそこで生活し国を知ってなじんでいけばさらに魅力的な側面を発見できたのかもしれません。

 問題は、それにもかかわらず、そのようなことが私の身におきなかったのは何故かということです。私は英国文学が単純に好きでした。19世紀の古くさい小説、「高慢と偏見」も「エゴイスト」も「虚栄の市」も面白く読みました。おそらく、重要なことは何も起きない、あのだらだら感がよかったのです。些細な日常が続いていく、どうでもいいことやちょっとおかしな出来事が現実を形成しているというあの感覚です。たまには「緋文字」とか「風とともに去りぬ」とか「グレート・ギャツビー」等のアメリカ文学でガツンといくのもいいのですが、この連続では身が持たない気がしたのです。

 卒論をヘンリー・ジェイムズで書いたことに私の根無し草的心性が表れています。メインストリームを歩いたことがなく、中心的な場所では落ち着けずそわそわしてしまうのです。ヘンリー・ジェイムズは、ヨーロッパに憧れ生涯の大半をイギリスに暮らしながらついぞイギリス文学を書けなかった作家、おそらくは本人の意志に反し、アメリカ的なるものとしかいいようのないものを書き続けた作家です。

 クローズアップ現代で、占領下の日本でのGHQによる検閲の実態が報道されました。日本人4000人を動員して始めは闇市に関する情報集めを中心に行われ、生活のためにその作業に従事した人々(業務の性質上、知的レベルの高い人が多い)は罪悪感に苦しんでいるという話でした。当時を知る人なら、封書に検閲印が堂々と押してあるのだから検閲がなされていたこと自体に驚いた人はいないでしょう。全部アメリカ人が検閲していたというのなら別な意味で驚きもしますが、日本人なら驚かない。同じ諜報活動でも、東西冷戦下の東ドイツで行われた知人や家族に対するスパイ活動とは比べものになりません。

 私がどうも苦手だなと感じるのは、検閲自体ではなく誰にもわかるように検閲印を押すというアメリカのその屈託のなさです。例えば日本を「精神年齢は12歳」の「四等国に転落した」国と断言してはばからない天真爛漫さです。陰影がないとでもいうべきでしょうか。その言いそのものが、自ら12歳の少年のようであるということには思い至らない、その平明さがたぶん私は苦手なのです。

2013年11月26日火曜日

「ドイツに住む柴犬」


 柴犬好きな人は多いようで、私が朝行く大きな公園でも犬の三頭に一頭くらいは柴犬です。皆とても穏やかに飼い主と散歩しています。ネット上でも柴犬のブログは非常に多いようですが、私がつい見てしまうのは、二頭の柴犬セナとアスカと共にオランダ人の夫とドイツで暮らす女性のサイトです。(タイトルは「柴犬とオランダ人と」。 この両者が併記されているのがまずすごいです。)

 ほとんど画像で構成されていて犬はともかく旦那がこんな全開で出てて大丈夫なのかなと思うのですが、臨場感満載で面白いことは確かです。ウィットに富んだ方らしく、キャプションが絶妙。二匹が、「狐です。」「狼です。」と言って登場したりします。ドイツで柴犬を見たことはありませんでしたから、間違われるのでしょう。

 また、背景に書き込んである犬の気持ちがわかりすぎて、「あ~、こういうことある。」と爆笑してしまいます。犬の殺処分に反対するデモの場面の街並みを見た時、「あ~、フランクフルトだ~。」と、カタリーナ教会 Katharinenkircheやツァイル(Zeil 大通り)の風景がとても懐かしかったです。

 新しいソファを買った翌日のブログ
セナがつぶらな瞳で、「セナ、わんこだからソファに乗っちゃいけないって言われるの。」
(背後には日本昔話のテーマソング「いいな、いいな、人間っていいな。」の文字が躍っている。)
ソファに寝そべったオランダ人の夫が、腿のあたりをパンパン叩いている画像に、
「パパのお膝があいてるよ。」というキャプション。
セナとアスカは遠巻きに見て、「からんできたわ。」「面倒ね。」と話している。
そのうちパパがセナを捕まえて、
「せっかくみんなで座れるように大きなソファとカバーも買ったんだから、犬が乗れないのはおかしい。」
と言って、ソファ解禁。
セナは「パパ、ありがとう。」と言って、ソファに跳び乗ってパパの額ををぺろぺろ舐めている。
アスカも無理やり抱き上げられてしまいますが、ちょっと苦手なのか「ほんと、もう勘弁なの。」というキャプション。

