2013年9月9日月曜日

「心の速度」


 いつの頃からか、「生きづらい」とか「心が折れる」という言葉を聞くようになりました。少なくとも20年前は使わなかった言葉ではないかと思います。これは別に20年前と比べて現代人の心が弱くなっているということではありますまい。そういう言葉を使わねばならないほどの猛烈な社会環境になってきたということでしょう。

夏目漱石は「とかくに人の世は住みにくい」とは言いましたが、この言葉にはある種温かみのある諦観があります。

「人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣にちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。」(『草枕』)

「生きづらい」というのはまさにこの「人でなしの国」に行ったかのような心持ちではないでしょうか。その一番の原因は、普段「なんでも速いことはいいこと」という社会常識が一般化しているため指摘されることが少ないですが、通信の高速化にあると思います。手紙しかなかった時代はやり取りに最低数日かかったのですから、その間心の中に温めるということができました。また、毎日会う人が相手でも一度帰宅し家族との日常に返ると、今日あったことも吹っ飛んで、翌日言葉を自制したり、寛大な気持ちで仕切り直したりする心の余裕ができたのです。しかし今は、多くの人が自分への情報や通信にとらわれています。或る母親が、学校から帰ってきた娘がメールで友達とけんかの続きをしているのを見てぞっとしたと言っていましたが、これでは生きにくいのも当然です。就職活動などでも通信手段はメールが必須ということも多く、いくつもエントリーしては不採用の通知が来るのでは心も折れてしまうでしょう。大変な時代になったものです。

漱石の答えは単純明快です。

 「越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容(くつろげ)て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊い。」

世界の文学や絵画に囲まれた生活はやはり必要なのです。あとは音楽が抜けていますね。