2013年10月30日水曜日

「大人の実年齢」


 アルバイトの店員が食材を用いて悪ふざけをした映像をネットにアップし、大きな問題になる事件が立て続けに起きました。実年齢から10歳~20歳程度割り引けば、まあ理解できる現象です。

 先日、年商何十億だかのIT会社社長についての話を耳にしました。若くしてその地位に立つほどの才覚に恵まれた人なのですが、信頼していた部下が次々と離れていくという事態に直面し、悶々とした局面を変えたのはそれまで全く縁のなかったマラソンでした。大会に出場して初めて、全然見知らぬ人が本気で自分を応援していてくれること、大会を開催するためにどれだけ多くの人が無償で働いているか知り、心底驚いたとのことでした。

 部下が離れていった原因は、「おまえ使えねえな」という社長の態度にあったようで、現在はそれらの部下たちと一緒に仕事をしているということは、自分の態度を反省し呼び戻したということでしょうから、やはりひとかどの人物だったのでしょう。この人が何歳なのかわかりませんが、多くの見知らぬ人の尽力の上に世の中がかろうじて成立していることを知るのは、あと10年は若くてもよかったのではないでしょうか。

 逆に言うとその歳まで我がことのみの考えで人生が完結していたという生活状況だったということです。おそらく現代はそれほどまでに狭い社会の中での競争的環境にさらされているということなのでしょう。大人があきれるほど幼児化している原因の一つはそこにあるのだと思います。昨今の様々な事件を考えると社会としてもたなくなる時が迫っているのではないかと心配です。

2013年10月28日月曜日

「紅春 37」

「あら~、美しい犬だこと。」
「きれいだね~、かわいい。」
散歩中、りくはいろいろな人からいろいろな声を掛けられます。大きな声で思ったことをそのまま発声するご婦人がいるかと思うと、ひそひそ話をしながら通るご夫婦もいます。

「あの犬、かっこいいね。」
「うん、かっこいい。」
思わず耳がダンボです。

 土手を大型犬が登ってくるので、りくがお座りして通り過ぎるのを待っていたら、
「まあー、立派。なんて立派な。」
と飼い主さん。

「何か見てるんですね。」
「ええ、川を見ています。」
りくは土手の決まった場所で向こう岸に向かってきちんと座り、じっと川をながめるのが好きです。放っておくといつまでも見ているので、「そろそろ行くよ。」と言って散歩の続きを促します。

「りくちゃんですね。」
「はい、りくです。」
りくの名は知っているのですが、何かしら声を掛けたいのです。
「りくちゃんでしょう、八重丸君のお友達の。」
交友関係まで知られている・・・。
「りくちゃん、りくちゃん。」
とひたすら名前を連呼する方もいます。

 りくの態度はいつも同じ、まったくどこ吹く風なのです。もうちょっと愛想よくしてちょうだい。

2013年10月25日金曜日

「コンパートメント」


 ヨーロッパの鉄道に初めて乗ったときコンパートメント車両の存在を知りました。知らない人と狭い一つの空間を共有するという車両の作り方は意外な驚きです。鉄道にしても飛行機にしても元々が船の発展型であることを考えるとうなずけ、クリスティをはじめ推理もので殺人の舞台になるのもわかる気がします。普通に「こんにちは」の挨拶をすればあとはいつもの過ごし方で構わないので、特に一等の場合はそれぞれ好きなことをしており、同室の人と会話がはずむなどということはまずありません。

 ある時、とても空いた列車のこれまたがらがらの一等車両に座っていたときのことです。一人の大男が入ってきました。肌の色と骨格からして中南米の方ではないかと思いました。人種的偏見があるわけではありませんが、「これはヤバい。」と思いました。他にいくらも空のコンパートメントがあったからです。いくらなんでもおかしい、困ったなと思いました。社交的な人が、せっかく来たのだから旅先で出会った人と親交を深めたいと思うならそれもよいでしょうが、私はそんな日本でもしていないことを外国でしようとは思いません。危険だからです。

 挨拶をし会釈した後は、なるべく目を合わさないようにして別のことをしながら、「さて、どうしたものか。」と考えていました。慌てて移動するのは変だから、しばらく乗って降りるふりをして車両を替わるのが一番いいかなと。やっと網棚に乗せた重いスーツケースの移動を思い、ちょっと憂鬱になっていると、助けがやってきました。検札です。車掌は一等の切符を持っていなかったその人をにべもなく追い出してくれました。ヨーロッパの人はこういうことのためにお金を出すのだと実感しました。