 これが笑わずにいられましょうか。ドイツにおける犬のしつけとは真逆でしょうが、こんな育て方にどっぷりつかって楽しんでいるヨーロッパ人もいるとわかってホッとし、ついヘルベルトがいたら楽しかっただろうなと思ってしまいます。

2013年11月25日月曜日

「紅春 39」


 人間に利き手があるように犬にも利き前足があります。りくは前足を交差して寝そべっている時、必ず左手を上にしています。人が指を組むときどちらの親指が上にくるか決まっているのと同じです。これに気づいたのは父で、りくの姿を声に出して描写していたら、いつも「左手、前」だったのです。

 東京に帰る日、兄に駅まで送ってもらう前に車の窓を開けてりくに別れの挨拶をするのですが、このとき父にだっこされたりくが出すのは決まって右前足です。犬も時と場合によって使う足が決まっているようです。私はそんなことを考えてもみなかったのですが、いつも一緒にいるだけあってさすがに父の観察は鋭い。

2013年11月22日金曜日

「1991年夏フィンランド」


 まだ若かった頃、ヨーロッパへの直行便は私には贅沢品でした。体力もあり、乗り継ぎでも平気でしたのでいろいろな航空会社を試してみました。一度くらいはと思い、アエロフロートで北欧に旅した時のことです。

 デンマークからスウェーデン、ノルウェーと周り、最後にフィンランドから帰国する旅程でした。フィンランドのある街に降りたって地図を見ていたら、
"Can I help you?"
と声をかけてくれた若い女性がいました。当時は他の3カ国ではよく通じた英語がフィンランドに入った途端あまり通じなくなったので、心強く思いました。なんときれいな英語かと思っていたら、それもそのはず、彼女はカナダ人で、フィンランド人と結婚してフィンランドに住み、ビジネスマンに英語を教えていたのでした。

 私の泊まるサマーハウスが彼女の家のそばだったこともあり、お茶によばれました。彼女の名前はセーラさん、「おっ、小公女だな。古風な感じ。」と思いました。いろいろ話すうち、
「数日地方を回ってアエロフロートで日本に帰ります。」
と言ったところ、彼女はサッと青ざめました。
「モスクワで何が起きたか知らないの?」
「何かあったんですか。」
そしてその朝起きたクーデターとゴルバチョフ幽閉事件を知ったのでした。

 その後夕飯にもよばれることになり、いったんサマーハウスにチェックインして街に出ました。この時は観光のことよりどうやって帰国するかで頭がいっぱいでした。モスクワ空港は閉鎖される可能性が高く、そうでなくてもビザがなければ命の保障はありません。レストランのコーヒーで気を落ち着けながら、新聞を持っている人を見つけたので、
「それ、今日の新聞ですか。モスクワのこと書いてありますか。」
と聞くと、
「モスクワで何かあったんですか?」
とさっきの私と同じ返事。私がもごもご説明するともう大騒ぎだったのでそのままその場を後にしました。

 夕飯ではセーラさんとその夫、教え子のスイス人レグラさんとご一緒でしたが、4人で頭をしぼった結果、直行便のフィンエアーで帰るしかなかろうという結論でした。セーラさんたちに厚く礼を言って別れ、翌日から3日間地方を巡りましたが、観光どころではありませんでした。インターネットが普及していた時代ではなかったので情報もなかなか集められませんでした。結局、早めに切り上げてヘルシンキの日本大使館に行くことにしました。

 大使館があるはずの場所に行ったのですが見あたらず、近くのおじさんに聞くと知らないとのことでしたが、私の困った様子を見て場所を調べてくれました。車に設置された移動式電話(今まで日本でもそんなの見たことがありませんでしたので、「おっ、車にこんなギャジットが。007のようではないか。」と思った記憶があります。)で問い合わせてくれたのです。電話を切ると、
「移転したそうです。乗りなさい。」
これは平時なら絶対してはいけないことでした。が、今は非常時です。想定される危険と同等以上の危険が迫っていました。私はこのおじさんがいい人であることに賭けて、神のご加護を祈りながら乗せてもらうことにしました。十数分ほどで、おじさんは、
「この辺のはずなんだが・・・。あ、あった、あった。」
と言って、日本大使館に横付けしてくれました。

 結局、クーデターは3日でおさまり、モスクワ空港は問題なしとの情報を得ました。それでもモスクワでのトランジットの間はらはらどきどきしましたが、無事予定通り戻ることができました。帰国して、一部始終を書いた礼状をしたため、フィンランド大使館に送ったことは言うまでもありません。

