2013年10月9日水曜日
「ブラティスラバの思い出」
今から10年ほど前のことですが、ハンガリーに行く途中でスロヴァキアの首都ブラティスラバに寄ったことがありました。オーストリアに接しているといってもいいくらいのところにあるドナウに面した街です。小さな街で、「ひっくり返したテーブル」と呼ばれるブラティスラバ城と国立ギャラリー、近郊の今は廃墟となっているデヴィ―ン城を見てしまうと結構時間が余ったので、ホテルのテラス席でお茶をしながらだらだら過ごすという、贅沢な時間が持てました。気づいたのは、警官だか警備員だかが始終見えるところにいることで、ずいぶん警備が厳重だなと思っていたら、まもなく理由がわかりました。大統領官邸が目と鼻の先にあったのです。安全なのか危険なのかわかりませんでした。
次に気づいたのは、このホテルのウェイターは笑わないということでした。これは城の警備員も同じで愛想というものがないのです。当時、社会主義体制でなくなって10年ほどたっていたはずですがまだそのような状態で、十年やそこらで人は変わらないのだと、なにがしかの傷跡を見たような気がしました。とても気持ちのいいホテルで、食事もおいしく西洋諸国では提供できないような値段でしたので、大満足でした。朝、昼、晩の食事とお茶をいただいているうち、ウェイターも慣れていろいろ話すようになりました。もともと饒舌な人だったようで町の名所やお国自慢の話を聞きました。そのうち、
「スロヴァキアは他国の支配下に入ったことは一度もない。」
と言ったので、私とヘルベルトは顔を見合わせて黙ってしまいました。あまり自信たっぷりに言うので、「そうだったっけ?」と思ったほどです。
それから部屋に帰り念のため調べてみましたが、この街の旧称が、ドイツ語、ハンガリー語、チェコ語でそれぞれ別の名前であることだけをとっても、どれほど困難な歴史だったかと思いやられました。位置的にも、オーストリアとハンガリーという大国に接しているのですからひとたまりもありません。民族的にも文化的にも全く違うハンガリー王国の支配下にあり、ナポレオンの侵攻も受け、第一次世界大戦の終戦により解体されるまでオーストリア=ハンガリー帝国の支配下にあり、第二次世界大戦ではナチスの侵攻を受け、その後はソビエト赤軍の支配下に・・・という支配され続けた歴史なのです。
ですから、ウェイターが言ったことは客観的には明らかに嘘なのです。でも、たぶん彼は嘘をついたという意識はなかっただろうと思います。あまりにつらい、自尊心を傷つけられるような歴史であり、こうであったらいいのに、こうであるべきだという願望が高じてあのような発言になったのではないか。これほど自国の歴史を直視することは難しいのです。私はトランジットで香港に寄ったことがある以外はアジアの国に行ったことがありません。頼まれても行きたくないのです。それはやはり自国の歴史に直面することに耐えられないからだと思います。だから、ウェイターの発言は間違っているけれども、私は寛容な気持ちで大目に見ることができます。