2013年10月23日水曜日

「匂いの記憶」


 犬の嗅覚は大変すぐれたものですが、嗅覚は動物にとって五感の中で最も原初的なものではないでしょうか。見間違い、聞き違いということはありますが、嗅ぎ違いというものはありません。りくに何か新しい食べ物を与えると、ちょっと匂いを嗅いでどうするか判断します。食べるか、食べないかは一瞬で決します。嗅覚は味覚に先だって絶対的なものです。人間の五感の中で嗅覚は軽んじられている感がありますが、風邪で鼻が利かないと味も感じません。やはり嗅覚が先に働いて味覚が生きるのです。

 匂いは出来事の想起においてもその鮮烈性がきわだっています。春先の陽光の匂いを嗅げば、一瞬にして、日向ぼっこしていた子供の頃のゆっくりした幸福な時間に引き戻されますし、むんむんするような草いきれは夏の午後のじりじりする暑さを、たき火の匂いは凛と張りつめた空気となんとなくわくわくする楽しみを瞬時に思い出させてくれます。「昔こんなことがあった。」とタイムスリップする匂いが最近はめったにないのが少し残念です。それにしても、あのひたすらゆったりと流れていた時間はいったいどこへ行ってしまったのでしょう。

2013年10月21日月曜日

「ヘイト・スピーチ」


 以前、「はあ?」という語尾を用いて相手の言うことを全くばかげた主張として封殺する話し方が流行ったことがありました。これを聞いたとき、「一般人がやくざもんになる時代なのだ。」と思い気が重くなりました。

 それと本質的に同根だと思うのですが、先日ニュースで「ヘイト・スピーチ」というネーミングを聞き、その正体が瞬時に把握できました。これはどうみてもインターネットの隆盛と無関係ではないでしょう。ある人種、民族、宗教、性別等をそれぞれ十把一絡げにして憎悪を掻き立てるということができるのは、個々の成員の多様性を知らないからです。歩み寄りとかすり合わせといった手の掛かる努力は切り捨て、一撃で相手を倒そうとする論調はネットでよく見かけるものです。

 最近つくづく考えるのは、人間は自尊感情がなければ生きられない動物だということです。ヘイト・スピーチは自尊感情の裏返しであり、それを行う人は相手を貶めることによって浮力を得ようとしています。土下座の強要はその端的な視覚版です。大変不幸なことだと思います。

「アンデルセンの二つの話」


 アンデルセンと聞くとなんだか落ち着かない気持ちになります。彼が書いた話の好みはそれぞれでしょうが、私が印象的な話を2つあげるとしたら、『火うち箱』と『ある母親の話』です。 『火うち箱』は子供の頃家にあった「少年少女世界の文学」のアンデルセン童話集に出てくる最初の話だったからであり、『ある母親の話』は同じくそこに出てきた最も悲しい話だったからです。

 『火うち箱』は、魔女から火うち箱を取って来るように言われた兵隊さんが、特に悪いことをしたわけでもないのに話の冒頭であっさり魔女の首をはねてしまうという書き出しだったので、
「えー、この人が主人公でいいの?」
とびっくりしました。しかもそのまま、魔法の犬を使いながら大金持ちになり、お姫様を娶って幸せに暮らしましたという、二度びっくりの終わり方でしたが、一番目の犬、二番目の犬、三番目の犬と、目の大きさがだんだん大きくなっていくのが愉快だったのですべて帳消しになりました。

 『ある母親の話』では、病気で死にそうな子供をさらって行った死神を、母親が我と我が身をなげうって目や黒髪を失くしながら必死に跡を追って行く場面はいかにもアンデルセンの筆致で、読んでいて切なさが募っていきます。人間の命が植わっている温室でついに死神と対面した母親が、
「子供を返してくれなければ辺りの花を引き抜く。」
と言って死神を脅すと、
「お前は他の母親を同じ不幸にあわせるつもりか。」
と答え、母親をどん底に突き落とします。

 それから死神は、「幸福と祝福にあふれた花」と「不幸と苦しみの連続の花」を見せ、
「そのうち一つがお前の子供のものだ。」
と告げます。母親が絶望し、神に
「どうぞみ心のままになさってください。私がそれに背くようなことを言っても聞き入れないでください。」
と祈ると、死神はその子をあの世へと連れ去ってしまうのです。