2013年11月21日木曜日

「小学生の早朝活動」


 私の早朝エクササイズはなんとか続いていますが、その帰り道で小さな公園のそばを通る時、子供たちが公園の大きな円形の花壇の周りを走っている光景を見ました。十名近くいたでしょうか、ちょうど走り終わったようで、
「オレ、もう足がくがくだよ。」
などと言いながら荷物をまとめています。先生と思われる大人も一人いて、マラソン大会の練習かなとも思いましたが、それなら校庭でやるはずです。

 疑問が解けたのは次の日で、今度はキャッチボールをしていたのでした。おそらく少年野球チームの朝練なのでしょう。その後も、私の知る限り毎朝このトレーニングは行われていました。よくあることとは言わぬまでも、日本全国で珍しくはないことなのかもしれません。毎朝のことなので子供にとっては大変でしょうが、こういう、ちょっと面倒だけどそこはかとなく楽しい体験を、子供は決して忘れないものです。海外の子供のスポーツ事情は知りませんが、英才教育でもないのに普通の子供がこんなことをしているものでしょうか。

 そういえば、小学校の頃私の学校でも早めに登校して校庭を走り、毎日走った距離をグラフにしていたことがあったなあと思い出しました。おそらくあの頃の先生の頭の中には勤務時間などという言葉はなく、子供にとっていいことだと思った人がやり始めて、相乗りする人が出て互いに子供を見あいながら、次第に学校中に広がっていった行事だったように思います。日本の昔の学校はそんなふうでした。たぶん今だと、時間外勤務のハードルを越えるのにひと悶着あり、その後当番制論議でひと揉めあり、何より事故が起きた時の責任問題などで紛糾し、立ち消えになる活動が山ほどあるだろうと思ったことでした。

2013年11月18日月曜日

「アゴタ・クリストフのこと」


 「今日は何をしたっけ。」
一日の終わりに思い返してみて、「何もせずに一日終わった。」とがっかりすることがあります。別に何もしなくても生きている意味はあるのですが、逆に
「これを残すために、この人はこの世に生を受けたのだな。」
と思う人がまれにいます。

 アゴタ・クリストフの『悪童日記』は1986年に出版され、一部でセンセーションを巻き起こした作品です。ハンガリー動乱の時に西側に亡命した彼女の体験をもとに書かれたとも言われ、1988年の『ふたりの証拠』、1991年の『第三の嘘』とともに三部作として完結しました。

 戦争末期の国境付近で狂気を生き抜く双子の兄弟。その賢くも悪魔的な日常が簡潔な文体で書かれており、読むと胸が痛くなります。この二人は同一人物ではないか、との直感が的中したのが続編での山場でした。三冊目ではさらに錯綜した現実が明らかにされ、もはや何が真実で何が嘘かも判然としません。すべてが幾重にも交錯する夢うつつの中にあるような風景です。

 彼女が2011年に亡くなっていたのをつい最近知りました。彼女の作品を読んだ後は、「何もせずに一日終わった。」などと寝言を言っていられることを、心底ありがたく思ってしまうのです。恐るべし、アゴタ・クリストフ!

2013年11月15日金曜日

「桜とインターネット」


 インターネット時代の到来というものがなかったら、今ある問題のほとんどは起こらなかっただろうなと思います。ビジネスにはもっと人手が必要ですし、24時間対応ではないので労働条件も改善するでしょう。人間の労働の価値を果てしなく切り下げているグローバリゼーションに起因する過労も自殺も減る可能性が高い。

 学校や塾でiPad の導入が始まったというニュースがありました。塾ではタブレットに向かって試験問題を解き、その場で正解・不正解が分かり、終了後すぐに順位が発表されるということでした。関係者(塾の先生)の話によれば「その場で解答や結果が分かるので生徒の学習意欲があがった。」とのこと。私が今の子供だったらとても耐えられなかっただろうと思います。

 現在の国民的鬱状態は、情報の氾濫が人々の認識や判断を狂わせていることに由来する部分が大きく、いたずらに飢餓感をあおられて、未来への悲観的な見通ししかもてない状況を作り出しています。ネットがなければ退屈すぎて、ひょっとしたら引きこもる人も結構減るのではないでしょうか。あ、これは不謹慎な冗談でした。SNS等の発達で人との距離間がはかれないという現実もあります。ストーカー問題もこれと無縁ではないでしょう。

