2013年9月11日水曜日
「シエナのかけっこ」
イタリア旅行をした時のことです。イタリアに行く目的のほとんどは美術館での絵画鑑賞です。フィレンツェ Firenzeといえばなんといってもまずウフィツィ Galleria degli Uffizi。記憶が定かでないのですが、確か当時(20年くらい前)は入館券があれば一度退館しても当日ならまた入れるようになっていました。スケジュール的にあまり余裕がなかったのですが、シモーネ・マルティネ Simone Martiniの『受胎告知』 Annunciazione tra i santi Ansano e Margheritaを見た途端、私はどうしてもシエナ Sienaに行きたくなってしまったのでした。
フィレンツェからシエナにはバスがでており、午後4時半頃帰って来れれば閉館までまだ2時間ほどウフィツィで鑑賞できる計算です。ヘルベルトはさほど絵画に関心はないのですが、こういうとき私の希望をいつも全力でかなえてくれるのです。
シエナに行き、壮麗な市庁舎の「世界地図の間」にあるフレスコ画、『グイドリッチョ・ダ・フォリアーノ騎馬像』 Guidoriccio da Fogliano all'assedio di Montemassiを堪能し、やはり来てよかったと満足しました。2時間ほど滞在し帰りのバスの時刻チェックも怠らなかったのですが、問題はバスの乗り場でした。てっきり降車したところと同じだと思っていたのですがそうではなかったのです。
出発時間は近づいており、バス乗り場は『地球の歩き方』を見ると(こういう時本当に役立ちます。)、ゆうに400~500メートルは離れています。ヘルベルトは、
「次のバスにしよう。」
と言いました。次のバスは2時間後、お茶をするのにいい時間。普段なら一も二もなく賛成するのですが、この日はウフィツィの絵画の残りを見たい一心でした。
「それはだめ~っ。」
と言って、私は駆け出しました。ヘルベルトはついてくるしかありません。走りに走り、途中私も「やっぱり無理かな、間に合わないかな。」と思いましたが、ぜいぜい息を切らして駆けて行くとまだバスは出発していませんでした。
席に座り噴き出す汗をぬぐっていると、ヘルベルトが
「君は決してあきらめないんだね。君と僕が駆けているところを傍から見たら、どうみても東洋人の女の子を追いかけてる大男の図にしか見えなかっただろうな。」
と言うので苦笑いしました。
この時のことをヘルベルトは時々思い出していたようで、似たようなことがあると、
「君があきらめないのは知っているよ。」
と、なかばあきらめ顔で言うのでした。