 こんな救いのない話があるでしょうか。それでも、子供心に「ここに書かれたことは人生の一面の真実なのだ。」ということはわかったのです。

2013年10月16日水曜日

「購買意欲」


 新製品の発売に何日も前から泊まり込んで店先に並んでいる若者、売れ残ったお中元のセールに群がるご婦人方、北欧生まれの雑貨屋さんの東京出店に1000人殺到などの報道を聞くにつけ、すごいなあと思います。単純に「そんなに欲しいものがあるんだ・・・」と、感動に近いものを覚えてしまいます。

  「欲しいものがない」のです。現代は購入するものがそのまま「自分は何者か」を示す指標となるような時代です。以前はそれなりに欲しいものがあったように思うのですが、あれは若さゆえでしょうか。世の中が私みたいな人ばかりなら、企業はバタバタ倒産でしょうから、購買意欲の旺盛な方々がいてくれないと確かに困ってしまうでしょう。それは生きる活力という側面もありますから、ちょっとでも「欲しいな」と思うものがあったら私も買いたいと思うのですが、これが本当にないのです。物欲がなくなっただけならいいのですが、生命力が低下しているのなら考えものです。

2013年10月13日日曜日

「紅春 36」


 りくは父と過ごす時間が長いので対応の仕方を一番よく心得ています。説教が始まると場所を移動し、馬耳東風と聞き流します。「(散歩に)行くぞ。」と声が掛かると勇んで勝手口に馳せ参じます。父が台所に立つときは時々行って監督します。(食が細い割には、自分に関係のある物が調理されているかどうか気になるようです。)

 時には「今忙しいから、自分で工夫して遊んでなさい。」という高度な課題が課せられることもありますが、それなりに理解しおもちゃ箱からその時々の気分でおもちゃを選んで遊んでいます。私が父と言葉でやり取りするとつい言いすぎて、お互い気まずい思いをすることがありますが、りくは本当に賢いなと感心します。見習わなければと思うことがしょっちゅうです。

2013年10月11日金曜日

「バーコード」


 人生もゆるやかなカウントダウンの年齢になると、様々なことがいとおしく感じられ、今やれることは今やっておこうという気になります。最近はどんなことでも「せっかくだからやってみようかな。」という心持ちで試してみることが結構あります。ここまでくると、きっと「ま、やらなくてもいいか。」まであと一歩なのでしょうが、物事には手順があります。 先日は個人事業主としてバーコードの取得をしてみました。使うあてはないけれど、こんなことでもなければ産業センター(商工会議所)なんて一生行くことはないですもの。

 今はバーコードがなければ商品として市場に流通しない時代です。私はあの白黒の様々な太さの線が文字を表していて、それを自分で作れるのかと思っていたのですが、全然違っていました。どういう仕組かというと、まず商工会議所で「手引き」を購入しその最後に付いている申込書に記入して「流通システム開発センター」へ送ると、事業者コード(9桁の番号)が取得できる。これに自社の商品番号を追加して12桁の番号にし一つ一つの商品を分別するというもの。おそらくここは経済産業省のxxxxx先になるのではないかと思われます。違っていたらごめんなさい。

 申請者の印と社印(法人の場合)が必要でした。個人事業者は同じのでいいのでしょうが、勿体をつけて、使ったのはいつ以来かしらという実印を押してみました。書いた申請書は郵送でもいいのですが、青山一丁目近くの流通システム開発センターまで出しに行きました。直接出すことの利点はちょっとした間違いがあった時その場で直せることです。そしてちょっとした間違いは私の場合必ずあるのです。この書類では一か所の訂正で済み、おかげで取得まで通常2週間~1ヶ月みたほうがよいといわれるところ1週間で書類が届きました。

 あとはこの数字をバーコードに変換し印刷すればよいのですが、当然それを行う業者がいます。しかし、世の中にはどんなことでも自分で行いそれをネット上で対価なく嬉々として他人に供与している方がいます。たぶん楽しいのでしょう。マニアが作ったらしきサイトで一応作成できたものの、本当に通用するかどうかはためしてみなければわかりません。妙に大きく縦幅が短いのも心配です。これをバーコードリーダーで読みとれる大きさに縮小コピーし・・・さてどうやって試してみるか。バーコードリーダーがあるところというと、思いついたのは最近導入している店もあるセルフレジ。申し訳ないけれど一度だけやらせてもらいました。どきどきしながら読み取り口に当てると、「ピッ、未確認商品です。」と。成功、読み取ったのです。「未確認商品」という音声に店員が驚いて駆けつけてきましたが、「大丈夫です。」と言って事なきを得ました。このバーコードは販売するお店の人がレジに登録設定をすればもう通用するのです。「やったー。」という達成感がありました。うーむ、世の流通システムはこうなっていたのか。