 インターネットの利便性に私も与っている以上、今起きていることの加担者であるという多少の有責感はあります。まことに、「世の中に絶えてネットのなかりせば日々の心はのどけからまし」なのですが、これは仮定法過去(現実に反する仮定)であり、もう後戻りはできないのです。

2013年11月14日木曜日

「国家安全文化度の測定法」


 文化が高いとはどういうことかという問題は難しすぎるので、「国が落ち着いていて文化的に見える」指標として思いついたことがあります。通常、図書館、美術館、博物館等の数というのは文化度を測るのによく使われる指標ですが、箱モノの数だけならあまりあてになりません。催される美術展の数や来館者の数というのはそれより正確な指標になるでしょう。しかし、もっと精度が高いと思うのは、「他国から貸し出される美術品の数」ではないでしょうか。

 美術館は自ら所蔵する美術品の扱いに不安があれば絶対に貸し出しはしません。政情不安で何が起こるかわからない国に大切な絵画を貸し出す美術館はないでしょう。それだけでなく、運搬や展示に技術的な不安があっても、鑑賞する人々に美術品への関心や敬意があるか自信がもてなくても、それにもちろん興業的な成功を期待できるかが疑問でも計画は頓挫するでしょう。

 他国からの絵画の貸出件数といった統計があるのかどうか知りませんが、おそらくこの点では日本は随一ではないかと思います。展覧会の絵画は近づいてじっくり見ることができないので、私はこのところよほどのことがないと行かなくなってしまいましたが、気が付くと、
「あ、この絵が来ていたのか。」
「あ、この絵も来日していたのか、いつまでだろう。」
ということがよくあります。

 フェルメールの絵画などはここ数年毎年のように来日しているようですし、何点かまとめて「フェルメール展」を開くなどというのは、他国では(おそらくヨーロッパでさえ)考えられない企画です。海外の美術館を訪れて、改装中ならいざ知らず、名画が貸し出し中のため見られないのはいまいましく落胆する出来事ですが、そのリスクを省みずフェルメールの絵画が集められ展示されたのですから、日本にとっては大変名誉なことと言えるでしょう。

2013年11月10日日曜日

「紅春 38」


 私が帰省している時といない時とで、対応が変わるりくのしつけとしては「外から帰ってきた時の足の洗い方」があります。普段はぬれ雑巾で足を拭くだけで家に入れているようなのですが、私がいる時は必ず水道で足を洗うようにしています。これも子供の時からきちんと慣れさせておけばよかったと思うことです。いや、軽々抱き上げられる子犬の頃は足を洗っていたのですが、だんだん重くなるにつれて足拭きに移行していったというのが真相です。

りくにはいつも
「姉ちゃんが来たからには足を洗わないと家に入れないんだよ。」
と言っています。すでに10キロはあるりくを抱っこしたまま、まず後ろ足を水道で洗い、それから流しのふちに後ろ足で立たせて、体はしっかり支えながら前足を洗います。とても不安定な姿勢なのでりくは足を洗うのがきらいなのです。

 他の家人と散歩に行って戻って来た時、勝手口に私がいないようだと思うと、りくはそのまま入ろうとしますが、たいていは待ち構えていて
「そうはいかないんだよ。悪い生活から足を洗ってください。」
と言って抱っこします。りくは
「あー、見つかっちゃった。」
というふうに仕方なく足を洗います。

2013年11月8日金曜日

「ヨーロッパの駅舎にて」


 「列車はどっちから来るのかな。」
イタリアを旅していた時、ホームでヘルベルトが言いました。駅名は忘れましたが、そこは両側に線路があるタイプのプラットホームでした。
「案内板がないから左から来るのか右から来るのかわからないね。」
と私が言うと、彼は
「いや、左から来るのはわかってるけど、どっちの方角からかな。」と。
おかしなことを言うなあ・・・。
「左から来るとは限らないでしょ。ほら・・・」
その時たまたま右手からホームに入ってくる列車を私が指さした時のヘルベルトの驚愕した顔を忘れません。
 その後話してわかったのは、ヘルベルトによれば、ドイツでは列車は必ず左から入って来るということでした。気をつけて観察したことがなかったので、「そうかなあ、いつもそうとは限らないのでは。」と私は思いましたが、原則としてそう決まっているのでしょう。

 イタリアでは日本と同じく、列車はどちらからでも入ってくるようでした。その方がずっと融通が利くと思います。ただ原則が決まっているのはわかりやすい点もあります。ロンドンだったかフランクフルトだったか、
「何処何処行きの列車は何番線から出ますか。」
と尋ねて、駅員が
「まだ決まっていません。」
と答えた時は唖然としました。大枠は決まっているのですが、長距離などで遅れが出たりすると、空いているホームにその都度引き込むようになっていて、ホーム自体に行先を示す固定した表示板はないようです。ちょっとしたことですが、身近なことで固定観念を突き崩されるのはやはり動揺するものです。

2013年11月5日火曜日

「危機センサー」


 バブル崩壊後に知り合いから聞いた話があります。バブル期に某証券会社で金融商品を購入し、言われるままに何度か買い換えをして利益を上げていたのですが、ある日、「今はこちらの商品の方がいいですよ。」と言われた時、不意に目が覚めたそうです。
「私、こんなことしてちゃいけないんだ。」と思い即座に、
「全部解約してください。」
と言って解約しました。対応していた人は訳がわからず困惑していましたが、本人が解約すると言っているのでどうすることもできません。その証券会社が経営破綻したのはその直後のことでした。
「社員は悪くありません。わたしらが悪いんです。」
と涙ながらに頭を下げた社長の姿は何度も放映されたので印象深い事件でした。

 以前、高速バスで大事故が起きました。私はずっとJRバスを利用していますが、当時、東京ー名古屋間が東京ー福島間よりはるかに安い料金設定に「これはありえない」と感じました。人間の労働というものを限りなくゼロにしようとしていると。そういうことはもうやめた方がいいと思います。もちろんやめるべきは、限りなく安さを追求する消費行動の方です。

 先日某大手スーパーにおにぎりを納めていた業者が、国産と偽り外国産の米をつかっていたことが判明しました。某スーパーは訴訟も考えているとのことでしたが何を言っているのでしょう。販売価格を見れば、誰が考えても国産米でないことは明らか、「知らなかった」のなら商売人失格す。ものの値段を限りなくゼロに近づけようとして、それによって何をめざしているのでしょう。消費者は物には適正価格があるということを冷静に考えれば、危険に近寄らずにすみます。と思っていたら、有名なホテルのレストランで食材や調理法の偽装が明らかになりました。こうなると、もう自分の舌や身体感覚を鍛える以外処置なしですね。

2013年11月4日月曜日

「驚かない時代」


 現代は何でもありの時代です。電線をネズミがかじって停電になっても当たりまえ、水平でないタンクに水を入れて中身が漏れても当たりまえ、たとえそれが原子力発電所であろうと。
「ちゃんとしてくれなきゃ困るよね。」
と言いながら、原発推進の姿勢は堅持、国土全部が滅亡するまでは「安全」です。奇怪なことが起こっていても、もう驚きません。

 カフカの『変身』ですごいと思うのは、主人公が異形のものになっても本人があまり驚いていないことです。戸惑ってはいるのですが、普段の生活のこまごまとした事柄を煩い、「面倒なことになっちゃったなあ。」という雰囲気を漂わせている姿にこそまさに現代人であることが喝破されています。周囲は最初驚いておたおたするのですが、人間はどのようなことにも慣れてしまいます。彼に対する関心は失われ、主人公が死んだあと何事もなかったかのように日々の生活は続いていくのです。

2013年11月1日金曜日

「在宅と外出」


 特に用事がない雨の日が子供の頃から好きでした。外に行く選択肢が消えて、家で雨音を聴いて過ごすのはいいものでした。あえて言えば、自分が安全な場所にいるという大前提で、台風の猛威を目の当たりにするのも大好きで、飽かず窓に張り付いていたものでした。今でも「今日はどこへも行かなくていい日」には思わずにんまりしてしまいます。以前、夏休暇の間中家でインターネットをしていたという友人が、「ひきこもりって楽なのよ~。」と言っていましたが本当にそうです。でもそれはいつでも出ていける場所があるからです。

 家から出ずに過ごすのはせいぜい2~3日が限度でしょう。ひきこもりの問題の多くが、実は生活リズムの崩れと運動不足によって悪化していくのではないでしょうか。外出して喧騒に触れ、人々の活気からエネルギーをもらわないと活力が低下しますし、体を動かさないと不調をはっきり感じます。外に出て移動するだけでも元気が出てきます。この秋最初のキンモクセイの香りに気づいたり、多頭連れの犬(柴とビーグルとトイプードルが一緒にいるのを見た日などは得した気分です。)の散歩とすれちがったり、首輪とリードをつけて歩いている猫を目撃したりするだけで、「今日はいい日だな。」と思います。人間は面倒でむずかしい存在です。