2013年10月9日水曜日

「ブラティスラバの思い出」


 今から10年ほど前のことですが、ハンガリーに行く途中でスロヴァキアの首都ブラティスラバに寄ったことがありました。オーストリアに接しているといってもいいくらいのところにあるドナウに面した街です。小さな街で、「ひっくり返したテーブル」と呼ばれるブラティスラバ城と国立ギャラリー、近郊の今は廃墟となっているデヴィ―ン城を見てしまうと結構時間が余ったので、ホテルのテラス席でお茶をしながらだらだら過ごすという、贅沢な時間が持てました。気づいたのは、警官だか警備員だかが始終見えるところにいることで、ずいぶん警備が厳重だなと思っていたら、まもなく理由がわかりました。大統領官邸が目と鼻の先にあったのです。安全なのか危険なのかわかりませんでした。

 次に気づいたのは、このホテルのウェイターは笑わないということでした。これは城の警備員も同じで愛想というものがないのです。当時、社会主義体制でなくなって10年ほどたっていたはずですがまだそのような状態で、十年やそこらで人は変わらないのだと、なにがしかの傷跡を見たような気がしました。とても気持ちのいいホテルで、食事もおいしく西洋諸国では提供できないような値段でしたので、大満足でした。朝、昼、晩の食事とお茶をいただいているうち、ウェイターも慣れていろいろ話すようになりました。もともと饒舌な人だったようで町の名所やお国自慢の話を聞きました。そのうち、
「スロヴァキアは他国の支配下に入ったことは一度もない。」
と言ったので、私とヘルベルトは顔を見合わせて黙ってしまいました。あまり自信たっぷりに言うので、「そうだったっけ?」と思ったほどです。

 それから部屋に帰り念のため調べてみましたが、この街の旧称が、ドイツ語、ハンガリー語、チェコ語でそれぞれ別の名前であることだけをとっても、どれほど困難な歴史だったかと思いやられました。位置的にも、オーストリアとハンガリーという大国に接しているのですからひとたまりもありません。民族的にも文化的にも全く違うハンガリー王国の支配下にあり、ナポレオンの侵攻も受け、第一次世界大戦の終戦により解体されるまでオーストリア=ハンガリー帝国の支配下にあり、第二次世界大戦ではナチスの侵攻を受け、その後はソビエト赤軍の支配下に・・・という支配され続けた歴史なのです。

 ですから、ウェイターが言ったことは客観的には明らかに嘘なのです。でも、たぶん彼は嘘をついたという意識はなかっただろうと思います。あまりにつらい、自尊心を傷つけられるような歴史であり、こうであったらいいのに、こうであるべきだという願望が高じてあのような発言になったのではないか。これほど自国の歴史を直視することは難しいのです。私はトランジットで香港に寄ったことがある以外はアジアの国に行ったことがありません。頼まれても行きたくないのです。それはやはり自国の歴史に直面することに耐えられないからだと思います。だから、ウェイターの発言は間違っているけれども、私は寛容な気持ちで大目に見ることができます。

2013年10月7日月曜日

「総合診療医」


 人間の体というのは不思議そのものです。原因不明の奇妙な病はごまんとあるし、どこを調べても悪いところはないのに本人にはまぎれもない痛みというものもあります。そもそも一人一人に起こっている症状が科学的に解明されている病気であっても、それは個々人の遺伝的要因、生活習慣、心因性のストレスなどが幾重にも絡まって起こるのでしょうから、原因も蓋然的にしかわからなくて当然、一言で言うと、生物のことがそんなにわかるわけがないと私はもう割り切っています。

 ただ、本当はなんとなくわかっているのです。まだ若い人ならいざしらず、半世紀を生きて体にがたが来たのなら、病の原因に思い当たることがあってしかるべきでしょう。友人が、
「一万人に一人しかならない病気のはずなのに、私のまわりには数名もいる。」
と言っていましたが、年齢を重ねれば交友関係もある種の傾向があるでしょうから、そういうことも起こるのです。50年も生きれば、人は自分にとって最良の総合診療医になっているはずです。

 私が医者に期待するのは、蓋然的な原因を述べたうえで、とりあえず症状を治めてくれることです。たいていの一時的な病は、たぶん時間さえかければ自然と治っていくものなのですが、症状を抑えてその時間を短縮してくれること、それだけで十分ありがたいと思います。

 健康は現代人の最大の関心事の一つで医学番組も多いですが、以前「ドクターG」という教化的な番組がありました。出演する医者は皆人格者で、人間は間違うものだという前提を踏まえ、医者として悩みながら使命を果たそうとしていました。彼らが信頼できると思えるのは人間の心身の脆弱性を理解し体感していることです。そして生活者としての視点をもち、人は仕事だけでなく家族や地域の中で生きているということを経験知としてもっていることです。カンファレンスに参加する研修医はそろいもそろって好青年、とにかく痛々しいほどにさわやかで、思わず「がんばってください。」と応援したくなってしまいました。人的資源に関して言えば、日本の医療の未来に希望が持てました。

2013年10月4日金曜日

「起床と就寝」


 年をとると早起きになるのは、眠る体力もなくなるからだと以前聞いた覚えがあります。だいぶ前の話なので、今では違う医学的見解になっているかもしれません。私は眠れなくて困るということがほとんどないのですが、起床は早くなっています。東京にいる時はどんなに早く起きても誰にも迷惑にならないので、目が覚めた時間に適当に起きています。4~5時間でも十分なこともあり、先日「無理に眠ろうとしなくてよい」らしいと聞き安心しました。

 問題は父の就寝時間です。2、3年前までは8時でした。それが7時半になり、7時になり、ついに6時半に迫ろうとしています。(ちなみに夕飯は5時半頃) 本人は「横になっているだけで寝ているわけではない。」と言っていますが、これは起きている体力がなくなってきているということではないでしょうか。

 起きるのは6時頃ですから、ほぼ半日寝ていることになります。大丈夫でしょうか。起きたら起きたでまあ元気なのですが、この就寝時間、起床時間だけをみた場合、ちょっと心配になります。私がいない時、りくの寝起きは父の時計に合わせて行われます。私がいるとりくは私にくっついているので、父は時々りくにこう言っています。
「姉ちゃんが来てから、あんた少し夜型の生活になってるからね。姉ちゃんにつきあって起きてることないんだよ。ちゃんと早く寝ないとだめだよ。」
私だって10時前には寝ているのに、夜型って言われてもねえ。

2013年10月2日水曜日

「呪われた本」

 ネットというところは思いもかけないことが起こる可能性があるので、本書の題名を書くことができません。この本はおよそ25年くらい前に、イスラム文化を背景に持ちながらヨーロッパ化した作家が書いた書物で、マホメットを冒涜しているという理由で、故アヤトラが本書の出版にかかわった人々に処刑宣告を出したことで有名な本です。現に翻訳した大学教授は殺されましたし(現場に日本では売られていない靴の足跡があったというニュースにぞっとした人も多かったはず。)、試した人の話によると、当時日本橋の大書店も災難が降りかかるのを恐れて原書の取り寄せを断ったそうです。その後の私の調査でも、本が持ち出せない図書館以外は組織的に処分されているのではないかと思えるほどお目にかかれなかった記憶があります。(神保町では時々見かけることがありましたから、手に入らないというわけでもなかったですが。)

 ますます厳しさを増す現代社会はどこまで行くのだろうと思います。グローバルスタンダードとは即ちアメリカの価値観のことであり、これを受け入れることなしに近代化した国がない以上、イスラム世界も例外ではありません。西洋的価値観に席巻された後のイスラム世界は、大きな矛盾と葛藤を抱えたのであり、一言で言えばイスラムは傷ついているのです。この本は、あまりにも現実の本質を、従ってあまりにも痛いところをついてしまったのでした。著者には今でもボディガードがついているというし、だいたいヨーロッパ人の感覚では「あんな本書いて、いまだに生きているのが不思議だ。」ということらしいのです。後戻りしてこの世的に成功する可能性はないのですが、この世を捨てる気があれば、行き着く先はイスラム原理主義ということになります。もうどこへも行き場がないのです。

 先日海外からのアクセスが増えたなと思ったら多くが中国からで、その日のブログは「日本とドイツ 言葉による安全保障」というタイトルでした。或る種の単語に反応するプログラムが組まれ情報を収集する組織があるのでしょう。ブログのお気楽な内容に拍子抜けしたことと思います。そういうわけで本のタイトルは書きませんでしたから、この本のことを書いたからと言って何もないと思いますが、もし私が非業の死をとげたらその線を当たってみてください。(冗談です。) ただ、ウィキペディアでこの本についてあたっていた時、突然画面が暗くなり、「お使いのコンピューターを保護するため Internet Explorer はこの Web ページを閉じました。」「正しく機能しないアドオンまたは悪意のあるアドオンが存在するため、Internet Explorer はこの Web ページを閉じました。」という表示が出たのです。やっぱりなんかあるんだぁ。